六
ソレは、数多ある長い手足に、鉤爪を持っていた。
ソレは、黒珠の身体に、白い斑点が浮かんでいた。
ソレは、四つの目を動かし、口からは牙を生やしていた。
ソレは、首長の顔をしていた。
しかし最早、人ではなかった。
「うああぁぁうあぁぁぁあうぅああぁぅぁうああああ」
地中から出てきた怪物は、叫びを上げた。
甲高く耳障りな声だった。
村人たちは恐慌状態に陥った。
ある者は、狂乱して怒鳴った。
ある者は、全てを捨てて逃げ出した。
ある者は腰を抜かし、その場で固まって動けなくなった。
「ぁぁみんなあああぅぅぁきらいだぁぅぁあううあああぅ」
怪物はその長手多足で体を引き摺った。
ドーンドーンと地面が鳴った。
地響きの度に、砂も埃も一緒くたになって舞い上がった。
「なんだ、ありゃあ……」
カグナは唖然として口を開けた。
ホムラから離され、地面に降り立つ。
そして首長の変わり果てた姿を見上げ、背骨を震わせた。
畏怖。
それは、最初ホムラに抱いた感情と同じだった。
しかし次いで頭に、全く別の言葉が浮かんだ。
禍々しい。
姿形だけからではない。
あの怪物が放つ強烈な殺意。
匂いが、カグナにその印象を与えた。
「実らせたのは、穂だけではないようじゃな」
ホムラがまた、厳しい口ぶりで言った。
「よくまあ肥えよって。死肉はさぞかし旨かったのじゃろう」
「は?!一体何がーーーー」
とカグナが言いかけた瞬間、ナニカが月明かりに閃いた。
怪物の鉤爪が、尋常ならぬ速さで襲いかかってくる。
「ぐッッ!!」
カグナは咄嗟に、持っていた銅剣で爪を防いだ。
ガギッ!!ビキキッ!
だが、凶悪な力までは弾けなかった。
カグナは木の葉のように吹っ飛んだ。
木柵に勢いよくぶつかると、ずるりと地面に落ちた。
「なんて……力だ……ッ!」
くぐもった声が漏れる。
カグナは体を起こそうとした。
最早痛みに慣れ、痺れしか感じなかった。
「でもまだ、これしき……」
カグナは手を持ち上げた。
瞬間、ガコン……と何かが落ちた音を耳にした。
カグナはぞっとした。
先に限界が訪れたのは、カグナではなかった。
カグナは恐る恐る、地面に目をやった。
そこには銅剣の刃先が転がっていた。
「え?」
カグナは白い顔で右手を見た。
右手は今も柄を握っている。
その先に当然なのも、ない。
「折れやがった……」
カグナは絶叫した。
「折れやがった!折れやがった!折れやがった!!」
銅剣は、支えだった。
周りにうまく溶け込めず、遠巻きにされた時も。
姉の代わり身となり、贄の箱へと入った時も。
そして、『舞焔』の真実を聴き、山を下りた、あの時も。
剣は力の源だった。
孤独な心の支えだった。
「……うそだろ……」
カグナは項垂れた。
柄だけになった剣を放しがたく、握りしめていた。
ホムラが、カグナの隣に降り立った。
「つまり、丘の子は土ノ神と一つとなった」
燃え立つ長髪を揺らして、カグナを見下ろした。
「『神懸かり』じゃ。最早、人の力では敵わぬ」
「ぎゃあああああ!!!!」
村人の絶叫が轟く。
カグナははっとして顔を上げた。
長手多足の巨怪が、人々を次々に屠っている。
長い手で宙をぶん回されている。
妻子の盾となって、巨足で踏んづけられている。
背中を爪で切り裂かれている。
ただその場に跪いて、額を地面に擦りつけている。
「あ」
失意の中、カグナは口を開けた。
「あいつ……」
カグナは気がつく。
服を掴まれ空を回されているのは、見知った少年だった。
カグナをよく「女顔」だと揶揄ってきた奴だった。
何度もぶん殴ってやった、憎たらしい顔だった。
カグナはふと、思い出す。
俺だって、村が嫌いだっただろ?
「別に……アイツらどうなっても、いいじゃねェか……」
見捨てればいい。
俺は逃げ切れる。
その後はーーーーまあ、どうとでもなる。
姉さんだって、そうやって村から逃したのだから。
「……姉さん」
カグナの胸に、姉の言葉が蘇る。
『皆には優しくしなさい』
カグナは思う。
『優しさ』とは、なんと愚かな感情だろう。
そのせいで、姉さんは贄に選ばれたんじゃないか。
村の奴らはつけ込んだ。
俺は、それを許すことができない。
アイツらが殺されても、構わないだろ?
しかし思い出の中の姉は、カグナに向かって首を振った。
『順番なの。私の番なのよ、カグナ』
カグナは強く目を瞑った。
それでももう、目を逸らすことはできなかった。
皆のために、誰かが死なねばならなかった。
誰かが、自分たちのために死んできた。
「姉さん」
姉は全てを織り込んだ上で、今度は自らが『舞焔』になると決意した。
「俺は……」
カグナは薄く目を開けた。
剣は、折れてもなお手の内に在った。
捨てられない。
人である限り、この愚かな感情を放ることはできない。
姉さんの覚悟を無碍にした、俺はそれを引き継がねばならない。
「……俺の番か、姉さん」
カグナは目を開いた。
立ち上がり、眼前の光景を見やった。
人を逸脱した怪物が、人を蹂躙している。
「ホムラ」
カグナは火ノ神の名を呼んだ。
火ノ神は首を傾け、目を向けた。
カグナはカグナに向き直ると、その顔を真っ直ぐに見た。
「俺と契ってくれ」
この身が焼かれようとも構わない。
「俺をあの碌でもない怪物にしてくれ」
ホムラは軽く眉をあげた。
見定めるように瞳を細めて、口を開いた。
「…………本気かのう?一度断っておいて、軽く契りを口にする男などはーーーー」
「うるせえ!今度は本気だッ!」
カグナはぐいとホムラに接近した。
「俺と夫婦になれっつってんだよッッ!!」
ホムラの頬が、さっと赤らんだ。
実が熟してはじけたような、少女のような顔だった。
カグナは自分も赤面しそうになった。
もしや俺は、とんでもなく恥ずかしいこと口にしてないか?
「あ〜〜あれだ!あれあれ!お前がやりたいって言ってたやつ!」
爆発する心音を誤魔化すように、カグナは言葉を続けた。
「あれも俺が、叶えてやる!」
「ほ、ほ、ほんとか〜〜〜〜〜〜!!!」
ホムラは頬を手で包み、身を震わせた。
「ハニームーンじゃ!ハニームーンに行くのじゃ〜〜〜〜♡♡♡」
「は、はにむ……?」
「二人で世界を旅するのじゃ♡♡♡」
「はあ、よくわからんが……どこへでも連れてくよ」
カグナは、怪物へと顎を向けた。
「ーーーーの前に、アイツのこと、ぶっ倒せるよな?」
ホムラは鼻を上向けて、笑った。
「誰に物を申しておるのじゃ?」
カグナも少し、笑った。
カグナとホムラは向き合い、目を合わせた。
誓いはそれで十分だった。
どちらからともなく顔を近づけた。
噛み付くような口付けをした。
瞬間、二人は共に炎に包まれた。
蒼と緋色の炎が、混ざり合って立ち上った。
誰もが目を奪われた。
逃げていた者も、跪いていた者も。
村人を嬲っていた。首長でさえも。
その眩く輝く紫炎の柱を目撃した。
やがて炎の中から、一つの人影が現れた。
ソレは、背に炎の翼を生やしていた。
ソレは、短い髪を緋色に燃やしていた。
ソレは、青白い刀身の剣を持っていた。
ソレは、カグナの顔をしていた。
ソレは夜空に輝く、一夜限りの日輪だった。
「行くぞ」
カグナの声が言った。
呼応するように、炎の翼がはためく。
体怪物に向かって、びゅんと飛んでいく。
「なあああぁぁぁにいいいいぃいぃをぉぉぉぉ」
怪物は長い手を振り上げた。
飛翔する炎人を叩き落とそうとした。
しかし炎人はひらりと回転して、その手をかわした。
同時に、青白い剣で別の手を斬り落とした。
手に捕まっていた少年が、どさりと地面に落下した。
だが怪物の手足は数多ある。
怪物は規制を上げながら、幾つもの鉤爪で炎人に襲いかかった。
炎人は翼を翻して、軽々避けた。
手足を斬り落として、怪物を翻弄した。
その姿はまさに、炎を携えて踊る『舞焔』そのものだった。
「おぉぉおぉ、れえぇぇぇええ、はあぁぁああ」
怪物は残る足で、炎人を踏み潰そうとした。
炎人は避けなかった。
剣を突き立て、足を貫いた。
怪物の血が、炎人の頭上に降り注いだ。
怪物は苦悶に身を捩らせた。
「すすす、べ、てぇぇえ、むら、の、ためぇぇえ、にぃぃぃぃ」
カグナは小さく目を伏せた。
そうだな、食うに困ったことはなかった。
首長が築いた村は、孤児の姉弟をここまで育ててくれた。
だからこそ、炎人は言った。
「終わらせねばならない。強いることを」
炎人は旋回しながら上昇し、剣を振り上げた。
「始めねばならない。示すことを」
光の剣が、振り下ろされる。
斬撃は刀身を超え、怪物の体を引き裂いた。
斬り口がが燃え上がる。
怪物は、炎に包まれた。
首長と少女の断末魔が炸裂した。
怪物は土の上でのたうち回った。
しかし炎は勢いを増すばかりだった。
叫びは次第に薄れ、火炎に溶けていった。
全ては浄化され、跡には何も残らなかった。
一応ブルスカアカウントがありまして、そちらで更新ポストなどしてます
https://t.co/YrR7qkmi8z
(Xでも同名で更新ポストをしていますが、日常垢を兼ねてるので、更新を追うにはブルスカがお勧めです)
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