最初で最後の花嫁①
リクエストより、本編終了後の二人の話。
異能の国フェリエは、近隣諸国と比べると領土面積は狭めで人口もそれほど多くない、海上にぽつんと浮かぶ島国だ。
有事には生まれ持った異能の力を駆使して戦うこともある彼らだが、基本的に温厚で楽しいこと好きな者が多く、貴賤問わず催し物や祭りが大好きだという風潮がある。
「……久々にフェリエに来たが、祭りでもあるのか? 妙に浮ついているな」
城下町の検問でチェックを受けていた旅の男が呟くと、証明書をあらためていた衛士は顔を上げ、「ああ、それなら」と頬を緩めた。
「明日、フェリエの王兄殿下がご結婚なさるのです。だから城下町もお祝いムードになっているのですよ」
「王兄殿下か。……あれ? だがフェリエ王の兄君は一人だけだが、一年くらい前に結婚したんじゃないのか?」
証明書は返してもらったが気になったので尋ねると、衛士は嫌そうな顔をするどころか「よくぞ聞いてくれました!」と言わんばかりに会話を続けてくれる。
「そうです。でもそのときの結婚はサレイユ側が原因で無効となり、殿下は改めて当時のお妃様と結婚なさるのですよ」
「は、はぁ……なんだかややこしいがとにかく、王兄殿下が結婚するということで賑わっているんだな。相手はどういう方なんだ?」
男に問われ、衛士はにっこり笑った。
「王兄殿下の寵愛深い、サレイユの男爵家出身のサラ様ですよ」
その日、離宮周辺は朝から慌ただしかった。
城下町の民たちはただ単にはしゃげばいいのかもしれないが、離宮関係者はそうもいかない。王位継承権を放棄済みである王兄とはいえ王族の結婚式なのだから、さまざまな準備が必要だ。
とはいえ、王兄リシャールも婚約者サラも派手な式を好まず、式自体はささやかに行い、その後で知人を招いての小規模のパーティーを開くことにしていた。
「ただいま戻りました! いやぁ、僕が王兄付き専属侍従だと分かると、みんな盛り上がって。かわすのに苦労しましたよ!」
「……そのわりには楽しそうだな」
お遣いに行っていたダニエルがまことに晴れやかな表情で言うものだから、リシャールは適切な突っ込みを入れる。
昼から行われる結婚式に備え、リシャールは着替えや日程の最終確認などを行っていた。彼は自分の服装にはそれほど頓着しないので、白い花婿衣装をさっと着て後は細々とした作業を行っている。
日程表を見ていたリシャールに突っ込まれたダニエルは、いっそう笑みを深くして胸を張った。
「そりゃそうですよ! あちこちからお祝いの言葉をもらって、殿下やサラ様を褒め称える声を聞いて……侍従冥利に尽きます! うちの殿下はこんなに愛されているんだな、って感動で胸がいっぱいなのです!」
「……分かったから、恥ずかしいことをあまり大声で言わないでくれ」
「かしこまりました。次からは小声でたくさん言いますね!」
「……好きにしてくれ」
ダニエルの相手が面倒になったリシャールは肩を落とすと、壁の方を見やった。
そちらはサラの自室で、今彼女はクレアたちの手を借りて着替えをしているはずだ。
リシャールと違い、花嫁であるサラの方は仕度にも時間が掛かる。だが、仕立屋が届けたドレスは確かに着るのにも難儀しそうだったし、サラもきれいな金髪を結ったり、化粧をしたり、爪を磨いたりと、仕度に手間取るだろうことは、鈍いリシャールでも十分想像できた。
待つのはあまり好きではないが、他でもないサラのためだ。それに、待った末にきれいに着飾った花嫁を見られるのなら、大人しく「待て」をしようという気になれた。
「……殿下、にやにや笑いながら壁を見ないでください。不気味です」
「不気味で結構」
顔にぽんぽんと触れていた化粧筆の気配が遠のいたので、サラはまぶたを上げた。
正面の鏡には、白いドレスを纏った金髪の女性――自分の姿が映っている。
「……とても、おきれいです」
「ありがとう、クレア」
クレアの褒め言葉にサラが応えると、鏡の中の花嫁も瑞々しい赤い唇を動かした。
約一年前、サラはエルミーヌとして、離宮の教会で結婚式を挙げた。そのときはまさかリシャールが結婚式をしてくれるとは思っていなかったし、ドレスなども彼から贈られたものをそのまま着ただけだった。
当時はそれでも十分だと思ったが、「サラ」として結婚するとなったら、やはり細々としたところでこだわりたく、今回は式の準備にもじっくり時間を掛けてリシャールとの相談を重ねた。
胸元はドレスを飾るビジュー飾りの付いた繊細なレースで慎ましく隠され、剥き出しの二の腕を包むように薄雲のような布地を重ねたストールを羽織っている。下ろすと背中ほどの長さになる金髪は大きな団子状に結い、日光を浴びて七色に輝くベールを着けていた。
ここまでは以前着たドレスとほぼ同じだが、違う点があった。
ドレスのスカートはつま先まで覆うほど長く、生地も光沢がある。オーバースカートのトレーンも床を引きずるほど長くて、移動中は離宮仕えの少女に持ってもらうことになっていた。
結った髪にはティアラなどではなく、生花を飾る。アクセサリーにも極力金属を使わず、胸元には母の遺品である薔薇のコサージュを着けた。
これは、サレイユの伝統に則ったものだ。
王兄の妃として、サレイユとフェリエ両方のデザインを取り入れたドレスを着る。それは、今はまだ完全に緊張が解けきっていない二国間を繋ぐ架け橋になりたい、祖国と結婚先にそれぞれ想いを抱くサラの願いを具象化したものだった。
デザインを提案したときには皆の反応が怖かったが、リシャールは感心したように同意してくれたし、エドゥアールや太后も細かな修正希望は入れつつ、サラの意思を尊重してくれた。だからサラも胸を張って、ドレスに袖を通すことができた。
「……そろそろお時間ですね。殿下がお待ちです」
「……ええ」
クレアに手を引かれ、サラは立ち上がる。
最後にもう一度、鏡を見てコサージュの位置を確認してから、サラは緊張する体を叱咤し、リシャールの待つ隣室へ向かった。