129 ドブ釣り
「ここだ!」
後部座席にいたカレンが、目的地に到着した事を告げる。川幅も結構あるがここで鮎を釣るのか? と言う疑問を持つトロ場だ。裕介の鮎釣りのイメージは水深一メートル程度までの、瀬と言う流れの早い場所でおとりの鮎を使ってやるものだった。
一般に鮎は、川に入ると苔しか食べなくなる。すると自分の餌場をテリトリーとして守るようになり、そこに侵入する他の鮎に体当たりして攻撃するようになる。それをおとりの鮎を使って、引っ掛けるのが友釣りと言う鮎の釣り方だ。マイナス一匹と言う釣果がある世界的に類を見ない、日本独自の釣法だ。
それは、一般的には苔が付く瀬で行われる。その鮎がどうして深場のトロ場で群れを作り、何故毛鉤に食いつくのかは日本でも良く分かっていないらしい。
「本当にこんな深場で釣るんだな」
「ドブ釣りには絶好の釣り場だよ」
「じゃあ、先に今夜の宿を作るか」
「宿を作るって?」
「まぁ、見てなよ」
川岸の高台に、いつもの通り、裕介とセフィアで、ホイホイとロッジを作った。
「これは、驚きを通り越して、呆れるな。私も魔法は使うがこれは別格だな」
「カレンさんは、どんな魔法を使うんだ?」
「私は、木魔法だ」
「木魔法? 初めて聞いた」
「こんな感じだ」
その土手に生えた小さな芽に、カレンが手をかざして魔力を通す。ミシミシミシと木がどんどん大きくなり、あっと言う間にロッジよりも高くなった。
「すげっぇ!」
「これを材木にしたり、炭にしたりも出来るのだ」
「和竿もその力で作ってるのか?」
「まぁ、そう言う事だ」
「では、ドブ釣りをやってみよう。竿と仕掛けはこれだ」
カレンは、裕介とセフィアにもう仕掛けがセットされたタックルを渡す。
竿先にチチワ結びされたサファイアラインの道糸に、魚の格好をした竹製の道糸調整器が付いている。サファイアラインは先日裕介からもらったものだ。道糸調整器は、底の深さに合わせて道糸の長さを調節するもので、リールの代わりのようなものだ。
毛鉤がエダスに付いたものが三本付いていて、一番下に円錐形の錘が付いている。海釣りのサビキの毛鉤バージョンといった感じだ。
「これを錘が底についた時に、水面からこのくらいに竿が来るように、糸の長さを調節して、竿を上下させながら上流から下流へと探るのだ」
「リフトアンドフォールですね」
セフィアがうなづく。
「そう言う事だな」
「リフト… なんだって?」
「リフト、アンド、フォールだよ」
裕介が動作を交えながら、そう言うとカレンは納得したようだ。
「釣れたら竿をたたみながら寄せてくるのだが、毛鉤には返しが無いから、決して糸を緩め無いように」
「伸ばすとかなり重く感じますね」
「十メートルだからな、二百グラムの竿でも、二キロのものを腕を伸ばして支えているくらいに感じる筈だ」
片手で持つのはちょっと無理だ。セフィアは魔法で竿を支えたらしい、片手で持っている。
「ズルしてる人がいるんですけど!」
裕介はそう茶化しながら、苦笑する。
「これでも、竿のバランスを考えて作っているのだぞ」
カレンも笑いながら、セフィアを見ている。
「あっ! フィッシュ オン!」
一番竿はセフィアだった。竿先が曲がり、上手に送り込んで合わせたようだ。
「魚を水面で滑らせるようにして取り込むのだ」
カレンがアドバイスをしてくれる。セフィアは一段づつ竿を仕舞いながら、上手い具合に取り込んだ。
「デケェ〜!」
暖かい地方だから、鮎の遡上も早いのだろうが、五月の鮎だと言うのに、既に二十センチを超えている。
「ホント、フルーティな香りがします!」
初めて見た鮎の香りを嗅いで、嬉しそうに笑うセフィア。
「美味いんだぞ〜!」
次はカレンだ。手慣れた手つきで取込み、腰に刺した網で受けた。
「やはりこのユースケがくれた糸は良いな。食いも違うし、なによりも扱いやすい」
「結構釣れるんだな」
裕介も負けてはいない。ギガンテス孔雀の羽根の竿先がクンと沈むので、少し送り込む。すると鮎が底に逃れようと潜り込み、鉤がかりする。手元にグググっとアタリが伝わり、重みが乗る。
「フィッシュ オン!」
あとは提灯釣りと同じだ。ラインの長さに竿が短くなるまで畳めば、竿で引き寄せ網で掬う。
なんとも言えない、艶のあるモスグリーンのグラデーション。胸鰭の後ろに黄色いワインポイントのマークが独特だ。川の匂いに混ざって、キュウリかスイカのような香りが仄かに香り立つ。鮎だ!
カンゾウさんが放流した、何十世代目かの鮎かも知れない。
そう思うと、菅の笠を被った日本人がたった独りで、異世界のパイロン川で竿を伸ばしている姿が見えたような気がした。
彼は何を思い、ここに立って釣りをしていたのだろうか? そしてどこへ消えてしまったのか?
裕介は、そう思わずにはいられないのだった。
鮎はかなり濃かった。三人で三十匹は釣っただろうか。
「じゃあ、昼食にしようか」
カレンがそう言い出し、三人は竿を畳んでロッジに戻る。
「こんなに釣れるとは思わなかった。面白かったなぁ」
「ホント、爽やかで楽しかったです。ありがとうございました」
「いやいや、まだ序ノ口だ。じゃあ、炭を作るから焼いてもらって良いか?」
カレンは、河原の木を拾ってきて魔法で炭に変えた。河原でセフィアの火魔法で炭を起こし、カレンが用意した竹串に刺して遠火で塩焼きを始める。
カレンはロッジのキッチンで何かを作ってくれている。
「カレンさん、鮎焼けたよ〜!」
「こっちも出来ました。ロッジで食べましょうか」
「うん、じゃぁ持っていく」
裕介とセフィアがロッジに入ると、カレンはなんとそうめんを用意していてくれた。しかも手作りのそうめんつゆだ。ネギもある!
「わさびもありますよ」
「えぇ〜! わさびもあるのぉ〜!」
「あなたが欲しがっていた、水草の根ですね!」
「ハイ、割り箸」
「おぉ! ここは日本かぁ〜!」
裕介の後ろに、国旗が旗めき国歌が流れた気がした。
「どうやって使うのですか?」
「こうやって使うんだよ」
裕介は、パチンと割り箸を割り、わさびとネギをつゆの入った器に入れて、そうめんに箸を伸ばした。