156 春の息吹き
「やっ、やるじゃねえか!」
モゾルカは唸っている。女房連れで漁業ギルドを訪れた遊び人のような男が、絶対に無理だろうと思っていた魚を獲って持って来た。
しかも、釣り上げたのだと言う。ご丁寧に魚の口には、初めて見る金属で出来た白鳥の格好をしたものに付いた、太い鉤がしっかりと掛かっている。
大魔法使いの夫婦が付き添いで来たのだから、魔法で釣ったのだろうが、こんな男にそんな魔法が使えるとは信じ難い。どうせ担いでいやがるんだろう。
モゾルカがそう結論を出しかけた時だった。
「あれ? ユースケさん?」
そう呼ばれて裕介が振り向くと、ビレイ湖でギガンテス孔雀を退治した時の冒険者のパーティだった。
「また、こんなバケモノを釣ったのか?!」
呆れ返る顔で見ている。
「知り合いか?」
モゾルカが聞く。
「知り合いも何も、俺たちの恩人だ。奥さんと二人でビレイ湖でギガンテス孔雀五羽を瞬殺してくれたんだ。アミザでも、あのズールを釣ったって」
「ズール?! 退治されたとは聞いたが、釣ったのか?」
「そうらしいぞ。この人は無敵の勇者だぞ!」
「いや、無敵は言い過ぎです」
「そうだったのか。それなら分かる。いや、横柄な態度を取ってすまなかった」
あの、偏屈爺いのモゾルカが深々と頭を下げた。
「えっ?」
戸惑ったのは裕介の方だ。
「実はな、この魚はちょっと恐れられていて、アルバス王から討伐命令が出ているのだが、未だ誰も退治した者がいなかったんだ」
「そうだったんだ。討伐対象だったんだ。でもまだ後、二匹はいたぞ」
「何?! それは本当か?」
「おう、本当じゃぞ。全部で三匹いたからのう」
「頼む! 一匹、金貨五十枚出す! 残りの二匹も釣ってくれ。危なくて漁が出来んのだ」
「そうそう上手く釣れるかどうかは、わからないけど、そう言う事ならやってみる」
「フォッフォッフォッ、ワシら夫婦も手伝うぞ。漁業ギルドには世話になっとるでの」
「じゃあ、今日の分、金貨五十枚だ。ビスタルクよぉ、悪いがこれを氷で固めてくれんか? 王に献上する」
「凍らせればいいのじゃの? じゃあ、鉤を外してくれ」
「おう! おい、お前ら鉤を外せ」
モゾルカが、ギルド職員に命令して鉤を外させると、ビスタルクは魚を氷で固めた。このまま、船に乗せてアペリスコまで運ぶらしい。
船に乗せるところまで、裕介達は手伝ってやり帰宅した。
「面白い釣りじゃったのう、次はワシにやらせてくれんか?」
「あら、私もやってみたいわ」
「幸い、後、二匹いますから、二人で一匹づつ釣ればいいじゃないですか」
「そうね」
この話しを聞いて羨ましがったのは、セフィアだった。
「そんな大きな魚がいるのなら、私も釣ってみたかったです」
大きなお腹を支えながら、膨れている。
「まぁ、今は仕方ないさ。お腹の子がお母さん、今は辛抱してって言っているぞ」
「この子がそう言うのなら、仕方ないですね」
セフィアは笑いながら、お腹をさすった。
数日後、二匹の巨大イトウを裕介達はギルドに届けに行った。
「いいところに来てくれた」
モゾルカがそう言いながら出迎える。裕介は、少し嫌な予感がした。
「王が、感謝したいからアペリスコまで来いと言っておられる」
「行かなくちゃダメですかね?」
「そりゃ、王の命令だからな」
アペリスコまで行くとなると、数日かかる。ビスタルク夫妻と三人で行くとなると、セフィアが心配だ。仕方がない、ステラに頼もう。
ステラは意外に心良く引き受けてくれた。なんでも、漁業ギルドに船外機を売ろうと思っていたのに、モゾルカに難癖付けられて思うように捗っていなかったらしい。そこへ、裕介達が巨大イトウを退治して、裕介の船や釣り具に注目が集まり、問い合わせが殺到し始めたのだとか。
「あの偏屈爺いのお陰で苦労させられてたのよ!」
久しぶりに見る、破壊力のあるオッパイを揺らせながら、ステラは船の中でぶつくさ言っていた。
ビスタルクは、目のやりどころに困っているのか目が泳いでいる。
「セフィアさん! 久しぶり〜! お腹、大きくなったじゃない」
「きゃぁ〜! ステラさん、元気にしてたぁ〜?」
「私も入れてもらっていいかな?」
「どうぞ、どうぞ! エルフなんですかぁ〜?」
裕介の家では、女子会が始まった。居場所が無いので、裕介とビスタルクは表の燻製小屋で、カツオを燻している。
「ワシらも、たまには呑むかのう?」
「おっ! それ、いいかも」
裕介とビスタルクは、カマボコを肴にチビリチビリと呑み始めた。
この島の暮らしが板に付いて来た。と裕介は思う。かつてのピルブ村での暮らしのように、ゆったりとした時間と安心の中に幸せを感じる。
そう言えば多分この北の山脈の向こうは、ちょうどピルブ村辺りじゃないだろうか? アルバルスはまだ達者でいるだろうか? 彼もお酒が好きな人だった。
子供が生まれて動けるまで育ったら、このまま釣りの旅をまた再開するのか、それともここを定住の地とするのか、はたまたベイグルに戻るのか?
今は未だ、決めあぐねている。
この世界で生きて行く覚悟を決め、妻を得て、子供まで授かった。怪魚ハンターの旅は、いずれどこかで終止符を打たなければならない。それは、よく分かっている。
「まだ、少しだけ物足りないんだよな」
ビスタルクに注がれた酒に映った自分の顔を見ながら、裕介は小さく呟いた。
春の息吹きを感じるペルテ島で、間もなく裕介は二十九歳、セフィアは三十歳を迎えようとしていた。
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