8.対峙する2人
「……レイモンド様?」
名前を呼んでみるも反応がない。何か失礼なことをしてしまったのだろうか。
「違いましたか? 刺繍があったので、てっきりマリアベル様のものかと」
ハッとした様子のレイモンド様は私の方を向く。
癖のある黒髪が揺れ、その間から見える瞳が少し光った気がしてビクリとする。
「……いや間違いない。ありがとう」
「い、いえ」
「ちなみに。このハンカチ、汚れていたと思うんだけれど。レディはこれを拾っただけ?」
「汚れ? 軽く手で払いましたが」
「へえ?」
レイモンド様が射抜くような瞳で、こちらにじりじりと寄ってくるので私は反射的に後ずさりをする。
(美形の凄みのある顔、大迫力だわ)
「えっと私……何かしました?」
「シェリル嬢は何魔法が使えるんだい?」
「白魔法ですが」
「そうなんだ。僕は風魔法だよ」
「はあ」
(私が魔法でハンカチに細工でもしたと思っているのかしら)
そんな大切なハンカチなら、落とさないでしっかり持っておいてほしい。
レイモンド様はこちらへ近付くことをやめず、私はついにバルコニーの柵に背中が当たった。彼は私の両端の柵を持ちながら、こちらを見つめて微笑む。
(ち、近い……)
近すぎて彼の顔をあまり直視できず、視界がぐるぐるしてくる。
「レイモンド様」
「ん?」
「近いです」
「そうかい?」
(一体、何がしたいの!?)
思い切ってレイモンド様を見つめ返すと、彼は深刻な面持ちでこちらを見ていた。
「…………どうなさいました?」
「シェリル嬢。これから真剣な話をするから聞いてほしいんだ」
「ではもう少し離れてください。近すぎて話が入ってこな」
「聞いてくれるかい?」
「……っ」
レイモンド様の美しくも強い圧に負けて頷く。彼は真っ直ぐこちらを見る。
私はというと、息がかかるほどレイモンド様の顔が近いので、心臓が飛び出そうなのを必死に堪えていた。
「シェリル嬢。よければ僕と──」
「!」
その瞬間、ぐいっと横から引っ張られた。
「……アレン!」
「………………」
そのまま優しく抱き寄せられたため、私は咄嗟に見上げる。が、レイモンド様を睨む、アレンの鋭く冷たい表情に背筋が凍る思いをして、見上げたことを後悔した。
「レイモンド様。いったい何をなさっておいでですか?」
「何って……」
レイモンド様は面倒くさそうに、流れるような視線でアレンを見やる。
「……やれやれ。空気は読んでもらいたいものだね」
ふうっとため息をついたレイモンド様は、私の方を向いて小さな笑みを浮かべる。
「シェリル嬢。また近いうちにどこかで」
「はあ」
ぎゅうっと私の肩を抱くアレンが強くなった気がするが、気のせいだろうか。
そう思っていると、レイモンド様が口に手を当てて吹き出した。
「ぷっ、シェリル嬢。君は苦労するねえ」
「……?」
「まずはその魔力、自重した方が良いよ」
「……魔力?」
「へえ、自覚ないんだ。まあ別に僕は気にしないし良いけれど」
私の多すぎる魔力が、他の人に何か不快な思いをさせてしまっているのだろうか。でもさっきアレンに調整してもらったはずだ。
「今度こそ、僕は失礼するよ。またね」
私が頭に「?」を浮かべていると、彼はヒラヒラと手を振って踵を返し会場へと戻っていく。
レイモンド様はまたもや令嬢たちに囲まれていたが、今度は歩みを止めることなく彼女たちを軽くいなして人混みの奥へと消えていった。
「………………」
「…………!!」
そういえばアレンに肩を抱かれたままだった。そのことを意識すると、顔に熱が集まってくるのが分かる。
「……ねえ、それなに?」
「ひゃいっ」
突然、耳の近いところからアレンの甘い声がし、飛び跳ねて距離をとる。
そのままアレンの視線を辿ると、レイモンド様にかけてもらったストールにいきついた。
「これ。レイモンド様からのお気遣いで……って、返しそびれたわ」
「そっか。それ、俺が貰っとくね」
「だめよ」
「なんで。緑色なんてシェリルには似合わないよ」
乱暴にぺいっとストールを剥ぎ取られたあと、ドシッと肩に別の重いものがかかった。アレンの騎士服だ。
「寒いから羽織ってて」
「重いしめちゃくちゃ目立つわ」
「だからいいんだよ。……全く油断も隙もない」
「え、今なんて?」
「なんでもない。冷えるし俺たちもそろそろ中に入ろうか」
その後の会場では案の定、会話してくれる男性なんて1人もおらず。
その上、廊下の壁に大きな穴が開くというトラブルが発生し、夜会はお開きになる始末。
そんなこんなで、今回の夜会ではレイモンド様との交流以外、何も収穫がなかった。