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Duct5 ダクトテープは食べられない

 小鳥のさえずりとともに目が覚めた。

 部屋には爽やかな朝日が注ぎ込んでいる。


 だが、残念ながら寝覚めは悪い。

 左頬がヒリヒリと痛む。

 

 上半身を起こして左頬に触れると、表面がツルリとした帯状の物が貼り付いていた。

 すぐにダクトテープと分かった。


「今回は介抱なしか……」

 

 頬のダクトテープをゆっくりと引き剝がす。

 長さからみて、俺がグリの鎖骨に貼ろうとしたダクトテープのように思えた。

 俺が意識を失った後、セシルが腹いせに貼り付けていったのだろう。


 セシルはこの部屋には居ない。


「そういえば、今は何時だろう」


 正確な時間を確認しようと、内ポケットからスマフォを取り出すと、充電が切れていた。

 

「電気は……ないよな、やっぱり」


 見上げた板張りの天井には、元の世界には必ずあった蛍光灯の照明が付いていない。

 この世界の文明は、電気を使うまで発達していないようだ。


 これで、俺のスマフォはただの箱。

 でも、これで会社や取引先から仕事の電話がもうかかってこないと思えば、逆に清々とする。

 

 俺はベッドの脇にスマフォをポンッと投げ捨てた。


 さて、充電の心配は無用になったし、やるべきことやろうか。

 セシルに昨日のグラとの一件について、しっかりと謝っておこう。

 

 俺がグリの鎖骨にダクトテープを貼ることに、どうしてあれほど怒ったのかは深入りせずに、何はともあれ謝罪が先だ。

 セシル怒る→俺殴られる、が普遍化すると俺の命が危うい。

 

 ――グッルル。


 部屋に俺の腹の音が響いた。

 そういえば、昨日の昼間にこの世界に転生してきてから、何も食べていない。


 近くに食堂とかあるといいが、あいにくとこの世界で使えるお金がない。


 まったく、ダクトテープが食えたら楽だったな……。

 そうしたら、ダクトテープを出現させるだけで胃袋を満たせたのに。 

 

 しかし、いくら万能とはいえ、ダクトテープは食べられない。

 俺は右手のダクトテープをクシャクシャに丸めた。

 

 そのとき、廊下の奥からドタバタという喧騒が俺の部屋に近づいて来た。


「リョウ様、おっはっようございまーす!!」


 勢いよく開いた戸の奥から、満面の笑みのセシルが入ってきた。

 手に丸いお盆を持っていて、その上には湯気を立てるスープとパンが盛られた皿が並んでいる。


 め、飯だ!!

 俺の胃袋の叫びが脳内に響く。

 

 まあ、待て胃袋よ。食事より、まず確認すべきはセシルの機嫌だ。

 丸1日食べなくとも死にはしないが、彼女のご機嫌次第では3発目が飛とんできて、俺死ぬる。


「おはよう、セシル。朝食かい? ありがとう」


 俺は努めて冷静に、しっかりと口角を上げ、爽やかにあいさつとお礼を言った。

 営業でも面接でも笑顔が基本。相手に機嫌よくなってもらうには、こちらの好感度を上げることが1番大事。


「だって、リョウ様は昨日から何も食べていないですもんね。かわいそうですものね。だから、わたしが、リョウ様を召喚した神の巫女である、このセシルがちゃんと、宿が用意した朝食を部屋まで持ってきましたよ!」


 セシルがニコニコと、上機嫌といった様子で話した。

 よかった。一晩経って、機嫌が良くなったようだ。

 

 セシルのせりふがいちいち説明臭いのが気になるが、彼女の機嫌の良し悪しに比べたら大した問題ではない。

 もちろん、機嫌が良いのなら、昨晩のグリとの一件を蒸し返して、話題にする必要もない。

 やぶ蛇になる。

 

 よかったな胃袋、飯が食えるぞ。


「じゃあ、さっそく、朝飯をもらおうかな。お腹すいちゃったよ」

「はーい。では、このセシルがベッドまでお持ちします」


 セシルが一歩を踏み出そうとした途端、廊下から別の一人が音もなく部屋に入ってきた。

 手に四角いお盆を持ったグリだった。


「チッ!」


 グリの姿を見たと途端、セシルがあからさまに舌打ちをした。

 その表情は、先ほどまでの上機嫌とは打って変わり、頬を不快そうにゆがめている。


 おい、おい、途端に機嫌が悪くなってしまったよ。

 というか、あんなに下卑た舌打ちをするキャラじゃないだろう?

 お姫様なんでしょ?

 

「おはよう、リョウ」


 焦る俺を尻目に、グリがさも当たり前といった様にあいさつをしてきた。


 グリのお盆の上にも、パンとスープが並んでいる。

 あら、こっちもおいしそう。


「腹が減っただろう? 昨日から召喚者である巫女に何も食べさせてもらっていないものな。かわいそうに。だから、魔王軍6将軍の一人であるこの私が、わざわざ宿のおばちゃんに朝食を頼んで、さらに持って来やったぞ。感謝して食え」


「グラスネージャ! リョウ様はわたしのご飯を食べるんです。どうして、敵の魔王軍幹部のご飯を食べなきゃいけないんですか!?」


 グラが事もなげにそう言うと、セシルが烈火の如く反応した。


 これは、どっちの持ってきた朝食を食べるか俺に決めろっていう流れだよな……。

 2人が持ってきた料理はどちらも宿の人が作ったようだ。

 つまり、どっちを食べても味は同じと。

 

 ここで重要なのは、俺の選択によって2人の機嫌がどうなるかだ。

 

 グリの朝食を食べるとセシルの機嫌が悪くなるのは確定のようだ。

 では、グリはどうなるのだろうか。

 

 昨晩のダクトテープ鎖骨事件のことを思うと……機嫌は悪くなりそうだな。

 

 しかし、どうして、魔王軍の幹部であるグリが俺に厚意をしめしてくれるのだろうか?


 神様は俺の勇者物語に二つの恋愛ルートを用意したのかもしれない。

 

 1つは、人間のセシルに惹かれ、彼女のために勇者として魔王軍を成敗するルート。

 もう1つは、魔族のグリを選び、闇落ちしたダークヒーローとして人間軍を蹂躙するルート。


 うん、どっちも超大変そう。

 どっちも避けたい。

 

 セシルとグラ、どちらの飯を食べるべきか。

 これは、結構、大事な分岐点になりそうだぞ……。


 悩む俺をよそに、セシルとグリの間で言い合いが始まってしまう。

 感情をわかりやすく表情と声色に出すセシルと、あくまでも表情を変えずにたんたんと喋るグリとの一騎打ちだ。


「いいか、セシル。これは敵の飯ではない。リョウに戦う意志がないなら、私は敵ではない」

「魔王軍にくみした以上は人間の敵です!」


「そうだな、人間にとっては敵だな」

「わかったのなら結構です。もう、魔王軍の本城にお戻りなさい。どうして、朝になってもここ居て、あまつさえ、リョウ様に朝食をお給仕しようなどと思うのですか」


「……寂しいな」

「えっ!?」


「人間の敵になったとしても、セシルの敵になったと思ったことはないのに」

「グラスネージャ……」


「魔族というだけで、久しぶりに会った友人に冷たくされ、厚意すら受け取ってもらえないとは」

「た、確かにグラスネージャは大切なお友達でした……で、でも……」


 苛立たしげだったセシルの表情が一変し、グラの顔を心配そうに見つめだした。

 

 ――ちょっと強く言いすぎたわね。ごめんなさい。 

 という心の声がひしひしと伝わってくる。

  

 あかん、セシルはん。言い合いの最中は1歩でも退いたら負けや。このままでは、相手の術中にはまってまうで。 

 

 対等な条件下での交渉で1つ譲歩するのであれば、相手にも1つの譲歩を求めるべきだ。

 同じように、相手が何かを求めてきたのなら、それに見合う対価を求めるべきなのだ。

 交渉ごとの基本ですよ。 


「覚えているかいセシル? 初めて会った舞踏会のことを」

「ええ、覚えているわ。2人で退屈な舞踏会を抜け出して、中庭で隠れんぼをしたのよね」


 セシルの頬が緩む。まるで、幸福だった過去を懐かしむように。

 それにしても、感情に応じて、表情がコロコロ変わるな。

 良いご両親のもとで純粋に真っ直ぐに育ったんだろうな。

 

「庭師の倉庫に隠れたグラスネージャを見つけられなくって、わたし泣いてしまったのよね」

「そのとき、私はワザと見つけやすい場所に隠れ直して、捕まってあげた」

「そうだったわね」

「あのとき、私が、これは貸しの1つだぞ、と言ったのを覚えているか?」

「ええ、覚えているわ」

「セシル、あのときの貸しを返してくれないか」


 グラが真っ直ぐな瞳でセシルを見つめた。

 セシルは少し間をおいてから「ええ」と言って、小さくうなずき、ほほ笑んだ。


「セシル、私の想いに応えてくれないか」

「そうね、グラスネージャ。たとえ、魔王軍と人間軍に別れたとしても、わたしたちは大切なお友達……」

「あー、そんなことじゃない」

 

 グラが大きく首を振った。


「えっ?」

 

 セシルは呆けた顔で小首をかしげた。 


「今からリョウは、私が運んできた朝食を食べる。これで、あのときの貸しはチャラでいいぞ」

「だ、だめですぅ!!」


 セシルが再び憤慨モードに切り替わった。


「いや、魔族の中でも高貴な氷女族で、かつ最強の魔法使いである、この私がわざわざ朝飯を持ってきたんだぞ!? 人として食べないわけにはいかないだろう?」

「そ、それは、わたしだって同じです。自慢じゃありませんが、お給仕していただくことはあっても、お給仕するのは初めてなんですぅ!」


「リョウは私の朝飯を食べる!」

「いいえ、わたしのです!」


 言い合いを再開した2人は、その勢いのままお互いの顔を近づけていく。

 というか、2人とも純粋に俺に食べてほしいというわけではなく、プライドの問題なんだな……。


「この、わからず屋のセシルめ。何も変わってないな!」

「そうやって、一方的に自分の言い分を押し通そうとするところ、グラも何も変わっていませんね!」

 

 とうとう、2人のおでこが引っ付いてしまった。

 いかんな、このままでは、拳を交えたケンカになってしまいそうだ。


「いいだろう。大人になった氷女族の実力を見せてやろう」

「それは楽しみですね。子どもの頃は雪合戦ぐらいにしか使いようがなかったですからね」


「棒切れを振り回しては頭に当てて泣いていたお遊びは、少しは上達したのか?」

「あ、あれは遊びではなく、奥義『飛龍円舞光輪覇邪天昇剣』の練習なんです。もう取得したんですぅ」


「奥義の名前を言っている間に相手に一撃食らって、死んでしまう無意味なやつな」

「ち、違います。確かに名前は長くてヘンテコですけど、ちゃんと、実戦で使えるんです!」


 2人はおでこ同士でグリグリし合いながら、戦闘モードに突入していく。

 闘気のせいだろうか、部屋の空気がピリピリと鳴り出した。

 

 うん、このままじゃ俺、巻き添えになって死にそう。

 どうしましょう?


 あー、あるわ。

 2人のケンカを収めるひと言が。

 しかも、俺の欲望も満たされる。

 よし、今は躊躇している暇はない、思い付いたらすぐ行動だ。


「2人の持ってきた朝食、両方とも食べるよ」


 俺は、はっきりと2人に伝わるように大きな声を上げた。

 その途端、2人はピタリと言い争いを止め、驚いたような顔で俺を見つめた。


「お腹減っているからね。ちょうど2食分ぐらいは食べたいな、と思っていたんだよ。2人ともありがとう」


「リョウ様がそうおっしゃるのなら……」

「よし、ならば、私の方から食え」

「はあ!?」

「当然だろ?」


 今度は、どっちの朝食を先に食べるかで、言い争いが始まった。

 結局、セシルが俺の左隣、グラが俺の右隣に座り、双方から差し出されるスプーンから同時に食事を取ることになった。

 

「あーん、ですよ」

「あーん、しろ」


 口の中に次々と大量に放り込まれるパンを懸命にそしゃくしながら、俺は介護老人の気持ちを理解する。

 自分の食べたいペースではなく、給仕する人のペースに合わせた食事は苦行でしかない。

 おじいちゃん、おばあちゃん、大変なんだね……。


「どうですか? わたしのパンの方がおいしいですよね?」

「いいや、わたしの方がうまいだろ? なんなら凍らせてやろう」


 ニコニコ顔で幸せそうなセシルと、頬をかすかに朱に染めてまんざらでもなさそうなグリ。

 2人のかわいらしく、美しい顔を見ながら、俺は右手の中のダクトテープを握り締めて思う。


 ああ、ダクトテープが食べられればいいのに……。 

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