お父様への贈り物①
2020年9月14日に、双葉社・Mノベルスfより書籍化します
ありがとうございます!
サラとリシャールが結婚して、早五年。
もうすぐ、リシャールの三十歳の誕生日である。
「ただいま戻りました、殿下」
「ダニエル、首尾はどうだった」
信頼する侍従が執務室に入るなり、リシャールはくわっと目を見開いて彼を見上げる。
その緑の目には微かな期待が込められていたが――ダニエルが悲しそうな顔で首を横に振ったため、くっとうめいて俯いた。
「……だめだったか」
「はい。さすがに三十歳という節目の年なのですから、今年くらいは本城で祝わせてくれと、陛下が。済みません、力不足で……」
「……。……いや、おまえのせいじゃない。無理を言って悪かった」
いつも陽気なダニエルだが今日はすっかりしょげており、そんな部下を叱る道理もないのでリシャールは彼に休むように言って、溜息をついた。
離宮の引きこもり殿下、と呼ばれることウン十年のリシャールだが、サラと結婚してからは積極的に表に出るようにしていた。
式典なども、サラ同伴で参加するようにしているし、異母弟である国王エドゥアールに報告をしに行ったり、たまには顔を見たいという太后の部屋にお邪魔したりと、過去の自分が知れば驚くほどの成長を遂げている。
だが……それでも、華やかな場は苦手だ。
しかも今回、エドゥアールはリシャールの三十歳の誕生日を祝う会を開催するというのだ。参加者の一人として会場の隅にいたり、エドゥアールの補佐として彼の背後に立ったりするのとは、わけが違う。
とはいえエドゥアールの気持ちも、よく分かる。それに誕生会の開催は国民たちからの要望にもあったようで、皆に慕われ、生まれたことを祝われるというというのは、悪くはない。
それにしても、自分が会の主役になるなんて、嫌だ。
いつぞやのエドゥアールの誕生会では、上機嫌な彼が皆の前で歌ったり踊ったりして大盛り上がりだったものだが、それと同じことをするくらいなら首をくくって死んだ方が――
「……いや、だめだ。俺はまだ、死ねない」
つい昔の癖で死にたがってしまったリシャールだが、慌てて首を横に振る。
なんといっても今の彼はもう、一人ではないのだ。
そのとき、執務室のドアがコンコンとノックされた。
「……失礼します、殿下。入ってもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ。俺が開ける」
そう言いながら既にリシャールは歩きだしている。愛おしい声が「失礼」と言った瞬間に彼は立ち上がっており、ドアの外にいる者を迎える気満々だったのだ。
ドアを開けるとそこには、リシャールの宝が勢揃いしていた。
豊かな金の髪を持つ美しい妻と、利発そうな面差しの長男、そして誰もが見惚れる愛らしさで皆を虜にする長女。
リシャールがまだ死ねないと思う理由である、大切な、大切な家族たちだ。
妻子を見ると誕生会で鬱々としていた気持ちがぱあっと晴れ、リシャールは妻を抱き寄せ、頬にキスをした。
「……サラ、体調はいいのか?」
「はい。今日はとても気持ちがいいので、さっきまでフェリクスとリディと一緒にお散歩をしてきました」
ね? とサラが自分の両隣にいる子どもたちに問いかけると、少し寡黙なフェリクスは頷き、リディは頬を緩めて「おはな、みました」とはにかんだ。
妻と子どもたちの可愛さに、リシャールは幸福で体が溶けるかと思った。
「リディ、おとうさまとおちゃ、のみたいのです」
「……おかしも、もってきました」
「そうか、ありがとう。……さあ、そこに座りなさい。ああ、サラ用にブランケットを持ってこなければ……」
「まあ、そこまで至れり尽くせりでなくても大丈夫ですよ」
リシャールはせっせと部屋を整えるが、サラは微笑んで腹に手を当てた。
医者の予想では、もう一ヶ月もすれば第三子が生まれるとのことだ。フェリクスの時はサラも何かと困った様子だったが、三人目となるとどっしりと構えているようだ。
いまだに慣れなくてソワソワしているのはリシャールの方だ、とダニエルやクレアは笑っていた。
ダニエルとクレアを呼び、すぐに茶の仕度を始めさせる。いつもは茶葉を蒸して茶を淹れるのだが、サラの体調を気遣い、最近は果実を茹で蒸らしたフルーツティーを飲むことが多い。
子どもながらに渋い味が平気らしいフェリクスはともかく、リディは普通の紅茶より、甘いジュースのようなフルーツティーの方が好きらしく、いつもクレアが淹れるとき、目を輝かせて彼女の手元を見ていた。
ちなみにソファに座るときの席は、いつも決まっている。リシャールとサラが並び、その正面にフェリクスとリディである。二人がもっと小さい頃はリシャールの隣にフェリクス、向かいのサラの隣にリディだったのだが、二人とも親の隣よりきょうだいと一緒に並ぶ方がいいようだ。
茶の準備を終えたら、午後のお茶の時間だ。
フェリクスが持ってきてくれた籠には、焼き菓子がたくさん入っていた。無口な彼だが妹の世話は焼こうと思っているらしく、放っておけばどんどん食べてしまう妹に「さんこまでだよ」と注意していた。
そんな兄妹の様子を微笑ましく見ていたリシャールだが、サラがちょんちょんと手の甲を突いてきたので、隣を見た。
「先ほど、クレアから聞きました。……殿下の、お誕生日会について」
「……ああ、そう、そうなんだ。やはり、参加しなければならないらしく」
「そうでしたか……憂鬱でしょう」
「そうだな。……だが、これも公務だと言われればそれまでだ。会自体は二時間程度で終わるし、さくっとこなしてくるしかない」
やれやれと肩を落とすリシャールだが、不満な気持ちを口にしただけでだいぶ気持ちは楽になった。こうして後ろ向きな自分の愚痴を聞いてくれるサラには、本当に助けられている。
話をしながらリシャールはせっせと菓子をサラの皿の上に載せてかいがいしく世話を焼いていたのだが、フェリクスに口元を拭われたリディがあっと声を上げた。
「あの、おとうさま。こんどのおたんじょうび、はやくかえってこられますか?」
「……城での誕生日会は夜には終わるから、リディたちが寝るまでには帰れるはずだ」
「そうなのですね! よかった! ねえ、おにいさま?」
「……うん」
フェリクスも言葉少なに相槌を打つと、ティーカップを置いた。
「ぼくたちからちちうえに、おくりものをしたいのです」
「……お、おくりもの……? おまえたち、から……?」
フェリクスの言葉に、リシャールが声を震わせている。それもそうだ。
今年でフェリクスは五歳、リディは三歳。
これまでリシャールたちが子どもの誕生日を祝って贈り物をしたことはあるし、子どもたちからも日頃から、きれいに磨いた石だとか、似顔絵だとか、習いたての字で書いた手紙だとかは、もらっている。
それらは全て大切に保管しているのだが、「誕生日プレゼント」というものをもらうのは初めてだったのだ。
はっと口元を手で覆って隣を見ると、サラが慈愛の微笑みを浮かべていた。
「殿下に何を差し上げたら喜ぶだろうか、って二人で考えているのですよ」
「まだ、なににするかはきめていませんが……」
「おにいさまといっしょに、すてきなもの、つくります!」
「……だから誕生会当日は、夜遅くになる前に帰ってきてくださいね?」
サラに言われ、リシャールは胸を熱くしながらこくこく頷いた。
王城での誕生会なんて憂鬱でしかないが、それを終えた先には家族での誕生会が待っている。
それが分かった今の彼には、大勢の前で挨拶をすることも踊ることも歌うことも、苦ではない。
つい数十分前は萎えきっていた王兄殿下は、家族への愛情を胸に、無敵の存在へと生まれ変わったのだった。




