後編
縁側で花見をしてるうちに、いつの間にかあたしは眠って━━というか昏睡してたらしい。
日差しが心地良くてついうとうとしたら、目を開けた瞬間一斉に心配そうなみんなの顔が視界に飛び込んできて、驚いた。
「・・みんな、近過ぎ・・」
『タマっ・・!』
『珠緒が目を開けた!』
『珠緒ー!!』
大きな図体で泣きべそをかきながらあたしを見下ろす、三人の弟達。
それから━━あたしの背中や頭の上を、労るようにやさしく何度も往復するお母さんの手。
あたしはこの手が大好きだった。
それから、お父さんの膝の上でする昼寝も。
「あのね・・・お迎えが来たから、あたし・・・もう、いくね・・・」
『やだやだ!なんでそんなこと言うの、タマ!もっとずっとクロと一緒にいてよ━━━!』
甘ったれのクロ。今度はあんたが、あたしの代わりにお父さんとお母さんの傍にいてあげて。
「大丈夫、きっと・・また会える・・から・・」
『タマ━━━━━!』
『『━━━━━!!』』
ああ、ああ、もどかしい。
もっと言いたいことはいっぱいあるのに。
言葉って、なんてこんなに不便なんだろう。
あたしがどんなに、みんなのことが大好きだったか。
どんなに大事だったかなんて。
言葉なんかじゃ伝えきれない━━━。
「ありがと・・、みんな大好き」
やっとの想いでその一言を絞り出した、次の瞬間。
懐かしい声があたしの鼓膜を震わせた。
『迎えに来たよー、タマ━━━!!』
・・・お・・・お姉ちゃんだ━━━━!!
珠緒姉ちゃん!会いたかった、会いたかったよ━━━━!
あたしは全速力で駆け出して、思いっきり弾みをつけてから、一番会いたかった人の腕の中に飛び込んだ。
❖
我が子のように可愛がっていた愛猫が天に還った。
享年十五才、猫としては大往生の部類だろう。
かつて娘を不慮の事故で亡くし、生きる気力を失っていた私達夫婦に、長年そっと寄り添い続けてくれたやさしい仔。
「タマ・・・“ありがとう”はこちらこそ、よ。あんたのおかげで、あたしもお父さんも幸せだったわ」
いつも見守れるようにと、縁側から見える桜の木のすぐ横がタマのお墓になった。
あの子の魂はもうここに留まってはいないかもしれないけど。
実はあの後、クガネとシロガネの二匹はふらりと姿を消して、それきり家には戻っていない。
猫屋敷家ではよくあることだ。
━━━猫は自由な生き物だから。
❖
「女神様!僕らも珠緒と一緒に転生させてください!」
「お願いします!」
「あらあら〜?うふふ?まぁ多分そうなるんじゃないかとは思ってたわぁ〜」
珠緒(猫)の魂が身体から離れた直後、クガネとシロガネの二匹は女神の気配のする祠に向かって猛然と駆け出し、待ち構えるように佇んでいた女神本人に懇願した。
「タマちゃんとは随分仲良くなったものねぇ。離れ難いわよねー?でもどうするの、転生すれば記憶は洗われてしまうのよ。うっすらとなら何か覚えていられるかもしれないけど、同じ場所に生まれるとも限らないし。
輪廻の輪に還った魂がその後どんな器に辿り着くかは、ほとんどの場合成り行き任せだから━━━大変よ?」
「「構いません」」
二匹とも即答だった。
「魂核を擦り減らして消える寸前だった僕らが、ここまで回復できたのは、この家の人達の━━珠緒のおかげなんだ」
「だから、今度はクガネと僕が珠緒の力になりたい」
生前『人』としての尊厳を尽く踏み躙られ、魂が消滅の瀬戸際にまで追い詰められていた二人。
家族として迎え入れられたこの家で、惜しみなく注がれた愛情によって、魂に負った傷がきれいに癒えた後も、猫の姿のまま傍らに在り続けたいと願うほど、彼らはかけがえの無い存在になっていた。
「良い返事ね。私も少しだけなら手助けしてあげられるから、後は頑張んなさい━━━」
女神がそう言い終わるなり、二匹の猫の姿は解けて光の珠となり、矢のような早さで天に駆け昇ってゆく。
「あの子に目印は付けといたから、早いとこ追いついて見つけ出してあげなさいね〜」
いかに輪廻を司る女神といえど、万象の流れを乱してまで特定の『個』に肩入れするような真似はしない。
ただほんの少し、ほんのちょっとだけ、依怙贔屓をする程度ならわりと頻繁に手心を加えているけども。
女神もまた猫同様、気紛れな存在だったりする。
「あなたはここに残るのね?」
物陰からこっそりと二人を見送っていた小さな姿を振り返り、女神が尋ねた。
「クロは、お父さんとお母さんの傍にいる。クロまでいなくなったら二人が泣くし。それに・・・タマはいつか還ってくるよ」
だって、タマがそう言ってたから━━━と、クロが言う。
「良い子ね、クロ」
❖
━━━それから時は流れ。
何もかもが遠く隔てられた地で。
「━━━落とし物はここから南南西の方角。そう遠くない場所だと思うから、今から探しに言ってみる?」
「・・行ってくる!ありがとパール!」
高等学院からの下校途中で、許婚者からの贈り物の髪留めを、どこかに落としてしまったと泣く友人に、ついお節介を焼いて口出ししてしまった。
祖母が腕の良い占術師だったから、周りからは占いの才能を受け継いだ孫娘と思われてるけど、あたしのこれは占いじゃない。
ネックレスのチェーンでダウジングを装ってみせてるけど、実は占術とは全くの別物だ。
あたしの目は人の“縁”を捉えることができる。
おそらくは魔眼の一種。
対象が人であれ、物であれ、ひとたび繋がれた縁が切れていない限り、それは細い糸のような絆で結ばれて視える。
「あった!あったわーーー!」
「よかったね、ダナ」
髪留めは通学路にあるベンチの脇に落ちてたらしい。
そういえば帰りに、野良猫にかまってしばらく足を止めたっけ。
今回はたまたま落としたことに早く気付けて、それが思い入れの深い物だったから糸をたどれたけど。
縁の糸は時間が経つにつれ、薄れて消えてしまうものも多いから。
「さすがファム・ファタールの秘蔵っ子!失せ物探しでパールの右に出る者はいないわね」
「他はからっきしだけどね」
自分の眼のことは、お祖母ちゃんにコッソリ打ち明けたけただけで、他の誰にも言ってない。
そして━━━“糸”はあたしの身体にもたくさん纏わりついている。
太いのから細いのまで色々。
中でも一際目立つのが、金と銀の二本の糸。
蜘蛛の糸のように細くて、どこまでも長い。
小さい頃不思議に思って、何度か糸をたどってみたことがあったけど、糸はどこまでも長く長く伸びて果てがなく、結局は自分が迷子になっただけで終わった。
だからあたしは時々考える。
この糸の先はどんな人に繋がっているんだろう━━━。
もしかしたら“人”じゃなく“物”だったり、もっと何か抽象的なものだったりするのかもしれないけど。
途切れることなく続くこの糸は、きっと自分との深い縁の顕れ。
だからきっといつか、この糸の先にある“何か”と出逢う日が来るに違いない。
そう思っていたら、ある日突然糸の様子に変化が起こった。
なんと金と銀の二本の糸が撚り合わさって、一本の糸になっていた。
「??どういうこと・・?」
そしてその翌日あたしは、高等学院に編入してきた男子生徒の手首に、金と銀の撚り糸が繋がっていることに気が付いてとても驚いた。
何に驚いたって、その相手がもんのすごく目立つ人物だったのだ。
多分自分より一つ二つ年下の『彼』は、神殿のフレスコ画の天使が裸足で逃げ出しそうな美少年で。
その美少年が、万座の注目を集めつつ絶対零度のオーラを放っていれば、嫌が上にも目立つというもの。
あの見た目だから周りに人が集ることに辟易して、牽制してるのかもしれないけど、ちょっとおっかない。
成長期のしなやかなラインを描く繊細な肢体に、華やかな金と銀の斑髪。遠目にはよくわからないけど左右色違いのダイクロイック・アイが神秘的な、神がかった美少年だ。
「・・なんかこう、別次元の存在よね」
「うん・・」
身分は判らないけど、間違っても平凡な一般市民が関わり合いになるような相手じゃない。
“糸”は何かの気のせいだ。
ダナと二人で噂の編入生をこっそり影から見物したあたしは、そのまま現場の中庭を去ろうと踵を返し━━━━突然腕を掴まれた。
「ひゃっ!」
今の今まで十数メートル離れた場所にいた美貌が、何故か自分の目の前に忽然と現われ、至近距離でこちらを凝視している。
( ・・だ・・だるまさんが転んだ・・・! )
あまりの急展開に、意味不明な単語が頭に浮かび上がってくる。
まるで猫の忍び足のような動作だった。
( い、いつの間に・・、こんな傍まで近付いたの!? )
「あの・・、手、手を、離して欲しいんだけど」
「離しても逃げない?」
「にげ・・たりは、しないけど。なんであたし、いきなりあなたに掴まれてるのか、説明してくれる?」
「━━━猫は・・」
「ねこ?」
「大きな音を立てると逃げる。呼び止めたくても名前知らないから、捕まえた」
「あたしに何か用があったの?初対面よね」
「うん。でもほら、目印あるから」
「!!」
そう言ってニヤリと微笑った美少年は、自分の左手首を軽く振って見せた。
( え、)
「どういうことか、気になる?」
「それは・・」
━━━当然、気になる。
なにやら意味深に勿体ぶる美少年が『何』を知っているのか。
「じゃあ、まずお互い自己紹介からってのはどう?」
━━━ここから『何か』が始まったり、始まらなかったり。
それはこれから紡がれる新しい物語。
読了ありがとうございました。