十二、泡沫の夢
「そうして君が七度目なんだ」
そうして笑う目の前の人は本当に綺麗な顔で笑った。
季節は秋、10月の暑くもなく寒くもない静かな秋晴れの下、カフェのテラスでコーヒーを飲む自称「鬼」だというこの人は、確かにこの世の人ではないような美しさだけど、確かに普通の人だった。
「でも、何か、覚えがあります・・・。時々、私の周りうろついていませんでした?」
「うん、してたよ」
事も無げに答えた。
(ス、ストーカー・・・?)
「そう、千年ストーカー」
私は飲んでいた紅茶を吹き出した。
「大丈夫?何せ鬼だから君の心くらい簡単に読めちゃうんだよね」
「嘘、冗談・・・!?」
「ああ、もうしないから。落ち着いて」
「・・・」
「本当だって。心の中で悪口言ってごらん」
(人の心読むなんて最っ低!)
思って見たけど、彼の顔は変わらなかった。
「ね、大丈夫だって。千年も生きてるから心の声を聞くも聞かないも自由自在」
と、手をひらひらさせた。
「そ、それで一体何なんですかっ!?鬼だとかなんだとか、新手のナンパですかっ!?」
すでにナンパされてることはこの際おいとこう。だってかっこよかったんだもん・・・。声掛けられたらついてっちゃうって。
「もう終わらせようと思って」
その人は淡く薄く笑った。この昼日中の眩しい太陽の下では消えそうなほど儚い笑顔。
「え・・・?」
「君が本当に好きだった。千年もつきまとうほど」
その人は視線を落とし、シュガースティックの空き袋を物憂げに指先で器用に弄ぶ。
「はぁ・・・」
言われたってなんだかぴんとこない。だってさっき会ったばっかりだし、さっきの話だって信じられないし、それにこんな顔のいい人に言われても口説きの常套句にしか聞こえない。だいたい前世の私を好きだなんてそんなの私じゃないしやっぱりこの人はどうかしてるんじゃないだろうか。
「あの、もう失礼していいですか?用があるので・・・」
用なんてなかったが、帰りたくなった。
「・・・紫苑」
その人は視線を落したまま、つぶやくように言う。
「!!」
その言葉に全身の毛が総毛だった。
な、何これ・・・?
頭の中に見たこともない様々な風景が浮かんでは消えていった。
こ、れは、記憶・・・?私の・・・?
覚えてる、確かに、どれも見たことがある・・・そう感じる・・・。
その記憶のどこにも必ず現れる、同じ、美しい顔の、人・・・。
ばっと顔を上げてその人を見る。
目の前の人はその記憶の中の人と同じ顔をしていた。
「し、ろが、ね・・・」
知っているはずのない名前を口にした瞬間、ぼろりと大粒の涙がこぼれて落ちた。
いつのどの時代でも私はこの美しい人に恋をした。そしていつも報われることのない恋をしていた。
「私のせいで、あなたはいつも辛い思いをしていた」
私は首を横に振る。伝えたい想いが多すぎて言葉にならない。いく人もの過去の私が錯綜して様々に想いを告げようとする。
「私は愚かだった。死を受け入れられずにあなたを想い続けることがどんなに愚かで浅はかで馬鹿なことか分かっていた。分かっていてもやめることができないほどに」
「そ、そんなこと、な・・・」
「結果、あなたを苦しめることになるだけだった。鬼となる代償の犠牲にあなたを勝手に巻きこんでいた。あなたと私が会えば何故か必ず恋に落ちる。報われない恋に・・・。この己の醜い我執に付きあわされるのは、一番傷つけたくないあなただというのに」
「・・・!」
「それでも、私は鬼の身体を捨てることができなかった。死ぬのが嫌だった、あなたに会えなくなるのが嫌だった!」
ふっと、その人の体がうっすらと透けかかった。
「嘘、何それ・・・消えて・・・待って・・・、ねぇ、どうして、何で・・・」
「『二つ、決して女の名を呼ぶなかれ。呼んだが最後、霧となってきえましょうぞ・・・』」
「それは・・・?」
「鬼となった時の契約の言葉です。先ほどあなたの名前を呼んだので」
「だから消えるっていうの!?」
「はい」
美しい儚い笑顔のままその人は涙をその両の目の端から流した。いよいよその姿は薄く溶けていく。
「だめ、行かないで!私ならいい、報われない恋なんてそこら中転がってるじゃない!この先いくつ増えたって・・・」
「いいえ。あなたはそんな恋を知らずに幸せになるべきだ。もう散々苦しんだのだから」
「待って!待って!消えちゃだめよ、ねぇ、幸せになりたいのはあなたじゃないの!?私と幸せになるのはあなたじゃないの!?」
「どうか許して下さい・・・。謝っても、足りないかもしれない、けれど、どうか・・・。私はあなたが好きだった、本当に、本当に、ただ好きだったんだ・・・」
「私も、私もよ!だめよ、行かないで、消えないで!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい・・・」
・・・消えた。
ふっと我に帰ると店にいる多くの人がこっちを見ている。
今の光景を見た人はいるんだろうか。人が消える様を。
だが誰一人話しかけてこない。他人に無関心な都会ではそんなものなのか、それとも私が見た夢だったのか・・・。
いいえ、夢なんかじゃない。目の前にはあの人が残したコーヒーのカップ。
確かに一緒にここに来て座って、話をしたじゃない・・・。
私はあの人のカップを手に取って口をつけたと思われる箇所に口をつけた。
震えながらそっとそっと・・・。
触れた瞬間に涙が落ちる。
たぶん初めてのキス。
なんて、なんて報われない二人なのだろう・・・。
あんなに好きだったのに、あんなに愛したのに口づけすら交わしたことがない・・・。
「う・・・ふっ・・・」
私はうつ伏して泣いた。
胸の奥が痛い、重くて切なくて・・・。
ああ、白銀様、何故忘れてなどいられたのだろう。
どうして忘れてしまうのだろう、あんなにも好きになった人を。
覚えてさえいられるなら、例え地獄の中からだって見つけ出してみせるのに。
ああ、・・・様。
あれ、名前、何だっけ・・・?
もう忘れかけてる!?
嘘、忘れたくなんかないのに、思い出したのに!!
だが過去の記憶は水が渦を巻いて流れ落ちるように消えていく。
お願い待って、消えないで・・・。
あなたをあなたをあなただけを好きでした。
あなたがあなたがあなたさえ目の前に現れてくれたなら、例えどんな姿でもきっとあなただと分かって見せる。
だからどうか、どうか、もう一度出会いましょう。
必ず必ずあなたをあなたと見分けます。
そして今度は幸せになりましょう。
どのような罪を重ねていたとしても、全部全部許すから。
あなたのこと忘れたりしません、だって私は私は・・・し・・・?
私は・・・、誰・・・、だっけ・・・。
私はその場で気を失った。