暗い館でかくれんぼ
SNSでトレンドを追っている時、ある人気急上昇中アイドルの炎上が上位になっていた。
興味も無かったので、そのままやり過ごそうと思ったが、その炎上中のアイドルの顔写真がタイムラインにもあがっていた。
「どっかで見たことあるなぁ‥‥‥」
私は安売りされていた赤ワインを適当なグラスに入れて、口をつけた。
私が小学生の頃だった。友達の少ない私はよく家に籠ってゲームをしていた。ゲームに飽きたからといってすぐに新しいゲームを買ってもらえるような家庭ではなかったので、ゲームに飽きると私はあてもなく外出した。
門限は午後五時~六時で「夕飯には戻って来なさい」、というもの。季節にもよるが、暗くなってきたらきちんと家に帰っていた。
夏休みのある日、我が町内を徘徊していると、珍しい家を見た。
ごく普通の住宅地で、どれも同じような家が並ぶ中、異様に暗い家があった。
壁はレンガなので、赤焦げた茶色なのだが、随分暗い。黒いというかぼやけて見える。
その家の周囲を木々やツタが生い茂っていて、赤レンガの塀に無理やり家と緑を詰め込んだかのようだ。暗くて狭苦しい。牢獄のような家は周囲の干渉を避けるためにそうしていたのだろう。これでは誰も近づけない。近づかないでくれ、と言っているようだった。
私は臆病だったので、その異様な館を見つけて恐怖にかられた。しかし、二階の窓のあたりにちらちらと映る少女の影が見えた。赤煉瓦の壁にはめ込まれた大枠の窓には鉄格子が付けられており、植物のツタが絡まっていたので、見えにくかったが確かに少女だった。
薄い色素の細く長い髪、ぴょこぴょこと少女が動くたびふわふわと揺れている。簡素な白いワンピースと白い肌が溶け合っている。あまりに暗すぎる空間の中で明かりが一つだけ灯っているように見えた。今考えると、椅子か何かの上に立っていたのだろう。でなければ彼女の全体像がわかるはずもない。
私は胸をときめかせていた。
彼女がとてもかわいらしい少女だったこともあったが、どうも困っている様子だったので、何とか助けてあげたくなった。本の中の騎士、英雄になりたいといつも思っていた。
私は暗い館の周囲をとりあえず回ってみた。裏側が雑木林になっており、木々の隙間から館が見える。雑木林に侵入し、しばらく歩いていると、庭に出た。白い丸テーブル一つに、白い椅子が二脚。どれも細かい装飾が施してあって、大人が座れば壊れてしまうのではないかと心配したくなるようなものだった。
「あら、どうしたの? こんなところで」
私は急に背後から声をかけられた。
気が動転し、叫ぶこともできないまま後ろを振り向くと、随分痩せたおばあさんが立っていた。
「まぁまぁ、可愛い男の子ねぇ。迷い込んだのかしら。この雑木林は危ないわよ。さぁ、こっちへおいで」
ゆったりとした洋服をきたおばあさんは、満面の笑みを見せて手招きをしていた。
特に怪しい様子も、恐ろしさも無かったので私は素直に謝り、彼女の後へついていった。
「二階に女の子がいるの?」
「えぇ。私の娘なのよ。そうだ。彼女の遊び相手になってくれる? 人形以外に遊び相手がいないのよ、あの子」
「わかりました」
私はとても嬉しかった。家の人に認められたのだから、堂々とあの女の子と遊ぶことができる。
「じゃあ、ここに鍵があるから。この階段を上がって左、突き当りにあの子の部屋があるからね」
私は意気揚々と階段を昇って行った。
家の中も外と同じ印象で、とても暗かった。わざと明かるさを弱めているのか、電球もぼんやりとしか光っていない。私は辺りをきょろきょろと見回した。暗いためか非常に広い空間にも見える。
目的の部屋はすぐに見つかった。
私は鍵穴に先ほどの老婆からもらったカギを差し込んだ。当時は何も気にしていなかったが、そのカギは南京錠であった。
部屋のドアを開けると騒々しい音がした。先ほど外から見えた少女が息を弾ませてこちらを見ていた-る。大事そうに西洋人形を抱いていて、ブロンドの髪がまっすぐに伸びた、酷く無機質な顔。しかし、非常に透き通ったブルーの瞳は有無を言わせないほどの美しさを主張している。
「‥‥‥?」
何も言わないが、私のことを不審に思っているのはわかる。震えているようにも思ったので、私は彼女を安心させようと思って
「うんと、窓から君が見えて。遊びに来たの。おばあさんが君と遊んでほしいって」
「‥‥‥。‥‥‥‥‥‥」
私は不思議に思った。日本語が話せないのだろうか?
「君、名前は? 僕は‥‥‥」
私は名前を名乗った。
「エミリ」
「エミリちゃん」
名前を自分で呟いてみると、妙に恥ずかしくなって私は頬に熱を感じた。
よく考えればそうそう女の子と遊ぶ機会などなかったのだ。勢いでここまで来てしまったことを少し後悔もしたが、血流の速さと熱にまかせ私は彼女に近づいた。
きちんと日本語が分かるようで助かった。
「おばあさんにね、君と遊ぶように言われたんだ。何しようか?」
「‥‥‥‥‥‥」
彼女は黙って人形を差し出した。おままごとなんてやったことがない。
「かくれんぼは?」
「‥‥‥」
こくりと頷いた。
「じゃあ、かくれんぼしようか」
「‥‥‥」
「じゃあ、そうだなぁ。僕はこの家のことを知らないから、エミリちゃんが鬼で」
「‥‥‥」
「あ、鍵がかかっている部屋はなしね」
「‥‥‥」
また頷いた。
「よし、十数えるからその間に隠れてね。いくよ」
私は大きな声でゆっくりと数え始めた。パタパタと軽い足音はすぐに聞こえなくなった。
十数え終わると私は先ほど少女と話した部屋を見回した。話している時は少女に意識が向いていて気付かなかったが、改めてみると物寂しい部屋である。ベッド、タンス、鏡、クローゼットなど、これと言って不足しているものがあるわけではない。どれも高級そうだった。勉強机と本棚には難しそうな本が並んでいる。どこの国の文字だろうか? そう思うと、少女らしいものは彼女の抱えている人形くらいなものか。
私は彼女を探し始めた。
部屋を出ると、入った時よりも暗くなっていて、恐怖を感じた。早く見つけて帰ろう、と思った。エミリと友達になりたかったが、また後日尋ねればいいだろう、と思った。
二階の廊下を恐る恐る歩き、並んでいる部屋に入ろうとしたが、どれも鍵がかかっている。突き当りの部屋だけ鍵が開いているようだったので、私は中へ入った。
埃っぽい匂いのする部屋は真っ暗だった。電灯のスイッチを入れると、私は息を飲んだ。
壁いっぱいに女性、女の子の絵画が飾ってあった。部屋中には画材と描きかけの絵が無数に散乱していた。壁の中の女性はみんな美しく、微笑をたたえているが、どこか寂しそうでもある。子供ながらに素晴らしい絵だと思ったが、数が多すぎた。こちらを見る首の数が多いだけに気味が悪く、一刻も早くここから出ようと思った。
「どうやってここに入った?」
声のする方へ向くと、杖をついた男が立っていた。
私は胸が痛くなるほど驚いたが、それほど慌てなかった。おそらくこの人がこの家の主人だろう。暗いが、白髪をきっちりと整えているのが見える。暗いので黒く見えるが、おそらく赤色のセーターを着ていた。熱くないのだろうか?
「裏の雑木林で迷っていたら、庭に出たんです。そしたらおばあさんに会って、エミリちゃんと遊んでくれって頼まれて‥‥‥」
私は考えておいた言い訳を述べようとした。
「ふざげるな! この家にばあさんなどおらんわ! 嘘をつきおって! どこの子供だ? いや、エミリの名前を何故知っておる? ‥‥‥まさか」
おじいさんは私の事などどうでもよくなったかのように振りかえり、エミリの部屋へ向かった。杖をついていたが、それほど動きが遅いと思わなかった。今思えば、おじいさんの気がそれた時、さっさと逃げ出していればよかった。
私はおじいさんの後をついていった。
「鍵、鍵が、‥‥‥」
ぶつぶつとつぶやいている。部屋に入ったおじいさんはあたりを見回して、妙に甘ったるい声を出した。
「エミリー、エミリー、どこに行ったんだい? お父さんが帰って来たよ? その可愛い顔を見せておくれ?」
気味悪いほどの甘い声が暗い部屋の中で虚しく響いた。
「どうして鍵が開いている?」
私に言ったのだろう。
「おばあさんに鍵をもらったんです」
もらった鍵を差し出すと、おじいさんは左手で受け取った。体を支えている杖は右手に握られている。
「エミリは?」
「かくれんぼをすることになって、その途中でおじいさんが‥‥‥」
磨き上げられているためか、この暗い部屋の中でもおじいさんの杖はわずかに光った。光らなければ、私はどうなっていただろう?
おじいさんは振り上げた杖を真っ直ぐに私に落とした。何とかその杖を避けたが、全身が震えていた。老人は杖で殴った勢いで倒れた。
「お前も殺してやる」
顔をあげた老人の顔は暗がりでもはっきりとわかるほど殺意が表れていた。充血した目と少し濁った瞳が私を真っ直ぐに見据えている。
私は間髪入れずに走り出した。
「エミリ! エミリ! おばあさん!」
私は叫んだ。彼女達と一緒に逃げた方がいい。殺される。
走って逃げようとしたが、緊張と焦りで思うように進まない。足に力が入っていないのだ。
後ろからは杖で床を叩く音が聞こえ、それが徐々に近づいてくる。追いつけると確信しているようだ。
私はすぐに、入ってきたキッチンに向かい、裏口に向かった。鍵は開いているが、開かない。外で何かがつかえているのかもしれない。私はすぐにその作戦を諦めて、周囲を見回した。目についた床下収納の中に隠れた。中は空っぽだった。
「‥‥だ! どこ‥‥‥だ‥‥‥!」
杖の音ははっきりと伝わってくる。老人の怒鳴り声と何かが落ちたり、割れる音が聞こえた。キッチンに置いてあったものをなぎ倒しながら私を探しているようだ。
しばらくすると、老人は諦めたのか、音が徐々に聞こえなくなった。
私はゆっくりと床下から出て周囲を窺った。
右頬に固いものがぶつかって、視点が明滅した。
「子供はバカだ。特に男の子供はな。汚らしいくせに、愚かだ。そしてこらえる理性がない。動物だ。こんな野生の動物にエミリを逃がされるなんて‥‥‥」
私は朦朧とした意識の中で死を感じていた。死を感じることは人間の本能で、子供も大人も関係がない。当時の私は、自分の存在が消えることを流れる涙とともに直感していた。
「エミリ‥‥‥」
老人が呟いた。彼の視線の先にエミリがいるのだろうが、倒れている私には見ることができなかった。
「おぉ! エミリ! 戻ってきてくれたんだね! よかった‥‥‥、本当に良かった‥‥‥。君は私を愛してくれていたんだねぇ‥‥‥」
老人は私の事など忘れて涙を流し始めた。
「嫌い」
「え?」
「嫌いよ」
「そ、そんな酷いことをいわないで、こっちへ来なさい‥‥‥」
「嫌」
「‥‥‥。とにかくこっちへ来て、その可愛いお顔を見せておくれ‥‥‥」
私は何とか痛みを我慢しながらよろよろと立ち上がった。
エミリは青い目の人形を抱え、老人の方を直視している。
老人はゆっくりとなら杖無しでも歩けるのか、エミリに近づいていく。
「バイバイ」
そういって、エミリは自分のポケットから何かボールのようなモノを取り出し、老人の顔面にぶつけた。そのボールは弾け、液体が老人の顔をおおった。
文字に起こすことが不可能なほどの絶叫が家の中に響き渡った。
エミリは私の方へ駆け寄り、手を取った。
「こっち」
引っ張られながらついていくと子供が一人通れるぐらいの小窓があり、そのガラスは奇麗に割れていた。
暗い道を走り、街灯がある場所まで行くと、彼女は私の手を放していった。
「この子があなたを助けた方がいいって言うから、助けてあげたの。良かったね」
エミリは人形の頭を撫でながら笑った。
エミリの感情は、思ったよりも死んでいた。
老人は逮捕された。
あの暗い館の主人はヨーロッパのある国からエミリを誘拐して来たのだという。そしてエミリをあの部屋に軟禁していたのだ。その後の老人の供述では絵のモデルにするつもりで誘拐したとのことである。恐らく、あの部屋の絵画は老人が描いたものなのだろう。そしてあの館の庭の土の中には女性の死体が埋まっていた。彼の妻だった。
私はできるだけあの日のことを思い出さないようにしていた。両親もそのことについて触れようともしなかったから、あの日別れた後、警察に保護され、本国に帰ったこと以外はエミリについて何も知らない。
「あぁ、あの人形に似てるんだ」
真っ直ぐなブロンドの髪に、絶対服従を強いるような輝く青い瞳。
エミリは人形に感謝するように言った。確かにエミリは私など置いて逃げた方が危険は無かったのである。わざわざ私を助ける理由はない。あの老人はエミリにも、おばあさんにも恨まれてたのだろう。人形に恨まれていても何も不思議じゃない。
SNSでの騒ぎは、収まりそうにない。
エミリは私とそう年齢は変わらないはずだ。今は本国で結婚して、娘もいることだろう。人形にかまっている時間も無いはずだ。
「‥‥‥。とりあえず曲でも聞いてみるか」
私は人形が生き生きとした笑顔で歌い踊る動画をしばらく見続けていた。