表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/25

幸せの足音②

 クレアが言うに、サラは自室に戻るなり寝室に直行し、そのまま寝込んでしまったようだ。

 それを聞いたリシャールは、体中から血の気が引く感覚に襲われる。


 やはり、サラは体調が悪かったのだ。

 そういえばサラは演奏会から戻ってすぐに休もうとしていたが、そんな彼女をリシャールが引き留めたのであった。


「……やはり俺は死ぬべきだ」

「はいはい、少なくともあと五十年は生きてからにしてくださいね」


 すぐに自害したがるリシャールをなだめていると、ドアが開いた。

 寝室から出てきたのは、重いドレスを脱いで簡素な寝間着姿になったサラで――すかさずリシャールはダニエルの後頭部を掴んで、振り向かせないようにする。


「サラ! なぜ起きているんだ!」


 思わず口走ってから、リシャールは自分の発言を悔やんだ。

 あれだけ後悔したというのに、また自分はサラに厳しい言葉掛けをしてしまった。ここは、「まだ寝ていなさい」と優しく言うべきだっただろうに……。


 だがサラは首を横に振ると、クレアの手を握りながら弱々しく微笑んだ。


「お気遣い、ありがとうございます。……寝たので、少し気分がよくなりました。だから今のうちに、殿下に謝罪したくて」

「……しゃざい?」

「はい、謝罪です」


 そしてぽかんとするリシャールを前に、サラはゆっくりと膝を折って頭を垂れた。


「……殿下のお心遣いを無下にし、ご忠告も聞かずに幼稚な振る舞いをしたこと――お詫びします」

「サラっ……」

「申し訳ありません。……以後、気を付けます」

「待ってくれ、サラ」


 今度は、ちゃんと優しい声が出せた。

 リシャールは後頭部を掴んだままだったダニエルに、「あっちに行ってくれ」と目線だけで合図をすると座っていたソファから立ち上がり、寝室前に佇んでいたサラの手を取った。

 いつもはほんのり温かいサラの手は、今は冷たくて少し乾燥している。


「謝るべきなのは、俺の方だ。……君の体調が優れないというのに気遣えず、すまなかった」

「……殿下、どうして……?」

「君は体調が優れなくて、気持ちも落ち着かなかったのではないか?」


 リシャールの言葉に、サラは目を見開いた。

 それが肯定を表していると悟り、リシャールは自分の体温を少しでも分け与えようとするかのように、サラの手をぎゅっと握る。


「無理をして演奏会に行ったのを咎めたのは、君が心配だったからだ。……だがそれでも、俺は君を責めるのではなく――一言でもいいから、体を張って俺のために動いてくれた君に感謝の言葉を述べ、労るべきだった」


 サラが周りの反対を押し切って外出したのは、今日当日欠席すると今後に響くかもしれないから。

 彼女が無理をしたのは――複雑な立場にあるリシャールのためだったのだ。


「頑張ってくれて、ありがとう。君の気持ちを推し量れず、すまない。……でも、これからはもっと、自分の体を大事にしてほしい」

「殿下……」

「その……それでも君が俺を許さないというのなら、なんでもするから言ってくれ」

「……だめですよ、殿下。『なんでもする』なんて言っては」

「……」

「殿下はお優しいから……私がずるずる甘えてしまいます」


 サラは目線を落とし、小さく息を吐き出した。


「今回は、私がいけなかったのです。申し訳ありませんでした」

「……次からは、俺も気を付ける。だから君も、体の調子がいいときでいいから、言いたいことは言ってくれ」

「分かりました」


 そうしてサラは顔を上げ、まだ弱々しいながら微笑んだ。

 その笑顔を見ると――その儚さに胸が苦しくなる一方で、妻の笑顔を見られてよかった、あのとき首を吊らなくてよかった、と思われた。


 一つ咳払いすると、リシャールはそっとサラの腰に手を宛てがった。


「……体が冷たいし、まだ顔色もよくない。辛いのに起きてくれて、ありがとう。もう少し寝るか? それとも、何か腹に入れるか?」

「私の方こそ、様子を見に来てくださりありがとうございます。……少しお腹が空いたので、何か食べてからもう一度休みたいのですが……いいですか?」

「ああ、もちろんだ。……医者とかはいいのか?」


 サラをソファにエスコートしながら尋ねると、ゆっくり腰を下ろしたサラは、なぜか少し返答に躊躇ったようだ。そして傍らで様子を見守っていたクレアに目配せしてから、頷いた。


「……実はクレアに頼んで、夜に診察に来てもらうことにしたのです」

「それならよかった。……ん? だが、離宮の侍医からはそのようなことは聞いていないと思うが」


 離宮はリシャールの城だから、侍医の出入りや使用人たちの監督をするのも彼の仕事だ。もし、急用で医者を呼んだのならば、主であるリシャールにもまず連絡が来るはずなのだが。


 するとサラは少し黙った後、腹をさすった。


「……いえ、クレアのつてで、別のお医者様にお願いすることにしたのです。信頼できる、女性の方です」

「女医か……まあ、クレアなら大丈夫だろう。分かった」


 フェリエにまだ女医は少ないが、体に悩みのある女性の診察をしたり相談に乗ったりと、非常に重用されている。

 今度エドゥアールに、女性医師の育成に関する提案をしてみてもいいかもしれない。


 サラは微笑むと、「それでですね」と隣に座るリシャールの手を握った。


「もしお時間があれば、殿下にも同席していただきたくて」

「俺か? ……ああ、いや、嫌なわけではない。だが、俺がいても役に立たないだろうし、逆に君が落ち着かないかもしれないし……」

「大丈夫です。私も今の症状には少し、心当たりがありまして。診察中はともかく、その後で殿下と一緒にお話を伺いたいのです」

「……そういうことなら。今晩は予定もないし、いつでも出られるようにしておこう」

「ありがとうございます。……殿下」

「……ああ」

「……弱い私をいつも支え、導いてくださり、ありがとうございます。……愛しています」


 ……サラの言葉に、リシャールは少し動揺する。


 基本的にしゃきしゃきしているサラだが、「愛している」などの言葉はやはり気恥ずかしいようで、あまり聞くことがないからだ。


 だがすぐに我に返ったリシャールはサラの腰を引き寄せ、そっと抱きしめる。

 抱き寄せた体からは、自分のものでない、もうひとつの鼓動と温もりが感じられた。









 ――リシャールはこれっぽっちも気づいていなかったが。


 幸せの足音は、もう自分たちのすぐ側まで、近づいてきていた。

幸せの足音

おしまい。











つまりそういうことです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] つまりそういうことと言うことは…そういうことですね めでたやぁ!!
[一言] なるほど。不安定で気も立ってたんだねー。 親バカ誕生ですねww
[一言] リシャールのサラへの愛情はめんどくさい重さだけどそこがまた愛おしいですね(笑) ああ、サラとリシャールのような夫婦関係憧れちゃうなぁ。この二人のことして生まれたらめちゃくちゃ幸せだと思うの…
2020/03/30 22:43 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ