公爵閣下の悩み①
リクエストより、本編終了後の幸せな未来の話。
その日、公爵家に爆弾が投下された。
「父上、知ってますか」
「何をだ」
「アンジーが、好きな人に贈り物をしたがっているそうなんです」
息子を膝に乗せて本を読んでやっていたリシャールは、固まった。
「……は? 好きな人?」
「そう言ってました」
「……フェリクス。それは、誰だ?」
「僕は知りません。でも、母上には教えているみたいですね」
フェリクスは、自分の発言によって父親が大いなる打撃を受けたことに気づいた様子はなく、「父上、これはどういう意味ですか?」と本の一節を指差す。
だが、リシャールはそれどころではなかった。
「サラ! いいところにいた!」
「何かご用ですか?」
大股で公爵邸を歩いていたリシャールは、ちょうど廊下の角を曲がって現れた妻を目にし、弾んだ声を上げる。
サラは太后アンジェリクや王妃マルジョリーに呼ばれているようで、これから長女リディと次女アンジェルと共に王城に行くことになっていた。
落ち着いた緑色が美しいよそ行きのドレスを着たサラを見たリシャールは、息を呑んだ。
妻に会ったら真っ先に問いたいことがあったのだが、着飾ったサラを見ると色々と吹っ飛んでしまったのだ。
「……」
「リシャール様?」
「あ、ああ、いや。……それは、この前俺が贈ったドレスだな?」
「はい。せっかくですから、着ていこうと思って……どうです?」
「とても似合っている。君にはどんな色も似合うが、緑は君の姿勢の美しさや肌の滑らかさをよりいっそう魅せてくれる色だな」
結婚して十年以上経つと、世間知らずで口べただったリシャールも多少は妻を褒めるのが上手になってくる。
サラは嬉しそうに頬を緩め、「光栄です」と笑う。
「太后様と王妃様にも自慢してきますね。……あ、そろそろリディたちの仕度も終わるので、行ってきます」
「ああ、気を付けて行ってきなさい」
リシャールはサラをぎゅっと抱きしめるとこめかみにキスし、上機嫌の妻が去っていくのを満ち足りた気持ちで見送った。
何年経っても、サラへの愛情は尽きるどころかいっそう募っていた。
ダニエルは「どんなにラブラブの夫婦でも、三年経てばそれなりに冷めるそうですよ」とロマンチックの欠片もないことを言っていたが、とんでもない。間違いなく、リシャールからサラへの愛情は毎年積み重なっていっている。
そんなサラは義母である太后や義妹にあたる王妃とも仲がよく、またリディは国王夫妻の第一子である王女コンスタンスに会えることを楽しみにしているようだ。アンジェルも、コンスタンスに人形遊びの相手をしてもらえて嬉しいようだし――
そこでリシャールは、思い出した。
自分は次女アンジェルの「好きな人」について、サラに尋ねようと思っていたことを。
公爵閣下は、妻のことになると少々残念になってしまうのである。
王兄リシャール一家が王家から正式に外れ、元王族の公爵として暮らすようになって四年ほど経った。
それまでは彼自身もやりたいことがあり、世継ぎの心配もあったため王家の末席に名を連ねていた。だが彼が立案した異能に関する法律も制度がまとまり、第一王子アレクサンドルも健康に育ち第二王子も生まれたことで、踏ん切りがついたのだ。
リシャールがサラと改めて結婚して一年ほど経った頃に長男フェリクスが、その二年後に長女リディ、さらに三年後に次女アンジェルが生まれ、愛しい妻や可愛い子どもたちと一緒に暮らせる日々の喜びを、リシャールは噛みしめていた。
フェリクスはリシャールに似て大人しい少年で、少し気難しいところはあるが他人思いで勉強好きな子に育った。
リディは誰もが認める可憐な美少女で、やや内気で人見知りはするが心優しく、同い年の王女コンスタンスの未来の補佐役になるだろうと期待されている。
そういうことで、長男と長女はどちらかというと内向的だった。一方の次女アンジェルはまだ五歳だが、兄姉とは比べものにならないほど活発で、社交的な子に育った。
ダニエルは「絶対、サラ様似です」と断言しているがそれはともかく、アンジェルは友だち作りが上手で、新しいことへの挑戦にも一切尻込みしない。
そして、リシャールは油断していた。
娘が、いつの間にか「好きな人」を作っていたなんて。
「リシャール様。気持ちはまあ、分からなくもないんですが、そこまで落ち込みます?」
「……ダニエルもいつか分かるようになるだろう」
「そうですかねぇ」
書斎で頭を抱えて唸っていると、ダニエルがのほほんと話しかけてきた。
ダニエルは元々離宮勤めの侍従で、リシャール一家が王家から離れる際に昇格の話もあったそうだが、きっぱり断った。そして給料が下がるのも全く厭わず、公爵家付きの侍従としてついてくることになったのだ。
自分たちのために心を尽くしてくれるダニエルのことを、リシャールは信頼しているし、ありがたいとも思っている。だが、相変わらず彼は一言二言多いのだ。
「そうに決まっている。もしかするとアンナもいずれ、好きな人とやらを連れてくるかもしれないだろう。そのとき、ダニエルも同じ気持ちを味わうに違いない」
「……やー、どうなんでしょうか。少なくとも僕は、娘の意思を尊重させてあげたいと思いますよ」
「……」
リシャールはじろっとダニエルを睨んだ後、溜息をついて体を起こした。
「……未確認の書類を持ってきてくれ」
「あ、やっと仕事する気になりました?」
「そうでもしないと、頭の中がごちゃごちゃする」
「……あー、はい。そういうことですね」
ダニエルには変な目で見られたが、放っておいてほしい、とリシャールは切実に思った。