二
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「カグナ」
名を呼ばれて、カグナはバツの悪い顔をした。
陽はすでに落ちていた。
カグナは家の前を行ったり来たりして、なかなか中へと入らなかった。
だがら呼び止められて当たり前なのだが、カグナには躊躇する理由があった。
「どうしたの。また喧嘩でもしたの?」
見透かされたように理由を言い当てられ、カグナはムッとして振り返った。
「アイツらから仕掛けてきたんだ!」
すると姉のカグラは眉を下げ、呆れたように笑みを浮かべた。
「それでも喧嘩はよくないわ」
カグナは姉と二人で暮らしていた。
両親はすでに他界していた。
姉は心優しく、誰にでも親切だった。
美人であって、村では誰からも好かれていた。
だが弟カグナは、跳ねっ返りの強い粗暴者であった。
外見だけは姉に似て端正だった。
土を耕すよりも、籠を作る方が様になるほどだった。
それが同年代の男子からは揶揄いの的となり、「女顔の軟弱者」と笑われた。
その度に、カグナは烈火如く怒り散らした。
「誰が軟弱だと!」と関係のない周囲までも巻き込んで、暴れ回った。
ーーーー私たちは孤児。それでも皆よくしてくれる。
ーーーーだから皆には優しくしなくちゃだめよ。
喧嘩をする度に、姉はそう言った。
カグナにはそれが気に食わなかった。
他と同程度に働いているのに、どうして自分たちだけ気を使うのか。
乱暴者のカグナを村の皆は爪弾きにした。
カグナも村の皆が好きではなかった。
そのため労働の時以外、カグナは山にいることが多かった。
木々の中に一人いると、日々の煩悶を忘れられる気がした。
「今日は一体何を言われたの?」
姉が聞いた。
顔には心配の色が浮かんでいた。
カグナは姉を横切って、家の中へを入った。
「倉庫建てるのを手伝ってた。そしたら『丸太に組み敷かれんなよ』ってニヤニヤする奴らがいた。全員ぶっ倒してやった。ざまあみろってんだ」
「……それにしてはずいぶん帰りが遅かったわね」
「山行ってた」
カグナはぶっきらぼうに答えると、ゴザにどかりと座った。
「殺気だったまま帰ってきたら、姉さんだって困るだろ。だからちょっと気晴らししてた」
「それは懸命ね」と姉は小さく笑った。
しかしすぐにそれを収め、カグナの反対側に腰を下ろした。
「カグナ……いつも言っているけど」
「わかってるよ」
カグナは鬱陶しそうに手を振った。
「『皆には優しくしなさい』だろ?」
「わかっているならーーーー」
「でも腹立つんだ!皆と仲良しの姉さんにはわからねェよ!」
カグナは声を荒らげて、その瞬間から後悔した。
炉の火が、姉の悲痛な表情を照らしていた。
カグナは何か取り繕うとしたが、何も言葉にできなかった。
薪が弾ける甲高い音が、炉から上がった。
先に気を切り替えたのは、姉の方だった。
「何か食べましょう。お腹空いているでしょう?」
と、姉はいつもの柔和な笑みを取り戻した。
カグナはただただ頷く他なかった。
いくら獰猛なカグナでも、姉には敵わなかった。
村の皆は嫌いだった。
だけど姉のことは、誰よりも好きだった。
もちろん狼藉を働けば、咎められはする。
だが姉はこうして、最後にはカグナを受け入れてくれるのだった。
皆に優しくなど到底できないが、姉にだけは優しくありたかった。
あってほしい、とも望んでいた。
そんな姉が、今年の『舞焔』に選ばれた。
カグナは耳を疑った。
「なんで姉さんが!!」
驚きのあまり村中を走り回った。
普段雑談でさえしない人にも、その理由をしつこく聞いた。
しかし皆、首を振るばかりだった。
どこか諦めた顔だった。
「酷いことだとわかっておる。だが誰かが行かねば、悪霊がやってくる」
「この村全員が飢える」
「首長が決めた事。首長は皆食わせ、この村を守ってきた。誰も意見できんよ」
それは姉も、同様だった。
「順番なの。私の番なのよ、カグナ」
姉は、家の物を静かに整理していた。
家にはさほど物があるわけではなかった。
だから姉は壺を手に取っては、汚れを拭き取るなどしていた。
カグナは姉に詰め寄った。
「待ってよ姉さん、俺が首長に頼みに行くよ!」
「……」
「姉さんを『舞焔』にすんなって、文句つけてやる!」
「やめなさい」
姉はぴしゃりと跳ね返した。
「もう決まった事よ。あなたが行っても、拗れるだけ」
眩暈がした。
涙が出そうだった。
抑えきれない疑念が、震えるカグナの唇から飛び出した。
「どうして……姉さんは……姉さんはッ!皆に好かれていたじゃないか!」
「……私も、皆が好きよ」
姉が持つ壺が、微かに揺れていた。
「育ててくれた恩もある。だから皆が助かるなら、私は『舞焔』になるわ」
「姉さんに……『死ね』と言う奴らのために?!」
カグナは思わず姉の肩を掴んだ。
姉の体が揺れ、手から壺が滑り落ちた。
壺は地面と衝突し、パンッ!と粉々に砕け散った。
「……ッ」
その音に肩を跳ねたのは、カグナの方だった。
姉は黙って割れた破片を見つめていた。
破片には、アワの粒が付いていた。
よく煮て食べたあの味が、カグナの舌に蘇るようだった。
やがて姉はカグナの顔を見上げた。
姉の目は赤かった。
だが揺るがない、決意の籠った瞳をしていた。
ふざけるな。
と、カグナは思った。
カグナは、一計を案ずることにした。
姉は村中から好かれていた。
なのでもちろん、姉を好いていた男も多かった。
中でも姉と仲の良い、人の良さそうな青年がいた。
カグナは隙を見て、青年を呼び出した。
というより、カグナに急に話しかけられて訝しむ年長の青年を「オラッ来い!」と蹴り上げて、ほぼ無理矢理人引っ張っていった。
「姉さんを、この村から連れ出してくれないか」
開口一番にカグナがそう言うと、青年は目を丸くした。
青年は姉に惚れていた。
だから彼も、姉が『舞焔』になるのを悲しんでいるはずだった。
「……い、いや、でも……」
青年は目をキョロキョロとさせた。
村の事情も、青年にはわかっていた。
青年は小声で言った。
「今年の『舞焔』はどうするんだ!彼女がいなくなれば村は混乱するぞ!」
「大丈夫だ。俺が姉さんの代わりになる」
青年はひゅっと喉を鳴らした。
カグナは続けた。
「俺は姉さんと似てるし、背丈もそう変わらない。女のように髪を結い、黙っていれば、誰も俺だとは気づかない!そうだろう?」
「…………それは、お前が『舞焔』の代わり身をする……のか……?」
「そうだ」
と、カグナは間髪入れずに答えた。
そして姉と比べると苛烈すぎる眼光を、青年に向けた。
「だから何処へでもいい。姉さんを連れ出してくれ!頼むッ!」
青年は、最終的にはカグナの申し出に応じた。
青年とて仲のいい、好いている女が死ぬのは嫌だった。
何よりカグナの煌びやかに燃える瞳に、青年は押し切られてしまった。
姉が青年に好いているか。
正直カグナにはわからなかった。
だが「知るか」の一言で、懸念を一蹴してしまった。
姉さんは俺の気持ちなどわからない。
だから俺も、姉さんの気持ちなど知らない。
カグナは、怒っていた。
姉が火ノ神様に捧げられる前々日。
カグナと青年は計画を実行した。
夜中姉が寝静まった頃を見計らって、カグナは青年を家に招き入れた。
尻込みする青年を蹴り上げて、人攫い同然に姉を担ぎ上げさせた。
その揺れで姉は目を覚ました。
だが口を青年に封じられていて、叫ぶことができなかった。
代わりに姉は、目を見開いた。
暗闇に立つ弟の姿を認めたからだった。
姉は瞳を大きく震わせ、やがて全てを察したように眉をきつく寄せた。
カグナは黙ってそれを見返した。
青年は一度強く頷くと、そのまま姉を抱えて家から出ていった。
カグナだけがそこに残った。
カグナは怒っていた。
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