五
首長の家は、村の中心にある。
カグナのような『下戸』と首長ら『大人』とでは、生活圏が異なっていた。
『下戸』が外縁に住み、『大人』は中央、木の柵に囲まれた内に居を構えていた。
物見櫓も、この柵の中にあった。
まつりごとは『大人』が取り決め、『下戸』はそれに従う形で、村は成り立っていた。
つまり『大人』の長である主張が、
「今年の『舞焔』はカグラとする」
と決定したのならば、カグラーー姉もその弟のカグナも、誰であろうとも、本来覆せないのである。
が、しかし。
今その障壁を、荒ぶる魂でぶち抜かんとする者がいた。
「どけどけどけッ!!」
下山したカグナは、村をまっすぐに突き進んでいた。
『舞焔』の出で立ち。
短く焼かれたザンバラ髪。
欠けた銅剣を持ち、頭にば緋色の鶏まで乗せている。
突如山から降りてきた異様な姿に、外縁の『下戸』たちは声をかけられなかった。
夜闇を閃き進むカグナを、ただ見ているだけしかできなかった。
カグナが通り過ぎてからようやく、
「なんだ!」
「どうした?!」
皆騒ぎ立て、遠く離れたカグナの背を追った。
村中央入り口ーー檜門の前には、屈強な『大人』二人がいた。
彼らは警戒心を強め、カグナの前に立ち塞がった。
「お前だな、聞いているぞ!」
「『舞焔』の役から逃げ出したそうだな!」
どうやら無事逃げ帰った中男が、すでに事を伝えているようだった。
男らは共に眉を吊り上げ、むんっと胸を張った。
まるで一対の岩石のようだった。
それでもカグナは止まらなかった。
「邪魔すんなッ!!」
カグナは怯まなかった。
そのままの勢いで、男二人の間を突っ切った。よもや強行突破されるとは。
男らも身構えていなかった。
二人共にして膝を崩した。
巨体は回転し、弾き出された。
内一人が辛うじて、カグナの大袖を手に掴んだ。
カグナは腕をぶんと振った。
男はぐいと引っ張られ、地面の上に倒れ込んだ。
その衝動で、衣から手を離してしまった。
カグナは振り返る事なく、首長の家へ直進した。
カグナの頭上で、ホムラが「ホホホ」と鳴いた。
「ゴーインじゃのう」
首長は、家の前で待ち構えていた。
首長の家は、小高い丘の上にあった。
白髪を丁寧に束ねた首長は、初老にしては生に満ちた目をしていた。
丘の上にどっしり立ち、迫り来るカグナを鋭く見下ろしていた。
「何故戻ってきた、『舞焔』」
首長は低く、感情を抑えた声で言った。
すぐ脇には、青ざめた中男が膝をついていた。
カグナは丘の下で立ち止まると、首長を見上げて叫んだ。
「その『舞焔』とやらの真実を明かしに、還ってきたんだッ!!」
首長はにわかに顔を顰めた。
「お前……カグラでは……」
首長は目を見開いた。
煌々とした灯りに、カグナが照らし出されていた。
その声、この表情、その態度。
どれをとっても、姉カグラとはかけ離れていた。
首長は再び眉根をきつく寄せた。
「まさか……お前、弟の……!」
カグナは「へッ!」と鼻を鳴らした。
「バカめ、今更気づいたか!」
「本物の『舞焔』は……カグラはどうした!」
「村から逃しちまった!ははは、ざまあみろってんだ!」
首長は額に浮かぶ筋を増やした。
「お前ッ!!自分が何をしたかわかっているのかッッ!!」
首長の語気は、迫力を増した。
低く圧のある声だった。
声が地を這い、カグナへと届いた。
足裏が痺れる。
まるで、大地そのものが激憤しているようだった。
「火ノ神様に『舞焔』を捧げねば、村は悪霊に襲われるのだぞ!!」
しかし、
「ふざけんじゃねえッッッ!!!」
カグナはそれ以上の声量で応えた。
「悪霊は、火ノ神のせいじゃねェだろ!!」
憤怒しているのは、カグナとて同じだった。
肚は、蒼炎に支配されていた。
「『舞焔』も関係ねェ!!」
カグナは空に向かい、声を張り上げた。
「首長!てめえが……土ノ神と契ってるからだろがッッッ!!!」
周囲は、騒然とした。
場所は村の中心である。
周りには当然、多くの『大人』たちがいた。
それだけではない。
カグナを追ってきた『下戸』たちも、すでに集まっていた。
皆、動揺していた。
互いの顔を見合わせ、次々に口を開き始めた。
「土ノ神……?悪霊は、火ノ神様が……?」
「待って、首長はずっと村を守ってきたわ!」
「神と契ってる?!」
「だからなんだ、首長はいつも正しい!」
「一体どういうことなんだ!!」
村人たちは各々声を上げた。
飲み込めない者もいれば、庇う者、問いただす者もいた。
首長を唇を噛んだ。
そして「違うッ!」と腕を振った。
「デタラメだ、作り話だ!この『下戸』が嘘をーーーー」
「それはーーーー大層な言い草じゃのう」
その声は、喧騒を貫いて響いた。
そこにある、全ての頭に届いた。
身体の芯から身の毛のよだつ。
しかし聞かずにはいられない。
超常的な音だった。
その声は、カグナの頭上から発せられた。
「嘘つきはどちらか。己が一番知っておるだろうに」
緋色の鶏ーーホムラは、嘴を傾けた。
「久しいのう。丘の子」
首長の体がびくりと固まった。
カグナへの糾弾は急速に萎み、顔中に汗の玉が現れた。
「火ノ神……様……?」
目は血走り、喉は震えていた。
「どうして……ここに……?」
カグナは舌打ちを禁じ得なかった。
えもいわれぬ嫌悪感が体内から湧き出てきた。
ホムラは正しい。
首長の態度が、何よりそれを示していた。
首長と土ノ神は繋がっていた。
ずっと騙されていた。
確かに嫌なことはあった。
それでも毎日を穏やかに過ごしていた。
姉さんと一緒に笑っていた。
日々は、誰かの犠牲の上に成り立っていた。
俺は疑問さえ持たなかった。
ずっと、ずっと!
それが、求めていた真実だった。
苦々しい現実だった。
できればずっと、目を逸らしていたかった。
しかし一度明るみに出したものを、葬ることはできない。
カグナは顔を上げた。
首長は丘の上で震え上がっていた。
ぶん殴ってやる。
カグナはぐっと拳を結び、丘へと足を進めようとした。
その時だった。
「なんの騒ぎかしら、坊?」
突如、首長の隣にナニカが現れた。
いつからそこにいたのか。
まるで、ソレは土から生えてきたようだった。
ソレは、小さな子供の形をしていた。
髪は闇より暗く短い。
顎のところで綺麗に切り揃えられている。
真っ白な衣は、袖も裾も手足を隠すほど長い。
「ヤ、ヤソメ……」
その子供を見るなり、首長の表情はぐにゃりと歪んだ。
眩暈でも起こしたかのように、体勢を崩す。
「いや、なんでもない。なんでもない」
しかし大袈裟に頭を振って、首長は土気色の顔に均衡を保とうとした。
子供ーーおそらく少女は、にっこりと笑った。
「どうしたの?」
そして花蜜のような甘い声色で、首長に言った。
「我の可愛い坊や」
次の瞬間、信じられないことが起きた。
「ああ……!」
首長が少女に縋りつき、泣き喚いたのである。
異様な光景だった。
初老の男が、幼い少女に抱きついている。
村の頭たる首長が、赤子のように泣いている。
周囲皆一同、言葉を失ってしまった。
昂っていたカグナの心も、冷や水を浴びせられたように固まった。
首長の泣き声が響き渡る。
誰もがその光景を受け入れられなかった。
『ヤソメ』と呼ばれた少女だけが、首長の涙を受け止めていた。
「あらあら、坊。またみんなにいじめられたのね」
少女は首長の白髪頭を愛おしそうに撫でた。
すると首長の喚きは、さらに大きさを増した。
「おれは……!飢饉から、みんなを……!」
「そうだね。みんな飢えていたものね」
「土を耕し、実らせてきたのにィ!!」
「うんうん、坊はいっぱい頑張ってきたね」
「うううううううううああああああああああ」
母にすがる幼子のような慟哭が、耳を劈く。
村人は皆、絶句し続けていた。
首長は長年、村を取り仕切ってきた。
もちろん『舞焔』の選定も行ってきた。
「贄など惨いことだ」と、誰もが奥底では思っていた。
だが首長は、村の存亡という重積を担っていた。
だから皆、その決断を尊重した。
それだけ、彼は威厳のある『大人』だったのだ。
「…………蜘蛛女が」
そう侮蔑を溢したのは、ホムラであった。
「もしかして……あ、あれが土ノ神なのか?!」
カグナは声を裏返して聞いた。
「こ、子供じゃねェか!あんなのが地面をひっくり返してるのか?!」
「あれはアヤツの趣味じゃよ」
ホムラは珍しく不機嫌そうに言った。
「これ見よがしに純白の衣なんぞ着おって。吾には理解できぬな」
それを耳にしたのか、土ノ神の顔がぐるんとカグナたちに向いた。
その瞳には、ほとんど黒目しかなかった。
首長は変わらず喚き続け、土ノ神の衣を握りしめている。
「もう嫌だ!嫌いだ!みんな嫌いだ!」
土ノ神はカグナたちを見たまま、首長の頭に頬を乗せた。
「ねえ坊。それならみんな、殺してしまってはどうかしら♡」
土ノ神の顔はうっとりとしていた。
「こんな村、もういらないでしょう♡♡」
首長は鼻声で答えた。
「ううう、でもおれには首長の役目が……」
土ノ神は首長の顎をゆっくり撫でた。
「我と二人きりは、嫌?」
首長の体は一寸揺れた。
しかしすぐに、頭を土ノ神に押し付けた。
「ううん、ヤソメさえいれば、それでいい」
土ノ神が満面の笑みを浮かべた。
短い沈黙の後、首長と土ノ神は崩れた。
文字通り体がドロドロ解け、土に還った。
彼らの姿は、その場から消えてなくなってしまった。
まさかの顛末に、全員が息を飲んだ。
これまでも十分異様だった。
だが今目の前で起こったことは、あまりにも理解の範疇を超えていた。
場に、今度はやや長め静寂が訪れた。
「に、逃げたのか……?」
カグナは訝しげに言った。
彼らが溶けた所を確かめに行こうとした。
が、
「マズイ!!!」
ホムラが声を荒らげた。
「取り込みおったな!」
その瞬間、地面が大きく揺れた。
ホムラは小さく悪態をつくと、宙返りをした。
緋色の長い尾は炎に変わり、鶏を包み込む。
炎は立ち上るように大きくなり、元の姿のホムラへと変化した。
「!?」
カグナはぎょっとした。
しかしホムラは構わず、その襟首を掴んだ。
こめかみの翼が、ばさりとはためく。
ホムラはカグナを連れ、後方へと飛んだ。
間一髪のところで、丘に地割れが走った。
地面はさらに揺れた。
村人たちたちは耐えきれず、次々に倒れ込んだ。
「うわあああ!」
「きゃああ!」
と、そこかしこから悲鳴が上がった。
「何が、何が起きてる!」
「土地が怒っておる!祟りじゃ、天罰じゃ!」
丘は膨れ上がり、首長の家は倒れた。
地割れが広がり、地中から何か長く固いモノが飛び出した。
それらは折れ曲がって引っかかると、地中からナニカを引っ張り出した。
地面は裏返り、土埃の中からソレは現れた。
蠢く無数の手足と共に、巨大な黒塊が現れた。
一応ブルスカアカウントがありまして、そちらで更新ポストなどしてます
https://t.co/YrR7qkmi8z
(Xでも同名で更新ポストをしていますが、日常垢を兼ねてるので、更新を追うにはブルスカがお勧めです)
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