171 魔王
翌日、柿沼は桟橋で家族でヘラ釣り、裕介とエスパール、ステファニー、ビスタルクの四人は船で出発した。
「裕介君、この船は凄いなぁ~。かなり速いぞ」
「ミセスセフィアは俺専用の船外機も積んでますからね。アタッチメントを付けたら空も飛べますよ」
「空を…?!」
ステファニーが驚いでいる。
ステファニーはエスパールの従者で、エルベでの釣りの時に同船して初めて釣りをした。あれ以来、ハマってしまったそうで、ミリムセイコウでかなりの道具を買い込んで、暇さえあればエルベのププルの船で出航しているらしい。エスパールの従者達の中で釣り倶楽部を作っているそうで、その会長をやっているそうだ。
「ミリムセイコウは、ダメです。あれは魔界です」
日本でも釣り好きの人達は、釣り具屋を『魔界』と呼んでいる。何を買う気も無くても行けば、いつのまにか何かを買っている。それが釣り具というものであり、行ったら最後、手ぶらで帰れるものではない恐ろしい『魔界』だというのであるが、異世界のステファニーが同じことを言っている。
ステファニーに言わせれば魔界を作った裕介は、魔王だとベイグルの釣り人達には言われているそうだ。この世界なら、本物の魔界や魔王がいそうな気がするが「みんなひどいことを言うな」と裕介が言うと、ベイグルに釣りを広めた裕介を尊敬して釣り人達はそのように言っているんだと、ステファニーは笑っていた。
「だから、私はベイグルに戻ったら、魔王様の船で釣りをしたと仲間に自慢します」
「ぶははは、ユースケ君は釣り人達の間で魔王になっていたのか?! こりゃ、笑える!」
ミリムはそんなことを手紙に書いていなかったが、ミリムセイコウでは釣り雑誌が毎月発刊されているらしい。それを読んだ釣りファンが裕介を魔王と呼んでいるのだとか。
そんな印刷技術がいつの間に出来たのだと裕介が聞くと、グレッグ研究所でアミルの仲間が最初に開発したのだという。絹の布にサファイヤ樹脂を塗って、シルクスクリーンを作ったらしい。そう言われれば、出発して直ぐにアミルに貰ったTシャツのシルバーサーモンの絵を、どうやって印刷したのかと不思議に思ったことがある。あれはシルクスクリーン印刷を既に発明していたのかと、裕介は感心した。最初三人で始めたグレッグ研究所だったが、やはり天才児の集団だった。
その後、同じ人間が凸版印刷を考えたのだそうだ。
その『月刊怪魚ハンター』という雑誌は、ユースケの旅の記録を面白く紹介したものなのだそうだ。それで、昨夜、柿沼が裕介の旅のことを概ね知っていると言ったのだ。
「ミリム~!! 黙ってたな!」
「魔王様は、ご存じなかったのですか?」
「いや、だから俺は魔王じゃねぇって!」
ミリムに釣り具屋を始めさせて、自分は国外に出て釣りを楽しんでいるという負い目が、実のところ裕介にはあった。だから、この程度のことでミリムを責める気も全く無く、それなら、もう少し小まめに情報を提供してやろうなどと思っていた。
ポイントに着いた。魔力感知のソナーには、中層に小魚の群れ、そのかなり下のスレーブルマスの群れが出ている。鰹かと思ったが違うようだ。
「こんな好都合な魚影なのなら、落とし込みをやってみましょうか?」
「落とし込み?」
「ええ、オモリをつけて、中層で小魚をかけてそのままスルスルと底まで落とすんです。すると小魚が二メートルのスレーブルマスに変わるって釣りです」
「つまり、そのスレーブルマスとやらが、釣った小魚を食べると?」
「そういう事です」
「じゃぁ、良いですよ」
その合図で、エスパールとステファニーは、毛鉤のような羽根で擬似餌を付けた鉤にオモリをつけて、船の真下に落とす。
「おっと! 早速、フィッシュオンだ、裕介君」
「私もです!」
エスパールとステファニーが嬉しそうに叫ぶ。
「じゃぁ、そのまま真下に落として下さい」
言われるとおりに、スルスルと落として行く。
釣れた小魚も手応えでは、十五センチほどのそれなりのサイズだと思うのだが、オモリの重さに勝てずに深みまで落ちて行く。竿先は、小魚の動きでビンビンビンと振れまくっている。
裕介の魔力感知ソナーには、落ちていく二匹の小魚とその下にいるスレーブルマスを感知している。
「そろそろですよ! しっかり持っててください」
ズン!
いきなりリズミカルに揺れていた、エスパールの竿先が水中に向かって曲がる。
「おぉぉ~! フィッシュオンだ!」
「巻いてください」
しばらく間をおいてステファニーの竿も大きく曲がった。
「ステファニーさんも巻いて、お義父さんとのお祭りに気を付けて!」
巻けと言われて、簡単に巻けるような魚ではない。二人ともがこのサイズの魚は初めてなのだ。
「むっ、無理… ユースケさん、巻こうにも巻けません!」
「無理ですか? じゃぁ、リールに魔力を通してください」
リールに魔力? 何を言っているんだ? と思いながら言われる通りに魔力を通す。するとどういうことだ、リールが自動で巻き取れ始めた。
「これは?!」
「魔動モーターを利用した、魔動リールです。楽でしょ? 近くまで上がったら魔力を抜いてくださいね」
「これは、楽だ! 少々、醍醐味に欠けるが、こういう場合は良いな」
「あのままだと、お互いの縺れ合ってお祭りしてしまいそうでしたからね」
魔動リールを使っても、ドラグは出るので二十分ほどはかかったが、二人の魚がやっと水面近くまで上がってきた。
「じゃぁ、魔力を切って手巻きしてください」
裕介がここに来てから作成し直した特大のタモ網で、先ずはエスパールの魚を掬う。二メートル程のスレーブルマスだ。続いて、ステファニーのものも、ほぼ同じであった。
「まだ、手が震えます。自己最大サイズです」
「こんな大物が、このように簡単に釣れてしまうとは!」
「えへへ、スレーブル湖もいいでしょ?」