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夢幻のアトリエ  作者: つゆ子
夢幻と恋の妙薬
3/3

三話 疑惑

三話


「待ってよ〜」

「ふふっ、捕まえてごら〜ん」


浜辺を走っている男女が二人。アテレコをするのであれば冒頭の言葉がシチュエーション的に似合いそうだが、残念なことにそんなロマンチックな雰囲気は微塵もない。なぜならこの二人、夕日に向かっているわけでもなく愛の逃避行をしている訳でもないからである。


「ちょっ、まっ……誤解って言ってるじゃないですか!」

「みゃ〜?」

「ねー、私もそう思う。何言ってるんだろうねユーリは」


浜辺の砂に足を取られることなく走っているのは昨日まで雛鳥のようにマラサダを食べていたイリスであり、手を伸ばしても届かないほどに離された距離を縮めるために隙を伺って追いかけているのは昨日でれっでれにマラサダを与えていたユリシス。


後方から聞こえるユリシスの声に振り向くイリスの視線は、もはや言い訳も許されない程に冷たい。

この背景を知らない人々は、浜辺を全力疾走する二人を見てこう呟いた。


「あの人、振られたのかな」



───こうなること、一時間前




「依頼主さんを探しに行く」

「は?」


事の始まりはイリスのその一言。

図書館での調査により『人喰人魚』の存在を知った彼女は、青年が恋した人魚はこの『人喰人魚』であると確信した。決めつけに近いが、霧がかる記憶の中ざわめく胸がそうだと伝えるようにストンとその憶測が胸に落ちたのだ。そして、次にユリシスの発言に違和感を持つ。


(───やっぱりって、どういうこと?)


そもそも、だ。

まず、あそこまで豹変した青年に対しユリシスはまるで興味が無かった。イリスが気になると言ってもただ嫉妬するだけであり、彼に対する返答はほとんど生返事。『人喰人魚』という憶測を最初から持ちながらもどうして忠告をしなかったのか、何故急いでアトリエに戻らなかったのか。


(彼はもう、亡くなっていると思ってる?)


もし仮に、イリスが人魚の食べ物がたこかどうかを気にならなかったらどうするつもりだったのだろう。あのまま青年の帰りを待ち続け、「ゴールインか振られたんですかね」と片付けキャンセルにするつもりだった可能性が高い。少なくとも、あの時点でイリスの記憶の中に『人喰人魚』という存在はなかった。ならば「まぁどの結果でも、ある意味平和的解決でよかったね」で済ませてしまっただろう。


(寧ろ、それが狙いだった───?)


イリスは勘がいい。記憶はなくとも、ほぼ確信に近づく。あの時確かにサービス云々の話は理解したけれど、命がかかっている事態に料金の有無は関係ない。気づいた上で目を背けるのなら、それは見殺し同等だ。


イリスは青年と人魚の話を聞いた時、それが相互ともに本物の愛というのが分かればいいと思いユリシスにこう耳打ちをした。


───相手の大切なものをひとつ対価として貰うのはどう?


それに対しユリシスは鱗を交渉と出した。そして、それは五つ。口でも「ひとつ」と言いながら最後には増やしている。


───ならあまりの四個を私のお節介に使ってもいいはず。


そしてそれは、一番ユリシスがして欲しくないこと。そんなことはイリスもここまでの憶測で自覚しているが、相手の生死が関わっている今どうこう言ってはいられない。だがしかし、これはイリスの独断では決めることは不可能。このアトリエの店主はユリシス───彼が決めることだからだ。


どう切り出すか。もう少し様子を伺おうとイリスは図鑑から目を離しじっとユリシスを見つめた。対してユリシスは足を組み、つまらなそうに新聞を読みながら「うわ、懐かしいですね〜」と何かを見つけたように声を弾ませる。そのままあるページをイリスに見せた。


「見て、これはキミの昔の姿。ほら、守護者様が人喰人魚の封印をしたって書いてあるでしょう?」

「……ほんとだ。これ、私なんだ。やっぱり守護者だったんだね」

「まぁ実感は湧かないですよね。そもそも世界樹から与えられた使命で〜って俺も聞いてますし。その記憶が無いなら尚更」


身を乗り出しその新聞を覗き込む。そこには確かにイリスの姿があった。大きな白い魔女の帽子に、ふわりと揺れる今より短い髪。白い服に身を包んだ彼女は背丈を超える程の大きい鍵を使役し、海に巨大な扉を創造している。その写真が一面に載せられていた。そして恐らく、その扉の中に人喰人魚を眠らせ封印したのだろう。


何かここから思い出せないか。イリスは目を凝らす。そんな彼女の思いを微塵も感じ取らないユリシスは、それまた思い出に浸りながら楽しそうに口を開いた。


「フフッ、この時のイリスは今よりも強気の生意気で……まぁそこがとても可愛かったんですけど。ほら、ほら見てこの凍てつく眼差し」

「これを見てもなぁ……。なんか自分なんだっていう記憶の紐付けがないし。私すごかったんだね、くらいの感覚しか」

「……でも俺は何回もこの視線を向けられてきましたからねキミに。まぁいっか、俺たちは討伐するわけでもないし。……さてと、過去の君の記事も見れたし帰りましょうか」


ささっと本をまとめ、ポケットから船の時刻表を取るユリシス。新聞の場所は入口付近だからかイリスはまだ持ったまま。本を戻しにユリシスが席を外してすぐにコロンと頭から落ちたしらたまちゃんは、新聞に載っているその写真をじっと見つめた。


「何か分かりそう?」

「みゃぁ〜……」

「フフッ分かんないよね。私もわかんない。でも……過去の私が封印したのなら、歴史を繰り返さないためにもう一度私は封印すべきだと思うんだ」


それは記憶を失っても尚、イリスに刻まれた呪いのような使命感。同時に、ユリシスはこうなるからきっと『人喰人魚』という存在を知っても尚黙っていたのだろうと察する。

本を仕舞うユリシスを目で追いながらモチモチとしらたまちゃんの頬を捏ね、思考を巡らす。


「さて、どうユリシスから逃げようかな。助けるって言ったら止めるだろうし……でも依頼主さんを探すくらいならまだ大丈夫かな」

「みゃ……みゃ」

「無理かぁ。まぁ、その時はその時だね。大丈夫、逃げるのは得意だから。それに何事も終わりよければすべてよし」


こうして、冒頭の「依頼主さんを探しに行く」というイリスの言葉にユリシスは表情を消し。


「お客さんの色恋沙汰に首を突っ込むのは俺たちの仕事じゃありません。ほら、帰りますよ」


なんて、論点がズレている言葉で突き放されたイリスは抑えていた怒りに火がついた。それはもうぷっちんと。それでも笑顔を貼り付けてイリスは返す。


「じゃあユリシスは先に帰ってていいよ。あとは私が引き受けるから。うろこ四個分の仕事してくる。……じゃ」


くいっと帽子のつばを上げて煽るようににこりと笑い、図書館から一歩踏み出しそのまま勢いよく地を蹴り走るイリス。そして、突然のことに反応が遅くれたユリシス。


───こうして今に至る訳だが。


「はぁ、はぁっ……。ユーリ、しぶとい……」


軽い足取り、それでいて誰にも捕まえられないほどの速さで走るイリスを後ろから鬼の形相で追いかけるユリシス。体力勝負なら勝てる、そう確信しているからこそどこまでもどこまでも、追って追って。イリスの体力を減らし距離を縮めていく。


さすがにこの長距離はイリスも辛いだろう。少しづつではあるが、確かに彼女のペースは確実に落ちている。


あと少し、もう少し。


「っ、もう諦めましょうよ。ほら、周りから変な目で見られてますから」

「う、るさい。ねぇっ、最初から知ってたんでしょ。弁明あるなら、今聞いてあげるよユーリ」


もちもち頬っぺの顔で一丁前に睨みをきかせるイリスに「しくじったな……」と心の中で舌打ちをする。


元を辿れば、膝枕を享受したイリスに調子乗ったことが始まりだ。あれよあれよと店を出て船に乗り、バカンスなデートで完全に浮かれていたユリシスは依頼主である青年のことなど頭から抜けていたのである。それこそ、イリスが察したように(まぁ、もうお食事された後ですかね)くらいの気持ちだ。最低である。


だからこそ、ユリシスの中でこの依頼は完全に終わったものだった。まぁあの青年が生きてアトリエに来たらラッキーくらいのマインド。あとはイリスの悩みに付き合って、過去のイリスでも眺めたら帰ろうと思っていた。


それがどうだ、今では浜辺で追いかけっこ。確かにイリスとやってみたいことリストがあれば真ん中くらいにはランクインしてそうなものではあるが、こんなロマンの欠けらも無いものは求めていない。


「……は、やいな。その速さは記憶がなくても残ってるんですね。というより余裕なくなると口悪くなるところとか昔と一緒のままなんですね」

「皮肉は結構。私、怒ってるんだけど。どうして彼を行かせたの、答えて」


軽い挑発、イリスなら必ずこれに乗っかる。そのユリシスの読みは見事当たった。額から顎に伝う汗を拭って振り返るイリスに、ユリシスは今だと手を伸ばし強く砂浜を蹴る。


───届く、この距離なら確実に。


「ならせめて、止まってくれませんかっね!」

「うわぁ!」


その手を躱そうとし、慣れない砂に足を取られ遂にイリスは体勢を崩した。後ろに倒れ、尻もちをついたイリスの上にユリシスは跨りそのままチェックメイトというようにイリスの頬の横に手を置く。


「それで、弁明……でしたっけ? いくらでもしますよ、キミに嫌われたくないんでね」

「……今、私の中ではだいぶ好感度は低くなってるよ。マラサダの喜びがなければマイナスだった」

「生意気だなぁ。俺が住まわせてあげてるのに。ほら、聞きたいことなんでも聞いてくださいよ。ね、俺の下のイリスさん」


イリスは激怒した。

自分にも被害が及ぶと分かっていても、この砂をひと握りしユリシスの顔面にぶん投げてやる作戦を企てるほどに。眉間に皺を寄せ睨みつける。


対してユリシスは、先程の焦りは何処へと疑いたくなるほどに清々しい笑顔をイリスに向けていた。まるで、これだよこれと言わんばかりの笑みである。


「ぽやぽやして可愛いイリスもいいですけど、何も出来ない状況で癇癪起こしてるのも可愛いですよ。あぁ、それで俺が最初から知ってるのになんで黙ってたかについて先に答えましょうか」

「……性格悪いって、言われたことない?」

「キミからは何回も言われたことありますね。しつこいとも。でも俺、このやり取り大好きなんですよ。……さて、そろそろ話を戻しましょうか」


ユリシスの唇は妖しく弧を描く。誰よりもこの状況を楽しんでいるかのように弾んだ声色。

このアトリエに居候させてもらってから見たことないユリシスの恍惚とした表情に、イリスは大きな瞳を揺らした。


少しの静寂。イリスの動揺を鎮めるようにさざ波の音だけが聞こえる。

そんな怯える彼女の頬にそっと手を添えて煽るようにユリシスは笑った。


「簡単に言いますと、憶測はあくまで憶測。確信に変わるまで余計なことは言わない方がいいんですよ。じゃないとイリスは勝手に行動するでしょう?」

「……。……そう、だね」

「それに俺、他の人を見殺しにしてもそういう運命だったとしか思えないし。イリスにも戦って欲しくないからさ」


───このまま俺と帰りましょ?


ゆっくりとユリシスの口が動く。誘惑するような甘い声、耳元で囁かれる言葉。要は首を突っ込むなという意味だが、それをイリスが理解しようとする刹那、海の底から鈍い音が響き渡たると同時に二人を覆った大きな影。


静かに砂を握りしめていた手を緩め、イリスは音に釣られるように顔を横に向けた。そして、その音の正体を瞳に映し息を飲む。


「……たこ? わ、おっきい。えっすごいよ、みてユーリたこ。たこだよ」

「は? このすごいいい雰囲気でたこ? ちょっと空気読んでもらえませんかね……って、待ってくださいあれたこじゃないですよ! クラーケン! は? なん、なんでここに……っ逃げますよ!」

「クラー? たこはたこだよ」


なわけないでしょう、とユリシスがイリスの頬を抓りそのまま横抱きをすれば「このケダモノめ!!」と怒気を含んだ声が遠くから飛んでくる。なんだなんだとイリスが海を見つめれば、その視線の先から、ばしゃばしゃと音を立てながら近づいて来る一匹の人魚。


白い肌に深緑の瞳。腰まで伸びている深紅の髪色に、夕日に照らされ輝く美しい銀の鱗……紛れもなく人魚である。砂浜までやってきた女は海から身を乗り出し、勢いよく人差し指をユリシスに向けた。


「このクソ蝶族め! その汚らわしい手でイベリス様を触らないでくださる!? イベリス様を離しなさい!!」

『離せ、イリスを返せ』

「は? 誰ですか貴方たち」

「フフッ、あははっユーリすごい言われよう」


ユリシスの腕に抱えられているイリスは先程の緊張から開放されたからか、カラカラと笑い涙を浮かべお腹を抱えている。誰が離すものかとイリスを抱いている腕に力を入れれば、ぬるっと伸びたクラーケンの触手がイリスの頬を撫でた。


「んぇ……」

「……キミも少しくらい抵抗したらどうです? クラーケンを享受しないでくださいよ」

「そう言われても、敵意ないし。おっきなたこのじゃれ合いとしか。ほら、しらたまちゃんも懐いてる」


触手の先っぽと自身のしっぽをちょんとくっつけて挨拶を交わすしらたまちゃん。孤島くらいであれば丸呑み出来てしまうほどの大きなクラーケンに怯まないとはこのしらたま、なかなか肝が据わっているなとユリシスは肩を竦めた。しかし、このクラーケンが表立って姿を表すのはまずい。


面倒くさそうにため息をついてユリシスはトントンとイリスの肩をつつく。


「リース、リイス。俺のポッケから懐中時計取って貰えます?」

「……? もう正体バレしてるから名前でもいい気がするけど……。んしょ、はい」

「あの二人にもこっちの名前あとからで呼んでもらうので。……ん、ありがと」


渡された懐中時計の針を片手でずらし、クラーケンを見ながらカチリとリューズを戻した。そのままイリスの手にそれを置いて「戻しといてください」と頼み息をつく。


「何したの?」

「? 少しだけ空間を、その……巻き戻したといいますか。まぁ、気にしないでください」

「空間って巻き戻せるの?」

「あまり推奨はされてませんけどね。元に戻し忘れた時大変なので、まぁ気にしない気にしない」


深堀するなと言わんばかりの答えに、怪しいとジト目で見ながらも諦めたようにイリスはユリシスの腕に体重をかけた。そんな二人のやりとりが終わるのを待ちつつ、早く早くと言うように人魚は尾を振る。そして再度イリスが二匹の方に目を向けると、ぱあっと顔を明るくして祈るように手を組んだ。


「イベリス様! イベリス様、どうか私にお力を貸してくださいませ!」

「イベリス……?」

「キミの昔の通称ですよ。兄べリスと妹のキミ、二人を合わせてイベリス守護者と呼ばれてたんです。……でも、なんでまだキミを知るものが生きて」


そこまで言ってピタリと言葉を止める。ユリシスのぼやきを拾ったかのように、クラーケンが「それは後で我から説明しよう」とテレパシーを送ったからである。


───訳ありか。


厄介なことになったなと思いつつ、あれに目をつけられた以上撤退するのも不可能だろうと、ユリシスはイリスを抱えたまま人魚が待つ海辺に近づく。


「オクタおじ様、イベリス様をわたくしの部屋にご案内してもよろしいかしら。それとも、ここの方が……」

「貴方の部屋でお願いできますか。あまり、リースを晒したくないので」

『イリス……』


愛おしそうにもう一度触手を伸ばしイリスの頬に触れた。寂しそうな声色、弱々しいその力。オクタおじ様と呼ばれているクラーケンの触手にそっと手を重ねて、イリスは眉を下げて笑った。


「ごめんね、あんまり記憶がないんだ。でも、大丈夫……必ず思い出すよ。だからまずは貴方の事を教えて、私にできることがあるのなら力を貸すから」

「はぁ……。このご依頼、クラーケンの触手一本で手を打ちましょうか」

『よかろう。……この老ぼれの手で良ければな、来いイリスに蝶族の者よ』


ぎこちない距離感に、本当に忘れてしまったのかとオクタは切なそうに眉を下げ、そのまま背を向ける。そして歩き出したと同時に切り開かれる海、割れた空間に現れる階段。ユリシスとイリスがその階段の方へ一歩足を踏み入れた刹那、海は閉ざされサイドはガラス張りのように二人を囲った。まるで、帰路はこの一本道だというように。


「……ここはまだ、空気があるんですね」

「ほんとだ、不思議。でも向こうは……」

「あっそうでしたわ。この先は完全に海ですので息ができるように魔法をおかけしますね」


そう言って振り返る美しい人魚は手を伸ばし二人に守護魔法をかけてから「さぁこの先にある、私の部屋まで御案内致しますわ」と背を向けた。


コツコツコツ……と階段を降りていく。水圧から感じるくぐもった音。クジラの低い鳴き声や、群れで泳ぐ小さな魚たち。まるで異世界に来たような光景が目の前に広がっているというのに、イリスの顔は浮かばない。


「緊張してるんですか?」


ユリシスが問う。

それに対してフルフルと首を横に振って、イリスはゆっくりと顔を上げた。かちりと絡む二人の藍色と翠色の瞳。なにか言おうとして口を開いては閉じて。緊張を解くように、頭からしらたまちゃんを取り出してもちもちと揉んでからイリスは意を決したように口を開いた。


「ねぇユーリ。私は、どれくらいの間眠ってたの?」


───恐らく、あのオクタおじさんは私のことを知っていて。この先で全てを教えてくれるはず。


けれどそれを知る覚悟がまだ彼女には、ない。目が覚めた時何も分からないイリスに、ユリシスは笑って言った。別に知る必要はないと思いますよ、と。迷子のように目をさまよわせながらも、小さく頷いた彼女はその言葉を真に受けて、いや……知ることを恐れて、流されるままアトリエの助手になった。


震える手を隠すようにもう片方の手を重ねてぎゅっと握る。横抱きをするユリシスの目をじっと見つめて答えを待つイリスにユリシスは目を伏せ、遠くの一点を見つめながら口を開いた。


「さぁ、どれくらい……ですかね。俺も、キミの目が覚めるまでの間は死んでいたようなものだったので」

「比喩でしょ」

「まぁね。でも、それくらいどうでもよくなってたのは事実ですよ」


信じられないかもしれませんけどね、なんてユリシスは困ったように笑い返す。そんな顔をされたら何も追求出来ないと、イリスは諦めたようにユリシスの腕から降りた。


「あっ、ちょっと」

「ここから先は自分で歩くよ、私弱くないから」

「拗ねてるんですか? 魔力コントロールも上手く出来てないんですからそばに居てください」

「……別に、拗ねてない。でもまぁ、少し遅く歩いてあげる」


歩く足を止めユリシスを待つ。けれどあの問いに対する答えにイリスの不安は拭われない。

霞む記憶の中にあるのは、数多の目と四方八方から伸びてくる手。全てを燃やす炎と、怒声。

脳が思い出すことを拒んでいるのか、それとも本当に欠けてしまったのか。


───大丈夫だよ、イリス。俺が必ず守るから。


何かから必死に逃げる時聞こえた声。それは、きっとべリスのものだったはず。それでも彼女は思い出せない、べリスの姿が。確かに、居たはずなのに。それすらも欠けてしまったのか。


目を背けていたわけじゃない。ユリシスのさり気ない日常からの逸らしにイリスは隠され、流されてきた。そのせいで自分という存在が曖昧なまま過ごしてしまっていたのだろう。しかし、外の世界に触れ過去の新聞を見た時失われたある使命を思い出したのだ。


───私は、世界樹により生み出された守護者。エレメンタルを使役し弱き人々を……蝶族から守る精霊。


───人を守る為に生きる者。


どこか上の空のまま歩くイリスを横目に、ユリシスは何も言うことはなくただ黙って隣を歩く。


「……」

「……帰ったら、何食べたいです?」

「ぱすた」

「じゃあこの依頼が終わったら、材料買って帰りましょうか」


なんて、何気ない会話をしながら下っていく。敵視すべき存在である蝶族。それでも、彼女は生かされていた、蝶族の者に。彼女が目を覚ました頃……そう、しらたまちゃんを錬金した三ヶ月前から。否、それよりもっと遥か昔からかもしれない。しかし、運命的な出会いをしたと言い、他の者を気にすればすぐに拗ねるユリシスが敵とは思えない。だからこそ、蝶族という決定的な証拠となるものを知りたいと思ったイリスだったが、オクタたちの蝶族呼びに否定しなかったことが何よりも証拠なのかもしれないと気づき肩を落とした。もはや本人が認めた時点で蝶族ではない可能性考えるのは無謀だろう。


「さぁ、着きましたわ!! イベリス様、どうぞ此方へ」

「……へぇ、すごいですね。海底にこんな遺跡が」

「……すごいね」


目の前には圧倒されるほどの異様な雰囲気を感じる石造りの大きな扉。ここが、目的地なのかと二人は息を飲んだ。そして扉の前に立つオクタと人魚は礼儀正しく胸に手を当て頭を下げる。


『イリス、我が教えられる全てをそなたに教えよう』

「そしてどうか、人間に恋をしてしまったわたくしの妹を救ってくださいイベリス様」


二匹の真剣な眼差しと、縋る想いに頷きイリスは決意したようにキャスケットを深く被り、腰に着いている小さな鍵を握った。


「大丈夫。……私にできることがあるのなら、力を貸すよ。行こう、ユーリ」

「えぇ、行きましょうか」


───もう一度、蝶族に狂わされた者を取り返し。繰り返される歴史を止める。それがきっと、今の私に課せられた使命なのだから。

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