公爵閣下の悩み②
夕方になると、公爵邸の前に馬車が停まった。
サラたちが帰ってきたということなので、リシャールは自室で勉強していたフェリクスにも声を掛けて出迎えに降りた。
出発の際にはサラの姿しか見かけなかったが、馬車から降りた母娘たちを見て――リシャールは感動のあまり心臓発作になるかと思った。
彼女らは、お揃いのドレスを着ていたのだ。
リディは淡い赤、アンジェルは薄い青の、色とサイズが違うだけの同じデザインのドレスで、手を握って並ぶ二人の姿は、実に尊い。天使が舞い降りているのかと錯覚する。
そして娘たちの背後に立つサラを改めて見ると、胸元のレース模様やスカート部分の刺繍が娘たちのドレスと揃いになっていたのだ。
サラのドレスを仕立てたのはリシャール、娘たちのドレスを作らせたのはサラなので、リシャールが贈ったドレスを見て、お揃いのデザインにしたのだろう。
そんな三人の姿はリシャールからすると、聖女に伴われた天使たちだ。そこに、母の姿を見て「母上!」と駆けていったフェリクスも加わったので、天使がさらに増えた。
あまりに神々しい場面を目にして、リシャールの胸は感動でいっぱいになる。
そんな彼を現実に引き戻したのは、「とうさま」と舌っ足らずに呼ぶアンジェルの声だった。
「とうさま、あたまいたいの?」
「……ああ、いや。大丈夫だ。心配させてすまないな」
とてとてと歩み寄ってきたアンジェルにそう言うと、彼女はほっとしたように赤い頬を緩め、「とうさま、だっこ!」と抱っこをねだる。
二つ返事で了解したリシャールは慣れた手つきで娘を抱き上げると、ほうっと安堵の吐息を吐き出した。
「ちゃんとアンジーがいる……」
「とうさま? どうしたの?」
「アンジーが今日も可愛いってことだよ」
「ほんと!? とうさま、大好き!」
褒められて嬉しいらしいアンジェルは緑の目を細めてリシャールに抱きつき、リシャールは幸せのあまり卒倒するかと思ったのだった。
……とはいえ。
「サラ、話がある」
「はい、なんでしょうか?」
改まった様子でリシャールが切り出すのだが、サラは夫の緊張しまくった顔を気にしたふうもなく、淹れたての紅茶をテーブルに置いてリシャールの隣に座った。
「どうぞ。今日王妃様に譲っていただいた紅茶なのですよ」
「いただこう。……うん、これはほどよくとろりとしていて、おいしいな。香りは……もしかして、サレイユ産か?」
「正解です! これは最近サレイユで開発された紅茶で、とろみと甘みはあっても見てのとおり味が薄めなので、フェリエでも受け入れられるだろうということで売り出されたそうです。リディやアンジーも気に入ったようですよ」
……そう、そうだ。
紅茶のおいしさとサラの声の柔らかさでまたしても吹っ飛びかけたが、リシャールはアンジェルのことをサラに尋ねようとしていたのだ。
「……それで、本題なのだが……アンジーについてだ」
「アンジーがどうかしましたか? 今日も一日、コンスタンス様やリディと一緒に大人しく遊んでいましたよ?」
「そうか、俺も見たかった……ではない。フェリクスが言っていたのだが……」
そうしてリシャールは硬い表情のまま、フェリクスの言っていた「好きな人」の話を切り出した。
だが、それを聞いたサラはおいしそうに紅茶を味わいながら、のほほんと笑うだけだ。
「ええ、そうですよ」
「どこのどいつだ」
「言えません」
「……」
「そんな顔をなさってもだめです。アンジーが、まだ父様には言うなと言っていたので」
「サ、サラは俺よりアンジーの方を選ぶのか……」
「いや、そんな重大な話でもないでしょう」
リシャールにとっては三十余年の人生でもトップクラスの重大な話なのだが、サラはしれっとしてリシャールの視線を流す。
そしてなおもリシャールが物申そうとしている気配を察したのか、茶菓子として準備したマルロ入りケーキの欠片にフォークを刺し、夫の口元に運んだ。
「はい、あーん」
「……絆されないぞ」
「あら、召し上がらないのなら私が。……うん、おいしいですね」
「……」
「もう一切れ……リシャール様、この手は?」
「……あーん」
「ふふ、仕方のない方ですね」
年下の妻の手の平の内で転がされている気もしなくもないが、こうやって甘やかされたりするのが結構好きなリシャールにとっては、さしたる問題にもならないのであった。