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秘密

 誰かを傷付けたい訳では無いです。

 決してそうではないです。

 この気持ちを分かって頂けなくても、結構です。

 只、私は、刃物が欲しいです。

 一つあるのですが、どうしてもこれでは無い気がして、とても心許無い。

 


 大きすぎる話に戸惑いながらも断る動機と術を見つけられず、結局稚児刀造りを賜る事になった。

 直々の指名と、大店を差し置いて造るという大事の為、極秘にしようと小清水家では話が決まった。

 店の名を売る機会だと菊重の旦那は言ったが、白泉の大旦那は素朴で、名を馳せる大店相手に天狗になる程馬鹿じゃなかったし、また、白泉というお店は本当に小さなお店だったのだ。

 やるからには、と、丹精打ち込めて造る喜作の気迫といったら、それはそれは鬼気迫るものがあった。

 前払いされた目も眩むような額を元手に、普段では使わない優れた原料を仕入れる事が出来たので、穏やかな男の胸で誠実にゆるゆるとしていた職人魂が、燃え上がっていた。

 自分の店よりも大きなお店のお嬢様だったお袖に秘かに感じていた引け目も、この仕事を成した暁にひと皮剥けた自分が、きっと断ち切るのだ。そんな風に思ってもいたかも知れない。

 彼は昼夜問わず、稚児刀作りに夢中になった。

 口を開けば刀の事ばかり。目の中を見れば心が何処かへ飛んでいる。

 お袖は、それが少し面白く無かった。

 職人の妻だから、と、我慢すべきだ。

 一人で小鳥の集まる庭を眺めるのは寂しい。

 小鳥たちは、仲良く啄み合っているというのに。

 なんの縁があるのか、どういった気紛れなのか、わざわざ白泉にこんな依頼を降して来たご側室様が、なんだか恨めしかった。

 聞けば、随分寵愛されているお方だという。

 お城には住んでいないけれど、お城に等しいお屋敷を与えられ若殿様に大変可愛がられているという。

 そのお蔭様で、私は寂しい。

 ふとそう思った後で、お袖は思い直す。

 今、夫は刀を作っている。

 刀には魂の籠るものだ、と、以前教えて貰った事がある。

 その刀は、これから生まれる尊い血筋のお方のものになる。

 そして、生まれてから七つまでは、子供は神様のものでもある。

 そんなお方の元へ贈られる刀を作っている夫の妻が、こんな子供じみてクサクサした事を考えていては、刀の仕上がりに障るかも知れない。

 なにも、何年もかかる事ではないのだから……。

 恥じ入って頬に触れる。

 ああ、それでも。

 頬から感じる手の平の感触も、手の平から感じる頬の感触も、どちらも滑らかで柔らかい。

 これはいつまでだろうと思う。出来るだけたくさん、触れて、覚えておいて欲しいのに。



 梅の花がほころび終わり、もうそろそろ見ごろを終えるという頃に、白泉渾身の刀が仕上がった。

 菊重の旦那に客観的に見て貰い、二、三度指摘を貰って仕上げたかいあって、白泉史上一番素晴らしい刀だ。

 もっと素晴らしい仕事をする大店から見たら、菊重の旦那の様に、小さな隙や粗を見つけてしまうかも知れないし、微妙な味わいでもって人の溜め息を得る技や勘などを比べたら、やはり劣っているだろう。

 けれどもお店中で真面目に、誠意を込めてお作りした事は間違いなかった。

 白泉に鞘師や柄師はいないので、後の事は菊重の旦那を使い走りにしたもっと上の者の采配にゆだねる事となった。本来、白泉を含み白泉ツテの職人たちなど相手にされないご依頼主なのだから、仕方ない。

 悔しくない事もないが、きっと立派で名のある職人が、あの刃をしっかりと一振りの立派な剣に変えてくれる事だろう。そう思うと安心もする。

 しかし、多分完成品を見る事は叶わないだろう、と、久しぶりに夫婦水入らずで夜の庭を眺めながら喜作が少し残念そうに言った。

「それは残念ですね」

「うん。明日、菊重の旦那に託してお別れだ」

「あれほど熱を入れて作ったのですから、寂しゅううございますね」

 お袖はちっとも寂しくなかったが、ツンとしてそう言った。

 小さな棘に喜作は気付かずに、うん、と頷いた。

「お袖もそう思うかい? そう言えば、お袖はちゃんと見た事がなかったろう。見せてあげる」

 そう言って喜作は立ち上がると、包まれた刀をしまってある座敷へお袖を連れて行った。

 お袖は、また刀、とちょっぴりむくれたが、夫の仕事を褒めるのも妻の仕事の内と、しおらしく喜作に付いて行き、彼が刀の包みを宝物の様にそっと開くのを見守った。

 行燈の明かりの中、包みから現れたのは一尺ほどの小さな刃だ。

 お袖は刀相手だというのに、なんとも愛らしい、ほっこりとした印象を受けた。

 しのぎ筋が冴え冴えと真っ直ぐだ。

 けれど、三ツ頭から降りる横手筋と切っ先までのふくらの曲線が丸く、優しい。

 そして、なんとほのぼのと行燈の光を返すのだろう。眩しくはない、暖かな光だ。

「刃紋をご覧。切っ先に近い部分……これは地蔵帽子という。これが上手く出てくれなくて、手こずった」

 お袖が言われた通りに喜作の指差す部分を見ると、切っ先近くに波立つ波紋の一つが他の波より少し大きく、立っているお地蔵様の様に見える。

「お地蔵様が、宿ってらっしゃるのですね」

「少しでも、お守りになればと思ってね」

 お袖は心を目の前の小さな幼刀に奪われて、小さく頷く事くらいしか出来なかった。

 全体から、不思議と喜作を感じる。大旦那を感じる。白泉の優しくも逞しい人々を。

 お袖は胸が高鳴って両手を鎖骨の窪み辺りに添えて、涙ぐみそうになった。

 何処かでなんと気なしに聞いた事が、目の前に事実と理解の両方を備えて優しく輝いている。

 刃物というものは、魂を宿す。

 魂を打ち込んだのは、他でもない愛する人々だ。

 だから余計に、こんなにも愛しく感じる。

「お見事でございます……」

 お袖は目の端を湿らせ、喜作の顔を見て囁いた。

 喜作は誇らしげに微笑んで、頷いた。

「心を籠めて、作ったんだ」

 今度はお袖が頷いた。

 探し物を見つけた様な、向こうから見つけて貰った様な、そんな気持ちがしてぽろりと涙が零れた。

 涙は指で拭えば、爪の間に消えてしまった。

 それから二人は小さな刀の前にそろって平伏し、刃の中のお地蔵さまに手を合わせる。

 初夏に生まれて来る、お顔を見る事の無い高貴な命をお護り頂けるように。

 心を籠めて。

 今持ち得ている、全てを籠めて。



 求め、探り、打つ、研ぐ、籠める。

 ほら、きっと私にも作る事が出来る――――。

 そこにはきっと、お地蔵様が微笑んでいる。



 無事に稚児刀が出来上がったと春の終わりに報せが来た。

 どんな出来になったかしりたいねぇ、と、事情を知る者たちだけで言い合って、それで終わった。

 もちろん、法外な大金が転がり込んだ。

 大旦那と大女将はいそいそと隠居の準備を始めだしたりして、「隠居後はお伊勢参りに行きたいねぇ」「別府の湯めぐりも悪くない」などと言っては、喜作をはらはらさせた。

 夏の終わりには、ご側室様が無事にご出産されたと菊重の旦那から教えて貰った。

 男の子で、柳清丸(りゅうせいまる)様と名付けられたという。

 ご正室様に既に三つの御子息がおられるので、気を回して少し『なよ』っとした名前にしたとかなんとか……そんな噂話を垂らしてから、菊重の旦那はちょっと顔を歪めた。

「なんで白泉なんだよ、チクショウって思わんでもない」

 菊重の旦那はそう言って腕を組む。

 「でもまぁ、あの刀を見たらそういう気持ちも吹っ飛んじまったよ。いい仕事をされたなぁ」

 お袖はその言葉を聞くと誇らしげに微笑んで、菊重の旦那様もまた、自分の夫同様素晴らしい職人なのだと認めた。

 店先の向こうでは、秋祭りの準備を迎えて人々が忙しなく行き交って行く。

 今年はまだ、秋祭りを楽しめないと、お袖は思う。

 けれど、いつか。

 あの秋と、いつか来たるべき秋を、裁とう。

 もう、どんな刃物を使うかは決めた。

 後は用意だけ。きっと出来る。


 裁つのだ。


 美しい柄はそのまま。そして着物になる。

 それはきっと、お袖の人生を彩る衣。


* * * * * *


 さて、子供が病気や衰弱で命を落としてしまう事に、身分の差はないものである。

 彼の異母兄弟の兄上様は、七つで夭折されてしまった。

 途端に彼は祭り上げられた。

 その時、彼はまだ四つだったけれど空気の流れが変わった感覚をしっかりと自覚したものだった。

 何かの行事の御挨拶で父の本殿へ伺った際、恐ろしい顔をした女がやって来て彼と彼の母を責めた。

 そして平伏する母の指先へ扇子を投げつけた。

 ぱん、と畳が鋭く鳴って、竦み上がった彼の記憶に、母の小さく細い指先の直ぐ手前だけがささくれてしまった畳の目と、半開きになった扇子の柄だけが残っている。恐ろしくて顔を上げられなかった。

 それからもその女から酷く嫌がらせをされた。

 父の寵愛だけが頼りの立場の無い母や彼は、何度か呼び出されては恥をかかされたり心無い言葉を投げられたりした。

 六つになる頃、彼のお毒見役が死んだ。

 毒は彼に贈られたお菓子に判り易く仕込まれていた。

 寄贈の菓子にも油断しなかった母は正しかった。

 周到に重なり合って隠れ合う送り主を手繰りに手繰って調べた末、皆捜索の手を止め、目を閉じる。

 彼を守護するもの達では、裁けない相手だった。

 父でさえ、その人の後ろ盾を恐れる――――そういう相手だった。

 その人は――その女は――子を失ったのだ。この子は生きている。憐れなので許してやってくれ。もう二度と無いように叱っておいたからの。

 父は母にそんな事を言ったのだと言う。

 実際、殺す気があったのかと言われると分からない。

 警戒を見越しての脅しに過ぎないのかも知れなかった。


 そんな油断ならない日々が、幼心に悔しくて泣く夜も、恐ろしくて泣く夜もあった。

 そして、こんなに恐ろしい日々など余から願い下げだ、と、彼は短気を起した。

 彼は夜にこっそり御寝所を抜け出し、廊下をひたひたと歩き、御居間へ向かった。

 板の廊下の冷たいことといったら……悲しかった。

 御居間には、彼が生まれた時に贈られたという、彼と同じ齢の刀が飾ってある。

 彼の刀だ。

 真っ暗なので障子窓を開けて、月の光を部屋へ招いた。夜空には一面に星が出ていた。

 月明かりの中、煌びやかな鞘に収まった自分の刀を見下ろす。

 お殿様に何もねだった事のない彼の母が唯一、彼の為にねだったものだ。

 豪華な金や玉が飾られている。見事な竜が彫られている。飾り紐は絹か。艶めいている。

「きんきらきんよのう」

 ふんと鼻で笑う。

 そして無性に苛立った。

「みんなみんな、嘘くさいんじゃ」

 けれども、心の中で声がする。

 きんきらきんを贈られたのはお前じゃ。

 きんきらきんの持ち主はお前じゃ。

 お前がきんきらきんなのじゃ、と。

 彼は息を荒げ、涙を流し鞘から刃を抜く。

「危のうございます」と、いつも止められていたから、刃を見るのは初めてだ。

 どうせ、と、思った。

 刃も、刃に映るものも、きんきらきんじゃ、と。


 その夜、幼い彼が見たものは、生涯彼の秘密である。

 だってきっと、誰も信じてやくれないのだから。



五話と宣言していたのですが、少し長くなったのでもう1話お付き合いください。

刀と刃は、ごちゃごちゃして表記揺れみたいですが、柄が付いていないのでバラバラの表現になってしまいました。見苦しかったら申し訳ありません。

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