三股不倫令嬢はモンペ猟師に救われる
一体どうしてこんなことになってしまったのかしら……
まさか、あの男爵令嬢とアラン王子を追放したその日に、私自身が婚約者以外の男性二人と体の関係を持ってしまうなんて……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二人に処分を告げた後、パーティー会場から立ち去る私に、ダニエル近衛兵長が走り寄り、声を掛けて来られました。
「イザベラ様! あなたが婚約破棄されたと聞いて、じっとしていられず駆け付けました! 気を落とされているでしょうが、安心してください! 私があなたを必ず幸せにしてみせます!」
彼には情報がまだきちんと伝わっていなかったのね。それにしても幸せにするというのはどういうことかしら? などとぼんやり考えていると、彼が突然私の手を取り、その甲に口づけをしました。
「えっ……」
ひ、ひええええええええ!!!!!
そ、そんな!
どうしていきなり破廉恥なことを!
しかもこんな人目に触れるところで!
信じられませんわ!!! 私、初めてだったのに!!!
既にクリス様という新たな婚約者までいるのですよ!!!
もし……万が一……妊娠してしまったらどうするというのですか!!!
完全にパニックに陥っている私に構わず、ダニエル様は相変わらず熱っぽく語っていらっしゃいますが、ほとんど頭に入ってきません。
「実は、ずっと以前からあなた様をお慕いしていたのです。ですがアラン王子という婚約者がいらっしゃる手前……えっ……ちょっと! どこへいかれるのですか! 待って下さいイザベラ様!」
居ても立っても居られなくなった私は、ダニエル様の制止を無視してその場から走り去りました。頭の中では、いつぞやのメイド長メアリーの言葉を思い返していました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『良いですか、イザベラ様。今日は大事な性教育についてお伝えします』
『性教育……?』
『ええ。思春期の男というのは魔獣のようなものなのです。ほんの少しでも気を許してしまうとあっという間に取り返しのつかないことになってしまうのです。彼らに手を掴まれるというのは接吻と同じようなものです!』
『し、知らなかったわ!』
『ましてや手の甲に口づけや、腰に手を回す行為なんて、ほとんど男女の契りそのものと言っても過言ではありません! 学園生活では、どうかくれぐれもお気を付けくださいね!!!』
『なんと恐ろしいのでしょう……ええ、分かったわメアリー!』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ああ、あれほどまでメアリーが真剣に忠告してくれていたというのに。ダニエル様からの一方的な行為ではあったけれど、気を張っていれば十分避けられたはずだわ。あの二人に処分を命じたことで、心中が嵐のように荒れ狂っていたのがいけなかったのね。
彼らの自業自得だと分かってはいたけれど。公衆の面前で何度もあんなことやこんなことを……。ああ、思い出すだけで腹立たしい。それなのに私も彼らと同じ、いえ、それ以下の破廉恥な行為に及んでしまうなんて……一体どうすればいいのでしょう。
考え事をしながらとぼとぼと歩いていたところ、気付けば庭園のベンチの前に辿り着いていました。いつも悩み事がある時は、ここに腰かけて一人で綺麗に咲き誇る美しい薔薇を眺め、心を落ち着かせるのが習慣になっていましたから。
「探しましたよ、イザベラ様! ああ、貴方様の辛そうなお顔を見ると、私の胸も張り裂けそうです。お話は全て伺っていますよ。でも大丈夫……これからは、このエレンが命に代えても貴方様をお守りいたします!」
どうしてこんなところにエレン辺境伯令息が? それより何だかこのセリフ、デジャブを感じるような……などとぼんやり考えていると、彼が唐突に私の手を取り、その甲に口づけをしました。
「いっ、いっ、いやあああああ!!!」
「ちょ、ちょっとイザベラ様! どこへ行かれるのですか!?」
私の人生は、もうお仕舞だわ。一日、いえ、たった数時間も立たないうちに婚約者以外の二人の男性と体を重ねてしまうなんて。エレン様が『お話は全て伺った』と仰ったのは、きっとダニエル近衛兵長との逢瀬を誰かに見られて噂が既に広まってしまったということでしょう。だからこそ貞操観念を持ち合わせていない、軽はずみな女だと思われて、いきなりあんなはしたないことをされたのだわ。
……もう私の将来は、こうやって殿方の慰み者になるしかないのね……
……それでも、最後に王宮で自らの罪を正直に陛下と王妃様、そしてクリス様に懺悔しなければ。ルイズ嬢とアラン様を追放した以上、せめて私もケジメだけはつけるべきでしょう。
ショックのあまりふらつきながらも王城へと足を運びました。
「どうしたんだイザベラ嬢、そのように真っ青な顔をして」
「本当だわ! それにドレスも泥だらけで所々破れているではありませんか?」
「まさかルイズ嬢や兄上の手の者に乱暴されたのか!?」
「……いいえ……私は、皆様にただ懺悔をしに参ったのです……」
何のことか分からず陛下も王妃様もクリス様も、揃ってぽかんとしている様子。王宮までは、まだ噂が届いていなかったようですね。私自身の口から話せて良かったと思うべきでしょう。
「……私は、クリス様という婚約者がありながら、二人の男性と肉体関係を結んでしまったのです!」
「「「えええええ!!!!」」」
驚いて絶叫する皆様。王妃様に至っては白目を剝いて気絶なさってしまわれたようです。
「そ、それで、相手は誰なんだ?」
「……ダニエル近衛兵長とエレン辺境伯令息です」
「何だと……あの二人、ただでは済まさんぞ! ダニエルめ、君主を守る近衛兵の長という立場でありながら、未来の王太子妃をたぶらかすとは……国境で外敵から国を守護する辺境伯とも数百年に渡る王家との信頼関係がありながらエレンも何を考えている!……その様子から察するに、イザベラ嬢は奴らに無理矢理襲われたのだな!?」
「……確かに一方的ではありましたが……私がもっとしっかりしていれば……」
「いいえ、イザベラ嬢は悪くありません!! 彼女は普段から異性の手を濫りに触れることさえしない、まさに淑女の鑑のような女性です! 父上の仰る通り、兄上に裏切られ、傷ついた彼女の心の隙を狙ったに違いありません!!! 何と極悪非道な卑劣漢どもだ!!!」
その時、広間の入り口から、当のダニエル近衛兵長とエレン辺境伯令息が慌ただしく駆け込んで来られました。
「イザベラ様! 先程は申し訳ございませんでした! クリス様とのご婚約について存じ上げなかったもので、とんだご無礼を致しました!」
「私も、貴方様を心配するあまり、つい先走ってしまい、大変失礼致しました!」
「無礼に先走りだと!? ふざけるな痴れ者共めっ!! そんな言葉でお前達の薄汚く悪辣な罪が許されるとでも思っているのか!?」
普段は至って温厚な陛下の怒声に、たじろぐ二人。けれど、私も同罪なのです。一方的に責められる二人を庇うため声を上げようとしたその瞬間、
「てめえらあああ!!!ルイズをどこにやったあああ!!!!」
「今度は一体何なんだ……」
大音声とともに強引に蹴り開けられた扉。現れたのは両手に大きな何かを引き摺っている、全身血まみれの得体の知れない男でした。その手に捕まれているのはよく見るとボロボロになった二人の近衛兵でした。
「ひいいっ」
そのあまりにも恐ろしい様相に、ようやく意識を取り戻した王妃様はまた気絶してしまわれました。
「俺は、ルイズの父親のシカールだ! てめえらのせいで大事な愛娘が国外追放されたとクソ男爵夫婦から知らせを受けて飛んで来たんだ! 一体何のつもりだ馬鹿野郎!!!」
「き、貴様こそ礼儀を知らぬ狼藉者が! 覚悟しろっ!!!」
近衛兵長としての職務を思い出したダニエル様がシカールさんに飛び掛かりますが、あっという間にタコ殴りにされ、ぐったりとした隙に首根っこを掴まれ放り投げられました。
人ってあんな風に綺麗に飛んでいくものなのですね。現実離れした光景に、暢気なことを考えてしまいました。ふと我に返った私は、シカール様に声を掛けます。
「シカール様! あなたのお嬢様、ルイズさんとアラン王子の追放を直接宣言したのはこの私です!」
「ああん!?」「ひいっ」
確かルイズさんの御父上は猟師だとお聞きしていましたが、まるで魔獣のような獰猛な両目に鋭く睨まれ、小さく悲鳴をあげてしまいました。ですが、怖気づいていてはいけません。
「……か、彼女が私の婚約者であるアラン第一王子殿下と、公衆の面前で……その……いかがわしい行為に何度も及んだ挙句、王子は創立記念パーティーの最中に、私に対して婚約破棄を宣言したのです!」
「俺は娘をそんな風に育てた覚えはないぞ……そのクソ王子とやらに巻き込まれただけじゃないのか? いかがわしい行為だと? 一体何をしたっていうんだ?」
「ですから……こ、腰に手を回したり……頬に手を添えたり……あろうことか……その……手の甲に……く、口づけをしたり……」
(……ああ……何だか箱入り娘っぷりに既視感があると思ったが、この娘、若い頃のアニーそっくりだな……これだから過保護に育てられた箱入り娘は……)
「……お前、まさかとは思うが、手の甲に口づけするのは交尾みたいなもんだと誰かに教えられたりしたんじゃないか?」
((((一体何を言っているんだ、この男は? イザベラ嬢がそんな馬鹿な話を信じる訳ないだろう!))))
「そ、それぐらいの常識は、私だって教わっております!!」
「「「「ええ……」」」」
陛下、クリス様、ダニエル様、エレン様、四人とも口を開けて呆然としていらっしゃいます。まさか皆様こんな当たり前のことをご存知なかったのでしょうか。いえ、少なくとも二人の王子の父でいらっしゃる陛下はそんなことないはずですが……。
「そ、それでは君がダニエルとエレンに襲われたと言ったのは……」
「ですから、お二人ともいきなり私の手を取って……強引に……」
「……まあ、そういうことだ。後で誰か適当な女に頼んで、その嬢ちゃんが出来るだけ傷つかないよう、丁寧に色々と教えてやるこったな。本来なら、バカ王子に巻き込まれただけのうちの娘まで一緒に勘違いで追放した責任を取ってもらいたいところだが」
ジロリと睨まれ、思わず体が縮こまります。
「その嬢ちゃんも過保護なバカの被害者ってことで勘弁してやる。てっきりルイズが魔獣と間違えて人でも撃ったんじゃねえかと心配して駆け付けたんだが、そうじゃなくて安心したぜ」
バコッ!!! 「ぐおっ!!!」
ボキッ!!! 「ふぐぅ!!!」
ドカッ!!! 「ほげぇ!!!」
「もともと隠れて引き籠っていたせいで鈍った体を動かすのと、ルイズに釣り合うぐらいタフな婿探しとストレス発散のついでに暴れただけだからな。それにしてもここまで手応えがない雑兵ばかりだとは……」
一瞬だけ王妃様が目を覚ましましたが、後から応援に駆け付けた近衛兵達をばったばったと殴り飛ばしながら、何事もなく会話を続けるシカールさんの姿を見て、三度気を失われたようです。
「まあ、この俺が直々に鍛えた娘なんだ、あいつにすればちょっとした国外旅行みたいなもんだろう。ついでにいい男でも見つけてとっ捕まえてくれば儲けもんだろうが……おっ、そうだ! いいこと思いついたぞ! ……おい! てめえいつまで居眠りしてやがる!!!」
気絶したダニエルさんの頬を何度もはたいて目覚めさせ、何事か尋ねていた様子のシカールさん。
「……そんじゃあ、俺は非番のゴードンとかいう近衛兵の元に寄らせてもらうぜ。少しは脅し甲斐があるましな男だといいんだが。まあ、兵長がこの体たらくってことは、ゴードンとかいう奴も、ルイズの婿候補なんてとても務まらないだろうなあ……だらしなくのびているこいつらには訓練つけてやったってことで、勘弁してくれよ」
当然誰も彼を止める術は持ちませんでしたので、黙って見送るよりほかありませんでした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それからの出来事はあまり思い出したくありません。まさか、全て私が勝手に勘違いしていたことだったなんて。恥ずかしくて思わず真っ赤になった顔を両手で覆い、床をゴロゴロと転がってしまいました。その後、陛下、王妃様、クリス様、ダニエル様、エレン様、ご迷惑を掛けた皆様にお一人ずつ誠心誠意謝罪いたしました。
もちろん改めてシカール様にも平身低頭して、すぐにルイズさんの処分を取り消し、迎えを送るよう手続きする旨をお伝えしたのですが、既に手は打ってあると仰って、お断りになりました。
それから、お父様、お母様や執事長を含め沢山の方から叱責されたメアリーは必死に謝ってきましたが、一ヶ月は口を聞いてあげないことにしました。
「そ、その……クリス様……やはり……まだ私達には……手の甲に口づけは早いのではないでしょうか?」
「何を言っているのですか、イザベラ嬢。もうあの誤解は解けたはずでしょう?」
「それはそうなのですが……まだ……その……心の準備が……」
今は出来るだけ自然にクリス様と接する練習中ですが、まだまだ時間が必要みたいです。