52 アイテムボックス
人が死ぬのは、現実には実に呆気ないものだ。あの亜湖さんが死んでしまうなんて思いもしなかった。しかも遺体すら見つからない。
「俺たちには、このノートの文字は読めないので、カワハラ大尉が貰ってあげてください」
そう言って、亜湖ファミリーが持ってきたのは、あの亜湖ノートだった。日本語で書いてあるから、確かに彼らには読めない。俺はノートをパラパラと捲って、新兵訓練所で見た時よりもかなり増えているのに感心しながらも、最後の袋とじページがまだ付いているのを見て、笑いながら涙が出て止まらなかった。
「亜湖さん…!」
一番年の近い兄のような存在だった。殴られて蹴られても、尚、夢を見ることを忘れなかった。
釣りが好きで、釣りが上手で、何でも良く知っていて、スケベで…
「亜湖さん、やっと釣りに行けるようになったのに」
「怪魚ハンターになるんじゃなかったの?」
俺は貰った亜湖ノートに涙を落としながら、もういなくなってしまった彼に話しかけていた。
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一年をかけ戦争と革命が完全に終わり、ベイグル国内もやっと落ち着いた。
海野さんは、結局、新しく出来た選挙制度で大統領に選ばれた。ゴーレムを召喚したことで、国民の心に強く残ったようだ。
そこで、スタッフは大統領権限で自由に選べるとのことで、池宮さんを副大統領に、柿沼さんを大統領首席補佐官に、エクレア少尉を国務長官、エスパール伯を外務長官、マッケル将軍を国防長官にとお願いしたが、本人はこれを機会に引退を表明され、ヒルトン中尉を代わりに推された。
アリサは、大統領補佐官を頼まれていたが、断って父と二人で過ごすということだ。
亜湖ファミリーは、解散せずそのまま、アコセイサクショを引き継ぐことになったらしい。ゲルト近郊に大きめの工場を構えて、ガラス、ゴム、自転車、組紐機、その他機械部品を生産しながらも新しい機械を生み出していくそうだ。
俺も、アリサと同じように通商長官を頼まれたのだが、政治には興味がないと辞退した。
政治には興味がないという以前に、俺はこの数年、殺したり殺されたりする戦いの場に身を置く事にホトホト疲れてしまっていた。亜湖さんの死も引き金になったのだが、田舎の小さな村で釣りをしたり、畑を耕したり、本を読んだり、そういうスローな生活に憧れていた。
召喚されてから、死に物狂いで突っ走ってきたこの数年をリセットして見つめ直したいと考えていた。
あれを耐えれたのだから、こんな事ぐらいなんてことはない。と思ってなんでも超えていけるだろうと思っていたのだが、不思議なことに自分の内側から湧きたつ闘志みたいなものが沸いてこないのだ。次の一歩に踏み出せない。そう言えば分かってもらえるだろうか?
俺は、本能的に休息を取るべきだ、と感じていた。
そういう事情で、海野さんの誘いを断り隠匿生活をすることに決めた。
「そうか、裕介君がそう決めたのなら仕方がないね。無理強いはしないよ。そうだ、これを持って行くといい」
そう言って、海野さんがくれたのは、腰に着けるタイプの革製の小さなカバンだった。
「これは、ホフマンの財産没収の時に手に入ったものでね。アイテムボックスというらしい。何でも亜空間の倉庫の中に仕舞っておける道具らしいよ。ミステイクの卒業記念に持って行ってくれ。魚を入れるクーラーボックスの代わりくらいにはなると思うよ」
「もらっていいんですか?」
「そのくらいはいいだろう。命がけで国の為に働いて来てくれたんだから」
「それと、就任祝賀パーティは、必ず来てくれよ。ミステイクの解散も含んでいるから」
「わかりました。今まで、ありがとうございました」
「僕の方こそ、いろいろ手伝わせて済まなかったね。それと、亜湖くんのことも」
「それは、海野さんは不可抗力でしたから、仕方ないですよ」
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草色のシルクのドレスに身を包んだアリサがいた。海野さんの大統領就任祝賀のパーティーに俺は来ていた。軍服のアリサしか殆ど見たことが無かったから、とても新鮮だ。あの母の形見のリーズの腕輪も今日は着けている。
「綺麗だよ。アリサ、良く似合っている」
「やっと言ってくれましたね」
アリサは頬を染めて嬉しそうに言う。
「お父さんと二人で暮らすんだって?」
「ええ、父は心労がたたって立てなくなってしまったので、私が付き添おうかと」
「そうか、それは大変だな。そうだ、車椅子ってのが前の世界にあったんだ。あれを亜湖製作所で作ってもらえ。俺が説明しておくよ」
「クルマイス? 何をする道具ですか?」
「足で立てなくなった人を椅子に座らせて運ぶ道具でね、自分で手で回して動くことも出来る。前の世界では、それでスポーツをする人達だっていたんだ」
「ありがとうございます! そんなことを教えてくれる人はカワハラ大尉だけです!」
「いや、亜湖さんがいたら、同じことを言ったと思うよ」
「亜湖さん… 残念でしたね」
「あぁ、本当に残念だ」
せっかくの就任祝いなのにシンミリしてしまった。
「あら? あなた、その腕輪、ちょっと見せて」
出た! 空気の読めないマッドサイエンティスト!
「セフィアさん。これは母の形見なんです!」
「そうなの? それ、たぶんアイテムボックスよ」
「えっ?! そんな珍しいものだったんですか? でも一度壊れてしまって…」
「毎日、身に着けてなかったんでしょう? 魔力を、ある程度通さないと壊れるのよ」
「そうだったんですか? でも、カワハラ大佐が魔法で直してくれました」
「そうなの… じゃぁ、たぶん大丈夫よ、魔力を通しながら引き出せば、入っているものが出てくるわ」
アリサが取り出したのは、小さな箱だった。
「何かしらこれ?」
箱を開けても何も入っていない。俺は底を見て、ハハーンと思い当たった。底のネジを回して蓋を開ける。
♪ピンピラピラピラピン…
オルゴールだ、この世界にオルゴールがあったとは?!
「綺麗! っていうか、これ母が良く口ずさんでいたメロディーです!」
「オルゴールって言うんだ、蓋を閉めると音楽が止まる。良かったな、これが本当の形見だったんだな」
「はい!」
アリサは弾けるような笑顔で笑った。
これで第1章は終わりです。
1章は、長いプロローグのような章でどうもすみません。
明日から第2章に入ります。
少しづつ釣り道具も増え、釣りシーンも増えてきますので、引き続き気長にお付き合いください。




