前編
夏休みに庭先で花火を上げていたら、ネズミ花火に驚いて弟が池に落ちた。
底の浅い人工の池は、お父さんが日曜大工で制作したやつだ。
ビショ濡れになった弟を指を指して笑ってやろうと池に近付いたら、突然水面が明るく光って池に複数の人影が現れた。
「あなたが泉に落としたのは、この金の髪の美少年ですか、それともこの銀の髪の美少年ですか」
いかにも『女神』という風体の女が十歳前後の少年二人を従えて(?)池の真ん中に現れた。
なんだそりゃ。
「あたしが落としたのは、その目付きの悪い黒頭のガキンチョよ」
睨むな弟。姉ちゃんは本当のことしか言ってない。
そして美少年は本当に美少年だった。
ちょっとヨレヨレなのが気になるけど、映画の子役なんかメじゃないぐらいの綺麗どころで、━━━怪しさ大全開だ。
「なんと正直な娘!では正直者のあなたに、この金の美少年と銀の美少年を差し上げます。末永く可愛がってくださいね」
「はァ!?なに勝手に話を進めてんのアンタ!」
「ではよろしくお願いします~」
「まちやがれェェ!」
叫んでもどうにもならなかった。
あっという間に“女神”の姿は掻き消え、池の中には三人の男子だけが残った。
一人は憮然とした表情で、後の二人は所在なさげに目を泳がせて。
「とりあえず三人共池から上がって。体乾かさないと風邪引くし」
ビショ濡れの三人を連れて家に入ると、お母さんに呆れ顔でタオルを手渡された。
「あんたまた“弟”を拾ってきたの。しかも今度の弟はかなり毛色が違うじゃない。どっから拾ってきたの」
「うちの池の中━━というか、目の前でポイ捨てされた」
「はァ!?」
さすが母親、咄嗟のリアクションがあたしとおんなじだ。
「いくらウチの名字が『猫屋敷』だからって、住人の目の前で猫捨ててくなんて!どんな図太い人間よ!」
いや、アレ人間じゃなかったっぽいけど。消えたし。
━━━あたし、猫屋敷珠緒は猫が人間に見える。
あんまりにも意味不明なんで、これについて深く考えるのはもうやめたけど、生まれつきこうだったわけじゃない。
そして全ての猫があたしの目に人間として映るわけでもない。
まだ成体になる前の仔猫だけが、何故か人型に視えるのだ。
いやまぁ、成体だろうが仔猫だろうが基本猫は好きだけど。
だけどいくらなんでも、猫がオッサンの姿で擦り寄ってきたら全力で拒否る。
手の平ペロペロ舐められたり、スカートの中に潜り込まれたり、猫の姿ならゆるせても人型は言語道断だ。
「おかーさん、弟の猫用ミルクってまだ残ってたっけ」
「もう無いわよ。でもその子たち生後半年は経ってそうだし、牛乳あげてもお腹壊したりしないんじゃない?」
「うーん、まいっか。おいで二人とも。ミルクあげる」
タオルドライで半乾きになった美少年二人が、戸惑うようにお互いの目を見合わせる。
畳に手をついてペタンと座り込んだ格好が、なんか猫っぽい。
━━━てか、猫だけど。
ピントを合わせるように目を眇めて確かめると、金髪の子は金眼に真っ白な毛並み。銀髪の子は銀眼で灰白色の毛並みの長毛種だった。
ちなみにクロは真っ黒な和猫で眼がグリーン。
うちは『猫屋敷』という名字のせいか、昔から妙に猫に縁がある。
元々家族全員猫好きではあるんだけど、わざわざ我が家の敷地に猫を捨てに来る輩がいるのだ。
猫を捨てるような人間は、ノミに集られて全身水玉模様になればいいと思う。
『女神っぽい女』にポイ捨てされてった仔猫たちは、その後結局二匹ともうちで面倒をみることになった。
仔猫の方がこっちを警戒してるみたいだったから、あんまり構い過ぎないようにして、ゴハンと寝床を用意してあとは好きにさせといたら、ちょっとずつ距離が縮まっていい感じに。
あたしと弟がジャレて遊んでるのをじぃっと見てて、なんか混ざりたくなったのかもしんない。
いいよ、ゆっくりこっち側においで。
この家にあんた達をいじめるような輩はいない。
猫屋敷の住人は代々みんな無類の猫好きだからね。
「呼び名がないと不便ねぇ。あんた名前つけてあげなさいよ、玉緒」
「お母さんが名付け親になると、やたら長くて仰々しい名前になるもんね。
えーと・・、じゃあ金眼の子がクガネで銀眼がシロガネ」
「まぁ、わかり易いのは良い事よね」
「『クガネ』『シロガネ』。前の家で何て呼ばれてたか知らないけど、ここんちの子でいる限りそれがあんた達の名前よ」
『クガネ?』
『シロガネ?』
金と銀の美少年二人は、口に飴玉でも放り込まれたような顔で、自分達につけられた名前を舌の上でそっと転がした。
『クロのも!クロの名前もタマがつけた!おそろい!』
「あんたの姉ちゃんのその毎度捻りのないネーミングセンスはどうかと思うけど、本猫達が気に入ってるならまぁ・・」
クロは春先にうちの庭に迷い込んで、そのまま居着いた子だ。
ガリガリに痩せてて毛艶もボサボサで、野良猫なのは一目見てわかった。
縁側でこっそり牛乳をあげてたら、お母さんに見つかって『あげるなら猫用のやつにしなさい』って叱られたっけ。
「クガネ、シロガネ、行くとこないならうちの子になりなよ。うちは出入り自由だから、好きな時に外に出られるし、ゴハンも寝床もある」
『・・いてもいいの?』
『“あっちいけ”っていわない?』
「言わないよ」
猫を捨てる奴の“事情”なんか知りたくもないけど。
あの“女神”は何を考えて、うちの庭にこの二人を置いてったんだろう。
「あのクソ女・・」
よっぽどあたしの表情が険しかったのか、クガネとシロガネがヒュッと首を竦める。
それでもあたしが『何』に怒ってるのかわかったみたいで、オドオドしながらあの女を擁護するような言葉を吐いた。
『たすけてもらったの』
『あんぜんな場所につれてくから、って』
「━━━、」
そりゃ、猫屋敷は確かに安全だけど?
それでも一言説明が欲しいんだけど。
端から見たあたしは、猫相手に独りごとを言ってるように見えるだろうけど、何故か言葉は通じてる。
そしてそれはあたしだけじゃなく、お母さんもだ。
猫屋敷の家系は代々変わり者が多くて、たまに奇妙な特技というか、おかしな体質が備わった人間が出る。
暗がりでも眼が見える、足音を立てずに歩ける、物凄く反射神経が良い━━━━等々、主に猫寄りな能力で。
あたしの『猫が人間に見える』というのも、多分それ。
その辺の原因というか、異能の由来については、なんとなく思い当たる部分がなくもない。
あれよ、あれ。家の敷地の一角にある、猫を祀る祠。
かなり昔の話らしいけど、この辺り一帯が農作地だった頃。
野ネズミの大繁殖で畑の作物が荒らされ、何年も飢饉が続いた際に、村の飼い猫達がネズミの駆除にかなり貢献した事から、猫を農業の守り神として祀ったらしい。
猫屋敷家は当時の村長の家系だとかで祠の維持管理を任され、ついでに猫達の世話も任された。
“猫屋敷”というのはそこからきた屋号で、後に屋号がそのまま名字になったもよう。
「ねぇ、おかーさん。あの祠ってなんか御利益あんの?」
「うーん・・、猫が寄ってくる、とか?」
「それ、御利益?」
「あたしにしてみたら十分御利益っていうか、御褒美?」
「そっか」
お母さん、どんだけ猫好きなの。
クロとクガネ、シロガネの三人は仔猫同士だから仲良くなるのも早かった。
成猫だと縄張り意識が強くて、新入りが馴染むまでには大抵時間がかかる。
二人がうちに来て一週間目には、三人して団子になって縁側で昼寝をするまでになった。
日中は庭を駆け回ってよく遊び、夜は全員あたしの布団の上で丸くなって眠る。
おかげであたしは全然寝返りが打てないから、一晩中おかしな格好で休まなきゃならなくて、毎日全身筋肉痛だ。
可愛いからゆるすけど。
そして夏が終わる頃、来た当時やつれてヨレヨレだったクガネとシロガネは、すっかり元気になって健康そのものの美少年になった。
和猫のクロはヤンチャな男子って感じだけど、長毛種の二人はどことなくお上品で良家のお坊ちゃま的な雰囲気。
『クガネ、シロガネ、ズルい!タマの膝はクロのなのに!どいて!』
『やぁだよ、クロはいっつも珠緒の膝を占領してるだろ。ちょっとぐらいいいじゃないか』
『そーだそーだ』
『ダメぇ!タマはクロのなのーー!』
「・・・重っ」
「おやおや、うちの娘は人気者だね」
「おとーさんタスケテ、重い」
この頃めっきり体重が増えて重くなった仔猫三匹に、膝や背中にのしかかられて身動きがとれないあたしを見てお父さんがのほほんと笑う。
「それじゃあ三人共おやつをあげよう。とりささみ味とマグロ味のどっちがいいかな?」
お父さんが細長いスティック状のおやつを取り出すと、弟達の目の色がキラーンと輝いて、視線がそれに釘付けになった。
さすが“ちゃ○ち○〜る”!
こうかはばつぐんだ!
仔猫の成長するスピードはとても早い。
人間と違って一年も経てばもう成猫の仲間入り。
あれから秋・冬と季節が巡って二度目の春を迎えた弟達は、今や立派な美猫に育ち、ご近所の雌猫達から熱い視線を向けられるようになっていた。
『ぼくは珠緒一筋だからね』
『クガネ、ずるい!ぼくだって!』
『ちっ、がーーう!タマの一番はクロ!』
「あー・・ハイハイ」
人型の美猫達にもみくちゃにされながら、あたしは物凄い微妙な気分に陥った。
いくら図体がでかくなっても、可愛い弟には違いない・・・けど。
目に映る姿は依然として人間のまま。
この形でスリスリペロペロされちゃった日には、絵面的に非常に具合がよろしくない。
自分以外の人間にはちゃんと猫に見えてるから、何も問題無いっちゃあ何も問題無いんだけどさ━━━。
三人共成猫になったのに、なんでいつまでも人間の姿に見えるんだろ。
いままで出逢った仔猫達はみんな、大きくなると普通に本来の姿で見えてたのに。
ある晩なんとなく眠れなくて、一人で夜の庭をぶらついてたら、例の猫神様の祠に人の気配がした。
━━━いたのは『人』じゃなかったけど。
あたしには見覚えのある顔だった。
( ポイ捨て女・・! )
そして何故か、その場にはクガネとシロガネもいた。
「二人共、とても大事にされているようね。魂の修復が予想よりずっと早く進んでいるから、この分なら遠からず転生が叶いそうよ」
『『・・・・・』』
「あら、あんまり嬉しくなさそうね?」
『それは・・。そういう規則なのはわかってるけど・・』
『ぼくはまだ転生しない。ここにいたい』
『シロガネ、それはぼくだって・・』
会話の内容はさっぱり理解できなかったけど、あたしはなんだか嫌な気分になった。
あの女、勝手にうちの庭に仔猫を放り出してったくせに、今度また家主に何の断りもなく、二人を連れ去ろうっての。
怒鳴り込んでその場に乱入してやろうかとも考えたけど、・・・できなかった。
きっと、あたしの知らない“何か”がある。
離れた位置での盗み聞きとはいえ、こっちは隠れてるわけじゃないのに、それにも気付かないぐらいあの二人は会話に集中してて。
そして多分、あの女はあたしに気付いた上で、話を聞かせてる。
「大事なことだから急がせたりしないわ。あなた達がここで猫としての一生を終えてから、転生するのでも構わないの。ただ思ったよりずっと早く傷が癒えているから、私はいつでも転生可能なことを伝えに来ただけ」
『ぼく達は・・』
『ここにいたい』
「そうね、何事にもタイミングってものがあるわよね」
三人の会話はそれで終わったけど、『何』について話してたのか、あたしにはいまいち理解でかなかった。
ただクガネとシロガネの二人が、この家に残ることを選んでくれたことはわかった。
それは素直に嬉しかったけど。
喉の奥に魚の小骨が引っかかったみたいに、イガイガした気分になった。
これまで猫屋敷家には色んな猫がやって来た。
家猫になって天寿を全うした子もいれば、いつの間にかふらりと姿を消した子もいる。
・・・猫は気紛れな生き物だ。
クガネやシロガネもいつか、どこかに行ってしまうのかもしれない。
そう思ったら、あたしはなんだか無性に寂しくて仕方がなかった。
だけど別れは大抵いつも突然やってくる。