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異邦と楽園  作者:
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第1話

 カーテンと窓を閉め切った部屋で、昼夜逆転をした生活をしていると時間の感覚が希薄になってくる。

 真っ当な社会生活をしていた頃と違い、時間という概念の意味がなくなるのだ。

 昼夜逆転する事もあれば、逆に農家の人並に早寝早起きする事もある。

 こんな生活を続けていると体内時計が狂うので、体に悪いと人は言う。大きなお世話だ放っておいてくれ、と俺は答える。

 澱んだ空気を入れ替えるために、たまに窓を開けて外を覗くが、その時に茜色に染まった太陽を見ても、それが朝日なのか夕日なのか判断が付かない事もしばしばある。そういう時は、PCのモニタに表示された時刻表示を見て時間を確認する。ネットを繋いで時刻サーバーと同期しているだけあって、昼なのか夜なのか一発で分かって大変便利だ。

 部屋の中には壁掛け時計に目覚まし時計、果ては携帯まで様々な時間を確認する術があるが、すっかり無精者になってしまった俺にとってはPCを見た方が手っ取り早くて楽だった。

 だから、その日起きた時も俺はいつもの癖でまずはPCを起動しようと思った。

 寝惚け眼のまま、今日一日の予定を何となく考える。ま、何はともあれPCを付けてからだな。俺はそう結論付け、まずは起き上がってPCを乗せたデスクがある方へと向かおうとした。

 ──向かおうとしたんだ。



 小鳥の囀りが聞こえる。普段ならノイズにしか聞こえないその声も、何故か今日に限っては特別嫌悪感もなく頭の奥へと浸透していく。

 閉じた瞼の隙間からは柔らかな光が差し込む。そのまま目を閉じているのが、もどかしいような、何とも言えないくすぐったい感覚に俺はゆっくりと目を開けた。寝転がった仰向けの姿勢のまま、視線は真上に固定される。

 木漏れ日からは淡い光が漏れ、辺りの木々には濃厚な緑が広がっている。

 澄んだ空気。そして、むせ返るような、けれど不快ではない懐かしい匂い。いつか、ずっと昔、子供の頃の思い出と共に鼻腔をくすぐる匂い。

 ──これは、土の香りだ。

 泥んこになるまで遊んだ昔の思い出が脳裏をよぎる。

 俺は大きく鼻で深呼吸をして、その匂いを堪能した。


「あぁ、懐かしいなぁ」


 心地良い日差しと、澄んだ空気に緑と土の香り。

 都会というのもおこがましいが、日頃俺の住んでいる街では中々嗅げない香りだ。特に、部屋に篭もりっきりだった俺には。あの据えた臭いの俺の部屋とも、どこか錆びた感じのする街の臭いとも違う。正真正銘の、自然の香り。まるで夢の中のようだと思えた。

 だが、まるで夢だと自分で考えるからには、俺はこれが夢ではないと認識をしているのだろう。俺は妄想や空想する事は好きだが、変なクスリには手を出してはいない。知らない内に幻覚効果のある食物を摂取した可能性もないとは言い切れないが、その確立は極端に低いだろう。

 虚構と現実の区別はしっかりと付く。つまり……。


「なんじゃこりゃ」


 唐突な現実に意識が追いつかない。

 おかしい。何かがおかしい。というか、全てがおかしい。これは変だ。異常だ。異常事態発生だ。エマージェンシーってやつだ。って、英語で言っても意味は一緒か。


「いやいやいや。待て。まず状況を整理してみよう」


 自分を落ち着かせるために、あえて独り言を言う。もちろん普段の俺はこんな風に一人でブツブツと喋ったりはしない。


「俺は確か、昨日はいつもと同じように明け方までネットして、夜食にカップ麺食って、それからそのまま自分の部屋で寝た。それは間違いない」


 間違いないはずだが、どう見てもここは俺の部屋ではない。上半身だけ起こし、辺りを見回してみる。まず、目に付くのは溢れるように乱雑する大小の樹木。目の前には木。右を見ても左を見ても木。もちろん後ろを向いても木だ。


「……木しかないな」


 壮大な緑が目に眩しかった。

 森の中だろうか? あぁ、大自然万歳。


「俺の部屋でないのは間違いないようだが……。ぶっちゃけ、ここは日本なのか?」


 自慢ではないが俺の住んでいるアパートはそこそこの都市部にある。市内どころか郊外ですらこんな自然は中々お目にかかれる場所ではない。しかし日本だとすると……。


「まさか、富士の樹海?」


国内の森=樹海という単純な式が瞬時に完成する。

 探せば国内にも森は他にもあるだろうが、とにかくその時の俺はそう思った。何で樹海に俺が? 俺は部屋にいたはずなのに何故? 答えの出ない疑問が次々と浮かんできては消えていく。

 そういえば、自衛隊って樹海で演習やったりするんだよな。森の中で重装備背負いながらの行軍。食料は蛇食ったり蝉食ったりの現地調達。自殺者の探索もするらしいし、自衛隊のみなさんも大変だ。

 ──それはともかく。

 俺は脱線する思考を一先ず打ち切り、その場から立ち上がった。その際、シャツの背中とジーパンに付いた土と汚れを払う。服装は昨夜寝た時のままだ。服装だけは。


「あーあ……」


 俺は自分の足元を見下ろして嘆息した。裸足のままの足が、冷そうに土を踏んでいた。せめて靴下くらいはいて寝りゃ良かったと思うが、どうしようもない。

 俺は小石や木の枝を踏まないように注意しつつ、軽く辺りを散策してみる事にした。



「木と草と石しかないな」


 俺の正直な感想は、答える者がいないまま森の奥へと消えた。

 屋久杉すら子供扱いするような、馬鹿でっかい樹木。こいつは恐らく年代物だろう。

 色鮮やかな草花や、毒々しい茸。それらに群がる謎の小さな甲殻虫。

 聞いた事のないような声で叫ぶように鳴く鳥。あれは怪鳥の類だろうか。

 時折聞こえてくる、獣の遠吠えのような声も不気味さに拍車をかける。

 最初は富士の樹海か、もしくは国内のどこかの秘境かと思ったが、歩けば歩くほど、ここが日本ではない事が現実味を増していった。俺の知識が正しければ、日本にはあんな巨大な樹木はないし、それ以外にも見た事も聞いた事もない動植物ばかり目にする事も不自然極まりない。

 歩き続けて現実を見る度に、嫌な予感が膨れていく。

 ──ここが国内じゃなくても、せめてどこか中南米辺りの国外であってくれ。祈るようにそう思ったが、その願いはあっさりと打ち砕かれる事となる。

 そう、まさにこの瞬間から。


「グゴァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


地を震わせるような叫び声と共に、何の予告もなく俺の目の前に異形の生き物が姿を表した。


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