第1章 第1話 契約
「明日はちゃんと金持って来いよ!」
最後に倒れている俺の腹に上履きのかかとを食いこませ、クラスメイトたちは去っていく。
「はぁ……あぁ……!」
たった一人取り残された俺の瞳からは自然と涙がこぼれ落ちていた。十人ほどに囲まれてボコボコにされた痛みからではない。そうなってしまっている現状が悔しかった。
どうしてクラスのやんちゃな連中からいじめられるようになったのか。その答えは俺にはわからない。普通に高校生活を送り2年生になるまで平和に過ごしていた。だが2年になって数ヶ月が経った時、なぜか急にいじめられるようになった。友だちは離れたし、教師が助けてくれることもない。ただ毎日難癖をつけられ暴力を振るわれる日々。本当にわからない。
きっと俺だけではないのだろう。友だちも教師も、いじめてる当の本人たちだってわかっていないんだと思う。俺がいじめられる理由を。特に理由もなく、毎日のちょっとした積み重ねでなってしまったんだ。いじめられて当然の人間に。
そりゃいじめが止まることはないし、止めてくれることもない。それが自然なんだから。それが当たり前なんだから。納得できていないのは俺だけなんだから。仕方がない。
「……クソ……!」
自分でも仕方ないと思えるようになってしまったのが、何よりも悔しい。自分で認めたようなものだ。自分がそういう、最底辺な人間だと。底辺から上がることができないと、諦めてしまっている。
でも実際無理なんだ。この現状を変えることなんて。力でも頭脳でも、個人では組織に敵わない。俺を底辺だと定めるこの世界に逆らうなんて、俺一人の力では絶対に……不可能だ。
「こんにちは、甲賀佐助くん」
誰も助けにきてくれない。誰もいないはずの教室に女子の声が響く。その女子は倒れている俺の頭上で、スカートを抑えながら俺の顔を覗き込んでいた。
「……愛染一花……さん」
一瞬またいじめられるかと思ったが、そうではないだろう。彼女は俺と同じ2年A組に所属しているが、立ち位置的には俺と似ている。いじめられてはいないが、いつも一人。誰と話すこともなく、何をするでもなく。ただ毎日を過ごすだけの、カースト的には俺と同じ最底辺の存在だ。だが最底辺とは言えど差は確かに存在する。彼女にもいじめられるなら……それはそれで、仕方ない。
「ずいぶんボロボロだね。またいじめられてたの?」
「……見た通りだよ」
「やり返したりはしないの?」
「できるなら……やってるよ。でも無意味だし……俺以外の誰も、それを望んでない。……君もそうだろ? 俺がいじめられなくなったら……次のターゲットは、君かもしれない」
「私なら大丈夫だよ? やられたらやり返すから」
「……愛染さん、いじめられたことないだろ」
あまりにも軽々と軽薄に告げられた言葉に思わず目をつむり失笑してしまう。
「やり返すなんて……不可能だ。民主主義ってやつだよ。一人を虐げてみんなが平和でいられるなら……それでいいんだ。それが一番いいんだよ……俺以外の人たちにとって。数は力だ。一人が何かがんばったところで……!?」
目を開けて、口が開いて動かなくなってしまった。スカートの中が見えたからではない。スカートが、いや、全てが変わっていたからだ。
白い上履きは黒いブーツに。紺のソックスは黒いニーソックスに。膝丈のスカートは大きくスリットが空いた黒いドレスに。俺を映す瞳は何よりも黒く。全てが黒に、染まっていた。
「は、早着替え……!?」
辛うじて出た言葉は自分でも見当はずれだと理解していた。そんな……そんな決してチャチなものではないとわかっていた。
「君の言っていることはもっともだよ。数こそ正義。圧倒的大多数の前では個の力なんて役に立たない。だからこそ生物は徒党を組む。そしてそれは私も同じ。まぁつまり、こういうことだよ」
そして愛染さんは膝を床につき、手を差し伸べる。
「私の悪の組織、『スート』に入って世界征服してみない?」
そんな素っ頓狂なことを言って。
「どうせ理解できないだろうけど、説明するだけするね」
もうまるっきり理解できない俺に対し、愛染さんは畳みかけてくる。
「実は私異世界で魔王やってたんだよね。でも勇者に倒されて、この世界に転生してきたの。ということで世界征服したいんだけど、魔王の力はほとんど封印されちゃって。今じゃ衣服を変えるので精一杯。だから人手がほしいんだよ。君みたいな世界に強い怨みがある人が。だから君にスートに入ってもらえるとうれしいんだけど……どうかな?」
どうかなって……そんな中二病に付き合う気はないんだけど……まだ早着替えの方が納得できる。でもこの空気……雰囲気。仮に。仮にだが事実だとすると……それでもだ。
「悪の組織には入らないよ。世界征服も興味ないし……犯罪は嫌だし……」
結局それに尽きる。確かに世界を怨んではいる。こんな世界滅んでしまえばいいと思わなくもない。だが思うだけだ。実際にしたいかどうかは別。きっと多くの人はそうだろう。
「じゃあ君をいじめてる人たちに復讐したくないの?」
「それは……それくらいなら……したいけど……」
「なるほど。それなら君も悪人だ」
愛染さんはフッと笑い、語る。自分勝手な自論を。
「復讐って悪だよね。この世界の正義は法律。私刑は法律で禁じられてるから。でも君は復讐はしたいときた。これで悪人じゃなかったら何だって言うの?」
「じゃあ……俺をいじめる連中の方が悪人だろ」
「悪に小さいも大きいもないよ。正義をはみ出すことそのものがいけないことなんだから。だからこそこの世界を変えたい。君のような善人の普通の行動を悪とする世界を。本当の悪人だけが裁かれる世界を。そう思うことすら悪になるこの世界を変えたい。そう思うことは悪いことなのかな?」
「…………」
言っていることがわかるようで、わからない。でも一つだけ、わかることがある。
「俺は世界征服に興味はない。でも……この最悪の状況からは抜け出したい。君に協力すれば……それは叶うのか?」
「同じことだよ。君が報われる世界を作る。私の野望はそれだけなんだから」
なんて聞き心地の良い言葉。きっと俺は騙されているのだろう。でもたとえ騙されていたとしても。この抗おうにもどうしようもない環境に居続けるくらいなら。
「俺は……自由になりたい。誰にも縛られたくない」
自分の行動で失敗する方がマシだ。
「それは、承諾だと捉えていいね?」
上げた手が愛染さんにとられる。そして手の甲に柔らかく、温かい感触が。
「約束するよ。君が自由になれる世界を作ってあげる」
俺の手の甲から唇を離し、愛染さんは妖しく微笑んだ。
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