まことのしあわせ
三第小説「心霊写真」「ビンゴ」「ブックカバー」で書け、と言われて書きました。またお題いただければがんばって書きます。
❤︎
「ただいま」大学から帰り、アパートの玄関を開けると幸が待っていた。
「おかえりマコトさん」狭いキッチンに立って俺に笑いかける。
幸が俺の部屋に来てから一カ月になるが、未だに帰ると人がいる感覚に慣れない。大学院は疲れる。慣れないが、人が待っていてくれるのはやっぱり嬉しい。
「今日はおでんですよー」幸が、寒いですから、と言いながらお玉で鍋をかき混ぜると、出汁のいい匂いが六畳間に立ちこめた。
おでんか、いいな、と言いながら俺はスーツを脱ぎ始める。一応彼女だ。近くで着替えても恥ずかしくない。
机の上にトランプが散乱している。トランプタワーでも作っていたのだろうか。
「それですか? トランプタワーです」幸が聞いていないが教えてくる。「いえ、できなかったんですけどね。あとで遊びましょうよ」
「おでんの邪魔じゃないか」着替えは途中だが先にトランプをまとめる。「それに二人じゃつまらない。ババ抜きもできない」
まとめ終わると幸は寂しそうな顔をしている。「せめて三人ですよね」
「そうだな」「外は雪が降ってるよ」ネクタイを外しながら言う。
「本当ですか!」幸が元気を取り戻して、とび跳ねる。「見たいな、でもおでんが」
「まだ止まないだろうから後にしたらどうだ」俺は苦笑する。「幸は雪が好きだな」
「雪はきれいです。ふわふわしてるし、冷たいし」
「大学生にもなって。やはり幸のセンスは変わっている。誕生日に貰ったブックカバーもそうだが」部屋着のスウェットに履きかえる。
「そういえばブックカバー使ってくれてます?」幸がおでんをかき混ぜながら聞いてくる。
「いや、まだ」俺は答える。先週幸から貰った手作りのブックカバーは本棚の端で初仕事を待っていた。「新しい本を買ったら使う」
「そうですか」幸は残念そうな声を出す。
「しかしあの柄は少し趣味が悪い」俺は本棚に目をやる。赤と黒を基調とした生地に、ハートや、トランプのクイーンをポップにしたキャラクターのワッペンがついている。「好きなのはわかるが、とても俺が使うようなものには見えない」
「何でそんなこと言うんですか!」幸は少し傷ついたようだ。仕方ない。俺は嘘を吐けないのだ。俺の名前はマコト。真実を愛する「真」だ。
「さて、先にご飯よそっていいかな」着替え終わり、食器棚から二人の茶碗を取り出す。
「はい、お願いします。おでんも出来上がりです。雪見て来ますね!」
幸が玄関を開ける。
すごい、すごいと声がする。俺は食卓を拭き、ご飯、おでん、冷蔵庫に入っているお浸しを準備する。
幸が戻ってきた。
「いやぁ、雪はいいですね。楽しいです」
「見てるだけでか」
「はい! マコトさんはどうですか」
「あまり好きではない。寒いし、危ないからな」
「だから雪かきのアルバイトをしてるんですか」
「そうだな」俺は箸を手にする。
「じゃあ」と幸が言う。「じゃあ、私のことはどうですか?」
「ん?」
「私のことは好きですか」
俺はその質問には答えずに、いただきます、と言う。幸も箸を持っていただきます、と言う。
今日も俺はついていないし、つかれてる。
❤︎
昔からついてなかった。とにかく運が悪かった。どんなくじも雑誌の懸賞も外れる。はずれなしのくじなら最も悪い景品を引く。副引きをすればポケットティッシュばかりが溜まった。小学生の時、親は宝くじの番号を俺に選ばせるのをやめた。
だから極力運に頼らない生活をしようと心掛けた。人と協力すれば運の悪さは迷惑をかけることになった。少年野球をやっていて、試合の時に限って俺は体調を崩した。内野を守ればイレギュラーバウンドが頻発した。微妙なハーフスイングで三振をとられることもあった。言い訳するな、体調管理がなっていない、実力のせい、と言っていた監督が最終的に、「マコト、お前は上手い。だが、ちょっと試合に来るのはやめてみないか?」と言ってきて、それ以来集団競技をやめた。
中学に入ると部活はバドミントンを選んだ。屋外競技は天候に左右される。雨天になればそれだけ不測の事態が起こりやすい。そんなことも考えたが、仲の良い友人がバドミントン部に入ると言ったからということもあったし、俺の通った中学がバドミントンの強豪だったということもある。どうせやるなら強くなりたかった。練習は厳しかったが確実に上手くなり、高校でも続けた。インターハイに出場するような選手と一回戦で当たり終わってしまう大会もあったが、三年の最後の大会では県ベスト4になった。
大学で数学科を選んだのも、運から離れたかったからだ。確率なんてものはとても信じられなかったが。しかし選択肢のある試験をすれば、複数から最終的に二択にまで絞れる、という場面で確実に誤っている方を選んでしまう俺には、これ以外の選択は存在しない、と確信できる数学だけが味方であるように感じた。大学に入ってもパチンコや麻雀などのギャンブルには極力手を出さなかった。無理やり誘われやったことはあるが当然勝てなかった。俺が信じて続けられたのは勉強とバドミントンのサークルだけだった。
そんな、運に頼らない大学生活は大きな事件もなく、四年間などすぐに過ぎていった。
そして今、俺の手には二枚のビンゴカードがある。周りには一枚のカードを持った後輩たちがいる。
俺はサークルの追い出しコンパで、メンバー五十人と居酒屋に来ていた。二階の座敷を全て貸し切っての盛大な飲み会で、揚げ物主体の料理を食べ、賑やかなコールと共に大量のビール瓶を空にしていた。四年である俺は同期十人と率先して最後の飲み会を楽しんでいた。
俺はこのまま大学院に進むので、卒業という感覚はあまりないが、多くの仲間たちは社会に出ていくことを思うと寂しさが募った。卒業までの単位が足りず、一年前から留年が決まっていた友人、市村は、卒業する同期に対しての置いてくなよー、と、俺に対してのマコトは残ってくれるんだな、良い奴だな、を繰り返していた。今日も酒が入ってからは何度も言われている。190センチ近い暑苦しい巨漢が瞳を潤ませながら迫ってくるのは恐い。俺が残るのをお前と一緒にするんじゃない、と蹴り飛ばすが、市村はそれを無視し、二年間も残ってくれるのか、そんなに俺を心配してくれるんだな、と抱きついてくる。今年は卒業しろ、おそらく無理だろうが。
宴会は進み、卒業祝いとして花束と、四年間の写真や後輩からのメッセージに溢れたアルバムを貰った。涙ぐむ同期もいて感慨深くなったが、酒を飲んで明るく笑った。
そして恒例のビンゴ大会だ。四年には二枚、三年以下には一枚ずつのカードが配られた。景品は三年が選んでおり、テーマパークのチケットやデジカメといった高額なものから、日用雑貨やジョークグッズまで様々だ。四年が二枚配られたのは当たりやすいようにという配慮からであり、どちらかが当たれば良い。司会を務める三年のコンパ係の男から数字が読み上げられ始めると当然のように四年からビンゴが多く出て、景品を受け取っていった。
しかし、いや、やはりと言うべきか、俺は全く当たる気配もないまま、二十個あった景品は次々となくなり、残すは二つとなった。今回、まだ一番の目玉商品であるテーマパークのチケットは出ていなかった。司会も、さあ夢の国への招待券は誰の手に、などと場を盛り上げている。後一つ数字が出ればビンゴとなる者はリーチを宣言し、その場に起立している。四年は俺とあと二人残っており、俺以外の二人はリーチがかかっている。しかし俺の二枚のカードは当たることを許さないと言うかの様に始めからほとんど空かず、さながら鉄壁の城塞だった。その城塞も後半になればちらほらと空き、なんとか三つ繋がる所もあったが、それでもこの場で最も当たりから遠い存在だろう。
こんなことには慣れていた。一年から毎年このコンパには参加し、初めは大学生になったのだから何か変わるかもしれない、と根拠のない期待を持って臨んだ。だが俺の運の無さは筋金入りで、何も当たることはなかった。
俺はもうすっかり見慣れた城塞を手にし、周りを見て誰に当たるのだろうと考えていた。リーチをかけているのは七人。目玉はやはり卒業生に、と周りからも期待が集まりつつも、リーチをかけている後輩たちもチケットとなれば何としても自分に、と思っているのだろう。皆、カードを持つ手に力が入っていた。
「次、17!」と司会が言い、立っている者からの溜息が洩れた。お、と俺は自分のカードを見た。片方のカードの17番が空いて、リーチではないか。四年間で、いや、人生で初のビンゴゲームでのリーチに戸惑ってしまう。
「リーチ」少し緊張しながら立ちあがると、周りが一斉にざわついた。
「おおっ! マコさんがリーチをかけたあ!」司会が一際大きな声を出す。「あの、マコさんが!」
みんな俺の運の悪さは知っている。大会では実力でどうにもできない相手とばかり当たっていたし、チームに分かれて試合をする合宿でも何故か俺のチームは良い結果を出せないのだった。そのため、マコトと同じチームになったらバドではなく酒を楽しめ、と合宿の度に言われてきた。先月は最後の冬合宿だったにも係わらず試合中に何か踏んで転んでしまった。足を捻り、最後まで試合ができない、という何とも煮え切らない結果で終わってしまった。
そんな俺がリーチを宣言したのだ。皆の期待は一斉に俺に集まった。
「がんばってーマコさーん」と後輩が言うが、どう頑張れというのだろうか。
「何が出ればビンゴですか?」と近くの後輩に聞かれたので、66、と答えた。
「それでは、次の数字を言います!」
会場が沈黙する。
テーマパークに行きたいわけではない。ただ、ここで当たれば何か変わるのかも、と思った。俺の運に恵まれない人生が変わるのかも。
66、66来い、と祈った。これが頑張ると言うことか。
66来い。
息を飲む。
鼓動が速くなる。
司会が口を開いた。
「40!」
一瞬空気が張り詰め、ああーっと皆が溜息を吐いた。当たらなかった。くそ、カードを見つめた。40は俺のカードにあることはあったが、ビンゴではない。
そこで、おや、と思った。誰も歓声を上げない。会場中がきょろきょろと周りを見回した。
「40では誰もビンゴにならなかったようです!」司会が言って、そこで初めてまだチャンスがあることに気付いた。また一気に会場がざわつく。
「では次の数字です。今度こそビンゴが出るでしょうか!」
俺はカードの66を見つめた。
来い、66。俺は六月六日生まれだろう。何か変えてくれよ!
「21!」
また、みんなが落胆の声を上げた。
「ビンゴー!」一人の男が叫んでとび跳ねた。
「勘弁してよ、ミッキー!」と会場から声が上がる。ミッキーとはたった今ビンゴになった三年の男だ。明るく、調子に乗りやすい彼は名前を幹貴と言った。双子の妹、美咲はミニーと呼ばれ、共にサークルの写真係を担っている。「マコさんに当ててもらおうよー」そんなことを言われても、運だから仕方ない。
「あれ、マコさんもビンゴじゃないんすか?」リーチをかけて隣に立っていた後輩が俺のカードを指さす。「ほら、さっきの40が空いて、その隣の21でビンゴっすよ」
「本当だ」俺はカードを見つめた。「本当にビンゴだ」
「おおっとマコさんもビンゴになったようだー!」司会が言って、会場が一気に湧いた。おめでとう、おめでとう、と声がかかる。
「それでは、マコさんとミッキーはじゃんけんをして、勝った方が好きな景品を選んで下さい」
司会に促され、俺とミッキーは前に出た。そう、景品は二つあるのだ。袋に入っていてわからないが、一つがテーマパークのチケットで、じゃんけんに勝った方は先に袋が選べる。
ミッキー負けろー、夢の国を譲れー、と野次が飛ぶが、ミッキーは表情を固くしている。
「すいません。俺、勝ちにいきますよ」ミッキーが拳を握る。
「ああ」と俺も答える。ここまで出られただけで悔いはない。が、どちらかと言えば一番良い景品が欲しかった。
「いいですか? じゃーんけーん」司会にサークル一同が声を揃える。
「ポン!」
俺はグー。ミッキーはパー。
俺の負けだ。会場からブーイングが上がる。
「では選ばせていただきます」ミッキーは大きな紙袋を手に取る。
俺は必然的にもう一つの紙袋を持つ。重さからチケットではなさそうだ。
「はい! それでは一緒に景品を取り出して頂きましょう! せーの!」
ミッキーは高くチケットを掲げた。「よっしゃー!」と言ってまたとび跳ねる。
俺が紙袋から取り出したのは、一冊の本だった。黒くて分厚い。開こうとした右手をミッキーに止められた。
「実はこの本は、俺が三年間で撮り貯めた、サークルの、他の人には見せられない秘蔵アルバムです! 正直、夢の国以上の価値があると思っています。だから、チケットを貰った俺を責めないでください!」
なんだそりゃ! 皆に見せろ! と男から声が上がる。俺も同じ思いで目を丸くした。女性陣からは当然、最低! と言われている。こんなものを俺が貰っていいのだろうか。再び開けようと本に手をかけた。
「待って下さい。ここでマコさんが開けたら景品にした意味がありません。お家に帰ってからお一人で見て下さい。折角サークルから卒業されるマコさんにこのくらいプレゼントしたっていいじゃないですか。」ミッキーが真剣な目を向けてくる。そして俺にだけ聞える声で囁いた。「後で、話したいことがあります」
その後宴会は滞りなく行われた。男たちから景品のアルバムを見せろとせがまれたが、ミッキーの異様な剣幕からただ事ではない写真があるのだと思い、断った。皆も渋々だが承諾した。運の悪かった俺が獲ったものを大切にしてあげたいのだそうだ。
二次会に行く流れになり、俺も参加することにしたが、次の居酒屋に行く前にミッキーに呼びとめられた。
「マコさん。さっきのアルバムのことなんすけど」さっきからいつもは明るいミッキーに似合わない真剣な顔だ。
「ああ、後でいいんじゃないか? 家に帰ったら一人で見させてもらうよ」俺はほろ酔い気分のまま答えた。二軒目に早く行きたかった。
「ちょっとこの写真見て下さい」ミッキーは俺の手からアルバムを取るとぱらぱらとめくった。一瞬肌色の多い写真が何枚か見え、おい、これは本当に貰って大丈夫なのか、と思った。
「これっす」ミッキーが俺に見せたのは、何て事はない、合宿の写真が四枚貼ってあるページだった。全て先月の冬合宿で撮ったもので、俺が写っている。「やっぱりマコさんなら引いてくれると思ってました」
「どういうことだ」
「よく見て下さい」
俺は自分の写真をよく見る。そこで違和感に気付いた。まず、ダブルスの試合で一セットを取り、ペアとハイタッチしている写真だった。体育館の壁際に知らない人影が立っている。服もわからないが、白い影だ。こんな人いたか、体育館の職員だろうか。
「この人は?」俺が聞いてもミッキーは無言だった。
次は試合中の写真だ。俺の足元にに白いものがある。手だ。人間の。
そこで気付いた。この試合は、俺が足を捻った試合じゃないか。左足を捻ってこれで合宿の試合は終わりになってしまったのだった。何か踏んだと思ったが、まさか。
三枚目の写真を見てぞっとした。足を捻り、転んでいる俺と、心配し、手当に当たるサークルメンバーの写真だ。撮られた時はミッキー、それどころじゃないんだ、周りは心配してるじゃないか、と思った。しかしそこに写ってたのは心配そうに俺を見つめるチームのメンバーだけではなかった。
女がいる。白い女が。
俺のことを見降ろしてにやにやとしている。
「おい! これは、誰だ」俺は焦る。
「霊じゃないですかね」と真顔で言われた。「幽霊」
「幽霊」反復してしまった。「心霊写真てやつか」
その手のものを扱ったテレビ番組に特に興味はなかった。もちろん実物を見るのも初めてなら自分がその写真に写るなんて思ったこともなかった。
「これ、どうしたらいいんだ? 神社に持って行ったり」
「それでいいんですか?」
「え」
「そりゃ、お焚き上げもできますよ。でも」
「でも、なんだよ」
「でも」ミッキーが俺の目をぐっ、と見てきた。「でもつまらなくないですか!」
「何を言っている」
「だから、お焚き上げとかお祓いとかしてもらえばきっと何もないでしょう。でもマコさん、合宿の転倒以来悪いことありましたか? そりゃあ、運はいつも悪いんでしょうが。見ている感じ、特に変化ないです。だから」
「だから?」
「だから、この霊、地縛霊なんじゃないかと思うんです」
「ジバクレイ」地縛霊、と漢字を当てはめるのに一瞬時間がかかった。
「この霊、祓ってあげたくないですか?」
この男は何を言っているんだ。しかも真面目な顔で。
「四枚目見て下さい」ミッキーが指をさす。
俺のチームの集合写真だ。怪我をし、苦笑いを浮かべている俺を囲むように後輩たちが笑っている。その輪から少し離れて件の白い女がいる。俺の方を見ている様だ。何だか寂しそうな瞳だ。
個人で撮ったカメラにこの女は写ってなかった気がする。たまたま角度的にミッキーだけが撮ったのだろう。
「この霊、美人じゃないっすか?」
確かに、それは俺も思っていた。きっと生前は引く手数多だったのではないか。長い髪はきれいで、薄幸そうな表情も美しさを引き立てている。
「明後日、また冬合宿の宿に行きましょう」
ミッキーはにやりと笑った。
「おい、二人で何の話をしてるんだ。二次会早く行くぞ」
市村が呼びに来た。そして、写真を見てしまった。
「なんだよ、これ。心霊写真じゃねえか。しかも、美人の」
「市村さんも会いに行きますか」
二軒目に行っても俺はすっかり酔えなくなってしまった。
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どうして俺は三月の麗らかな日が照らす昼間から、男三人で電車に乗っているのか。
電車の行先は新潟。スキーと地酒が有名な場所だ。三月中旬とは言え学生はまだ春休みだ。今日も朝から電車はスキーヤー、スノーボーダーの男女で賑わっている。
そんな中、俺たちはミッキーのカメラを除けば限りなく手ぶらだ。市村に至っては財布すら忘れて、俺が電車代を貸してやっている。
もう朝から一時間、男三人ボックス席に身を寄せていた。
「それで、おけ屋のおばちゃん何て言ったんだ」
向かいに座る巨漢、市村が身を乗り出す。こいつがいれば暖房はいらない。暑苦しさだけで汗が出てくるようだ。
おけ屋は冬合宿で毎年お世話になっている民宿だ。三日間騒ぎ続ける俺たちに優しくしてくれる。料理も上手い。
「どうやら女について何か知っているみたいで、詳しくは会ってから、とのことでした」
左に座るミッキーが答える。
「相変わらず雪がすごいな」
俺は二人の会話を無視してミッキーとは反対側の外を見た。
市村がいてよかった、と少し思う。ミッキーと俺だけでは一方的に話され続けてしまう。市村とミッキーで話していれば助かる。
「あたりまえだろう、マコトよ。新潟だからな」
「あたりまえですよ、マコさん。新潟ですから」
二人して同じことを言う。前言撤回。いなくてもよかった。面倒くささが増すだけだ。
「だからこんなにスキーヤーがいる」
「だからボーダーがいっぱいいます」
じゃあどうして俺たちは幽霊探しに行くんだ、とは言わなかった。代わりに溜息を吐いて。目を瞑った。
「おい、寝るのか。トランプをしようじゃないか」
市村はダウンのポケットからトランプを出した。どうして財布は忘れてトランプを持ってきたんだ。
「やっぱり、マコトは弱いなあ」市村が嫌味なく笑う。
「ほんと、どうなってるんですかね」ミッキーも言う。
結局三十分以上トランプをしながら目的の駅に着いたが、ババ抜きでも大貧民でも全く勝てなかった。ババ抜きの時は取り憑いているかのように必ず来るジョーカーだが、大貧民では途端に来なくなる。
駅の前におけ屋のマイクロバスが迎えに来ている。
「お久しぶりです」
車から降りたおばちゃんに挨拶をした。
「今日はよろしくね」
元気のないおばちゃんの表情と声に俺は戸惑った。いつもなら、待ってたよ、今年も楽しんでいってね、と強く肩を叩いてくるような気のいいおばちゃんなのだ。とりあえず車に三人で乗り込む。
それからおけ屋に着くまで一〇分、おばちゃんは一言も発さなかった。
食堂に通され、四人分の緑茶が出てきたところでミッキーが話し始める。
「この写真です。電話で話した通り、先月の合宿で撮ったものです」
俺のアルバムとは別に同じ写真を印刷してきていたミッキーは四枚を見せる。
あぁ、とおばちゃんが溜息を吐く。
「やっぱりねぇ」おばちゃんが悲しげな顔で親父さんを見る。
「やっぱりってどういうことなんですか。この人のこと知っているんですか」ミッキーが詰め寄る。
「この子は、さっちゃんって言ってね。うちで働いてくれてたの」
ちょっと待ってて、とおばちゃんが席を立つ。市村が、おかわりいただきます、と急須からお茶を注ぐ。
おばちゃんが写真を持って帰って来た。
「もう四年前ね。こっちの大学に通ってて、一年生の時から冬の間だけバイトしてくれてたの。実家はあなたたちの方よ、東京。よく働いてくれたわ。料理もできたし。事故が起きたのは二年生のときね」
事故、と俺が呟く。市村がお茶を飲む。
「そう、本当に事故だったのよ。大雪が降った朝、あの子はいつもみたいにうちに来てくれる予定だった。でもお昼になっても来なくて。遅刻なんて一度もしたことない子だったから心配したわ。そうしたら救急車のサイレンが聞こえてきて」
その後のおばちゃんの話はこうだった。さっちゃんは朝、住んでいる下宿から歩いて二〇分かけておけ屋まで来ていた。しかしその日、来る途中、俺たちがサークルで使う体育館の屋根から大雪が降って来た。雪国に住んでいれば大雪の後は注意して建物や木の下は通らないのだが、さっちゃんは東京育ちでそれを知らなかった。さらにさっちゃんは雪が好きだった。わざわざ歩きにくい体育館の脇を通ってまだ誰もあるいていない深い新雪を楽しんでいた。
その結果、大雪の下敷きになった。体育館の職員もまさか人が埋まっているとは思わず、気付いたのは一時間以上経ってからだった。第一発見者は雪かきをしにきた大学生のバイトだった。掘り出したときにはもう息はなかった。
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俺たちはおけ屋の車で例の体育館まで来ていた。今日は使用している団体は無いという。入口の受け付けは暖かい。
「女性の幽霊が出ることがあったんですね」
ミッキーが職員にインタビューしている。取材することについては事前に電話していたらしい。
「いえ、幽霊かどうかはわからなかったんですが。外の積もったばかりの雪に足跡がついていることがありました。この中でも何かいるって言う奴はいたんですがね。私にはわかりませんでした。でも、この一年ですよ。四年前にそこで亡くなった女の子なんて。この三年間、何をしていたのか」頭髪の心許ない中年の男性職員が、頭を掻きながら言う。
「具体的な被害は?」
「そういったものはないですね。だから足跡があっても気にしなかったんです。あぁ、でも、怪我をされた方がいたんですよね」
「僕です」俺は手を挙げる。
「そうですか。それではあなただけですね」と職員は言い、不味いことを言ったと思ったのか、いや失礼、と付け足す。
「アリーナの中を見せていただきます」
「どうぞ」中年職員はまだ頭を掻いている。
暖房の効いていないアリーナは寒い。冬合宿中はすぐに動くからいいが、今は誰も使っていない。土足厳禁で靴を外に置いてきたため、靴下から冷気が突き刺さる。
「寒いな」俺は全体を見回す。電気は付いていないが、陽光で明るい。日向まで歩く。
「酒が欲しいな」やっと口を開いた市村の言葉がそれだ。
「本当に出るんですかね」ミッキーはカメラ構えて何枚か撮る。
三人でばらばらに体育館内を巡る。時折ケータイやカメラで写真を撮りながら手掛かりを求めるが、成果はない。三〇分うろうろしてから、またアリーナに集まる。
「トランプでもしながら待たないか」市村が提案する。
「そうですね。疲れたし」ミッキーも追従する。
俺も断る理由は無い。
ババ抜きを始める。当然俺が負けながら三回勝負した。四回目を市村が配り始めた時、おや、と思った。
「市村、どうして四等分するんだ」
「だってさ」市村が言う。「その子もやりたいって」
「え」俺はきょとんとする。
「ええ!」ミッキーは驚愕の表情で俺を見る。俺の、隣を、見ている。
俺は急いで右を向く。
女だ。薄幸そうな女の子が俯いて、いる。「君が、さっちゃん?」
ミッキーはトランプを撒いて脇に置いてあったカメラを手に取る。乾いた連写音がアリーナに響く。
「はい」女が顔を上げる。間違いない、俺のアルバムに映っていた子だ。そして民宿で見た写真の子だ。「マコトさん、ですよね」
俺の名前を口にする。だが俺は、俺たちは知っている。彼女の誤解を。
「そうです。この人はマコトさんです。だけど」ミッキーが悲しそうに言う。
俺が続ける。
「あなたの彼氏のマコトさんじゃない。俺は妹尾誠。誠実の『誠』でマコトだ」
彼女は勘違いをしている。俺たちはおばちゃんから教えてもらった。さっちゃんは名前を幸という。彼氏は真さん。こっちの大学の大学院生だったそうだ。同棲もしていた。
「知ってます」幸は平然と言う。
「あれ?」予想外の言葉だ。
「だって、あのマコトさんは」幸が言う。「もう卒業してしまいました」
真さんは大学院を一年留年して二年前に卒業した。そして彼は、幸さんに関わる物の一切をおけ屋に置いていった。彼はもう幸さんのことで疲れ切っていたのだろう。なぜなら真さんは彼女の、
「あの人は私の第一発見者です」幸が言った。
知っていたか。真さんは雪かきのバイトをしていた。そして体育館の脇に埋まる幸を見つけたのだ。
「あの人はあなたのことで気を病んでいたようだ。彼女の死体なんてみつけたら正気じゃいられない」
「それは違います」幸はきっぱりと否定した。「彼は私を見つけたから疲れたのではありません。もともといつも疲れている人でした。そして、それは私が死んでからもずっと。私はずっと彼の部屋にいました」
「どういうことだ」
「私は幽霊になりました。そして彼に取り憑いていたのです。私の思い残したことは一つだけです。マコトさんに」そこで彼女は一息ついた。呼吸が必要なのかわからないが。「マコトさんに好きと言ってもらうことだけでした。それで彼とずっと一緒にいたんです。でもだめでした。彼は嘘を吐きません。彼が卒業してから、私は居場所を探しました。でも、幽霊は縁のあるところにしか行けないみたいです。働いてた民宿と、この体育館くらいしか行けませんでした」
「民宿、おけ屋ですね」ミッキーが確認する。
「知ってるんですね。そうです。あのおばちゃんは優しくしてくれました。特別親しい友達もいない私にはあの人がマコトさんの次に、縁のある人だったんですね。後はこの体育館です」
「事故現場ですしね」
「そうですね。それより」幸は急に顔を明るくした。「トランプ! 交ぜてください!」
「つまり、市村には見えてたんだな」俺は六のダブルを出す。
「今日は、最初におばちゃんの車に乗ったときからな」市村が八のダブルで流す。
「今日は?」俺は尋ねる。
「本当は、冬合宿からだよ」市村がスペードの五を出す。
「だから写真見た時、すぐに心霊写真ってわかったんですね」ミッキーがハートの十を出す。
「見えてたのに止めなかったんですね。私がマコトさんのそばにいたとき」幸がハートのエースを出す。
「パス。言ってくれれば俺が怪我することもなかったんだ」俺はむっとする。俺の一番大きいカードは十一だ。
「俺もパスだ。悪い幽霊に見えなかったからな」市村は俺の文句など気にしていない。
「あー、パスです。言ってくれればもっと写真撮ったのに」ミッキーも悔しそうだ。
「結果的に悪い幽霊と同じことしちゃいましたけど」幸が手札に一枚残った十二を出す。
「あがりです!」
幸があがっても大貧民は続く。
「パス」
「さっちゃんは本当に大貧民強いなあ。いつもやってたの?」市村が感嘆しながら、十三を出す。「俺もあがりだ」
「市村さんこそ。パスで、俺の番ですよね。十一で、あがりです」ミッキーも続く。
「大貧民、って言うよりトランプが好きです。でもずっとできませんでした。相手がいなくて」幸が寂しそうに笑う。「でも今日は楽しいです。みなさんがやってるの見て、出てきてよかったです」
「市村さんは幸さんがトランプ好きだから持ってきたんですか?」ミッキーが聞く。
「そんなわけないだろうが」たまたまだよ、と言う。「ついてたな。マコトとは逆だ」
「ついてなくても俺は落雪では死なない」俺は一人だけ三枚残った手札を捨て札と混ぜる。「大体なんで悪い幽霊じゃないと思ったんだ」
「外で遊んでたからさ」市村が答える。
「見られてたんですか!」幸が驚きの声を上げる。
「外で?」ミッキーが不思議そうに言う。「雪の中ですか?」
「暇なんですよ! 一人でずっといるのは。トランプもないし」
「本当に好きなんだな。雪もトランプも」呆れを通り越して関心さえ、する。
「体育館もいつもウォーキングのおじさんしか来ないし。だから、みなさんが来た時は嬉しかったですよ。久しぶりに同じ年くらいの人たちだーって」
「俺の脚を転ばせたのはなんでだ」
「転ばせたんじゃないですよ! 羽が、落ちてて」
「羽?」
「散った羽です。シャトルの。踏むと滑りますよね」
確かに散ったシャトルの羽は踏むと滑る。気付いたら拾うか、コートの外に出す。しかし「それで俺の足の下に手を出したのか!」
「はい。踏まれちゃいました」幸はえへへ、と笑う。「笑い事じゃないですよね。ごめんなさい。その後もマコトさんが試合できなくなって申し訳なくてずっとそばで治れ、治れって見てたんですけど」
つまりこの幽霊は俺を呪おうとしたとか、彼氏と間違えたわけではなかったのだ。久しぶりに来た大学生と一緒にいたくてアリーナに入り、俺が転ばないように羽を除こうとし、その後も心配でついていただけだと。
「謎、解けちゃいましたね」ミッキーが溜息を吐く。「悪霊が取り憑いたのかと思ってましたけど。幸さん、いい霊じゃないですか」良霊って言うんですか、などと呟いている。
「これからはどうするんだ?」市村が幸と目を合わせる。
「まだこの辺、ふらふらするんですかね。未練が残ってますから」
「好きと言ってもらうことか」市村が唸る。「健気だな。いい子じゃないか。このマコトじゃ駄目か?」俺を指さす。どうやら同情しているらしい。
俺も恨みなどなくなったが、幽霊とは言え気持ちもないのに好きなどと言うつもりもない。
「やっぱり好きな人に言ってもらうことが未練なので、たぶん。あのマコトさんではないですし」
「こんなに物分かりがいい霊ならこれも持ってくる必要はなかったですね」ミッキーが鞄をあさる。そしてブックカバーを出す。おばちゃんから預かった真さんのものだった。幸さんにプレゼントされたらしい。赤と黒を基調として、ハートやクイーンのワッペンがついている。トランプ好きな幸さんらしかったが、少女趣味過ぎやしないだろうか。もし真さんと俺を勘違いしていたなら、はっきりわからせるために目の前で踏みつけるなど、乱暴なことも考えていたが、杞憂だった。
「しかし」と俺は改めてこのブックカバーのデザインを見て言う。「しかしこの柄は少し趣味が悪い」
「何でそんなこと」幸は驚いた顔をし、目を伏せた。「何でそんなこと言うんですか」
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「ただいま」大学院から帰って来た俺はアパートの玄関を開ける。
新潟に行ってから一カ月が経ち、四月になり、俺は晴れて大学院生となった。あの後、何枚か記念写真を撮り、俺たちは幸に別れを告げた。体育館の職員にはまだ出るそうですが、迷惑はかけないと思うのでそっとしておいて下さいと、伝えた。あと、誰かいい男がいたら定期的に好き、と言うことを提案した。中年の職員は驚いたが、試しに、好きだよー、と言っていた。恐らくあれでは成仏できない、と俺たちは帰りの電車で笑った。
おばちゃんにもおけ屋に幸がいることがあるかもしれない、と言った。じゃあご飯も作ってあげたほうがいいのかしら、とおばちゃんは元気に笑った。幸が出ても上手くやっていけるだろうな、と思った。
しかし、体育館とおけ屋に幸が出る心配はなくなった。
「おかえりなさい、マコトさん」幸がいる。俺の部屋のキッチンに立って、鍋をお玉でかきまわしている。「今日は肉じゃがです」
「おかえり、マコト」よっ、と市村が手を挙げた。こたつでテレビを観ている。
「なんでいるんだ」俺は呆れてしまう。
「何を言っているんだ。さっちゃんはお前が好きと言うまで成仏できないだろう」市村が勘違いして答える。
「幸じゃない。市村はどうして俺の部屋にいるんだ」
そう、幸は一か月前のあの日から俺の部屋にいる。新潟から帰ると、ここがマコトさんの部屋ですかー、と声がした。驚いて振り返ると、幸がいた。着いてきちゃいました、と笑う幽霊に驚愕した。恐怖は感じなかった。その可愛さに驚いた。幸は、何と本当に俺を標的にしたのだそうだ。守護霊になりますよー、と言っていた。きっと運も良くなります、と。事故死した霊は運が良いと言えるのだろうか。
とにかく、それ以来、俺は幸に取り憑かれている。
「そうか、市村、ようやく金を持って来たのか」あのときの電車代は未だに返してもらっていなかった。
「いや、金は忘れた。そんなことよりトランプをしよう」市村はポケットからトランプを取り出す。
何で金を忘れてトランプを持ってくるんだ。
昔からついてなかった。
「いいですね! 肉じゃがができるまでトランプしましょう」
幸がお玉を置いてこたつに入る。
「それじゃまずは、ババ抜きだな。いいよな、マコトは。こんなに可愛い子が料理をしてくれて」
市村がトランプを配り始める。俺はやると言っていないのに、三等分している。
「さっさと、好きだって言えばいいだろうに」
「ですよねー」
「いや、それだとさっちゃんが成仏していなくなっちゃうのか」市村ははっとする。それから幸と顔を見合わせて笑う。
「ほら、マコトも座れよ」
市村がこたつ布団をめくり上げる。
「さあ、マコトさんも」
幸が目を輝かせてこちらをみつめてくる。
仕方ない。俺はそこに座る。
「実は、前から言おうと思っていたんだが」市村が思い詰めた表情で口を開く。「お前、不運の霊に憑かれているぞ」
は? と口に出してしまう。だから俺はついてないのか。
「私が守護霊になるって言ったじゃないですか」幸が笑う。
「ほら、そこにいる」と市村が俺の後ろを指指す。
焦って振り返ると、
「わっ!」
懐中電灯で下から自分の顔を照らしたミッキーの顔があった。
「うおっ!」思わず飛び退いてしまう。
「せーのっ」幸が言い、三人揃って「ドッキリ大成功―!」と笑う。
「不運の霊なんていねえよ。いるとしたらそれはマコト、お前自身だ」市村が言う。
ミッキーもこたつに入り、市村が改めてカードを集めて四等分する。
配られた手札を確認する。
やはり、ほとんどバラバラで、ジョーカーも笑っている。
今日も俺はついてないし、つかれている。