Duct7 ダクトテープは布にもなる
仕立屋の扉を開けると、色とりどり、さまざまな柄の布が丸い束になって並んでいた。
思っていたよりも、この世界の染色の技術は進んでいるようだ。
「すごい布の品揃えだな。でも、肝心の服がないな……」
「リョウ様の世界では服屋という店があるようですが、この世界では、服という完成品を売っている店はありません。布を買って、それから自分の体に合うように仕立てるのが普通です」
俺の疑問に対してにこやかに答えてくれるセシル。
でも、そのセシルにグリがかみつく。
「ちょっと訂正。仕立てて自分の服を作るのが普通なのは金持ちだけだ。庶民の大半は、祖父母の代からのお古を直して使っている。セシルはお姫様だから知らないんだ」
「し、知ってます!」
「いや、いや、知っていたら、こんな高級な仕立屋に連れてこないだろ……」
セシルが無気になって反論するが、グリはやれやれといった様子で両手を開いた。
前の世界では、既製品が当たり前で、オーダーメイドなんてセレブにしか許されない服の買い方だったが、この世界でもオーダーメイドはやはりセレブ限定なのか。
この世界にも貧富の格差がしっかりあるようだ。
お姫様がいるのだから、古くからの階級社会なんだろう。
身分と貧富の差か……。
まあ、それは、俺が元いた世界でも変わらないか。
だって、階層社会においても負け組が成り上がることは、ほぼほぼ不可能だからなあ。
でも、たまに一部例外がいるのが厄介なんだ。
この例外にみんな憧れ、「俺もいずれは」と夢にすがってしまう。
「ところで、リョウ様はどんな柄がお好みですか?」
セシルの明るい声にわれに返った。
「……そうだな。あまり派手じゃなくて、かつ地味でもなく」
品定めをしていると、店の奥からかっぷくのいいオヤジが「いらっしゃいませ」とニコニコしながら出てきた。
ちょび髭を生やしていて、大きなお腹の上で茶色のズボンをサスペンダーで止めている。
「おや!?」
オヤジは俺のそばに来た途端に笑顔を止め、鼻息荒く俺のスーツの上着に手をかけた。
その迫力にちょっとびびってしまう。
「こ、この布は……すんばらしい!!」
オヤジは片膝を付いて座り込むと、スーツを手の平で何度もなで回し始めた。
「こんなに薄くて、スベスベで、しかもきめが細かい布は見たことがない!!」
オヤジは中年に似つかわしくないキラキラした瞳を俺に向けた。
大半のスーツはポリエステルと毛(なんの毛かは知らん)で出来ている。
オヤジにはポリエステルの触り心地が珍しいようだ。
「ど、どこで、この布を手に入れられた?」
最寄りの駅ビルのスー○カン○ニーで買いました。
ちなみに、セール品です。
オヤジの両手は徐々に上がってきて、ついには俺の両襟を外側に開いてしまう。
わあ、カツアゲされてる中学生みたいになったよ。
「こ、このデザイン……こんなに細身なのに大きく開いた襟元、斬新だ。しかも、裏地までしっかり張ってあって、うおおおお、内側にもポケット! このアイデアはなかった! あっ、背中には裏地がない。なるほど、これで通気性も抜群! なんて機能的なんだああああ」
そんなこんなで、俺は上着を脱がされてしまう。
オヤジはなめ回すようにスーツを触り、ついには強度を試すためか両手で布を引っ張りだした。
おいおい、破くなよ。
去年の冬のボーナスで、クリスマスの街コン用に買ったいっちょうらなんだぞ。
街コンでは、あまりの人の多さに尻込みして、一次会途中で帰ったけどな!
俺のジト目に気付いたのか、オヤジは急に居ずまいを正した。
「失礼しました。あまりに素晴らしい服だったので、我を忘れてしまいました。しかし、この様な素晴らしい服を着ていらっしゃるとは、もしや、あなたは、いや、あなた様は……」
うん? 貴族でも金持ちでもないよ、しがない元社畜だよ。
「勇者様ですか!?」
壮大にズッコケそうになった。
なんで、そうなるのかな?
「その通りです。さすが、お目が高いですわ。この服は勇者様が異世界からお持ちになったスーツという名の装備なのです!!」
セシルが嬉しそうにオヤジに同調した。
「スーツ!! これが伝説の装備」
オヤジは感無量といった様子で俺の上着を抱きしめる。
おい、おい、余計にしわがつくじゃないか。
しかし、スーツが伝説の装備なら、スー○カ○パニーも青○も異世界に出店すれば大もうけだな。
オヤジとセシルは互いにスーツを触り合いながら「素晴らしい」「そうでしょう」という言葉を嬉しそうに繰り返している。
2人の笑顔を見ていると、急に背筋に悪寒が走った。
このまま街の広場に連行されて、大衆の面前で勇者として紹介されそうな気がしてきたのだ。
「おい、リョウ。このスーツっていう服は、もういらないんだろ? だって、リョウは勇者やらないんだから」
はしゃぐセシルとオヤジを尻目に、グラが俺の耳元でささやいた。
うーん、そうだなあ……。
よし、決めた。
スーツは破棄しよう。
ボーナスを投資したことは、この際、忘れるのだ!
勇者の証しなど、俺には必要ない。
俺はダクトテープを右手に出現させ、セシルとオヤジが愛でているスーツの上着に向かって放出した。
そして、2人が「あっ」と言う間に上着をダクトテープでからめ捕り、その場で思いっ切りグルグル巻きにしてやった。
グシャグシャにされた上着は、ダクトテープに覆われたサッカーボールのような球体になった。
許せ、戦友よ……。
「リョウ様!! なんということを」
セシルが慌ててダクトテープを剝がそうとするが、その手をなぜかオヤジが止めた。
「この感触は……」
オヤジはダクトテープのボールを抱えると、スーツのときよりも入念にさすさすと手の平でなで回し始めた。
「勇者様が魔法で出した、この灰色がかった光沢のある帯がなんなのかは知りませんが、もしかして、この帯は水を通さないのではありませんか?」
おお、さすが布を扱うプロだな。
触っただけで、ダクトテープの防水性がわかったのか。
そこは褒めてあげよう。
俺は勇者じゃないけどな。
「この帯はダクトテープというんだ。察しの通り、防水性に優れている。もともと、その点に注力されて開発されている。念のため、俺は勇者じゃないから」
「おおっ、やはり防水性があるんですな。それに並みの布より丈夫だ。素晴らしいです勇者様!!」
だから、勇者呼ばわりはやめようよ。
聞いてる人がいたら誤解しちゃうよ。
そんな俺の心の叫びを無視して、オヤジはダクトテープボールをセシルに託すと、代わりに俺の両手を握った。
おい、おい、なにが始まりやがるんですか?
「勇者様、お願いがございます!! このダクトテープを布にして譲ってはくださらんか? 子どもの頃から雨を完全に弾く合羽を作るのが私の夢だったのです」
なるほどね。
ダクトテープで雨具作りか。
いいアイデアだ。
元の世界でも、テントや雨具が破れたときの応急処置としてダクトテープが使われている。
その方法は、破れた場所に貼るだけ、超簡単。
それに、アメリカでは、ダクトテープで作った服のコンテストがあるぐらいだ。
ダクトテープを縦横に幾重にも貼り合わせて布状にし、裁断して、立体的に貼り合わせていけば服になる。
「もちろん、ただとは言いません。この店の布半分! いや、全部と交換でどうでしょうか!?」
布なんて、そんなにいらんのですよ。
「ご不満か? ならば、不肖わたくしめの体をもってして……」
「わー、わー、わー、布がいいです。布がいいなあ! できれば完成された服の方がいいけれども!!」
「服でございますね!!」
オヤジは大急ぎで店の奥に走っていくと、すぐに同じ速度で戻ってきた。
その手には、濃い茶色のズボンと、大きなボタンが付いた紺の上着があった。
「これは、領主様のどら息子からの注文で仕立てた服でございますが、わたしめの見立てでは、勇者様にピッタリのサイズかと。よろしければ、もらっていただけませんか?」
オヤジが押しつけてきた上着を開き、体に当ててみるとなるほどサイズは丁度良さそうだ。
羊毛だろうか厚手の布で作られていて、丈夫そう。
ズボンは綿で、俺好みの細身のデザイン。こちらもサイズは問題なさそう。
「でも、この服を俺がもらってしまったら、そのどら息子君が困るし、オヤジさんも怒られるんじゃないか?」
「それはご心配なく。代わりの服を作りますし、あんなどら息子なんぞ、少しぐらい服を待たせたって誰も文句はいいますまい。あっ、新しい靴もありますぞ」
オヤジは濃い茶色の靴も出してきた。
おお、コーディネート完成じゃないか。
「よし、じゃあ、着替えさせてもらおうかな」
「どうぞ、こちらに」
店の奥の部屋に通された俺は、スーツのズボンを脱ぎ、綿のズボンに着替えた。
ネクタイを取り、ワイシャツも脱いで、紺の上着を着込む。
そして、黒い人工革の靴も脱ぎ捨て、真新しい本物の革靴に履き替えた。
うん、いいね。
やはり、形から入るのはいい。
社畜から、ようやく普通の人間に再生したって感じがする。
「お似合いですよ勇者様」
「その格好だと、ふつーの人間ぽくていいぞ、リョウ」
店舗に戻ると、にこやかなオヤジとグラに迎えられた。
しかし、セシルはスーツ球を抱えたままがっくりと肩を落としている。
「リョウ様、どうしてスーツを脱いでしまうのですか~」
「似合ってないかな?」
「似合ってます、似合ってますけれども……わたしはスーツの方が好き……」
心なしか頬を赤らめたセシルを放っておいて、俺はオヤジの方に向き直った。
「では、服をいただいたお礼に、ダクトテープの布を差し上げます」
俺はダクトテープを縦と横に何重にも貼り合わせ、縦2メートル、横5メートルの布状にしてみせた。
その布をクルリと丸めて、オヤジの両腕の中に放り込んでやる。
「おおっ、ありがとうございます勇者様!! これぞ奇跡の布」
オヤジは感涙しながら、ダクトテープの布を優しく抱きしめた。
そんなオヤジの様子を見て、俺は天啓を受けて気分になった。
――ダクトテープの万能性はこの世界の住民にとって奇跡なのだ。
つまり、ダクトテープを上手く使えば、いや、ダクトテープそのものを販売すれば、楽々と大金が稼げる。
一獲千金して、後は悠々自適に暮らすという夢の生活が俺に待っている。
うはっ、宝くじに当たったようなものだ。
よし、さっそく市場に行って、ダクトテープを売りまくろう。
そして、稼いだ金で、郊外に家を買おう。
そんなに大きくなくていい、つつましやかな木造の家でさ、でも、暖炉があってさ、大きな犬を飼ってさ、かわいい奥さんがいてさ、そして、昼まで寝て夕方に寝る生活をするんだ!
「よし、次は市場に行こう!」
「リョウ様、防具屋に行きましょう!」
セシルが笑顔で俺の言葉を真っ向否定した。
「うん? もう服を着替えたし、防具なんていらないよ」
「わたし、先ほど、まずは新しい服を探しましょうと言っただけで、防具屋に行かないとは言っていません」
セシルはオヤジから大きな布袋を受け取ると、そこに俺のスーツとシャツ、ネクタイ、靴を放り込んだ。
「スーツ、持って帰るの?」
「もちろんです。魔王軍との会戦や、魔王との一騎打ちなどのときには、人間軍の士気を高めるために着ていただきます」
「ふーん、戦うときにスーツじゃ危ないんじゃないかな」
しまった、つられて、余計なひと言を……。
その途端、セシルの目がキラーンと光った。
「おっしゃるとおりです。スーツだけでは、危ないんです! ですから、スーツにも似合う格好いい防具を探しに行きましょう」
ああ、この満面の笑み。
これは、ひっくり返せないわ。
行かないって言ったら、鉄拳くるわ……。
セシルは敢然と俺の腕を取ると、意気揚々と仕立屋を後にした。
俺はセシルに引きずられるようにして、多くの人が行き交う石畳の大通りを進んでいく。
「墓穴を掘ったな」
ニヤリと笑うグラに向かって、俺は精一杯に強がってみせる。
「スーツに似合う防具なんてないさ、きっとね……」