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老人

作者: さば缶

 あの日、遅くに帰宅すると、部屋は真っ暗で、もわっとした暑い空気が胸にまとわりついた。

嫌な予感がしてリビングを抜け、寝室に足を踏み入れると、妻がベッドの上で横向きに倒れていて、まるで眠るように動かなかった。

慌てて名前を呼んだが、返事はない。

携帯電話が床に転がっていたのを見て、妻が最後の力で何かを伝えようとしたのだと直感した。

顔には紫色の死斑が浮かび上がり、もう手遅れかもしれないと思いながらも、無我夢中で119番に電話を掛けた。

「早く来てください、妻が……息をしてないんです」

その言葉を口にすると同時に、胸の奥が冷たく沈み込んでいくのがはっきりとわかった。


 妻の口に人工呼吸を試みながら、どうか目を開けてくれと願った。

胸を押し、肋骨がきしむほどにマッサージをしたが、その身体は動かなかった。

救急隊員が駆けつけて蘇生措置を試みたが、彼らはすぐに落ち着いた表情で首を振り、そして引き上げていった。

入れ替わりに刑事がやってきて、簡単な事情聴取を受ける。

ただでさえ取り乱しているのに、厳めしい表情で質問を重ねられ、じわじわと頭の中が真っ白になる。

妻の身体は行政解剖を受けるため警察に運ばれ、自分は手続きのためずっと署内で待たされた。


 待合スペースの薄暗い廊下の奥から、高校生らしき少女が怒鳴る声が聞こえてきた。

「そんなの私のせいじゃないって言ってるじゃん!」

彼女は反抗的に刑事へと食ってかかっているようで、そのやりとりの内容は定かではないが、こちらはただうるさく耳障りだった。

自分は妻を亡くしたばかりだというのに、よくもそんなふうにわめけるものだと、理解のない苛立ちが突き上げる。

心の中で「頼むから黙ってくれ……」と小さく呟きながら、俺は椅子に座り込んだ。


 解剖が終わり、正式な死因は不明とのことだった。

「なんなんだ、原因もわからないのか」

やり場のない気持ちで黙り込んでいると、警察は事務的に遺体の安置所について説明をしてくる。

葬儀をどうするか問われたが、そんなことを考える余裕はなかった。

それでも現実は待ってくれず、葬儀社の提案する家族葬の一番安いプランを選ぶことにした。

葬儀代はもちろん、坊さんへのお布施も必要だと言われ、頭の中で「薬九層倍、百姓百層倍、坊主丸儲け」という言葉がちらつく。

しかし、自分にはそれ以上抵抗する気力もなかった。


 昨夜からまともに眠れず、警察署の前でうずくまっていたら、朝日に照らされて苦しさが増した。

ふと、亡くなった日の朝、ベランダからにこやかに手を振ってくれた妻の笑顔を思い出す。

それがまるで悪い冗談のように遠く、もう二度と戻らない時間であることを実感すると、息が詰まるほどの後悔に襲われた。


 しばらくして、遠方に住む妻の家族へ電話を入れる。

「あの……妻が、亡くなりました」

それだけ言うのがやっとで、言葉を詰まらせた。

妻の父親は受話器の向こうでしばし沈黙し、「どうして……」と呆然とした声を漏らした。


 妻の家族が駆けつけ、共に死体安置所に向かう。

そこに横たわる妻の顔は少しむくんでいて、苦しそうに見える。

「まだ、信じられない……」

妻の父親も母親も、ただそれだけを繰り返すばかりだった。


 自分の家族や、妻の友人にも連絡し、皆でなんとか葬儀の段取りを進めることになった。

準備の最中、棺桶の中の妻が血の涙を流したというのを誰かが見て騒ぎ始めた。

「悲しくて泣いてるのかもしれない……」

そうつぶやきながら、俺はどうにも説明のつかない胸の痛みを抑えきれず、黙って合掌した。


 戒名を付けてもらったが、正直なところ適当に考えられた名前より、妻の本名のほうがずっと美しく尊いと思ってしまう。

そうかといって、坊さんに噛みつく気力もない。

ただ流れに身を任せ、葬儀は穏やかに進んだ。

家族と親しい友人だけでこじんまりと送ったその式は、素朴で静かな空気に包まれていた。

火葬場で焼かれた妻の骨を拾うとき、職員が「この方は若いので骨もしっかりしてますね」と言った。

その何気ない一言で、なぜこんなに若いのに死ななければならなかったのかと、改めて痛感した。

胸がきしむように痛くなり、涙が止まらなかった。


 骨は妻の家族が地元へ持ち帰り、その土地で墓に埋葬することになった。

新幹線で数時間もかかる場所であるため、簡単に行き来できるわけではない。

「気にしなくていいから」と妻の母親は優しく言ってくれたが、俺はどこか大切なものを奪われたような、心もとない思いに囚われた。


 それからの暮らしは、世界から彩りが剝がれ落ちたように感じた。

いつも傍にいた存在が消えた家は広く、夜はやけに長い。

夕方が近づき、窓の外が薄暗くなるたびに、やがて本当に自分だけが一人取り残されるのではないかと怖くなる。


 休日になると、妻との思い出を探すように外を歩き回った。

カフェ、散歩コース、駅の待ち合わせ場所……妻がそこに座って笑っている記憶が立ち上がっては消え、立ち上がっては消えていく。

老夫婦が仲良く写真を撮っている姿を見かけたときには、自分たちに訪れるはずだったはずの未来を思って、胸が詰まり泣いてしまった。


 ショックのあまりか、しばらく妻の顔がうまく思い出せなかった。

「もし、催眠術師に頼んだら、あの頃の時間を再現できるだろうか」

そんな荒唐無稽なアイデアばかりが頭を巡る。


 けれど、悲しみを抑え続けるのは危険だと昔からわかっていた。

心理学の本で、我慢しすぎるとヒステリーのように心身を壊してしまう人がいると読んだことがある。

だから、思い切り泣いてしまうしかなかった。

こみ上げる感情に任せて涙を流し、仕事や買い物中にもトイレに駆け込んで声を殺して泣いた。

そこにあの笑顔や温もりを思い出してしまうと、洪水のように涙があふれるのだ。


 ネットのニュースで「ストレスの第一位は配偶者の死別」と書かれているのを見つけた。

確かにこれ以上の苦しみなんて、事故や事件で亡くした場合ぐらいしか思いつかない。

もっとも、不幸を競い合うつもりは毛頭ない。

ただ、かつて書類の「独身」「既婚」「離婚」の欄の隣に「死別」という項目を見かけたときには、正直他人事だと思っていた。

まさか自分がそこに○を付ける日が来るとは思わなかったのだ。


 この出来事で、妻に先立たれ独り暮らしの老人たちの痛みが少しわかるようになってしまった。

恋愛の感覚も、すっかり老境に入ってしまったような気分だ。

「人間は最後はひとり」という言葉を耳にすると、今は身に染みるほどに実感する。


 しかし、俺自身は妻の死を境に性欲が一気に減退してしまい、どこか“枯れた”人間になった気がした。

それでも、人恋しさに耐えきれずキャバクラに行ったこともある。

席についてくれたキャバ嬢と他愛もない話をする間は確かに楽しいが、店を出た瞬間、俺の周りから一気に温かみが消え去る。

おっぱいパブに足を運んだときは、嬢とハグした際に感じる人肌の温かさに、しばらく忘れていた生身の体温を思い出しそうになった。

 夫を亡くしてすぐに新しい男性を求める女性がいると聞いても、その気持ちがわからなくはないと思うようになった。


 チャットで見知らぬ女性と話してみることもあった。

そこでなら妻のことを吐き出せるかと思ったが、意外にも相手の話を聞くばかりになり、うまく自分の苦しみを語れなかった。

あるとき、打ち明ける先を間違えたのかネカマらしき人物に「奥様の下着を自分で着てみれば?」とからかわれ、怒りというよりもやりきれなさで言葉を失った。

チャットで救われることはなかった。


 人付き合いが得意でもないのに、寂しさに耐えきれず飲み会には頻繁に参加するようになった。

同僚の女性と少し打ち解けて、連絡先を交換できそうな流れになった瞬間、俺の身体は固まってしまった。

「妻のことを裏切るような罪悪感に苛まれるのではないか」

そう思った瞬間に手が震え、飲んでいたビールを盛大にこぼした。

女性は驚いて少し後ずさる。

そのあと気まずさばかりが残って、結局仲良くなることはできなかった。


 やがて妻の検死結果が届いたが、心不全という曖昧な診断で、決定的な原因はわからなかった。

言われてみれば、田舎の山道を一緒に歩いたとき、妻はやけに息を切らしていた記憶がある。

あのとき、もしかしたら何かサインがあったのかもしれない。


 ある日、公園のベンチに腰掛けていると、すぐそばで老人がたくさんの鳩に豆を撒いていた。

彼は孤独を鳩に紛らわせているのかもしれないと勝手に想像しながら、俺はただじっとその背中を見つめていた。


 妻は三十代で亡くなった。

統計的に見れば外れ値のような死だった。


 死別した人たちが集う掲示板で、他の遺族の書き込みを読み、自分も書き込んだりもした。

そこには数多くの未亡人や未亡人同様の人々が、渦巻く悲しみを抱えたまま言葉を積み重ねていた。

「未亡人」というと響きはどこか艶やかだが、その中身がどれほど悲痛に満ちているか、今なら痛いほど理解できる。


 芸能人の訃報も耳にすることはあったが、自分がさらに打ちのめされるのが怖くて、できるだけ避けた。

人が死ぬ話も、ラブストーリーも、観るのが辛くなった。

ラブコメの他愛ない恋人同士のやりとりですら、思わず生前のやりとりを思い出し、部屋で号泣してしまうことがあった。


 一年、二年と経っても、悲しみは絶えず波のように襲いかかる。

孤独な夜に何度も声を殺して泣いたし、眠りは浅く、食事もほとんど手につかなかった。


 数年経つ間に世の中で起きた出来事や流行には疎くなったが、YouTubeで見たドッキリ企画があまりに馬鹿らしく可笑しくて、思わず大笑いしたのは妙に鮮明に覚えている。

笑っている間だけは悲しみを忘れられた。


 六年ほど経って、ようやくフラッシュバックが減り、十年を過ぎるころにはほとんど襲われなくなった。

法事は嫌いだが、四十九日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌……こうした法要の間隔は遺族の心が少しずつ和らぐテンポに合っているのかもしれない、と不思議に感心した。


 ちょうど引っ越すことになり、妻の大量の遺品を処分する必要に迫られた。

下着に入ったワイヤーを引っこ抜く作業や、使いかけの香水をまとめて換金する作業は妙に現実的で、逆にいろんな思いが入り混じった。


 そうしてひととおりの作業を終えたあと、ベランダで夜風にあたってみると、ほんの少しだけ肩の力が抜けていた。

「もし、いい人と出会えたらまた恋愛をしてみてもいいのかもしれない」

そんなふうに思える自分もいた。

この先、悲しみが完全に消えることはないだろう。

年老いていく心は、その重みごと抱えて生きていくしかないのだ。


 歳を重ねた老人のように枯れた自分を見つめながら、それでも人生を続けていくしかないと思う。

妻のいない人生は味気なく、胸に大きな穴が空いたままだが、残された日々をどうにか歩まなければいけない。

こんなふうにして、俺は今日も、老人のような歩幅で人生を進んでいる。

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