Duct4 ダクトテープでドッキドキ
ふと目を覚ますと、見知らぬ天井が見えた。
どうやら、意識を失った後、どこかの家まで運ばれてベッドに寝かされたようだ。
「知らない天井だ」
自分の言葉に満足した俺は、ベッドの上で静かに上半身を起こした。
窓からさし込む光はすでに茜色になっていた。
教会の前での戦闘は昼だったので、数時間は意識を失っていたようだ。
頬の痛みはすでにない。
ていうか、冷たい。
触ってみると、氷の入った小さな布袋を頬に密着していることがわかった。
頬に袋を固定するために、包帯も巻かれている。
包帯と袋を取り外してふと左側を見ると、セシルがベッドの脇に置かれた椅子に腰かけたまま、上半身をベットになげうって静かに寝息を立てていた。
どうやら、セシルが看護してくれたようだ。
その優しさに心がホッコリした。
まあ、怪我の原因はセシルなんだけど。
セシルの小さな頭を思わず撫でようとした瞬間、正面の扉が静かに開いたので、慌てて手を引っ込めた。
「目が覚めたようだな」
勝ち気で芯の通った声。
扉から入ってきたのは、魔王軍の氷雪将軍ことグラだった。
「あれ? なんでここにいるの」
「悪いか? これでもセシルと一緒に看護したんだぞ。礼の1つぐらい言われてもいいぐらいだ」
なるほど、頬を冷やしている氷は、グラが魔法で出してくれたのか。
氷雪将軍の称号は伊達ではなく、氷系の魔法が得意なのだろう。
「ありがとう」
深々と頭を垂れると、グラは驚いたように「へえ」と声を上げ、満足げにほほ笑んだ。
黄昏時の淡い光の中で、人形のような美しい顔がさらに華やいだ。
グラはベッドの正面に置かれた椅子に腰かけた。
どうやら、俺を攻撃する意志はないようだ。
「どうして、俺を殺さなかった?」
こうしてグラが目の前にいるということは、俺が気を失った後、ダクトテープを外して自由の身になったということだ。
俺を殺す機会などいくらでもあったはずなのに。
「意識を失ったお前の横で、セシルが勇者様を殺しちゃったあ~って、泣きわめくからさ。殺すのが面倒になって、お前をワイバーンに背中に乗せて近くの街の宿屋まで運んだ。セシルには魔法の帯を一生懸命に解いてもらった恩もあったし、なにより、昔からあの子に泣かれると弱いんだ」
そういえば、教会で出会ったときから、2人は名前を呼び合っていたな。
「魔族と人間なのに知り合いなのか?」
「そうだ。友達だった、というべきかな」
「友達?」
「そう……戦争が起きるまでは友達だった」
グラは小さくうなずいてから、「今は敵同士だけど」と少し寂しげに頬を緩めた。
戦争というのは、人間と魔族の争いのことなのだろうな、と理解できた。
「なぜ、人間と魔族は争っているんだ?」
「セシルから何も聞いていないのか……」
グラは思案げ眉根を寄せてから話し始めた。
「我々魔族やダークエルフ、魔獣たちは『闇の神』の加護を受けている。一方で、人間やエルフ、ドワーフたちは『光の神』の加護を受けている。この世界には神が2柱いるんだ……」
グラの話しをまとめると、戦争が始まった理由は、「闇の神」の代理者たる魔王の出現。
4年前に突如として降臨した魔王は、魔族やコボルト、オーク、トロール、ゴブリンなど「闇の神」の影響下にある者たちを統制。
そして、「光の神」を崇める人間やドワーフ、エルフたちに突如として宣戦布告した。
それまでは、少なくとも魔族と人間は、互いが収める国々の国境をめぐる小競り合いはあっても、正面からぶつかり合ったことはなかったのだという。
「そして、リョウ、お前が『光の神』の代理者である勇者というわけだ」
「俺には魔王を倒す力があるってこと?」
「そうかもしれないし、違うかもしれない。あの御方はとても恐ろしい人だから」
どう違うのかしらん?
俺はダクトテープは万能な最強スキルだと感じているが、魔王のそれに比べたら弱っちいのかもしれない。
でも、まあ、確かに、弱いか。
女の子にパンチ1発でノックアウトされるぐらいだからな。
「俺は勇者らしくないからなあ。女の子のパンチで気を失うし」
「セシルは人間として最強クラスの剣士だ。そんな子の渾身の一撃を受けても死ななかったのは大したものだぞ」
そうなのね……。
今後はセシルを怒らせないことを第1に考えよう。
「その……リョウに1つ確認しておきたいんだが」
グラが視線をセシルに移した後、急にモジモジとしだした。
「お前は、セシルと恋仲なのか?」
「はい? いや、違うけど」
俺の間の抜けた声の返事に、グラが驚いた様子で口を開く。
「恋仲じゃないのか?」
「うん」
「男って、こういう、フンワリして、胸が大きくて、健気で、バカな女が好きなんじゃないのか」
「好きだね」
「じゃあ、どうして恋仲にならない。光の神の代理者たる勇者が男で、神の巫女たる召喚者が女だぞ。出会った途端に、瞳が交差した瞬間に、運命的に2人は恋に落ちてもいいはずだろ」
グラは理解不能という様子で人さし指でおでこをたたいた。
魔族側から見ると、俺は勇者でセシルはヒロインというくくりになるようだ
そう見てくれるのは光栄だが、ここはしっかりと誤解を解いておいた方がよい。
「セシルは十分に魅力的だよ。1人の男として、彼女のような人と恋人同士になれたら本望だと思う。でも、大事なのは彼女の気持ちだろ? セシルの心は勇者には向けられいても、俺に向いてないよ」
そう、教会の中で感じたセシルの好意は、あくまでも勇者である俺に向けられたものだ。
だから、勇者をやるつもりのない俺には、セシルの好意を受ける資格などない。
もちろん、勇者をやることを条件にして、恋人同士になるつもりもない。
それはセシルの心をもてあそび、傷つける事に他ならない。
「俺は勇者の称号を得るつもりはないんだ。だから、セシルが好意を寄せてくれたとしても、それは受けられない」
「……」
グラは再びセシルに目線を移した。
変わらずに静かな寝息を立てているセシルを見て、グラは少し哀しげに目尻を下げた。
「亡国の姫君」
「誰が?」
「セシルの2つ名だ」
「ずいぶんと悲劇的な響きだね」
「リョウはきっと、セシルの境遇を聞いたら、この子を助けてやりたくなる。そして、セシルのために光の神の代理者として魔王軍と戦うことをいとわなくなる」
「それは困ったな」
亡国の姫君。
この二つ名から推し測るに、セシルはどこかの国の王家の一族で、その国は魔王軍によって攻め滅ぼされたのだろうか。
セシルは、祖国を焼かれ、家族と仲間を殺された憎しみを晴らすために、勇者を召喚したに違いない。
俺はセシルの想いに応えるべきだろうか……。
しかし、部外者の異世界人の俺がしゃしゃり出てもよい結果にはならない気がする。
と、正論を考えてみたが、単なる勇者をやらないという理由づけ、立て前でしかない。
本音を言えば、俺はもう働きたくないだけだ。
これからは1日12時間を寝て過ごすんだ。
前の世界のような、どうあがいても抜け出せない虚無感や徒労感に満ちた生活はまっぴら御免だ。
目指せスローなライフ。
世界中のみんなが安泰を目指せば、きっと、人間も魔族も平和に暮らせるよ。
「教会の前でも言ったけど、俺は勇者になるつもりはない。セシルにもちゃんと説明する」
「お前は、他の人間とは違うんだな。あいつらは、常に冨や名声に縛られているのに……」
グラが静かに椅子からベッドへと身を移した。
さらに四つんばいになってベッドの上を移動し、俺に覆い被さる体勢になる。
「ちょ……」
近い、近い、グラのきれいな顔が俺の目の前まで迫った。
それに、スラリとした柔らかい足が俺の太ももに触れている。
悲しいかな、美人さんに近づかれるのも、触れられるのも慣れてはいない。
うろたえる俺の見つめるグラの目つきは真剣だ。
「リョウの話しを聞いて、安心したよ」
「そ、そうですか」
「今、魔王軍と人間軍の戦いは長期化し、前線が間延びして、膠着状態にある。そして、この膠着状態の下で、両軍の穏健派が水面下で和睦の交渉を進めている。この状態でリョウが勇者として名乗りを上げると、均衡状態が崩れ、和平交渉が決裂しかねないんだ」
和平交渉ね。いいことじゃない。
それなら、俺が勇者として頑張る必要はなおさらないな。
セシルには悪いけど、復讐の遂行よりも平和への1歩の方が良いものな。
今の戦況を俺に話してくれたということは、グラも和平工作をする穏健派の1人なのだろう。
「大丈夫、俺は勇者はやらない。和平交渉がまとまるといいな」
俺はグラを安心させるためにも笑ってみせた。
グラは深緑の瞳で俺の顔をジッと見つめた。
そして、急に恥ずかしそうな表情を浮かべたかと思うと、おもむろに口を開いた。
「……そ、その、安心したついでに、1つお願いがあるんだ」
グラの右手ゆっくりと動き、自分の上着のボタンを1つ、2つと外しいく。
かすかに薄暗くなってきた空間に、白磁のような肌が浮かび上がる。
大きく開かれた左襟の隣に、美しい鎖骨が見えた。
「……私の肌に傷を付けたのは、リョウ、お前が初めてだ」
熱っぽい吐息とともに、グラの白い頬が桜色に染まっていく。
なんだ、何が起きているのだ?
肌を傷つけた?
ワイバーンとの戦闘のときに、口に貼ったダクトテープを無理やり剝いだことを言っているのか?
「ダクトテープのことか?」
「……そうだ、ダクトテープ。あの焼けるような一瞬の痛みが、ほしい……」
涼しげだったグリの瞳が熱っぽくうるんでいる。
おう、なんてこったい。
ドSキャラと思わせておいて、Mっ気を見せるとは。
ギャップ萌えにもほどがあるぞ。
「……早く、ちょうだい。ここに……」
グリが美しい鎖骨を白い指でなぞる。
うーん、早くどいてもらうためには仕方ないな。
そう、仕方がないんだ。
「じゃあ、ちょっとだけ、失礼します」
俺はダクトテープを右手に10センチほど出現させる。
そして、新雪の表面ををなぞるように、ゆっくりと、ゆっくりとダクトテープをグリの鎖骨に貼り付けていく。
「……早く、早く、ちょうだい……」
「あせるな」
俺はダクトテープに指をかけると、容赦なく一気に引き剝がした。
「あっ!」
グラのあごが瞬間的に上を向き、嬌声が漏れた唇から一筋のよだれが垂れた。
鎖骨には桜色の痕が付いている。
白い肌と赤い痕のコントラストが美しい。
「……もっと、ちょうだい……」
「ください、だろ?」
「んっ、いじわる……く、ください」
「悪い子だな」
俺がダクトテープを出現させたのと、俺の左側で鬼のような闘気が湧き上がったのは同時だった。
ああ、そうだ、忘れていた。
セシルがすぐそばに居るんだった。
「だから、何をやっとんのじゃああああああ!!!!!!」
うなるセシルの右拳。
左頬に再び走る衝撃。
俺はまた意識を失ってベッドに倒れ込んだ。