162 出産
爽やかな五月の晴れた午後だった。
セフィアが産気づいた。
「大丈夫か! 頑張れ! 今、グィネヴィアさんを呼んでくる!」
裕介はあたふたと、駆け出して行く。
「お産なら、何度も取り上げているから安心をし」
グィネヴィアが胸を叩いてくれていた。
日本でも、昔は産婆と言えば呪術的な傾向がつよく、赤子をこの世に取り上げると言う特別な人だった。この世界でも、長命で経験豊富なエルフの女性でしかも、魔女であれば産婆としてはうってつけの人材だ。グィネヴィアがここに住めと勧めてくれたのは、鼻っから自分が取り上げてやろうというつもりがあったからかも知れない。
程なくグィネヴィアがやってきた。
「じゃあ、男は表で待ってなさい!」
「お湯とか沸かさなくて良いのか?」
「なんで?」
「産湯とかいるのでは?」
「何言ってるんだい? クリーンナップがあるじゃないか。治癒魔法もあるし、精霊に手伝ってもらうから安心をし!」
「そうか、じゃあお願いします! セフィア、頑張ってくれよ!」
「うーん! はい… あなた…」
気が気でならない。裕介とビスタルクは、表をウロウロ。座ってみたり、立ってみたり。意味もなく家に向かって治癒魔法を放ってみたり。
こういう時のビスタルクは屁の突っ張りにもならない。百年生きても裕介と、いや、裕介以上に狼狽えている。
「オギャー、オギャー!」
赤ん坊の泣き声が聞こえた!
「生まれた!」
「入って来て良いよ」
グィネヴィアがドアを開けて声を掛けてくれる。
「元気な女の子だわ」
グィネヴィアの手に抱かれた、裕介とセフィアの娘。大きなおでこ、親譲りの黒髪、小さな手、未だもの見えぬ目、良く生まれて来てくれた!
ありがとう、セフィア!
そんな思いが込み上げて来て、胸が熱くなっているところへ、グィネヴィアが赤ちゃんを差し出す。
「お父さんに抱いてもらいなさい」
「えっ?!」
怖い。こんな簡単に壊れてしまいそうな生き物。自分が抱いたら死んでしまうのではないか?!
「首だけ動かないようにしていれば大丈夫だから!」
恐る恐る、裕介は赤ちゃんを抱く。生まれたばかりのあまりにも軽すぎる命が裕介の腕の中に移る。
抱いたまま、セフィアのそばに寄る。
「お疲れ様。産んでくれてありがとう」
「生まれてきてくれてありがとう」
セフィアは、赤ちゃんを見ながら優しく微笑んだ。それは、未だ裕介が見た事が無かった母の微笑みだった。
「じゃあ、初乳を飲ませるから、爺さんはあっちに行ってなさい!」
ビスタルクは、そう言われて渋々部屋を出て行った。
「飲んでる! 飲んでる!」
裕介は赤ちゃんの口が動いて、セフィアのおっぱいを飲んでいるのを見ていた。どれだけ見ていても飽きない。この娘の親になったんだ。と言う気持ちでいっぱいだった。
「リーズはどうだろう?」
数日後、セフィアに考えている娘の名前はあるか? と尋ねられて、裕介はそう答えた。
「リーズ… 良いですね」
リーズはこの世界で薔薇と言う意味だ。
「じゃあ、リーズにしましょう。リーズちゃん、ママですよぅ! パパがあなたの名前を付けてくれましたよぅ!」
ドアをノックする音がして、ビスタルクとグィネヴィアがやって来た。
「これは、爺ちゃんと婆ちゃんからの出産祝いじゃ」
ちゃっかりと爺ちゃん婆ちゃんを名乗っている。まぁ、この世界には裕介側の両親がいないので、それでも良いかと裕介とセフィアは顔を見合わせて笑う。年齢的には玄孫と言う歳なのだが。
二人がくれたのは、蔓で編まれたゆりかごだった。エルフの技なのだろうか、とても良く出来ている。
「ありがとう!」
「ありがとうございます!」
「名前は決まったかの?」
「リーズになりました。リーズ・カワハラです」
「ヨロチク!」
裕介がリーズの手を持ち上げて、挨拶する。
一堂に笑みが溢れる。
「それで、この娘の事なんだけどね」
グィネヴィアが改まって、深刻な顔をする。
裕介とセフィアに不安が走る。
「いや、悪い話しじゃないよ」
二人の表情を察して、フォローする。
「この娘の魔力は、とてつも無く強いよ。生まれて数日なのに、もう、うちの家にいても感じるほどの魔力だ」
「そうなのですか?」
「ええ、多分この娘はしゃべり始める前に魔法を使い始めるよ」
「しゃべるより早くですか?」
裕介とセフィアが魔法を使えるようになったのは、後天的なものだったため、二人は産まれる子にも魔力が発生しないことを覚悟していた。これは、嬉しい誤算だったと言える。
「だから、悪用されないように気を付けて育てる事だ」
「悪用ですか?」
「ああ、最悪、攫われるとか、そう言う事だけは無いようにね」
「そう言う輩もいるって事ですか?」
「いるよ。残念だけどね」
裕介は、サーズカルの初任務で殲滅した、人身売買の組織を思い出していた。
「まっ、子育てにこの島を選んだのは、そう言う意味では、大正解だったって話しさ」
「そうですね。ここなら不審者が近づくだけでグィネヴィアさん達が気付いてくれますものね」
「そう言うことさ。あなた達も魔力探知の方法を習得して置いた方がいいよ」
「そうだな、教えてもらおうかな」
「修行をする気になったかの?」
「これだけだぞ」
「フォフォ、良い傾向じゃ」
なんとなく、娘を盾に取られて押し付けられている気もしないでも無いが、娘のためなら仕方ないか。