次期王妃の謎①
本編終了後、結婚してしばらくの二人の話。
「次期王妃様……ですか?」
サラが首を傾げると、クレアは頷いて書類を差し出した。
「フェリエの名家出身で、陛下の婚約者であられるご令嬢です。こちら、どうぞ」
クレアが差し出した書類には、エドゥアールの未来の妃である令嬢について書かれていた。
名前は、マルジョリー・ルーベ。
由緒正しきルーベ公爵家の長女で、エドゥアールが二歳、彼女が生まれてすぐのときに婚約が決まった。
大人しくて真面目な令嬢で、幼少期から次期国王の妃として育てられたこともあって教養に溢れ、詩歌、乗馬、刺繍、ダンス、なんでもござれな、淑女の鑑。
かつては太后アンジェリクが令嬢の手本だと言われていたとのことだが、現在の十代前半の令嬢たちにとってはマルジョリーがまさにお手本で、彼女ほど次期王妃にふさわしい女性はいないとされている。
そんなマルジョリーは現在、十五歳。今のところ、彼女が十七歳になったらエドゥアールとの婚儀を催すことになっており、王妃教育に励んでいる最中だという。
「……そんなお方が、私たちに会いたいとおっしゃっているの?」
書類を読んだサラは、にわかに不安になってきた。
マルジョリーはいずれ、エドゥアールの妃になる。
ということは、サラとマルジョリーは親戚関係――俗な言い方をすると、王族に嫁いだ嫁同士という間柄になる。もしこれから先、リシャールが臣下に下ったとしてもその関係が変わることはない。
サラは義母にあたる太后や義弟のエドゥアールとはそれなりにうまくやっていると思っているが、エドゥアールの妃に関しては盲点だった。そしてこんなに早く、マルジョリーの方がサラたちに会いたがるというのも予想していなかった。
だが、マルジョリーは生粋のフェリエ人で、幼少期から王妃教育を受けてきた令嬢。
対するサラは異国の下級貴族出身で、王族の妃としての教育を受けてきたわけでもない。
「……わ、私、もっと勉強しないと……マルジョリー様の隣になんて立てない……!」
「そんなに気になさらなくていいですよ。サラ様のご出身については国民もよく知っておりますし、殿下だってサラ様に高い教養を求めてらっしゃるわけではないのですから」
クレアの言うように、リシャールとサラのなれそめはとんでもないものだったが、今ではリシャールは「サラ」という一人の女を愛し、存在を尊重してくれる。
ダンスをうまく踊れるようになれだとか、刺繍の腕前を上げろだとか、もっと知識を身につけろとか、そういうことを命じられたことは一度もない。
「マルジョリー様とて、なぜ殿下がサラ様と結婚なさったのかよく分かってらっしゃるはずです。……それに殿下もサラ様も、陛下のお気に入りですからね。まさか、国王陛下の兄君や義姉を貶すようなことはなさらないでしょう」
「……そう、ね。でもやっぱり、最低限の礼儀は必要だと思うの」
フェリエはサレイユほど形式などに縛られていないので、サラが社交の場に出て失態を犯したり、リシャールの顔に泥を塗るようなことが起きたりはしていない。
(それでも、マルジョリー様が私の存在をどう思ってらっしゃるかは分からないし……準備するに越したことはないよね)
マルジョリー・ルーベとの挨拶は、離宮の庭園で行われた。
最初はサラたちが本城に出向くべきではないかという意見も上がったのだが、「目下の者として、王兄殿下ご夫妻に敬意を払うのは当然のこと」とマルジョリー本人が主張したため、彼女らの方が離宮にやってくることになったのだ。
「……緊張しているのか?」
そっと尋ねられ、サラは顔を上げた。
マルジョリーの訪れを待つ庭園にて、サラの隣に座るリシャールが不安そうな顔でこちらを見ていた。さすがに今日は彼も仮面をつけるべきではないと分かっていたようで、柔らかな日差しが彼の端整な素顔を照らしている。
癖のある髪は軽く束ね、サラの髪を結うものと同じリボンでまとめている。
着ているのは、いつぞやも着用していた青の軍服。以前と違いマントは着用していないが、その分真っ直ぐ伸びた彼の背筋や引き締まった腰のライン、思いの外広い肩などを美しく魅せている。
サラも同じ色のドレスを着ていた。サレイユ侵攻時のような軍服デザインではなく、しっとりとした光沢のある布地を重ねたドレスで、肌の露出が少なく襟元のレースやスカートの下から覗くパニエのフリル部分が愛らしい。
このまま庭の散策にでも行けそうな、カジュアルなデザインのドレスはリシャールもお気に入りらしい。今朝これを着てリシャールに見せに行ったときには顔を真っ赤にし、「……とてもよく似合っている。きれいだ」と言ってくれたものだ。
「マルジョリー・ルーベ公爵令嬢がお越しです」
クレアが告げたため、サラは姿勢を正す。
そして、離宮の庭園をゆったりした足取りで歩いてきた令嬢を見、はっと息を呑んだ。
日の光を浴びて柔く輝く、白銀の髪。腰までの長さのそれは結われておらず、歩くたびにさらりさらりと揺れている。
纏うドレスは口紅のように 艶やかな深紅で、十五歳という年齢にしてはやや落ち着いたデザインに思われた。だがその大人びた美貌を擁するかんばせを見れば、なるほど彼女にふさわしいドレスだと唸ってしまう。
肌は白く、長い睫毛に縁取られた目は神秘的な紫色だった。薔薇の花びらをそのまま落としたかのような赤い唇は少しだけぽってりしていて、同じ女性であっても大変魅力的で見惚れてしまいそうだ。
簡単に言うと、次期王妃はとんでもない美少女だった。
「マルジョリー嬢。離宮までお越しいただき、感謝する」
離宮の主としてリシャールが立ち上がって挨拶をすると、マルジョリーは顔を上げてリシャールを見、とろりととろけそうな甘い笑みを浮かべた。
「いいえ、本日はわたくしの我が儘を叶えてくださったこと、感謝いたします。リシャール殿下は、お久しぶりですね」
「ああ、最後に会ったのは去年のエドゥアールの誕生会だったか。その頃にはまだ妻もいなかったから……紹介する。妃のサラだ」
「お初にお目に掛かります、マルジョリー様。リシャール殿下の妃のサラでございます」
サラも立ち上がって、朗々とした声で挨拶をした。
事前にクレアやダニエルと相談し、「マルジョリー様は華奢で可憐な方だから、サラ様は逆に溌剌としているくらいがウケると思う」と言われていたのだ。
内心ヒヤヒヤしつつ挨拶したのだが、マルジョリーはサラを見ると少し目を丸くすると、「まあ」と嬉しそうな声を上げた。
「とても素敵なお方ですのね。こちらこそお初にお目に掛かります、王兄妃殿下。もしよかったら『お姉様』とお呼びしてもよろしくて?」
「えっ」
いきなり投げつけられた思ってもない言葉に、クレアから教わっていた礼法や受け答えの定型文を頭の中で繰り返していたサラは、つい間抜けな声を上げてしまった。
だがマルジョリーはそれを気にした様子はなく、むしろ紫の目をきらきら輝かせてサラの手を取った。同じ女なのに自分より二回りほど小さい手にがっしり握られ、サラはぎょっとしてしまう。
「わたくし、妃殿下のお噂を耳にしてからというものの、ずっとお会いしとうございましたの。あのリシャール殿下が骨抜きになっているという、サレイユ出身の王兄妃殿下――こんなわたくしでよろしければ、仲よくしていただけませんか?」
美少女にきらきらした目で見上げられ、サラは一瞬言葉に詰まった。
(こ、こんなわたくしでよろしければ、なんてとんでもない! むしろそれは、私の台詞じゃない!)
だがここで変に謙遜したり断ったりすればマルジョリーを悲しませてしまうし、かえって彼女を貶めることにもなりかねない。
数年後にはマルジョリーも王妃になるのだから、同じ「王家の嫁」同士、仲よくするべきだとサラ自身も思っている。
ちらっと横目でリシャールを見、彼が呆れたように肩を落として頷いたのを確認してから、サラはぎこちなく微笑んだ。
「ええ、喜んで。……あの、しかしマルジョリー様に姉と呼ばれるのは、まだ早いかと……」
「あら、それなら気になさらなくていいのですよ。わたくしの申す『お姉様』は、義理の姉妹になるということとは関係ありませんもの」
「そうなのですか?」
「妃殿下はご存じないかもしれませんが、フェリエ王都の国立女学校では、年少者が上級生を『お姉様』と呼ぶものなのです。血縁や家柄は関係なく、尊敬できる年長者を『お姉様』とお呼びして敬愛の意を示すのですよ」
そんなこと、クレアから聞いたことがない――と思ったが、そういえばクレアは下級貴族出身だ。
マルジョリーが通っていた国立女学校というのはおそらくもっと高位の貴族の娘が通う場所だろうから、クレアが「お姉様」呼びに疎かったのは仕方のないことかもしれない。
(私はもう殿下の妻としてフェリエの人間になったのだし……嫁いだ国の風習に、私が合わせるべきだよね)
「そういうことでしたら。……私はまだフェリエの全てを知っているわけではありませんので、マルジョリー様から色々なことを学びたいと思っております。どうぞよろしくお願いします」
「ええ、もちろんです、お姉様!」
サラとしては少々ぎこちない感じがするが、美少女がこれ以上ないほど嬉しそうにしているので、まあいいことにした。