嘘吐きはいらない
年が明けてもう四ヶ月が経っていた。そして、明日からは新年度が始まり、新たなステージへと進む。だと言うのに、僕らの間には深い溝が存在していた。
別に何もおかしいことはない。だって、時間が経てば互いに飽きて、時間が経てば好きと言う訳も分からない執着心も薄れていってしまうのだから。当然と言えば当然の話。でも、彼女の顔はそんなものではないような気がしていた。
そして、僕はそれを知っていたのに、嘘を吐いてしまった。
付き合い始めて三百六十五日目の今日。休日ということもあり、一応デートの日だった。だが、雰囲気は良くないし、気分は乗らない。そんなことくらい、互いが分かっていても会うしかなかった。
いつも通りの駅前で待ち合わせ。人波が寄せては引いて行く中、少し外れた広場の銅像前。そこにあるベンチに腰をかけ、スマホをいじっていると、すぐに彼女はやって来た。
「おはよう」
「ん。それじゃあ行こうか」
「うん」
そう言って立ち上がっては見たものの、今日は何処か行こうと言うわけでもなかったし、適当に歩きながら、またスマホを弄り出してしまう。
「……あの、さ。……そう言えば、今日ってエイプリルフールだったよね」
「あぁ、そう言えば」
「んじゃ、私、今日一つだけ嘘をつくから見破ってね」
「ん、分かった」
自分でも驚くほどあっさり会話が終わってしまう。
初めの頃なんて、喋ることがあってもどう話せば良いか分からず、ドギマギしていたはずなのに。慣れと言うのはほんの少し怖い。でも、同時に気は落ち着く。ちょっぴり、複雑な気持ちが心を埋めていた。
「そう言えばさ、今日どこ行くんだっけ」
「あー、適当にいつものところでもブラブラするか」
「そうだね」
二人で足並みを揃え、ゆっくりと目的地へ向け、歩き出す。
付き合い始めてすぐの頃は、ずっと他愛もない話をしていた。学校の勉強がどうとか、友達がどうとか、部活がどうとか、先生がどうとか。そして、一杯笑った。沢山の笑顔も見た。
しかし、こうして無言で歩いていると随分昔のように感じてしまう。
流れ行く風景と車。通り過ぎる風は僕と彼女の間を潜り抜ける。淡い空には疎らな雲が覆い被さっていた。
「ねぇ、最近忙しい?」
「まぁ、受験生だし」
「そう、だよね」
素っ気ない感じだ。
彼女は一応話しかけてはくれるが、返したら呆気ない答えが戻ってくる。それこそ会話は詰まるし、何となく次の話題へと移り辛い。
ただ、時間はとても早いもので、どれだけ長く感じてもいつも通りの時間にショッピングモールに着いていた。
時折、胸の奥に針が刺さったような気がする度、彼女の方を向くが、顔を見れない。その理由さえも分からなかった。
「何処か行きたい場所でもある?」
「うーん、私は特にないかな」
「そっか」
なんて言うと、適当に歩き出す。目的なんてないし、見たいものなんてない。だが、目に入った店に入り、気になったものを見て、暫くすると出て行く。
結局、僕らは何も変わってはいないのだろう。変わったとするならば、時間だけ。でも、その時間こそが大き過ぎた。
それに、僕自身は彼女が嫌いというわけでもない。ただ、今年に入り、ちょっとした頃から距離を置かれているような気がしてしまっている。そのせいか、こっちまで距離を置いてしまっているのだ。
「鯛焼きでも食べる?」
「そうだな」
会話は全て疑問形。答えは一言。そこに感情など何処にもない。ただただ、簡単な受け答え。その中には、空いた溝の距離故の配慮ばかりだった。
「他に行きたい場所でもある?」
「僕は特に」
「うーん、そしたらもうお昼だし、何か買って公園で食べる?」
「そうだな」
向かう先は安さが売りのジャンクフードのお店。いつも此処でのお昼を楽しんでいたっけ。周りから見ればちょっとイタかったのかも知れないが、別に良かった。
僕たちが楽しめたのだから、相当な迷惑にならない限り問題ないとは思う。だが、今の彼女がそれを振り返ってみてどう思うだろうか。後悔と気恥ずかしさで一杯なのだろうか。
ほんの少し横目で見た彼女の顔は、やっぱり暗かった。
「えっと、これのセットで。飲み物はコーラ」
「私は、これとこれで」
「あ、会計は一緒で大丈夫です」
財布の口を開き、店員にお札を二枚渡す。
別に、彼女は奢って欲しいとも思ってはいないだろうけど、別に良い。まぁ、優しさの一つだとは思う。勿論、まだ学生の身だし、本気の恋かと問われれば、微妙なところではある。けど、それなりに今も思う気持ちはある、ような気がしていた。
帰ってきた小銭と一緒に紙袋を受け取り、そのままいつもの公園へと向かう。
周りには大きな建物も大通りも住宅もない暗がりの中にある小さな公園。穴場スポットである反面、何が起こってもおかしくないような場所だ。それこそ、この周辺に止まる車はちょくちょく揺れていたりする。
「これとこれだよね」
「うん。ありがと」
無言のまま、手に持ったハンバーガーを口の中に入れ、コーラで押し込む。不味いわけでもないが、重い空気のせいで全く喉に通らない。無理矢理ながらも何とか完食する。ふと、彼女の方を見てみると、まだ食べていた。
取り敢えず、なんて気持ちでスマホを取り出し、色々と弄り始める。ただ、暫くとしないうちに彼女も食べ終わり、一緒になってスマホを弄り始めた。それでも、会話はない。
「ねぇ、ちょっと良い?」
「あ、うん」
「話しておきたいことがあるの」
ふと、彼女は真剣な顔でこちらを向いた。
その感じに、スマホをポケットの中にしまい、目を合わせる。風に靡く少し長い髪、揺れる黒地の上着に、白地のシャツが見えた。
「今から嘘をつくね」
「え? あ、うん」
大きな深呼吸をする彼女を見て、固唾を飲む。
何となく、冗談とか下らない嘘ではない気がして。それなりに気を引き締めた。
「君のこと、好きだった。凄く好きだった」
「え?」
「……で、でもね、思い出してよ。私から告白したでしょ? あれって実は罰ゲームだったんだよ。まさかオッケーするとは思わなくてね。だから、仕方なく付き合ってたんだよ。いやぁ、ホント笑えるよね。うん、超笑える」
嘲るような笑顔を浮かべ、馬鹿にしたような目をして、こっちを向いた。
勿論、言い辛そうにしていたが、それはそうだろう。だって、それを言って仕舞えば、僕がどう返すかなど分かりきったこと。
どれだけ嘘偽りの心で付き合っていたとしても、罰ゲームで付き合っていたとしても振られる気分は最悪に近いはずだ。
同時に、僕の心も最悪だった。
「……じゃあね」
「え? ちょっと」
「嘘だったんなら、『別れよう』とか言わなくても良いよな?」
「う、嘘吐くていったじゃん」
「……『好きだった』ってのが嘘だろ?」
「ふっ……見破られちゃったか。そりゃそうじゃん。……じゃあね」
彼女に背を向け歩き出す。
最悪。とても最悪の気分だった。
だが、何となくだが、怒りはさしてなく、虚しさばかりが溢れかえっている気がした。それも、別れたとか言うことでは無いような気がする。
何か、大きな間違いをしているような気分だった。
「クソッ」
吐き捨てる言葉は二酸化炭素と一緒に木々に吸われ、澄んだ空気ばかりが肺に入る。気持ち悪くて仕方が無いのに、雲は一つとしてない夕焼け空が綺麗に見えている。
どうして。考えても仕方が無いはずなのに、考えたくなってしまう。
それはきっと、嘲るような笑顔はまるで作り物の仮面に見えて、馬鹿にしたような目は硝子細工のように見えたからだろう。
だが、その意味は到底理解出来なかった。
それから、一週間経ち、憂鬱な学校が始まった。朝の通学路では、隣にいつもいた彼女の姿はもう無い。でも、仕方がないんだ。なんて、彼女のせいにしては、そんな自分が恥ずかしくなる。
校門を潜り抜け、昇降口に貼ってあるクラス分けを見た。
自分の名前は、『秋原 裕樹』と言う名前は、四組の中に入っていた。番号は去年と同じ二番。それを確認したはずなのに、僕は何故かまだ名簿を見ていた。彼女の名前を、『佐野 愛菜』と言う名前を探してしまっていたのだ。
「……ない」
でも、何処にもなかった。勿論、何度も見直したのだが、やはりない。何処にも書かれていない。
それが分かったと同時に、ふとある考えが過ぎり始めた。
彼女は『好き』という嘘をついたのではなかったとしたら。途端、様々なことが繋がり始める。
あの日、彼女は嘘なんて一つもついていない。そもそも、彼女は元から嘘吐きだったんだ。愛菜の嘘は『嘘を一つだけつく』という事。それが何のためにかは、もう分かっている。
エイプリルフールに嘘をついたのはお互い様だったのだ。
僕は僕に、「彼女のことが好きではない」と嘘をついていた。僕も彼女も初めから嘘吐き。
虚無感の正体が分かり、途轍も無い程の心の穴を見つけ、ただ打ちひしがれていた。でも、後悔だけは無かった。
こんな関係は要らない。嘘吐きはいらないのだから。