わたしのデザート
お姉さんは綺麗なものが好き。だから私は毎日、美しいものを集めて持って帰る。お姉さんは甘いお菓子が好き。だから私は毎日、美味しい近所のケーキを買って帰る。お姉さんは物語が好き。だから私は毎日、楽しい夢満ちたお話を語ってあげる。
お姉さんは、死んでいるひと――
だけれども、やっぱり妹が可愛いのか、私の前にだけはちゃんとあの頃の姿で現れてくれる。だから私はそんな心の優しいお姉さんが、益々好きになった。
お父さん、お母さん、お兄さん、クラスのひと、とにかく皆が口を揃えて言うのは、私は頭がおかしくなったという言葉。あまりに大勢が私を指差して言うものだから、段々鬱陶しいし嫌気がさしてくる。だから私は、そんな皆のことは見ないことにした。私にはお姉さんがいればいいの。
私達は花園に隠された、秘密のデザート。
私の集めた沢山の花々に囲まれた、お姉さんと私。飾るクリームは私達の愛。とっても甘くて夢見心地で素敵だから、誰にも崩されないよう鍵をかけてしまう。どんなに美味しいケーキでも、皆の鋭いフォークでつつかれたら、あっという間に崩れて無くなってしまうでしょう。
皆の悪戯から、可愛いお姉さんを守らなくてはいけない。お姉さんが生きていた頃、私達はよくごっこ遊びをしていた。何時もお姉さんがお姫様で、玩具のティアラが似合っていた。私はお姫様を護衛する騎士の役だった。遊びじゃなくて、これからはほんとうに私が守ってあげる。
こっそりと家を抜け出した時に拾い集めた宝物は、何よりもきれい。月の光に当たって美しく魅惑的なものに変わるの。夜道は危ないだなんてよく言うけれど、私にはへっちゃらになる。お姉さんとお月様が守ってくれている。誰にも私達の世界を止められないし、止める権利さえ無い。
今日拾った宝物は、スミレの耳飾り。ひらひらとした花弁の飾りは、ブティックに並ぶ紫のドレスと同じ美しさを隠している。お姉さんはドレスを昔からとっても愛しているから、きっと気に入ってくれる。私は耳飾りをつまみ、その優雅さをお姉さんに捧げた。
私の拾った耳飾りを見たお姉さんの目は笑った。やはり気に入ってくれた。
「わあ、嬉しい? スミレの花なの。たぶん喜ぶと思って」
お姉さんは妹の声が愛しいみたいだ。
妹の喋る声が愛しいから、夜な夜なの夢物語を語るよう頼む。私はそんな風にほんのちょっとだけ甘えるお姉さんの顔が好き。死ぬまで見てもいいくらいに。
「じゃあ、お話聞かせてあげる」
今宵は何の物語と問うように身をよじり近付くお姉さん。
私はくすり、笑ってお姉さんに視線を送る。
「お姉さんが好きなもの。授業中に思い付いたの。ルビーのお姫様と、綿飴でダイヤをつくる宝石屋さんのお話つくったの」
煌めく宝石とお姫様は、何時だってお姉さんのお気に入りだ。
生きている時のお姉さんも、ヨーロッパの何処かの国のお姫様が出てくる物語集を愛読していたっけ。シトリンという聞き慣れない名前の宝石の小さなペンダントは、何時も欠かさず身につけていたっけ。
私はそんなお姉さんを見ていて憧れて、お姉さんの本棚から拝借した宝石図鑑を内緒で読んで、お姉さんみたいに沢山の宝石の名前を覚えようとしていた。エメラルドだとかタンザナイトだとかを暗記するのは、最初はあまり楽しめなかったけれども、お姉さんが好きなものと考えるとあっという間に楽しく変わるのが不思議。
「目がルビーでできたきれいなお姫様なの、じゃあ話すよ。」
「むかしむかし、真っ赤な宝石しか採れない王国に生まれた王女様は……」
お姉さんは静かに目を伏せて私の物語に耳を傾け、すっかり夢中になっていた。こうしている内にも夜空に浮かぶ星々は光を増していて、私達が過ごすお砂糖漬けの世界はより一層、甘いものになる――
私の作った物語を聞き終わったお姉さん。思った以上に反応が良かった。やっぱりお姉さんは、綺麗なものが大好きだ。この部屋にはお姉さんの為だけに私が今までせっせとかき集めてきた、世の中の素敵なものがある。それは甘い金平糖みたいな感じがする。私はその甘いきらめきが逃げないように、瓶にしまって魔法を封じる。
うるさい皆には、この素敵な魔法の瓶たちをがらくたに見えている。お父さんとお母さんは、二番目の瓶を見るなり舌打ちと溜め息を見せた。お兄さんは、四番目の瓶をお庭で叩き割っていた。だから魔法は台無しになったの。ああ可哀想なお姉さん。プリンセス、あなたに捧げられるべきものは壊れてしまったわ。
どうして私達の作り出すデザートは崩されていくの。
私達はただ、私達で作り出せる甘美なる秘密の夢を紡ぎたいだけなのに。それは悪いことでは無いでしょう、どう考えても私達は間違っていないもの。もしこの行いが罪だと言われ人々から罵られるくらいなら、私、気高く死んでいくの。それこそお姫様の如く振る舞って死んでいくの。
ねえお姉さん、私のお姉さん、この甘美なるデザートを食べ尽くす悪いネズミは、いなくならないのかな。お姉さんなら、きっと知っている筈だよね。妹だからいくらでも分かるよ。お姉さんなら、どうすれば私達のこの世界を守れるか――良い方法を知っているよね?
とっても物知りな、私だけの自慢のお姉さんだもの。
やっぱりわかるんだね。知っているんだね。
流石、私のお姉さんだ。お姉さんはマリア像に似た微笑をして、私にひそひそとその方法を耳打ちした。有り難う! お姉さん。これで私達は甘いまま。
決行の夜はやって来た。真夜中は私達の味方をする。何時までも負けていられないもの。黙って負けている暇があるなら、お姉さんを守らなくてはいけない。私は麗しのお姫様を守る騎士になったのに。その役目を果たせないままで終わるなんて、そんなことは許されない。
今日のこの時の為に、私は普段より魔法を強めた。瓶の蓋に赤色のリボンを結んで魔法の形にすれば、瓶の宝物に手を触れるやつはもういない。あのスミレの耳飾りは、今日のお姉さんの唯一の武装。お姉さんが動けば、耳飾りの花弁もそれに追い付く。今日の為に着飾ったお姉さんは、一段ときれいなお姫様。
瓶の向こうから放たれた水晶の一閃は、私の心を勇気づける。あの水晶は昔のお姉さんが大切にしていた、生きていたお姉さんの宝物。その宝物はお姉さんが死んで、妹の私の宝物に受け継がれた。
だから、あの水晶は生きていた頃のお姉さんの心みたい。
あの水晶が光ると、まるで過去の世界からお姉さんが笑いかけてくれているみたい。さあ、やらなくちゃ。
「じゃあ頑張ろう、お姉さん! 私達のために」
戦え、私の中の騎士。
私の心を突き動かすのだ。私の愛する姫君を守り抜くのだ。私の理想を本当のものと変えるのだ。私は騎士の剣を小さい掌で握る。この剣は、私の力になってくれる強い物。握ることは初めてだけれど、心はお姫様を守る覚悟でいっぱいになって溢れかえっている。
「いた!」
ああ、私の中の騎士は勇敢だ。
私だけじゃ戦えない。私じゃ出来ないことが出来る。ああ、今私の身体は、心の騎士とお姉さんだけのもの。目の前にある景色がみるみる、赤に染まりゆく。すべてが真っ赤に染まりきり、私はついに成し遂げた。
やった。これで二匹の親玉ネズミはいなくなったわ。
残るネズミは、あと一匹。私とお姉さんの大嫌いな、忌々しい最後のネズミ。
逃げ場を無くした最後のネズミは、勇敢で力強い私達を一目見ただけで恐れおののく。今まで散々私達を迫害した罰の味を味わわせてやる。お姉さんに謝れ。謝れ。私達の夢見心地を、壊さないで。その一心で私は剣をふり下ろす。
何度もやる内に、最後の一匹は動きをやめて、栗色の長い毛は赤に濡れた。
最後まで私達をその汚い目で見るのが鬱陶しくてたまらなかった。
本当にネズミはどこまでも汚らわしい生き物だ。お姉さんは綺麗じゃないものは好きではない。そんな存在には、さっさと消えてもらわなくては。
お姉さん、やっとネズミがいなくなったよ。
私がやったんだよ。私が駆除した。すごい妹でしょう?
「そうだよねえ! だって私、ちゃんとがんばった……」
ああ、そうなのだ。お姉さんは私のことが、妹のことが、大好きで大好きでたまらなかったのだ。愛しくてしょうがない妹なのだ。抱き締めたくなる妹。最後まで優しいお姉さんは、赤い大きなそれで私を抱き締めてくれた。
笑っていてくれた。ああよかった。私はお姉さんのデザートになる。
お姉さん、私のお姉さん、お幸せに。
私を甘くて素敵なデザートに選んでくれて有り難うね。
なんて夜だ。これは現実なのか。
赤い帯を巻き付けたように、身体中が血潮に濡れている。どうやら僕は生き延びてしまったようだ。一家惨殺の生き残りだなんて、これから僕は気が狂わずにいられるのだろうか。
僕の鉛になった足を起こし、立ち上がる。
家中の至る所が鉄臭く変わっている。こんな家じゃなかった筈なんだ。でも何時からか変わってしまったんだ。妹達が変わってしまったんだ。
最初に、長女が湖に落ちてこの世の人じゃ無くなった。
それから僕達の過ごす日常は、狂っていく音を鳴らしたのだ。長女にいつもくっついていた次女は、最愛の人の死を受け入れることが出来なかった。次女は長女の亡骸の手首を切り取って、自室にしまった。
僕は人には感じられない、怪物が目に見える。
それは人が悪魔や妖怪と呼ぶものに等しいだろう。次女は長女の手首に話しかけるようになり、それで怪物を呼んでしまったのだ。この家には怪物が住み着くようになった。
次女は、「お姉さんの為よ」と言ってがらくたを拾って帰るようになった。
本当に目も背けたくなるがらくただ。鳥や野良猫の死骸を拾って、瓶に入れて部屋中に飾るのだ。僕はそれが本当に気味悪くて、我慢しきれずに瓶を割ったこともある。だけれど彼女達には、美しい宝物に見えていた。ふらふらと何処かに出掛けていく次女を、僕は止められなかった。
そんな次女は、今さっき怪物に食われてしまった。
食われているのに、次女の顔は笑顔に似た形に歪んでいた。その途端に彼女の真っ赤な生き血が散っていったのだった。僕はあの子を愛していたのに、嫌われ者だったらしい。最後は僕の達也という名前も忘れられていた。
怪物の見える僕は、霊能者のような存在として人に頼られていた。
だけどそれが何だ。たったひとりの実の妹さえ救えずに、何が霊能者だ。
血で湿った髪を振り乱して、僕は家を飛び出て外に出た。
ああ、この世界には、怪物達が蠢いている。妹は、怪物に騙されて餌食になってしまった。だけれど、彼女はきっと砂糖漬けのような甘い日々を過ごしていたと思う。
僕達の知らないところで、今日も怪物達が列をなす。