Duct20 ダクトテープで心の隔たりを埋めてはならない2
「あ、あの、ですの……」
獣耳と尻尾をキュと縮めながらとゆっくりと居間に向かったフィアが、机に突っ伏したセシルとグリに向かって恐る恐るといった様子で話しかけた。
「「……」」
セシルとグリが首だけを動かして、フィアを見た。
その表情は生気が抜け落ち、眼球がくぼみ、まさに生ける屍状態である。
「ひっ、ですの」
フィアが台所に残った俺に向かって、引きつった笑顔を向けた。
――もう無理ですの、という心の声が伝わってくる。
しかし、俺は親指を突き立て、深くうなずくことで、仲良し作戦の決行をうながした。
その仕草を見たフィアが覚悟を決めたようにうなずいた。
頑張れ、フィア!
「あ、あの……セシルお嬢さま!!」
途端、セシルの両肩がピクンとかすかに上下した。
その両眼にかすかな生気が帯び始める。
よし、予想どおり、お嬢さまという呼び方に反応したようだ。
――お嬢様。
たったひと言で、フィアはセシルにとっての家政婦さんでもあることを証左する魔法の言葉。
しっかりとした名家育ちのセシルは、自分の召し使いをぞんざいに扱ったりはしないはずだ。
「あなたは、お肉を6日間も食べていない、こんなにもひもじく、落ちぶれたわたしをお嬢さまと呼んでくれるのですか?」
セシルがゆっくりと起き上がると、ヨボヨボした様子でゆっくりとフィアの両手を取った。
「はい、当然ですの。こんなにもかわいらしいお嬢さまにお仕えできて、フィアは大陸一の幸せ者ですの」
「ああっ……なんて良い子なんでしょう」
セシルは目に涙を浮かべながら、しっかりとフィアを抱き寄せた。
そして、「ああ、なんてモフモフなんでしょう。よーし、よし、よし!」と言って、フィアの尻尾の付け根を執拗にサワサワとなで始めた。
なでられるたびに、フィアは「んっ、あっ、そこはダメですの、ですのっ!!」とビクンビクンと反応する。
うん、仲が良さげで、よかった、よかった。
これでセシルはフィアにとって優しいお姉さん的な存在になってくれるだろう。
老人ホームで久々に会ったおばあちゃんと孫娘のように見えなくもないが……。
さて、次はグラだ。
こっちは、もっと簡単だ。
「あ、あの、グラスネージャお嬢さま! 晩ご飯のメニューをご説明に来たですの」
ようやくセシルのお触りから解放されたフィアがグラに向かって笑顔を振りまく。
グラは瞳だけ動かし、フィアを見つめた。
そこには、まったくの生気も感情も宿っていない。
「あ、あの……今晩のメインディッシュはこの肉をソテーしますですの!!」
そう言ってフィアはグラの目の前に大皿を差し出した。
その上には、眷属が捕って来たという鴨の肉が塊で載っている。
「……肉?」
グラの瞳が途端に氷解していく。
「そうですの。先ほど捕れたばかりの鴨肉ですの。岩塩とハーブで下味を付けてソテーして、木の実のソースをかければ、きっとおいしいですの」
「……き、君は、6日間も肉を食べられないほどにうらぶれた、この私に肉料理を食べさてくれるというのか?」
「はいですの。お嬢さまのために給仕するのは家政婦として当然ですの」
「おっ、おお……なんと良い子なんだ」
グラはヒシッとフィアを抱き寄せると、「ご褒美だ。サスサスしてやろう」と言って、獣耳の付け根をなでなでし始めた。
「あっ、んっ、グラスネージャお嬢さまの冷たい肌が、その、あの、ですの、ですのっ!!」
フィアは再び頬を染め、唇を噛み、全身をビクンビクンとさせ始めた。
ああ、グラとフィアも仲良くなったようだ。
よかった、よかった。
あとは、フィアが作るおいしい晩ご飯をみんなで一緒に食べるだけだな。
家の中での不協和音が消えれば、あとには平穏が残るのみだ。
なにせ、これからの家事全般と食料集めはフィアと808匹のタヌキがこなしてくれる。
もう農業や狩猟もやる必要はなさそうだ。
もちろん、森では集められない食材や日用品もあるだろうが、それらを購入する資金は存分にある。
面倒くさい街への買い出しもタヌキたちに頼もう。
資金が足りなくなったら、オーギュスト侯にまたダクトテープを売ればいい。
ああ、これで、俺のスローな1日12時間寝る生活は無事に達成されそうだ。
俺は満ち足りた気分で、居間の椅子に腰かけた。
目の前には、台所で料理を始めたフィアをニコニコと笑顔で見つめるセシルとグラがいる。
美しい2人の笑顔を久しぶりに見て、俺も嬉しくなる。
……うん? 待てよ……。
ここの生活を続ける資金源は俺。
家事労働はフィアと808匹のタヌキが担当。
ぶっちゃけ、それだけで、生活は十分だよな?
俺は、台所から漂ってくる肉の香ばしい匂いに目を細めるセシルとグラを見て思ってしまう。
――この2人の存在意義ってなんだろう?
そんな疑問を持って、まじまじと2人を見つめる。
あっ、2人の口元からよだれが、よだれがたれてきた!!
俺が指摘すると、2人は慌てて口元をハンカチで拭った。
「こ、これは、よだれではありません。汗です、心の汗です!!」と恥ずかしそうにうつむくセシル。
「もし、これがよだれだとしても、別にお腹が空いているわけじゃないんだからね!!」と頬を染めたままそっぽを向くグラ。
そんな2人の様子に、うーん、かわいいなあ、と思ってしまう俺。
まあ、かわいいは正義という言葉もあるし、それだけで存在意義ってあるよね。
うん、そういうことにしておこう。
そうやって納得した俺は、2人を見つめ直す。
いや、だから、よだれがたれてるぞ!!




