中編
あたしはその日、朝からあんまり体調が良くなかった。
季節の変り目のせいか、このところ妙に身体がダルい。
「ちゃんと横になって休んでなきゃ駄目よ、珠緒。・・・やっぱりお医者さんに」
「ヘーキだって。ただの風邪だよ、お母さん」
「“花冷え”っていう言葉があるぐらい、まだこの時期は急に冷え込んだりするから、気をつけないと。はい、湯たんぽ」
「わぁ、ぬくぬくー」
「あんたももう十五歳なんだし、無理は禁物よ」
「ハイハイ」
うちの親は過保護だね。
十五歳なんてまだまだ・・・・・。
そう、“まだまだ”だよ。
『タマぁ・・』
『珠緒、大丈夫?』
『・・・・・』
大丈夫だって言ってるのに、うちの弟達は。
デカい図体で寝床の周りを取り囲んで覗き込まれたら、落ち着かないんだけど。
「ほらほら、あんた達全員で布団を取り囲んでたらお姉ちゃんが休めないわよ。隣の部屋に移りなさい」
『クロはここにいるー!』
『おかーさん、ぼくも』
『おかーさーん』
「にゃーにゃー鳴いても駄目よ。さ、行った行った」
三匹ともあたしが寝てる部屋から追い出された。
ちょっと可哀想だけど、・・・せっかくだから少し眠ろう。
お母さんに頭を撫でられて目を瞑ると、眠気はすぐにやってきた。
「・・・あのね、おかーさん。あたし女神さまに会ったんだ。クガネとシロガネをうちに連れて来た女神さま・・・。あの子達・・どこかに連れてかれちゃったら・・・さみしいなぁ」
眠気でぼうっとなったあたしは、なんとなく言うつもりもなかった気持ちを、いつの間にか口に出してしまっていた。
誰かと別れるのはつらい。
残すのも、残されるのも。
「あんたは寂しがり屋だからねぇ・・・“タマ”」
眠りに落ちる寸前に聞いたお母さんの労るような声が、夢の中でもずっと耳に木霊し続けた。
━━━それから何日かが経っても、あたしの体調は元に戻らなかった。
身体が重くて起き上がるのも億劫になって、日がな一日横になって過ごす日が続いている。
「だからあんた達━━、あたしの横にへばりついてないで、好きに過ごしてなさいよ。鬱陶しいんだけど」
『好きにしてるよー』
『珠緒の傍がいい』
『シロガネも』
我ながら天邪鬼だなぁとは思うけど。素直に『ありがとう』と言えないのがあたし。
独りにされるのは嫌なくせに、妙なとこで虚勢を張る。
だってあたし『お姉ちゃん』だから。
早く元気にならないと。
みんながションボリするんだもん。
「ちょっと休めばすぐに元通りになるよ。明日になれば━━━━」
精一杯の空元気で笑顔を作った、次の瞬間。
あたしの顔にあったかい雨が落ちてきた。
「珠緒、・・・あんたはもっと我儘でいいのよ。もう無理しなくていいの。
・・・あんたは、猫なんだから。」
━━━お母さんが、泣いてる。
ああ・・・、そっか━━━━。
そうだった・・・・・あたし本当は・・・・・“猫”なんだった。
「珠緒を病気で亡くして、すっかり生きる気力を失いかけてたあたし達夫婦が、あんたにどれだけ救われたことか━━━・・」
だって珠緒がいないと、お父さんもお母さんも泣いてばかりなんだもん。
・・・だからあたしが『珠緒』になろうと思った。
あたしも珠緒姉ちゃんが大好きだったから。
お姉ちゃんの姿を借りて、お姉ちゃんの喋り方を真似て。
そうやってるうちに、いつの間にか自分が本当に人間だと思い込んで━━━━。
「珠緒は大事な娘だけど、あんた自身も同じくらい大事なのよ。具合が悪い時ぐらいおとなしく甘えてなさい。猫は愛されるのが役目なんだから」
「おかー・・さん・・」
あたしのこの体調不良は、多分そういうこと。
あたしいつの間にか、お姉ちゃんの年齢を追い越しちゃってたんだ・・・。
人は、命は、死んだら何処へゆくんだろう。
『あたし』は消えて無くなって、━━━それから?
その後も本調子には程遠い日々だったけど、あたしは不思議と穏やかな気分で、いつも通りの日常が繰り返された。
お父さんがいて、お母さんがいて。賑やかなの三人の弟達に囲まれて。
あたしは縁側で丸くなって、桜の花を眺めている。
春の午後の日差しがポカポカと暖かくて気持ち良い。
━━━このまま時間が止まっちゃえばいいの。
そんなことを考えてたら、不意に目の前に例の『ポイ捨て女』が姿を現した。
「随分な呼び名です〜。私これでも一応、輪廻を司る女神なのですが・・・」
あれ?あたし声に出してた?
「声に出さずとも聞こえます。何しろ私は『女神』ですから!」
二回も言いやがった。
「大事なことなので」
・・・その“女神様”があたしになんか用?
「そうそう、それです。あなたは今生で多くの徳を積んだため、次回の転生が早まることになりました。今なら早期契約で融通が利くので、転生先の環境とかがある程度選べますよ?」
何か要望はありますか?と、女神様には聞かれたけど、急な話で何も思いつかなかった。
考え込んで黙りこくったあたしを急かす風もなく、女神様は世間話でもするみたいに、つらつらと語り出した。
「猫屋敷の方々にはとても感謝してるんですよ。ここは魂の休息所として最適なので、以前から時折傷を負った魂を預かっていただいてるんですが・・。皆さん目覚ましい回復を遂げて、速やかに輪廻の輪に戻られています」
「もしかして・・・クガネとシロガネもそうなの?」
この間の盗み聞きの件が頭をよぎり、思わず声が出た。
「はい。あの子達の前身は人なんですけど、魂核に傷を負って酷く疲弊していたので、緊急措置として猫屋敷家に預けることにしたんです〜」
「預けるて・・、『放り出してった』の間違いじゃないの」
「えぇ?でも昔からこのスタイルで上手くいってますよ?なにせ猫屋敷家の皆さんは猫を大事に扱ってくださるので、私も安心して子供達を里子に出せるというか」
ポイ捨ての常習者か!この女━━━━。
「もちろん猫屋敷の御先祖の方には、ちゃんと許可を得てやってます」
「・・それ何百年前の話?」
でもそっか、あの子達生まれ変わるんだ・・・。
次の世では、クガネとシロガネが魂に傷を負うような、辛い目にあいませんように。
「その辺は善処しますけど、その前にタマさん、あなたの番ですよ?」
「 え 」
そう言われて、あたしはやっと気が付いた。
輪廻を司るというこの女神様が、あたしの目の前に現れた理由に━━━━。
「あたし・・・もう、死んじゃった、の・・・?」
「いいえまだ━━。ですが残された時間はそう多くありません。私は輪廻の輪に向かうあなたの、水先案内人として参りました」