おいしい時間をあなたと②
翌日、サラはリシャールと一緒に朝寝坊し、しばらく寝室でダラダラしてから一日の行動を開始した。
「今日は……クレアたちと一緒に出かけるのだったか?」
遅めの朝食の席でリシャールに問われ、半熟卵の黄身にナイフを入れていたサラは頷いた。
「はい。城下町にとても素晴らしい織物の店があると聞いて……フェリエの伝統文様を織り込んでいるとのことなので、是非見に行きたいと思っているのです」
……涼しい顔となんてことない口調を心がけたつもりだが、内心はものすごく緊張していた。
今日は昼から、クレアや護衛騎士を連れて城下町の散策に行くことにしていた。
リシャールには織物店を口実にしたが、サラたちが訪れるのはそこだけではない。本命は、食料品を扱う店である。
ちなみに護衛は全員女性で、事情を聞いた太后アンジェリクが快く私兵を貸してくれたのだ。
また、ダニエルから計画を聞いたというエドゥアールもなぜか大変乗り気らしく、「義姉上が動きやすいように兄上を連れ回すよ!」とまで言ってくれた。
ただし、王兄妃がぶらぶらと食料品店に行くなんてことを公にするわけにはいかない。よってサラたちは変装し、食料の買い出しに来た若い主婦たちを装うことにしている。
このための衣装も全て、太后が貸してくれた。私兵はともかく、なぜ彼女が一般家庭の女性の服を大量に持っているのか、気にはなるが聞かないことにした。
変装はするが護衛もたくさん付けると聞いたからか、リシャールはそれほど気にならなかったらしく、「そうか」と頷いた。
「今日は天気もよさそうだから、ゆっくりしてくるといい」
「ありがとうございます。……殿下は、夜まで本城に行かれるのでしたっけ?」
「ああ。……何を思ったのか、エドゥアールがあれこれ用事を押しつけてきてな。持ち帰って離宮でやりたいと言ったが、相当ごねられて。夕食までには帰れると思うが……」
(すみません、殿下。それも全部、計画のためなんです!)
リシャールは離宮にいる間は、サラを側に置きたがる。サラに何か仕事をさせるためというより、ダニエル曰く「サラ様はサシェやぬいぐるみのような存在なんですよ」とのことだという。
側にいるだけで癒され、疲れたときにはぎゅっと抱きしめて英気を養う。
自分の感情を表に出すのが苦手なリシャールは甘え方も下手で、だからこそサラも彼の側にいて、自分にできる範囲でリシャールを甘やかしてあげたいと思っていた。
そんなリシャールにとって、サラから引きはがされ本城に強制連行されるというのは非常に辛いことだろう。
今になって罪悪感がとてつもないが、たくさんの人の協力を仰ぎ、材料も買って夕方から調理を始めると決めたのだから、もう後には退けない。
買い物が無事に終わり、サラはクレアと一緒に離宮の厨房に向かった。
厨房ではいつも、料理人たちが忙しく作業をしている。といっても本城と違い、ここで食事をする身分の高い者はサラとリシャールの夫婦だけだ。クレア曰く、「本城の厨房は、こことは比べものにならないくらいの戦場っぷりですよ」とのことである。
そんな厨房の隅っこを借り、エプロンを身につけて髪も括ったサラは、よし、と気合いの声を上げる。
「それじゃあ……殿下のために作るわよ! グラタン!」
クレアや料理人たちとの相談の末、サラが選んだのはグラタンだ。
リシャールはなかなか好き嫌いが激しく、肉は微妙、魚は嫌い、野菜はそこそこ食べるが汁気の多いものは嫌い、乳製品はたいていのものが好き、辛いものは嫌いで甘いものは好き、と嗜好が偏っている。
いつもは彼の健康を気にする料理人たちによって嫌いな食材も盛り込まれ、サラがなだめながら食べさせているのだが、今回は彼をめいっぱい甘やかすためにも好きなものを作ろうということになった。
とはいえ、リシャールが大好きな料理というのはいまいち誰もぴんとこなかった。よって、乳製品を使い、甘くて、温かいもの――ということでグラタンが選ばれたのだった。
『太后様に引き取られた直後の殿下は、我々が作るものにもなかなか手をつけてくださらなかったのです』
ある料理人が、そう語っていた。
『ご幼少の頃から食の細い方でしたが、妾妃様の事件以降はますます厭世的になり、一時は太后様が作られるパイしか召し上がらないこともありました』
その料理人は、妾妃の死の真実を知らないようだ。だがリシャールからすると心を病んだ末に弟に手を掛けようとした母を目の当たりにし、そして獣に変化することで母を殺したという経験が原因で、生きることの意味や食事を摂る必要性を感じなくなってしまったのだという。
そもそも妾妃は非常にヒステリックで心配性だったらしく、自分や息子が食べる料理は全て毒味させていた。よって彼は子どもの頃、湯気の立つ温かい料理をほとんど食べたことがないのだ。
(そんな殿下に、温かいご飯を提供したい。おいしい、って言ってもらいたい)
作業用のドレスの袖を捲り、サラは早速準備を始めた。
買ったのは、鶏肉、ミルク、チーズ、ケルルという球状の野菜、そしてフェリエでもよく食べられる芋だ。その他にも調味料や薄力粉、パン粉が必要だが、それらは少量なので厨房のものを使わせてもらう。
野菜類は洗って皮を剥く。ケルルはざくざくと櫛形に切り、芋は薄めに切ってからさっと茹で、耐熱皿の底に並べておいた。
鶏肉も一口大に切って鍋に入れ、バターで炒める。続いてケルルを入れ、しっかり火が通るまでヘラで混ぜていくのだが。
「……あ、妃殿下。ちょっと失礼しますね」
少し離れたところで様子を見ていた料理人の一人が歩み寄り、サラの顔の前で「さようなら」の仕草をするように手を振った。
すると、ふわっと温かい風が鼻先に吹き付けてきた気がして、サラはまばたきする。
「……今のは何?」
「俺の異能です。しばらくの間、妃殿下の顔の周りに薄い防護壁を張りました」
「……料理中に、防護壁?」
一瞬わけが分からなかったが、サラははっとして、ボウルの中で出番待ちをしている櫛切りケルルを見やる。
ケルルは、汁が目にしみる。ざくざくと切ってる間はまだよかったが、鍋で炒めると汁が顔まで飛んでしまうのだ。
「……もしかして、ケルルで涙が出ないようにするためのですか?」
「そうです! いえ、これの強化版だと戦闘でも役に立つのですが、俺は力が弱いのでこれくらいしかできなくて……」
「そんなことありません! こんなふうにも活用できるなんて……知らなかったです。ありがとう、助かります」
礼を言って早速サラはケルルを鍋に投入したのだが、本当に目にしみなかった。目には見えないが、サラの顔を覆う薄い防護壁がきちんとケルルの汁を弾いてくれているようで、地味に感動する。
(そっか、防護壁はサレイユ戦で使っているのを見たことがあるけれど……あそこまで強いものではなくても、日常生活に役立てられるんだな)
ものは使いよう、とはよく言ったものである。先ほどの料理人だって、戦闘では役立てなくてもこの異能で厨房では大活躍できる。
調子よく炒めていると、鶏肉はうっすら白くなり、ケルルも透明になってくる。そこでふるった薄力粉を入れてしっかり絡め、調味料で味付けをした上で少しずつミルクを入れていく。
最初のうちの鍋の中はほぼ液体状だが、火を弱めにして焦げ付かないように混ぜていると、だんだんとろみがついてくる。表面がふつふつ煮立ってきたら火から下ろし、芋を敷いていた耐熱皿に注いでいく。
今回は初挑戦ということで、サラとリシャール二人分しか作っていない。自分の方の器はともかく、リシャール用のは見目もよくなるように慎重に注ぎ、刻んだチーズとパン粉を振りかける。
そうしている間にクレアが竈の準備をしてくれていたので、耐熱皿を鉄板に載せて料理人に差し出した。サラはこの大きな竈の使い方は分からないので、ここから先はプロに任せることにしたのだ。
「焼けるまでもう少し時間が掛かりますが……殿下の方はいかがでしょうか」
ばんっと竈の扉を閉めた料理人に聞かれ、クレアが胸ポケットから小さな予定表を取り出した。
「予定では、もうじき離宮に到着されるはずです。いつも湯浴みと着替えをしてから夕食になさるので、いい頃合いになるかと思います」
「分かりました。……うまくいくといいですね、妃殿下」
料理人に言われ、サラは微笑んだ。
菓子作りではなく「料理」をしたのは初めてだが、きちんとレシピ通りにできたし、ほとんどクレアたちの手を借りずに進められた。
(……殿下、喜んでくれるかな)
ケルル≒タマネギ