13.隙間から見えたもの
私とレイモンド様は向かい合う。
「──レイモンド様は、私がマーガレット様を治せることを最初から知っていたのですか?」
思えばレイモンド様に会ってから今に至るまで、物事が流れるようにスムーズだ。
夜会でレイモンド様とお会いしたこと、図書館で出会ったこと、私がミューラー公爵邸へと足を運んだこと、マリアベル様がいらっしゃるこの部屋に案内されたこと。
どこまでが偶然で、どこまでが仕組まれたことなのか。
私はレイモンド様のことを見つめると、彼は罰悪そうな表情で首を横に振った。
「治せるとは知らなかった。でも可能性はあると思っていたんだ」
「なぜです?」
「夜会で僕が落としたハンカチを拾ってくれただろう?」
「はい」
「あのハンカチにはマリーが苦しんだ時に付いた血の汚れがあってね。洗っても何をしても落ちなかったんだ。なのにシェリル嬢が拾った後その汚れが消えていた。軽く払っただけと言っていたが、それだけじゃ落ちるはずのない汚れだったんだ」
「…………」
(ハンカチの落ちない汚れを私が消していたなんて)
というか洗ったとはいえ、妹の血のついたハンカチを夜会に持ち込むなんて、レイモンド様はかなり独特な感性の持ち主だ。
「マリーが苦しんだ跡を消せたんだ。もしかしたらマリー自身の苦しみも取り除けるかもと考えた」
「それなら一言言っていただければ……」
「確信がなかったんだ。マリーのことはあまり口外したくなくてね」
「図書館でレイモンド様とお会いしたのは?」
「君と接触する機会を見計らって声をかけた」
「そうだったのですね」
「……強引な真似をして申し訳なかった」
レイモンド様は罰悪そうに胸に手を当てて頭を下げる。
「顔を上げてください。怒っている訳ではありません」
「…………」
「ただ、図書館でお話ししていた参考書が無いのは残念で」
「え」
驚いたようにレイモンド様が顔を上げて、口を開く。
「参考書は本当にある。持って帰るといい」
「!! ありがとうございます。その為に来たので」
「…………」
レイモンド様は何か言いたげな表情で私を見ていたが、私はそれどころではなくなってきた。
私はキョロキョロと辺りを見回す。
黒いモヤは目の前から消えたものの時間が経つと、またあの不快感が込み上げてきた。
(見逃してはいけない……どこかに……どこかに核となるものが)
「っ……」
ズキリ、と頭が痛む。
「痛……」
その瞬間、私の頭の中に霞がかった映像が流れ込んでくる。
──真っ暗な部屋。誰かが入ってきた。マリアベル様? 鍵を持ってらっしゃる。ここはどこなのかしら。何かを……引き出しから取り出した。あの小さいものは……
……指輪?
黒い石が嵌め込まれた指輪は、マリアベル様の胸にあったものより更に濃いモヤを放っている。
マリアベル様はその指輪を手に取り、部屋から出ようとする。
(ダメ。その指輪を持ち出してはダメ!!)
必死に手を伸ばしたが、映像はだんだんと霞に飲まれていく。
キィィンッと耳鳴りがしてハッと顔を上げると、レイモンド様が私を覗き込んでいた。
「シェリル嬢? 大丈夫かい?」
「シェリル様!」
レイモンド様の奥で、同じく心配そうにこちらを見るマリアベル様と目が合った。
「……指輪」
「え?」
「マリアベル様。どこかで黒い石の付いた指輪を手にとられておりませんか?」
マリアベル様はびっくりしたように目を見開く。表情からして心当たりがありそうだった。
私は頷いて続きを促す。
「お茶会につけていくアクセサリーを家の宝石庫から探して、仰られているような指輪を持ち出しましたわ。なぜかその指輪が目に留まって。思えば息苦しさを覚えるようになったのは、その頃からですわ」
「その指輪は今どちらに……」
指輪の行方を訊きかけた時、急に扉の外が騒がしくなった。
「旦那様!」と呼ぶ執事の焦る声と共に、ミューラー公爵様の声も聞こえる。
「まずい。父上が帰ってきた」
「こちらへ来るわ、レイ兄様」
「……シェリル嬢、隠れよう」
「!」
グイッと手を引かれ何やら狭いスペースにレイモンド様と一緒に入る。
「レイモンド様っ」
「静かに」
押し込められるようにして入った場所は思った以上に狭かった。すぐ横に壁があり、隣にいるレイモンド様との距離が近くてビクリとする。
辺りを見て、どうやらここはベッドの向かい側にあったクローゼットの中だと把握した。見えにくいが隙間から外の様子も窺える。
コツコツという足音は次第に大きくなり、バンッと乱暴に扉が開けられた。
シルバーグレーの髪に背の高い男性、ミューラー公爵様が入ってきた。しかし……
(お酒に酔ってらっしゃる?)
ミューラー公爵様は雲を踏むかのように足元がおぼつかず、ヒックヒックとしゃっくりをしている。
「マリアベル」
「お父様……おかえりなさいませ」
ミューラー公爵様はゆっくりとマリアベル様へ近付いていく。
「はあ。商談が破談になった」
「……左様でございますか。それは残念ですわ」
マリアベル様の強張った声が響く。
「して、お前は何をしているんだ。まだ呼吸が苦しいなどと言っておるのか?」
「申し訳ございませ……っうぐ」
「!」
私は信じられない光景を見た。ミューラー公爵様が、マリアベル様の胸ぐらを乱暴に掴み上げたのだ。
「お前……お前のせいだ……商談が破談になったのも……!」
「きゃっ」
ミューラー公爵様はそのままマリアベル様をベッドの下へと突き飛ばした。地面に身体を打つ音が部屋に響き渡る。
(自分の娘になんてこと)
「う……」
「使い道のない奴め! このろくでなしが!!」
怒鳴るミューラー公爵様の手に、水の球が浮かんだ。
(あの水の球。まさか攻撃魔法?)
実の娘に攻撃魔法を打つなんて、酔っ払っていても許されることではない。
「大丈夫。いつものことなんだ」
困惑している私にレイモンド様はヒソッと声をかける。
ペパーミントのような香りと共に、少し速い息づかいが聞こえる。
「こんなことになってしまってすまない」
耳元で囁くように声をかけられ、思わず身体を仰反ろうとするが空間が狭くて思うように動けない。
拳ひとつ分もない程に距離が近い彼は、私の頭上にある壁に片腕を置いて身体を支えつつ、外に意識を向けている。
私は声を潜めながら、彼へと声をかける。
「……レイモンド様。これは一体」
「父上は仕事が上手くいかなかったら、いつもこうして僕たちに当たるんだ」
「っそんな」
クローゼットの外で、マリアベル様の悲鳴が聞こえる。ミューラー公爵様がマリアベル様に対して水の攻撃魔法を向けていた。
「おやめください! お父様!」
「そんな大きな声を出せるのだ。元気ではないか!」
「きゃああ!!」
ミューラー公爵様はついにマリアベル様に攻撃魔法を撃つ。その途端、隣から香るペパーミントの匂いが強くなった。
(……レイモンド様)
彼はクローゼットの隙間に手をかざしながら、瞬きもせずにマリアベル様を見つめていた。
「…………」
(レイモンド様は今、魔法を使われている。マリアベル様に攻撃魔法が当たる前に自身の風魔法をぶつけて、衝撃を弱めているのだわ)
風魔法が大きすぎるとミューラー公爵様に気付かれるし、小さすぎるとマリアベル様が危ない。
彼は風魔法を巧妙にコントロールして放っているのだ。この並大抵の人には出来そうにない魔法のコントロール力はきっと一朝一夕のことではない。
(……幾度となくレイモンド様は、こうしてマリアベル様を守って来られたのだわ)
その事実に胸が痛むも、私は声を殺して3人を見守ることしかできなかった。




