「令和」の「レイ」は
今年も終わりに近づいて、昨年と今年の違いって何かなと振り返った。
私にとって今年は「小説家になろう」投稿元年といえる年になったのだが、世間的に一番の違いは、元号が変わったことかもしれない。
五月一日になるまでは平成三十一年、それ以降は令和元年という年だった。
そこで思い出すのは、四月一日のことだ。
覚えているかたも多いだろうが、四月一日の午前11時半に、新元号が発表されるという報道があった。その時間がくるまでは全く知られないようにする、という話に、軽い驚きを覚えた。
誰にでもネットなどで情報が開示されている時代に、発表まで極秘というのは、珍しい出来事だと感じた。
四月の始まりは学校の春休み期間なので、子どもを連れて実家に帰っていた。パソコンが帰省先にないため、この新元号の発表を、私はテレビで知ることしかできなかった。
居間でのんびりその時刻を待ちたいところだったが、天気が良くて子どもも退屈していると、そうはいかない。
仕方なく電車に乗って、大きな公園に遊びに行くことにした。
寒さもさほどでなく、天気は上々。
園内の桜は、数日前に満開を迎えていた。風に散りゆく様子に、思わず何度も手を差し伸べて、薄桃色の花びらを捕えようとした。
その公園の傍には、古い建物が保存された野外博物館がある。
中に入れば、移築された建造物を自由に見て回れる。名主の農家や倉庫、洋館、和風の邸宅。銭湯、小間物屋、乾物屋に醤油屋、和傘問屋に花屋などの商店。その他貴重な建物が所狭しと並んでいる。
江戸、明治、大正、昭和初期の建築物に、少しばかりタイムスリップした気分になった。
浸るうちに、問題の11時半がやってきた。
すると、周囲の人たちは次々スマホを取り出して、「まだかな」「まだみたいね」と会話を始めた。
そう、世の中はすでに平成も終わろうとしている時代。
大半の人たちは外を歩いていてもネットにつながって、新元号を知ることができる。私の携帯は残念ながら、いまだにネットにつながらないタイプのフィーチャーフォンなのだった。
子どもはその辺の広場で夢中で遊んでいる。そのうち、周りのみんながスマホで「あ、決まった」「発表された」と話し始めたので、一人だけいずことも知れぬ世に、取り残された気持ちになってきた。
誰か私にも教えて。
昭和初期の文具店の前で、私も新元号が知りたい、と猛烈に思ってしまった。
しかし、非情にも子供が戻ってきて「向こうの建物に行こう」と言い出す。仕方なくつき添うことにしつつ、みんなのスマホが気になって仕方がない。
そのとき、「こんにちは」と声を掛けられた。
解説してくれるスタッフさんだ。この博物館では、スタッフのかたがいつも数人巡回している。
挨拶を返して気がついた。スタッフさんは勤務中につき、スマホを手にしていない。新元号をまだ知らない仲間だ。
私は孤独じゃないぞ。
そう思ったのは、一瞬だった。
「こんにちは」と挨拶した他の観光客が、スタッフのかたに話しかけた。
「元号決まったんですよ」と、スマホの画面を親切にも指し示している。
何で私には見せてくれないんだ。いや、スマホを持っていないなんて誰も思ってないからか。
スタッフさんは「へぇ」と感心して、にこやかにお礼を述べた。
ああ、仲間を失ってしまった。
しかし、そのうち「レイワ」「レイワだって」という声がしはじめた。他のスタッフさんが「どんな字なんですか」と聞いてくれる。
「メイレイのレイにショウワのワ」
近くでもスマホを持っていないお年寄りがいて、教えてもらっていた。
「オレイのレイにヘイワのワ」
あれ、ちょっと待って。
「ワ」は「和」に違いない。でも、「レイ」は? 「令」? それとも「礼」?
誰か教えてくれ。
何だかまたしても猛烈に知りたくなった。明治末期の洋館の前で、やっぱり私だけが取り残されているじゃないか。
そこへ、非情にも子どもがやってきて「建物はもういいから、公園へ行こう」と言い出す。
かくしてその日、公園から電車を乗り継いで帰ってくるまで、「レイ」の字がどっちか、私は知ることができなかったのだ。
大きな駅では新聞の号外が出るという話だったが、子どもがいる以上、人混みに分け入るのもどうかと思って諦めた。夕方、やっとテレビのニュースで菅官房長官の発表を見ることができて、一息。
『令和』だと知った。
気になった「オレイのレイ」だが、おそらく「お礼」ではなく「法令」と話していたのだろう。聞き違いがどうにもややこしかった。
そんなこんなで、五月一日に無事、令和の時代がやってきた。しかし、令和弁当とか令和ソングとか、あるいは「令和初」だらけのニュースには、少々辟易した。
元号が変わった数日後、出かけた先で、お好み焼きを家族三人で食べることになった。
そのお店の看板を見ると『令和のりあります』と書かれた張り紙がついていた。
「令和のりってどんなの?」
子どもに訊かれたが、こっちが訊きたいくらいだった。
「あの、令和のりって……」
とうとう旦那がお店の人に話しかける。
「ああ、令和海苔ね、まだあったかな。ちょっと持ってきますよ」
お店の人はカウンターの奥に消える。
令和海苔、令和海苔、令和海苔ってどんななんだ。頭の中はなぜかそのことで占められてしまう。
ところが、お店の人が戻ってくると、困った顔をしている。
「ごめんなさい、令和海苔、もうさっきのお客さんでなくなってしまったんですよ。あの、平成海苔だったらまだ残っているんですけど、いりますか?」
「平成海苔?」
頭のなかで令和海苔が消えて、平成海苔が占拠する。
ほどなく、平成海苔が来た。こんがりしたお好み焼きの上に、ひとつひとつ置いてくれる。
それは、お好み焼きが全部かぶさるくらいの大きな海苔だった。『プリントのり』というものらしいが、卵殻や乳由来のカルシウムで白く字が印刷されている。
海苔の黒い平面の真ん中に、白い明朝体で『平成』と書いてあった。
それを眺めていたら、ほんの数日とはいえ、平成時代に戻った心地がしたものだ。
その後は「令和まんじゅう」を見つけて、「どうして令和まんじゅうがいっぱいあるの?」という子どもの素朴な疑問に適当に答えつつ、帰ったのだった。
とりあえず無事に、平成三十一年から始まった令和元年は、過ぎ去ろうとしている。
来たる年が令和二年というのも、西暦二〇二〇年と同じ程度の新鮮さしか感じない。もしかすると、西暦の方がインパクトがあるくらいかもしれない。
自分の感覚としては、令和という元号に変わってから馴染むまでは、意外とあっさりだった。
四月一日にあれだけ元号が知りたいと思い詰めたにもかかわらず。そもそも日本中の人が四月一日の11時半の時点で全く知らない言葉だったのもかかわらず、これだけ慣れてしまったのも何だか不思議な気がする。
何はともあれ、もうすぐ令和二年。
「小説家になろう」とユーザーの皆様には、一年間大変お世話になり、感謝申し上げたい。まるで年賀状か何かのようで恐縮なのだけれど、やはりこう締めさせていただく。
皆様、よいお年を!