131 ビレイ大ナマズ
宿で夕食を取った後、三人は昼間に決めたポイントまでやってきた。天候が変わり始めているのだろう、満月だが朧月だ。
弱い月明かりに湖面は怪しく照らされて、ぼんやりと光っている。水の中から何が出て来てもおかしくない雰囲気だ。大ナマズなら、まだ安心な生き物だろう。
ナマズの口と言うのは、愛嬌のある顔と相反して結構硬い、しかも小さな円錐状の歯がズラリと並んでいる。ナマズを釣って喜んで、口を指で掴んでバス持ちしたりすると、親指の皮がズルズルに向けてしまうのだ。このため、ルアーの結束部分にはワイヤーリーダーを取り付けた。
「どうやればいいのだ?」
「ナマズが出そうなところにキャストして、ただゆっくり巻いてくればいいんだ。ナマズはそれほど捕食がうまい魚じゃ無いから、捕食に失敗してもそのまま巻いていれば、また食ってくる」
「巻けばいいのだな」
三人距離を置いて並んで投げてみる。
カランカランカラン
黒い影が蠢くように、ルアーが水面に不規則な波を作る。その艶かしい動きを台無しにするような、陽気なブレード音。このルアーは、きっと頭のおかしい人が作ったに違いない。などと、模倣してイミテーションを作った裕介ですらそう思う。
しかし不思議な事に釣れるのだ。
ルアーは、人間的に考えてそれはありえないだろう? と思うような形や色のものが、ヒットしたりする。後から理由をつけるのは簡単だが、最初に思いつく人は、みんなコロンブスの玉子だ。
例えば、ブラックバスを釣るスピナーベイトという曲げた針金に錘と鉤と回転するブレードをくっつけたようなルアーがある。
誰があんなものを魚が食うと思ったのだろう?
投げると兎に角釣れるから不思議だ。
小魚を模倣したイミテーションの精工なルアーを嘲笑うかの様に釣れる。
蛸はラッキョで釣れる。誰がラッキョに鉤をつけて最初に海に投げたのか? だから、ラッキョのようなルアーがある。そういう先人たちの途方もない試行錯誤の積み重ねの上に、裕介の釣りがある。しかしカレンにとってはルアーと言うもの自体、釣れるかどうか半信半疑だった。
カレン自身もドブ釣りの毛鉤を自分で巻く。最初は、水生昆虫をイミテーションしたものから始まり、結構派手な色合いのモノでも釣れるのだと言う認識はある。それは魚の目と人間の目自体が違うものであり、人間には金色のものが、魚には、果たして金色に見えているかどうかはわからない。
試して、釣れた色が結局のところ正解なのだとは思う。しかし、このルアーはどうだろう? 魚からは何に見えると言うのだろう?
そう思いながら、半笑いでそれでもキャストを続けていたカレンのルアーの後方に変化があった。
バシュ!
カランカラン
バシュ!
「なんだ?」
バゴーン!!
「クッっ!」
いきなりである。
竿を支えているのが精一杯の引ったくるようなアタリ。リールが音を立てて逆転する。とても巻くどころの騒ぎでは無い。
「来たか?!」
ドラグ音を聞きつけ、裕介とセフィアが自分のルアーを回収してカレンの元に駆け寄る。裕介の頭に付けたヘッドライトの灯が湖面を照らす。
「途方も無く重い! 支えているのが精一杯だ!」
「今は本気を出して、集中して耐えろ!」
ドラグが止まった。カレンは巻き始めるが、とても巻いて寄ってくるものでは無い。
「竿でラインの強さを聞きながら、ゆっくりと立てて寄せるんだ、そして竿を寝かしながら素早くリールを巻く!」
カレンは言われた通り、ラインと竿の限界を確かめるようにそーっと竿を立てた。獲物はどうにか寄って来たようだ。今度は竿を寝かしながら、寄せた分だけリールを巻き取る。なるほど、こうすれば無理をせずに巻き取れる。
「ルアー釣りは、竿でルアーの操作や魚とのやり取りをするんだ。リールはあくまでもその補助だ。だから利き腕に竿を持って、リールを左手で巻くんだ」
なるほど、そう言ってもらえれば理解しやすい。リールと言うものが付いているので勘違いしていた。基本は延べ竿と何も変わらないのだ。竿が短い分だけ扱いやすい。
「あくまでも、右手でだな!」
カレンは自分に言い聞かせるように、そう言いながら竿を立てる。
ある程度巻くとまた引っ張り出されていたが、徐々に寄って来た。青物や鮭科のスプリント勝負と違って、ナマズは寝技っぽい。何度かのボディーブローのような攻撃を凌げば、後は割と諦めが早い。
大ナマズといえども、そういう部分は同じだった。
「デカイな! 確かに大ナマズだ」
カレンが寄せて来たのは、一メートルニ、三十センチはあるだろう、馬鹿でかいナマズだった。
卵を持っているのか、馬鹿でかい腹をしている。
「メタボ過ぎるだろ。コリャ確かに重いわ」
裕介は大笑いだ。
「生涯最大魚だ! どうする? これ?」
「卵を持っているようだから、リリースすべきだろうな」
「ホッとした、食うと言われたら、どうしようかと思っていたのだ」
「では、離すぞ」
裕介がペンチで丸呑みしていたルアーを外すと、カレンはそう言って、ナマズを浅瀬の水に戻したが、ナマズは疲れ果てたのかじっとしている。
「仕方ないな」
カレンは靴を脱ぎ、浅瀬に入ってしばらくナマズに水を送ってやっていた。十五分ほど過ぎた頃、やっとナマズは体力が回復したのか、自分から戻っていった。
「もう私は満足だ。ナマズはもういい」
靴を履きながら、カレンは笑ってそう言った。
「確かに釣れるものだな」
初めてのルアーでの釣果は、カレンにとって忘れられない一匹となったようである。