56 ビギナーズラック
俺の朝は早い。夜明けの一時間前には目が覚める。
ベッドサイドの光る石に魔力を通すと、ぼんやりと部屋全体が電球色の暖かい色で包まれる。
考えてみたら魔力のないセフィアは、この作業すら出来ないのだ。俺にも二年間魔法が使えなかった経験があるので、その不便さは良く知っているが、魔力を使う日常に慣れてしまうと当たり前になってしまっていた。
そのセフィアは、まだ俺の横で良く眠っていた。可愛らしい寝顔だ。
この女性が、俺の妻になったんだと改めて実感がわき、横を向いてその寝顔を見つめていた。
俺にとっては、この世界でたった一人の家族だ。そっと、頬に口づけをして布団を掛けてやり俺はベッドを出た。表に出て満天の星を眺める。今日もいい天気だ、降ってきそうなくらいに星が輝いている。
亜鉛メッキの反射板を取り付け、光る石を埋め込んだヘッドライトを頭につけ、俺は釣りの用意を始める。と言っても、釣り道具が入ったアイテムボックスを腰に付けるだけだ、アイテムボックスの中は空間が自由に変わるのか、六メートルの長い竿がすっぽりと入る。
森を抜けるのに、長い竿を持つ必要がないので、本当に便利だ。
さて行こうかと思ったところで、扉が開き、着替えたセフィアが出てきた。
おはようのキスを交わす。
「釣りでしょう? 私も連れて行ってください」
「大丈夫か? 魔物が出るかも知れないぞ」
「あなたが守ってくれるから、大丈夫」
「じゃぁ、一緒に行くか」
俺はセフィアの手を引いて出発する。
「うふっ! 楽しいです!」
「歩いているだけじゃないか」
「それでもです!」
ほんと、うちの嫁は革命の時とは人が変わったようにデレデレじゃないか。いや、俺も僅か一日で、同じなんだけれど。仲良く手を繋いで、魔物の出る森をデレデレしながら歩いているバカップルは? そう、俺たちです!
釣り場に着いた、俺はアイテムボックスから竿を取り出した。
「そのアイテムボックス、凄いですね!」
「うん、海野さんに貰ったんだ」
うちの嫁のマッドサイエンティストの血が騒ぐのか、しきりにアイテムボックスを気にし始めた。ボックスの中身で見られて困るのは、亜湖ノートの袋とじページくらいのものだが、見るのはいいけど、壊さないでくれよ!
「ここからは、静かに!」
唇に人差し指を立ててセフィアに言う。
「はい」
テンカララインを竿にセットし、フライを付け、腰にランディングネットを下げて、岩陰からキャストする。
「フィッシュウインドウと言ってね、水の屈折で見える範囲が広がるから、魚からはこの竿の長さ以上離れていないと、こちらが見えてしまうんだ」
「そんなに遠くまで見えるものなのですか?」
「うん、魚の後方は死角になるけど魚は動きまわるからね」
水面をチョンチョンチョンとフライを弾ませるように動かす。アルバルスがやっていたテクニックだ。
バシュッ!
水面に小さな水しぶきが上がり、竿に重みが伝わる。
「食った!」
右に左に走るのをいなし、水を切ってランディングネットで取り込んだ。
ブルーバックだ。三十五センチくらいだろうか。
「すごい! 初めてみました。綺麗です!」
「ブルーバックって言うんだ。前の世界のニジマスという魚の一種だな。昨日食べた魚だぞ」
俺は絞めて、アイテムボックスに仕舞う。
「セフィアも釣ってみるか?」
「いいのですか? 釣れますかね?」
「さぁ~? それは釣ってみないとわからない。ちょっと待ってて」
俺は、靴を脱いで川に入り、網を構えて石を捲って川虫を探す。
「いたいた。これが奴らの好物なんだ」
少しミョミョルに似ているが、嘴が付いている。日本でいうクロカワムシに似た幼虫だ。たぶん孵化するとヒゲナガトビゲラみたいになるんだろう。数匹捕まえ、場所を上流に移動した。
竿に、テグスを付け、木の実で作った玉ウキを、ゴム管を通してつけ、鉤と鉛の錘を付ける。クロカワムシもどきを刺した。
「さぁ、セフィア釣ってみな。この赤いのが水に沈んだら食ってるよ。ちょっと手首だけで上に返して、後はゆっくり寄せてくればいい」
「あなたのとは、違いますね」
「うん、初心者にはこの方が簡単だからね」
「では、釣りますよ」
「竿を立てて、糸を持って川に向かって寝かしながら糸を放せばいい。そう! うまいぞ!」
セフィアの初めてのキャストは、上手く流れに乗った。プカプカと浮きが流れてくる。流れの淀みに差し掛かった時だった、浮きがキューンと沈みこんだ。
「キタァ~!」
「キャ~!」
これは、大物だ! たぶん四十センチを超えている。
「無理をせず、強引に抜こうとするなよ!」
瞬間記憶能力の成せる技なのか、先ほど俺がやったのと同じように、いなしながら魚を弱らせている。
「よーし、よし! 大人しくなった。静かにこっちへ寄せてくれ」
俺は水中にネットを構えて待つ。魚がすっぽりとネットに入った。
「へっ?! イワナ? いや、アメマスかぁ?」
緑がかった灰色の魚体に白い斑点が幾つも付いた魚。
でかい! 四十五センチはある。これぞ、ビギナーズラックの賜物?!
「あなたの釣ったのとは違いますね」
「うん、こいつは凄いぞ! こんな魚がこの川にいたんだな! すごいぞ!セフィア!」
訳もわからず、抱き付かれ褒められて戸惑うセフィアだが、嬉しそうだ。
「こりゃぁ~! アルバルスに見せに帰ろう!」
道具を仕舞い、アメマスをアイテムボックスに入れて山を下りた。
「ほぉ~!」
珍しくアルバルスが感嘆の声を上げた。
「ほぉ~!」と何度も言いながら、ひっくり返したり、口を覗いたり、鰭を広げたりしている。
「これは、相当珍しいんだぞ、セフィア」
アルバルスがにっこり笑い、セフィアに握手を求めた。両手で握手している。
「ユウスケは良い嫁を持った」
結局、なんという魚かは分からなかったが、怪魚であったことは、アルバルスの反応を見て間違いないだろう。ビギナーズラック、おそるべし!
「釣りって楽しいですね!」
セフィアは笑いながら、そう言った。




