148 スレーブル湖
ほぼ雨季も終わり、秋の気配が漂い始めた。アルバスでは、この季節に蝉が一斉に羽化する。兎に角うるさい。窓ガラスが無いので、うっかしていると部屋に蝉が飛び込んで来て、部屋の中で鳴き始める。
しかも、大型のトロール蝉は、その音量も半端では無い。気が狂いそうになるので、大きなハエたたきで蝉を追い回す。
「ユースケ! 蝉が鳴かなくなる機械は無いの?!」
苛立ったステラは、蝉以上にうるさい。
「ウチの部屋のは、ブロワーで全部退治したぞ。案外アイツら熱に弱くてな。温風でポロポロ落ちてくるぞ」
「それを早く言ってよ! ブロワーを作って」
「そろそろ、アペリスコを発って、スレーブル湖に行くから、もういいんじゃないか?」
「だったら、あなたのを貸して!」
地味な発明だとか言っていたステラに、ブロワーを取られてしまった。
裕介の言った通り、数日経たぬうちに三人はアペリスコを出発した。パイロン川の川幅が段々広くなり、川は浅くなる。スレーブル湖の出口部分に着いた。元々広いパイロン川だが、このスレーブル湖のアウトレット部分の川幅は数十キロあるのでは無いだろうか?
川なのか湿原なのか湖なのか、良く分からないほど広いが、川が蛇行し分かれ夥しい数の中洲が低木の森を形成している。
「うわー! 綺麗!」
水の色は周りの森を映しているのか、水草の色なのか濃い緑に見えるが、底が透過して見え透明度はかなり高い。
「どこからが、スレーブル湖なんだろうな?」
川をホバークラフトで遡って行く、船の影に驚いて散って行く魚達。水鳥が列を作って進み、無数の羽化したてのカゲロウが舞っている。水鹿やカバの様な哺乳類も見える。
川底には水の流れに漂う水草と、大小様々な石が転がり、川から出た岩の後ろの筋を引くような流れが、川面に映る景色をナイフで切った様にも見える。
こんな景色を眺めながら、進むと一気に水深が深くなり、この辺りからが湖だと分かる場所に来た。
スレーブル湖だ。その湖の大きさと、まるでカラーの山水画の様なその景色に言葉を飲む。
東岸は牧草の生える小高い丘が連なり、イギリスの湖水地方の様な風景だ、引き換え遠くに見える西岸は、正面の中央山脈と比較すると低いが、それでも一千メートルは超えるであろう山脈が、奥の中央山脈に向かってドンドンと高くなって行く。麓は多分ジャングルだが、木に覆われた急峻な山の頂は、水平線の向こうに見えている。
湖面には、大小様々な島が見え、薄い霧が湖面スレスレに這う様に漂っている、海のような波の音が聞こえる。
沢山の鳥が空を飛び、カゲロウが飛び交う。
瀬戸内海の様でもある。
実際には瀬戸内海どころか日本の本州がすっぽり入るほどの湖である。湖の幅も広いところでは二百キロを超える。
「これが淡水湖なのか?! まるで海だな」
裕介もセフィアもステラも、スケールの大きさに唯、驚くばかりであった。
南北一千キロと言われる、中央大陸最大の湖スレーブル湖に、今、三人は足を踏み入れた。
「良いところだなぁ〜! 住みたくなるな」
「本当、私も老後はここで余生を送りたいわ!」
「噂には聞いていましたが、本当に綺麗なところですね」
「どんな魚が釣れるんだろうな? 三メートルを超えるビッグサイズがいても、何もおかしくないシチュエーションじゃないか!」
「釣りをしない私でも、釣ってみたくなるわ」
「そうだろうな、俺なんて武者振るいが止まらないもの」
「震えるほど嬉しいってことですか?」
「そうだ。竿を出したくてウズウズする」
「ロッジは後にして釣るか?!」
裕介がこんな事を言うのは、初めてだった。いつでも泊まる場所を確保してから、釣りを始める裕介にしては珍しいことを言う。
セフィアは夫の気持ちが痛いほど分かるので、ウフフと笑っていたが、そこは、ステラが却下する。
「ダメダメ、ちゃんと街の宿か寝る場所を確保してからよ!」
裕介が涙目で、「え〜! ダメなのぉ〜?」という顔をするが、鬼のステラは、譲歩しない。
渋々、東岸に向けて船を進める。しばらく進んだところで、村を見つけた。
「あーんだ? アンタ達の船は空も飛べるのか?」
畑に第一村人を発見。情報を得ようと、話しかけてみる。
「そうなんです。釣りの旅をしています。この近くに街はありますか?」
「半日ほど、このまま進んだところにあんべよ」
「ありがとう! 半日ですね?」
歩きで半日と言えば、二十キロほどだ。ジェットエンジンを全開すれば二十分ほどで着く。
「よーし! 面舵いっぱーい! 全速前進!」
裕介は、東岸に沿って船を進めた。程なく大きな街が見えて来た。アルバスの第二都市モスカだ。
「ここにも、パルージャ商会はあるのか?」
「小さな営業所がね」
「凄いな、何処でもあるな?」
「商業ギルドがある都市には、ほとんどあるのよ」
「お抱えだな」
「元々、商業ギルドは、うちが半分以上出資して始めさせたのよ。だから、うちは大株主なの。うちがギルドを抱えている様なものよ」
「経済界のドンだな」
「そうよ、だからベイグルのギルドなんて、ウチの言いなりでしょう?」
「確かに」
裕介は久しぶりにガーファの揉み手を思い出した。
「こんな素敵な場所だから、今回は、高級な宿を取ってみましょうか?」
「おう! それもいいな。実は結婚三年目のお祝いを俺は未だセフィアにしていないからな。良い宿でしっぽりとってのも悪くない」
「しっぽりと、何するつもりよ?!」
「しっぽりと…、そりゃ、しっぽりと三年を振り返るのさ」
たまには、リッチな気分を味わうのも悪くないと裕介も思った。どうせ、お金はたっぷりあるのだから、そう言う事にでも使わないと一向に減らない。
「じゃぁ、セフィア。たまには贅沢しようか」
「ええ、いいですよ。しっぽりと、ウフフ」
セフィアは、しっぽりと何をするつもりだろう?
ギルド評価、五つ星のホテルを取る。しかもスイート。一泊金貨二枚、もの凄く高い。この世界では、贅沢をしなければ二年生きられるお金を一泊で使う。
何が凄いのかと思ったら、六つも部屋がある。どの部屋もレイクビューの眺めの良い部屋。
執事一人、メイドが三人専属で付き、馬車と御者も付くらしい。専用のお風呂があり、食堂付き。
つまりはちょっとした貴族の家と同じなのだ。
「へぇ〜、試しにって思ったけど、全く無駄だよな。俺たち夜寝る以外は釣りに行って、釣った魚を自炊だもんな」
しっぽりの高級宿は、一日で引き払った。
釣り師に良い宿は必要が無い事を学習した。
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