次期王妃の謎④
意を決して、リシャールと共にリビングに向かったサラだったが――
「……マルジョリー嬢?」
リシャールがぎょっとした声を上げる。それもそうだ。
ソファに座るマルジョリーが両手で顔を覆い、小刻みに肩を震わせていたからだ。
サラも驚き、慌ててマルジョリーのもとに駆け寄って声を掛ける。
「どうかなさったのですか、マルジョリー様!?」
「えっ……あら、お姉様。いえ、なんでもありませんよ」
サラの声を聞いた途端、マルジョリーはぱっと顔を上げた。体調が優れないのかと思ったが、そうではないようなのでひとまず安心する。
だがリシャールは厳しい表情をしており、サラと並んでマルジョリーの正面に座ると、淡々と切り出した。
「マルジョリー嬢。俺と妃から、尋ねたいことがある」
「ええ、なんでもおっしゃってくださいまし」
とても友好的とはいえない口調でリシャールに言われたというのに、マルジョリーは動揺したり怖がったりするどころか、至極嬉しそうな顔でこくこく頷いている。
(……いったいどういうことなんだろう?)
マルジョリーの意図が分からずサラは内心首を傾げるが、リシャールがさくさく切り込んでくれた。
「あなたが俺たちと懇意にしようとなさる気持ちは、よく分かる。だが……近頃は少々、距離が近すぎるように思われるのだ」
「……まあ」
「あなたはいずれこの国の女性での最高位に就くのだから、そのときには俺たちもあなたに仕える覚悟はできている。だが、いくらいずれ家族となるにしても、節度は保つべきではないか」
「家族……ウッ」
「……マルジョリー嬢?」
「いえ、お気になさらないでください」
一瞬、マルジョリーが自分の胸を押さえて苦しそうに喘いだ気がしたが、顔を上げた彼女はけろっとした様子で頬に手を添えた。
「それより……ええと。わたくしが王兄殿下ご夫妻に近すぎるのでは、というご忠告ですね」
「……貴族の中にも口さがない者はいる。たとえば既婚者である俺とエドゥアールの婚約者であるあなたが密接に関わりすぎれば、ありもしないことを吹聴されるかもしれない。それを未然に防ぐためだ」
そこで一旦言葉を切り、膝の上で手を組んだリシャールは緑の眼差しをマルジョリーに注ぐ。
「……とはいえ、あなたの行動を制限したいわけではない。なにか理由があるというのであれば、聞きたい」
「……」
「マルジョリー様。私からもお願いします。これからも、夫婦であなたと仲よくしたいので――」
「ウッ……夫婦……」
「……マルジョリー様?」
やはり、マルジョリーの様子がおかしい。さしものリシャールも心配そうに眉を垂らしたが、彼が何か言うよりもマルジョリーが復活する方が早かった。
マルジョリーはしゃんと背中を伸ばすと、すうっと息を吸った。
「……かしこまりました。確かに、わたくしの言動で殿下方を困らせることや、よからぬ噂を流す者が生まれることがあってはなりませんものね。お話しします」
「マルジョリー様……」
「ああ、頼む」
「……実は」
「……」
「わたくし……あなた方の信奉者ですの!」
「……は?」
マルジョリーは生まれたときから次期王妃の座が約束されており、国母となるにふさわしい教育を受けて育った。
彼女も公爵家の令嬢、そして未来の王妃としての自覚はあったし、その立場を恨めしいと思うことよりも、祖国の母となれることを誇らしく思っていた。
だが、淑女教育を受ける上でやはり、行動に制限は掛けられる。
特に彼女が悲しんだのは、他の令嬢仲間が読んでいる恋愛小説をなかなか読ませてもらえないことだった。読めるとしても公爵夫妻が検閲したものに限られ、令嬢仲間が頬を染めて語り合うようなものにはなかなか触れられなかった。
マルジョリーは、それも未来の国母の使命だと我慢した。両親が許可してくれたわずかな小説に思いを馳せ、登場人物たちの恋愛模様に胸をときめかせ、勉強の慰めとした。
そしていつか、自分もエドゥアール王子とこのような恋をするのだと夢見ていた。
……そんな彼女は、人嫌いの引きこもりで有名だった王兄とその妃の噂を聞いた。
離宮から滅多に出てこない王兄と、彼のもとに嫁いだサレイユ王女。彼らはすれ違い、心を確かめ合い、仲を切り裂かれそうになりながらも二人で乗り越えた。
王女は男爵家令嬢という自分の真の姿を明かし、二人は手に手を取ってサレイユの悪王を滅ぼして、フェリエのみならずサレイユにも平穏をもたらした。
「……いや、そんなたいそうな話じゃないと思うが」
「ちょっと黙っててくださる、殿下?」
「……」
マルジョリーは、驚いた。
事実は小説よりも奇なりと言うが、まさかそんな物語のような出来事が身近に起きるなんて。
そして、その登場人物たちが、いずれ自分の家族となる人たちだなんて。
マルジョリーは、王兄夫妻の物語に関心を抱き、積極的に調べた。
そして、こじらせた。
「普段は仮面を装着し、ご自分の心に踏み入ろうとする者を激しく拒絶なさる王兄殿下。そして殿下が生まれ持った異能の力はフェリエでも珍しく、差別の対象となっていたけれど、殿下ご自身が先頭に立って法律改善に向けていらっしゃる。そんな殿下は妃殿下であるお姉様の前だけは柔らかく表情を緩め、慈愛の籠もった眼差しを向けていらっしゃる。……お姉様も、サレイユ王族によって愛する家族を奪われて辛い人生を送ることを余儀なくされたけれど、前向きな気持ちを忘れず殿下にも真心を込めて接した。お優しくて聡明な妃殿下は離宮に仕える者たちの敬意を集めるだけでなく、王兄殿下の愛情をも一身に受けていらっしゃる。そんなお二人にこうして見えることができるなんて! お互いがお互いを愛しているというお話を伺えるなんて! お二人が幸福そうに過ごされているお姿を、陰から見守れるなんて!」
すっかりとろけた表情でありながら凄まじい速度で喋るマルジョリーに、サラもリシャールも言葉を失っていた。
ただサラはこれまでさまざまな人と接してきた経験もあって、「なんだかすごい方だな」という思いで苦笑できるのだが、リシャールの方は完全に固まっている。
「お二人にお会いし、お話しするたびに沸き上がる、この感情――浅学なわたくしではなんと名を付ければいいのか分からない、胸を掻きむしりたくなるような熱い思いゆえ、お二人にご迷惑をおかけしてしまったこと、お詫び申し上げます」
「……」
「……あ、あの。そういうことでしたら……大丈夫ですよ」
まだ固まっているリシャールの代わりにサラが言うと、マルジョリーはぱっと顔をほころばせ、「お姉様!」と歓喜の声を上げる。
「ああ、なんてお優しいお姉様なのでしょう! わたくしは、お二人が仲睦まじく過ごされる姿を、物陰から拝見するだけで幸せでございます。今後は己の言動にも注意を払いますので、どうかこれからも仲よくしてくださいませんか? 殿下方のお姿を拝見することが、わたくしの生き甲斐なのでございます」
「い、生き甲斐なんて……でも、私たちもマルジョリー様ともっとお喋りがしたいですし……いいですよね、殿下?」
「……」
「殿下」
「……あ、ああ。もちろんだ。ただ先ほども言ったように、節度は保ってもらいたい。エドゥアールにもそのように言うので……それでいいな?」
「ええ、もちろんです!」
やっと我に返ったリシャールに言われ、マルジョリーはふわふわと微笑んだ。
(……マルジョリー様はこれから国母となられるのだから、息抜きも必要だろうし……それに、私たちのことを好意的に捉えてくださっているのなら、それでいいよね)
そっと視線を上げると、リシャールと眼差しがぶつかった。
彼はやれやれと言わんばかりに目を伏せたが、サラがぎゅっと手を握ると優しく握り返してくれた。
国王エドゥアールが十九歳の誕生日を迎えた年、彼は婚約者であるマルジョリー・ルーベと結婚した。
その頃から、フェリエで「マージ」という名の女性作家が登場し、彼女が書いた小説が爆発的に売れるようになる。
そのタイトルは、「黒き勇士と夜明けの妃」。
事情があって引きこもっていた王兄が、運命の女性と出会う。紆余曲折を経て結ばれた二人は手を取り合い、隣国との問題に乗り込んで見事解決させる。
黒灰色の髪を持つ殿下と、その殿下の心や隣国に夜明けをもたらした妃の物語。
言うまでもなくそれは王兄リシャールと王兄妃サラの出来事を踏まえているのだが、国王の推薦もあってあっという間に国内に広まった。
そして小説の刊行から十数年経過した頃、フェリエの有名劇団が小説をもとにした歌劇を発表する。
開催初日から大入り満員となった劇には当然、リシャールとサラも特別賓客として招かれた。
だが、頬を赤らめつつも微笑ましく観劇していたサラに対し、リシャールはずっと仮面をつけていた上、恥ずかしさのあまり妻の肩に顔を埋めっぱなしだったという。
次期王妃の謎
おしまい。
「浅学なわたくしではなんと名を付ければいいのか分からない、胸を掻きむしりたくなるような熱い思い」≒「萌え」