次期王妃の謎②
庭園でお茶をしながら雑談をして、マルジョリーはとても機嫌がよさそうに帰っていった。
マルジョリー一行が見えなくなるまで見送り、ダニエルが「もう大丈夫ですよ」と言ってくれたのを合図に、サラはすとんとベンチに腰を下ろした。
「サラ、疲れたのか?」
「え、ええ。でもどちらかというと、ほっとしている感じです」
リシャールに気遣わしげな視線を向けられ、サラは微笑んだ。
公爵家の娘で生まれながらの次期王妃、という肩書きにばかり囚われて体をガチガチに固めてしまっていたが、いざ話をしたマルジョリーは年相応に無邪気で優しい、話し上手な少女だった。
サラの言葉に、リシャールも頷いた。
「確かに、マルジョリー嬢は完璧な淑女として名を馳せているが……その分、愛情に飢えている箇所はあるだろう」
「愛情に……」
つい、リシャールを見てしまう。
彼はサラの視線を受けて苦笑し、「俺も似たようなものだな」と頬を掻いた。
「さきほど彼女が口にしていた、女学校の話だが――俺も、そういう風習があるとは聞いたことがある。だが――次期王妃だと決まっているマルジョリー嬢が素直に『お姉様』と慕うことができ、逆に彼女が上級生になったときに無邪気に『お姉様』と慕ってくれる人が、本当に現れるのだろうかな」
「あっ……」
その可能性に思い至って口を手で覆うと、リシャールは頷いてマルジョリーの去っていった方を見やった。
「エドゥアールはきっと、彼女のことを大切にするだろう。だが、同じ女性同士で彼女が遠慮なく甘えられる相手は、サラしかいないのかもしれない」
「……」
「とはいっても、君が無理をするとか、苦しい思いをする必要はない。きっとマルジョリー嬢も素直な君を慕うだろうから、ありのままの君として接すればいいはずだ」
「……そう、ですね。分かりました。私も、マルジョリー様と仲よくなりたいので」
顔を上げたサラがはっきり言うと、リシャールは微笑んだ。
「ああ、それがいいな。…………」
「……殿下?」
「……いや。なんでもない。さあ、そろそろ寒くなる時間だし、部屋に戻ろう」
「はい」
一瞬、リシャールが明後日の方向を睨み付けているように思われたが、気のせいだったようだ。
王兄夫妻が立ち去った庭園にて。
「……」
紫の双眸が離宮の方を見上げ、銀の光を伴って本城の方へ去っていった。
翌日以降もマルジョリーは本城に滞在しているらしく、クレアたちも噂話をしていた。
「マルジョリー様の父君であるルーベ公爵はまだ若いのですが、宰相補佐ということもあり陛下にも重用されています。現在の宰相が引退すればルーベ公爵が跡を継ぐのでは、とも言われていますね」
「フェリエでは、爵位保持者が宰相の位に就くこともあるのよね」
サレイユでは、宰相、大臣、騎士団長などは基本的に貴族が就任するが、公爵や侯爵の位などとは兼任できないことになっていた。
サレイユの新国王アルフォンスの親友だという現宰相の場合、彼は公爵家出身だが家督は兄が継いでおり、兄の一家全滅などが起きない限り宰相が公爵位を継ぐことはできないとされている。
サラの言葉に頷いたクレアはふと外を見、「あら」と弾んだ声を上げる。
「サラ様、見てください。殿下がいらっしゃいますよ」
「本当?」
クレアに促されて窓辺に向かう。
ここからは離宮と本城を繋ぐレンガ道を見下ろすことができるのだが、ちょうどそこをダニエルを伴ったリシャールが通っていた。
最近、彼は異能持ち関連について新たな法律を立てようと考えており、自他共に認める引きこもりではあるがまめに本城に足を運び、調べものをしたり有識者たちと話し合ったりしている。
「異能の種類や有無にかかわらず、全てのフェリエ国民が幸福に暮らせる世になってほしい」という彼の夢を応援するサラも、いずれ何らかの形で彼に協力したいと思っているのだが、今日も彼は本城に何かを届けに行っていた。その帰りだろう。
リシャールはダニエルと並んでなにやら話をしながら歩いているようだったが、視線を感じたのかさっとこちらを見上げた。
今日の彼は口元だけ見える仮面をつけていたのだが、窓越しに自分を見下ろすサラを見たからか彼はすぐに仮面を外し、照れたように頬を緩めて軽く手を振った。
(殿下……!)
どきどきしつつサラも手を振り返し、小声で「殿下ー」と呼びかける。地上四階からなのでサラの声は届かなかったかもしれないが、大体のことを察したらしいリシャールも「サラ」と口の形だけで呼び、微笑んでくれた。
(……ああ、どうしよう。こんな些細なやり取りをするだけでも、すごく心が満たされる……)
ダニエルはしばらくの間様子を見ていたようだが、やがてサラのもとまで届くほどわざとらしい大きな咳払いをし、リシャールの背中をぐいぐいと押した。それでもリシャールは名残惜しそうにサラを見つめてくるので、思わず噴き出してしまいそうになる。
「もう、殿下は……。上がってきたらすぐにサラ様にお会いできるのに」
「ふふ、いいじゃない。こういうやり取りも、楽しくて……」
軽い調子でクレアに返したサラだが、ふと、レンガ道の向こうを目にして息を止めた。
そこには、溜息が漏れそうなほど美しい銀髪を靡かせる美少女の姿があった。
彼女――マルジョリーがいるのは、おかしなことではない。近くに護衛の姿も見られるから、散歩にでも出かけた帰りなのかもしれない。
だが――サラの胸をざわつかせたのは、マルジョリーの仕草だった。
マルジョリーはリシャールの去っていった方を、ずっと眺めていた。ここからは彼女の表情は分からないが、両手を胸にあてがい、祈るような姿勢でリシャールを見つめていることが分かる。
……どくん、と胸が鳴る。
――視線に気づいたのか、マルジョリーが顔を上げた。
以前談笑したときは白いと思っていたその頬は、ほんのり赤く染まっている。
彼女は、サラをしっかりと見つめる。
そして――ふっと笑い、きびすを返して去っていった。