お役目
村の名前を教えてくれた彼女は、先に立って歩き始めました。
「じゃあ、村の案内をしてあげるわね」
「ええ、お願いします」
僕も遅れないように歩き出し、立ち止まった彼女にぶつかりそうになりました。
一体何ごとでしょうか?
「……そういえば、あなたの名前、まだ聞いてなかったわね」
そういえばそうでした。
お世話になることですし、僕から名乗ることにしましょう。
「ああ、そうでした。僕としたことが、とんだ不躾を……僕の名前は四宮明です」
「四宮さんね。私は遠野黒衣よ」
遠野、という苗字は彼と同じですね。
そして、名前がくろこ、ですか。
あまり聞かない名前ですが。どういった字を書くのでしょう?
気になったので、聞いてみることにしました。
「くろこさん、ですか? どういう字を書くのでしょう?」
「真っ黒の黒に、衣で黒衣よ。変わった名前でしょう?」
確かに変わった名前です。
「あまり聞かない名前ですが、あなたに良く似合っていると思いますよ」
「そ、そうかしら……変じゃない?」
「ええ、あなたの綺麗な黒髪にぴったりかと」
そう言うと、黒衣さんは感動した様子でいいました。
「……そんなこと言われるのは初めてよ」
「そうなんですか?」
「そうよ。この村の男達なんて、碌なのが居ないもの」
おや、妙に辛辣です。
まあ、こういうふうに物事をはっきり言う所は、彼に似ていますね。
「そんな事を言ってはいけませんよ?」
「だって、本当のことだもの。それより、四宮さんって、都会から来たのよね?」
「明で構いませんよ。その代わり、黒衣さんと呼んでも構いませんか?」
「い、いいけど……じゃあ、明……さんは、都会から来たのよね? どんな所から来たの?」
「どんなところと言われましても、都心で人が多いところ、でしょうか?」
「都会には大きな建物があるのよね?」
「ええ、たくさんありますよ」
「美味しいものもいっぱいあるんでしょ?」
「まあ、いろいろありますね」
「遊ぶところなんかもあるのよね?」
どうしましょう。黒衣さんの質問が止まりません。
「え、ええ、ありますけど、その……」
「なに?」
「できたら、村の案内を先にしてもらえませんか?」
「……あっ、そ、そうね。ごめんなさい……」
よかった。目的を思い出していただけたようです。
とはいえ、明らかに落ちこんだ様子からして、よほどあちらに興味があるのでしょう。
「あちらの話でしたら、夜にゆっくりとしましょう」
「ほ、ほんとっ?」
「ええ、いくらでも」
「やった! あ、でも……」
僕の提案に喜んだ様子を見せますが、その笑顔が曇ります。
「どうかしましたか?」
「う、ううん、大丈夫! 今夜ね!」
彼女の反応はよくわかりませんが、了承していただけたようです。
「じゃあ、案内するわね
「はい」
気を取り直して、村の案内が始まりました。
会別村では農業と酪農が半々ほどの割合で行われていて、農作物や食肉が名産品となっているようです。
入った場所から村の中ほどまでは広大な畑が広がり、川沿いには水田なども見受けられます。
村の中央を割るように流れる川は浅く広く、川辺には釣りや水遊びに興じる子供達の姿が見受けられます。
また、川辺には水車小屋もあるようで、そこでは米や小麦を挽いて、米粉、小麦粉といった物も作っているようです。
そんな長閑な景色が見渡せるあぜ道を延々と歩き、川に掛かった橋を渡る頃には、酪農業とは切っても切れないアレの匂いがしていました。いわゆる畑の香水です。
「……結構臭うものですね」
「ええ、この時期はどうしてもね。まあ、慣れちゃえばそうでもないんだけど」
「これは、慣れるものなのですか?」
「……ごめん、嘘。やっぱ慣れないわ。あ、でも、この村の牛乳は格別よ?」
「そうなのですか?」
「ええ、お風呂上がりにキンキンに冷えたやつを飲むのが一日の楽しみってくらいには美味しいわ」
あれ、なぜでしょう。妙に不憫に感じます。
「……よければアイスなんかを作って差し上げましょうか?」
「出来るのっ?」
「本格的な物となると厳しいですが、簡単な物なら」
「す、すごい、村でアイスが食べられるなんて……!」
「ああ、でも、冷凍庫がないとできないのですが……ありますよね?」
「問題ないわ!」
「では後日、作りましょう」
「うん!」
「では、引き続き見て回りましょう」
「そうね!」
意気揚々と歩き出す黒衣さんは、妙にやる気に満ち溢れていました。
よほどアイスが嬉しかったようです。
と、そうでした。
「すみません、黒衣さん。村の村長さんの所へご挨拶に行きたいのですが」
「村長? 別に気にしなくてもいいのよ?」
「いえ、一応お世話になるわけですし、お土産もあるので」
「ああ、そっか。お土産があったわね。わかったわ。こっちよ」
そう言って、黒衣さんは山の方へ向かって歩き始めました。
山の麓には、大きな山道と幾つもの鳥居が連なり、山の中腹まで伸びています。
参道の脇には遠野神社と書かれた看板があります。
「こちらは神社では?」
「そうよ。この村の村長って、私の母なのよ」
「なるほど、そうでしたか……」
彼が村長宛の手紙を書いていたのは、そういう理由もあったのですね。
「じゃあ、迷わないようについてきてね?」
「迷う? どういうことですか?」
「この山道、迷いやすいの」
「え、一本道では?」
「一本道よ。でも迷うの。とりあえず、私を視界に収めたまま付いてきて」
「分かりました」
僕は歩き出した黒衣さんを見たまま、しっかりとついていきました。
歩き始めて三十分ほどでしょうか。
「着いたわよ」
という黒衣さんの先には、最後の鳥居が見えました。出口です。
階段を上りきると広い境内があり、小さいながらも立派な造りの神社がありました。
神社の隣には社務所があり、大きさからして自宅を兼用しているようです。
「見ればわかると思うけど、うちは稲荷神社だから」
「ええ、そのようですね」
境内の拝殿までの石畳の左右には狐を模した石像が陳列されています。
しかし、ここまで本格的に狐を祀る神社とは、一体どのような狐を祀っているのでしょう?
「あら、クロちゃん? おかえりなさーい」
何やら、おっとりとした女性の声が聞こえました。
「あ、母さん。お客様を連れてきたわよ」
と、声の聞こえた方を向くと、黒衣さんがそのまま大人になったような美しい女性が、帚を持って立っていました。
しかし、その服装が……なんなのでしょう?
紅白という色合いからして巫女服というのでしょうか?
しかし、肩から肘辺りにかけて生地がないので、あの服、腕を上げたら脇が見えてしまうのではないでしょうか?
「母さん、またそんなの着て……」
「あらぁ、こっちのほうが可愛いじゃない? クロちゃんだって好きでしょ?」
どうやら、正式な巫女服ではないようです。
「お客さんの前でそういう格好はしないでって事よ!」
「じゃあ、そのお客さんに聞いてみましょう? ええと、お名前はなんだったかしら……確か、明ちゃんね? 明ちゃんは、可愛いのとかわいくないの、どっちがいいと思う?」
「僕ですか? そうですね。どっちかと言ったら、可愛い方が好きです」
「ほらみなさい」
「その質問の仕方はずるいわよ!」
元気なのは良いことですが、ここに来た目的を忘れていないでしょうか?
「えっと、それより、黒衣さん、その方が?」
「え? あ、うん、うちの母さん。こんなのでも村の村長よ」
「村長の遠野静でーす」
そう言って、クロコさんの母・静さんは横向きのピースサインを眼前にかざし、半身をひねるようなポーズでこちらを見てきました。
「はあ、静さんですね。よろしくお願いします」
「あーん、明ちゃん、のりがわるーい!」
それにしても、若い。彼の母親でもあるということは、少なく見積もっても三十代はあるはずだ。
が、目の前の女性は、どう見ても二十代前半といったところです。
「ずいぶんとお若いんですね」
「あらっ! 聞いたクロちゃんっ! 母さん若いんだって! やだぁ、もう一花咲かせちゃおうかしらぁ!」
「母さん、みっともないから、ホントやめて……」
どうやら僕の想像以上に年上のようです。
「それで? 明ちゃんは今年のお役目を手伝ってくれるってことだけど、本当にいいのかしら?」
ん? お役目? なんのことでしょう?
「あの、お役目とは?」
「あら、やっぱり聞いてなかったのねぇ。じゃあ、少し長い話になるし、お茶でもしながら話しましょうね。クロちゃん、お茶入れてくれるかしら?」
「う、うん、わかったわ」
さて、困りました。
部屋に案内されてお役目とやらの詳細を聞いたところ、僕は彼にいっぱい食わされたようです。
「――というわけで、お役目っていうのはね、村の中に外からの血を入れるっていうのと、お盆に行われるお祭りの祭司役をしてもらう人のことなの。まあ、メインは後者で、前者の方は同意が得られたらなんだけど……出来たら前者の方も勤めてもらいたいのよ」
つまり、僕がここに滞在するにあたって、村の方からも条件を出すということです。
まあ、確かに、無償でひと月も世話になるのに、あのお土産程度じゃ足りないでしょう。
かと言って、お金の問題でもないのです。
その条件というのが、二つ。
一つが、この先、七月十五日の旧盆に行われる、あるお祭の祭司になること。
このお祭り自体は村が総出で準備をする物で、祭司の役目を負った者は巫女と共に霊を迎え入れる為の儀式を執り行い、祭りの終わりに、やってきた霊を送る儀式を行う。という物だそうです。
祭司の役目自体は難しいものではなく、簡単な手順を始めと終わりの二回こなすだけだそうです。
問題はもう一つです。村に新しい血を入れる。
つまり、ボクと村の女性で子供を作れということです。
ただ、これは任意とのことで、本来であれば断っても構わないのだそうですが、時期が悪かった。というよりも、この時期を狙って僕が送り込まれたようなのです。
「ごめんなさいね。本来なら断ってもいいんだけど、そうなると、ちょっと大変なことになっちゃうのよ」
というのも、今年に限って特例が発動してしまったのです。
その特例自体は元々の慣習にあるものなのですが、巫女が一定年齢に達していた場合、新しい血は巫女の血族に取り込むものとする。という内容なのです。
そして、その巫女というのが、静さん……の娘である黒衣さんなのです。
もしもこれを断ってしまった場合、黒衣さんは村の未婚の男性達の慰み者に……と言っても過言ではないような扱いを受けることになってしまうのです。
どういうことかというと、複数人と致す事で誰の子供かわからない、すなわち、村の人間の子供ではないということにして、役目を果たしたことにしてしまうのだそうです。
そもそもこの慣習、僕が来なければ持ち越しできたそうです。
親友の妹をそんな目には合わせたくはありません。となると、断れるはずがありません。
「……わかりました。お役目、お受けします」
……とりあえず、彼に会ったら一発くらい殴ってもいいと思うのです。いや、殴りましょう。
「よかった……ありがとうございます」
静さんが深々と頭を下げました。
「あ、あのっ、本当に嫌だったら、私、我慢するから……」
黒衣さんに至っては申し訳なさからか、泣き出してしまいそうです。
「ああ、そのような顔をしないでください。僕は平気です。むしろ、黒衣さんは僕なんかでよろしいのですか?」
「う、うん、大丈夫……が、頑張るから!」
何を頑張るというのでしょう。
いや、何をするのかは理解しているのですが、僕自身、経験がないのでどうしたものやら……。
「……あら? もしかして、明ちゃんも初めてかしら?」
「え、ええ、お恥ずかしながら……」
雪国の女将さんには一歩手前までのことはしてもらいましたが、その先までは未経験です。
「あら、そうなの。ふふっ……わかったわ」
静さんがどこかで見たような笑みを浮かべ、ぺろりと唇を舐めていました。
「はあ」
なんなのでしょう。
何か、嫌な予感がします。
「あ、ところで、村長としての私に用があるみたいだけど、なにかしら?」
警戒していたら、静さんが唐突に話題を切り替えました。
そういえば、村長に用があってここまで来たのです。
「え、あ、はい。えっと、まずは、彼から手紙を預かっています」
と、彼から預かった手紙を渡します。
駅名の改名案が書かれた物です。
「あら、あの子から? ありがとう。後で読んでおくわね?」
「はい、それと、こちらはお土産になります。どうぞお納めください」
と、クーラーバッグとお菓子の入った袋を渡しました。
「あら、こんなに? なんだか悪いわねぇ。ところでこれ、なにかしら? なんだかひんやりしているけれど……」
クーラーバッグに触れた静香さんが首をかしげながら聞いてきます。
「クーラーバッグです。保冷効果があるので生もの等の運搬に便利なんですよ。中身は生ものですので冷蔵庫などで保管してください」
「あら、便利ねぇ。ふんふん……? なにかしら? いい匂いがするわね」
「油揚げと稲荷寿司です」
言った途端の静さんの反応は早かった。
「まあまあ! そろそろお昼だし、早速頂きましょ!」
「母さん、はしたない! まだお昼までだいぶ時間あるし!」
「いいじゃない、久しぶりの油揚げよ?」
「せめてもう少しくらい取り繕ってよ……」
「あら、じゃあ、クロちゃんはいらないのね?」
「いやよ私も食べたい! あ……うー」
咄嗟に反応してしまったのが恥ずかしかったのか、黒衣さんは顔を真っ赤にして俯いてしまいました。なんとも可愛らしいものです。
「恥ずかしがらなくていいですよ。好きな物は好きな時に食べる。でしたか?」
「あら、うちの家訓ね」
「あんなの家訓じゃないわよ」
にこやかに笑う静さんとすねた様子の黒衣さん。
こうして表情豊かな二人見ていると、彼の家族なんだというのが、よくわかります。
なので、こういう時にどうすると良いのかは、自ずとわかります。
「まあまあ、僕も少しお腹がすきましたし、おやつということにしませんか?」
食べる為の大義名分を作ってしまえば良いのです。
「そうね。おやつにしましょ?」
「そ、そうね。おやつなら仕方がないわよね! お茶入れ直してくる!」
「お願いねー……ふふっ」
お茶を入れ直しに行ったクロコさんを見送ってから、静香さんがこちらに流し目を送ってきました。
先程のような嫌な予感はしませんが、妙に居心地が悪いです。
ただ、嫌な感じはしないのです。
「あの……静さん?」
「あら、静、って呼んでくれてもいいのよ?」
「と、とんでもない! ええっと、それで、静さんは……彼、僕の親友の母親、ですよね?」
「ええ、そうよ? 似ていないかしら?」
「いえ、よく似ていると思います」
本当に似ている。色々と。
「でしょう? あの子は特に私に似たから、自由奔放で困った子なのよねぇ。あなたも、だいぶ振り回されたんじゃないかしら?」
「まあ、それなりには……ですが、彼との出会いは、僕にとって何よりも大切な出来事なのです。彼のおかげで、僕はここまで生きてこれた。彼には感謝しているのです」
「そう……良かったわ。あなたのような人があの子の友人となってくれて」
「そう言っていただけると、僕も嬉しいd「お茶入っt「じゃあ、頂きましょうか!」母さん早い!」家族で意趣返しですか!」
とりあえず、おやつの稲荷寿司をいただきました。
おやつの後は、再び村の案内に戻りました。
「いってらっしゃーい」
「「行ってきます」」
見送る静さんに挨拶をして、麓まで降りてきました。
そう言えば、階段の上り下りで迷わないようにと、静さんが指輪のようなものをくれました。
黒くて艶々した物で編まれた指輪です。
「これはなんでしょう?」
「母さんの髪の毛よ」
「えっ?」
「あの道って、母さんが張った結界があって、それを着けていない人が入ると迷わせる効果があるのよ」
「結界、ですか……」
そういうものもあるのですか……やはりこちら側は不思議です。
「そっち風に言うとあれよ。えっと、セ、セロリティー?」
なるほど、言いたいことはわかりました。
ちなみにセロリのお茶はセロリシードですね。
「セキュリティですか?」
「そうそれ!」
「なるほど。便利なものですねぇ」
「私もいずれ覚えなきゃいけないのよね……」
「そういえば、聞きそびれていたのですが、彼の……遠野の血筋の人は、皆こういう力を持っているのですか?」
「全員じゃないけど、大体の人は大なり小なり持っているわ」
「そうですか……」
なるほど、彼の周囲で起こっていた不可思議な出来事はそういうものもあったのでしょう。
「そ、その……不気味だと、思う?」
「あ、いえ、そういうわけではありませんよ」
長年の謎が解けただけです。
「ほんと? 変じゃない??」
「少なくとも、僕は気にしていませんよ」
「よかった……」
黒衣さんの反応、気になりますね。
「……もしかして、黒衣さんは自分の持っている力が嫌い、ですか?」
「っ……うん、あまり好きじゃないわ」
「そうでしたか……」
「でも、捨てたいとは思わない。あいつみたいに」
あいつとは、彼のことでしょうか。
彼は、自分の力を捨てた。ということでしょうか?
「彼の力とは、どういうものだったんですか?」
「……なんで、そんなこと聞きたいの?」
「彼の周囲でおかしなことが耐えなかったものですから、その力のせいかと」
「多分違うと思う。あいつ、術とかも上手かったから、そっちだと思う」
「術ですか……」
結界、力、術……遠野とは、一体どういう血筋なのでしょう?
狐を崇めていて遠野……遠野物語?
確か、狐が出てくる話があったと思いますが……どんな話だったか思い出せませんね。
「あまり詮索しないほうがいいよ。うちに関わったって碌な事にならないし」
碌な事にならない、ですか。
「あはは、それならもう手遅れですね」
思わず笑って言うと、黒衣さんが悲しそうな顔をしてしまいました。
「ごめんなさい……やっぱり、私……」
ああ、いけない。また僕は勘違いをさせてしまったようです。
「そういう意味ではないですよ。彼です。僕は、あなたのお兄さんとは親友ですからね。これ以上ないというほどに深い間柄でしょう?」
彼との関係を告げると、黒衣さんは少しだけ羨ましそうな顔をしたあと、明らかに拗ねた様子で顔をそらしました。
「……あいつは関係ないもん」
声音も拗ねていますね。
いじらしくも愛らしい様に、今まで感じたことのない想いが僕を満たします。
「それに、今夜にはあなたとも深い関係になると思うのですが? もちろん、誰にも譲る気はありませんよ。他の男に取られるくらいなら、僕が奪いましょう」
そのせいか、そんな言葉を吐いてしまいました。
我ながらひどい台詞です。
「ば、ばか! えっち! ロリコン!」
案の定、怒らせてしまいました。
いや、これは恥ずかしがっているのでしょうか?
「それで構いませんよ」
「少しは構ってよ。もう……」
「僕とするのは嫌ですか?」
「……いやじゃない。明さんがいい」
「僕自身、なんでこんなに好かれているのかわからないんですが、なぜでしょう?」
「そ、そんなの、私が知りたいわよっ」
「なるほど、これが一目惚れですね?」
「そ、そういう明さんはどうなのよ!」
おや、はぐらかされてしまいました。
では、僕は正直に答えましょう。
「黒衣さんのことは好きですよ。でも、今はまだ好きというだけです」
「……?」
僕の答えに、クロコさんはどういうこと? といった様子です。
「えっとですね。よくある言い回しで言えば、僕の想いは好きであって愛ではない、といったところでしょうか? 黒衣さんは、どうですか?」
「……わからないわ。だって、こんなの初めてだもん」
「そうですね。僕も、このような気持ちは初めてです」
「……一目惚れ?」
「かもしれません」
「じゃあ、私もそうかも……」
「相思相愛ですね?」
「……うん」
そして、二人でじっと見つめ合いました。
「「…………」」
多分、今の僕と黒衣さんの気持ちは一つになったことでしょう。
……すごく、恥ずかしいです。
◆
気を取り直して、村の案内を再開しました。
いや、我ながらたらしのような行動をしてしまいました。
女性関係は彼を参考にしようと思いましたが、これはいけません。
女将さんや子供達のこともありますし、言動には気をつけましょう。
「そう言えば、この村の人口はどれくらいなのです?」
「んー、だいたい五十人かしら? 大半が年寄りだけど」
大半が年寄りですか……。
彼もそのような事を言っていましたね。
「その割には、子供が多いように見受けられますが?」
先程から村を見て回ったところ、老人も見かけますが、子供や若者の方が多い気がします。
「ん? あー、見た目はね」
「え?」
「まあ、そんなことはいいでしょ。次行きましょ」
「はあ、次はどこへ?」
「……正直、この村に案内するような施設ってないのよね」
「お店などはないのですか?」
「やってても露天か無人販売所くらいかしら」
「ああ、確かに無人販売所は結構見かけますね」
「でもだいたい物々交換だから、通貨がほとんど流通していないのよ」
「ああ、確かに、村の農業や酪農で食料は賄えている感じがしますね」
「まあ、実際賄えているのよね。家の家計だって、村人からの奉納品で回ってるし」
「……ふと思ったのですが、それだと不作や家畜の病気などが蔓延した場合、大変なのでは?」
「大丈夫よ。それはまずないから」
「え? そんなふうに言い切れるものなのですか?」
「ええ、よほどのことがない限り大丈夫よ」
「はあ、そうですか……」
「うーん、どこがいいかしら……あ、学校なんかはどう?」
「学校ですか?」
「ええ、私が通ってる学校っていうか、村の子供達が通っている学校よ」
村の子供達が通っている?
「そういえば、黒衣さん、今日は学校は?」
「休んだわ」
「もしかして、僕のせいですか?」
「明さんのせいじゃないわ。私が自分から引き受けたのよ。本来、外からの客人の対応は村に招いた者が行うしきたりなんだけど、今回は特殊だったのよ」
今回の場合、僕は彼に招かれて村に来た、ということになっているのでしょう。
「お手数おかけしてすみません」
「気にしないで。あいつが全部悪いんだから……ほら、行きましょ?」
「お願いします」
黒衣さんに案内されて、僕は村の唯一の学校へと向かいました。
◆
「ここよ」
学校は村の中央にありました。
小さな村の学校とはいえ、それなりの大きさですが……。
「寺子屋、ですか?」
その作りは、なんとも古めかしい物でした。
「まあ、そうとも言えるわね。この学校、築三百年くらいだし」
「三百年! それにしては随分と状態の良い建物ですね?」
「まあ、改修とか何度もしてるって話だし、こんなものじゃないかしら?」
それでも三百年。歴史を感じさせます。
何より、村の景観に見事に合致するのが良いです。
「素晴らしい……」
「ちょ、なんで泣いてるのよ?」
「すみません、この学校と村の景観が合わさると、あまりにも美しかったもので……」
「それ、私の同級生も前に言ってたわね。そんなにすごいものかしら?」
「そうですよ! 歴史を感じさせる建物に、昔ながらの風景そのままの農村、失われた日本の光景が、ここにはあるのです!」
「あ、明さんって、こういうの好きなのね……」
「ええ、いっそこの村に永住したいくらいです!」
「え、永住って……ま、まあ、村の誰かと結婚すればできないことはないけど?」
「黒衣さん、結婚しましょう」
「駄目よ。私巫女だもの……」
「まあ、流石に今のは冗談ですが」
「このっ……!」
「い、いたっ! 叩かないでください!」
黒衣さんは冗談が通じないようです。
覚えておきましょう。
「もう、からかわないでよ」
「すみませんでした。では、学校の中も案内していただけますか?」
「いいけど、授業中だから静かにしてよ?」
「わかっていますよ」
「本当に静かにしてよ? うちの学校の先生、すごく怖いから」
念を押すように言ってきますね。よほど怖い方のようです。
「わかりました。大丈夫なので、行きましょう」
「お願いね?」
黒衣さんに連れられて、学校へ入った瞬間、なにか寒気のようなものを感じました。
「?」
「どうかした?」
「いえ、何でもありません」
先ほどの寒気は、一体何だったのでしょう?
「あ、そうだ。先生に会っても、年齢の話題は絶対に禁止だから」
「はあ、わかりました」
年齢の話題ですか。こちらでもあちらと同じように気にする人が居るようです。
そういえば、この村にも女将さんや子供達のような存在はいるのでしょうか?
まあ、後で聞くことにしましょう。
「音量抑え目で喋ってね? まあ、見ての通り、校舎内はこんな感じで、大きな家って感じね。玄関で靴を脱いで、普通に上がっていいわ。あ、靴は外来用の下駄箱に入れて頂戴。そっちにあるから」
「はい」
黒衣さんの言葉に従って靴を脱ぎ、外来用の下駄箱に入れてました。
廊下は適度にひんやりとしていて、屋内の空気も外とは隔絶されたかのような、快適な温度になっています。
「どこかにクーラーでもあるのでしょうか……」
「クーラーなんてないわよ?」
「え? じゃあ、この涼しさは一体……」
「先生の結界みたいなものよ」
「ああ、なるほど」
結界というものは本当に便利ですね。
「こっちよ。この時間帯は普通に授業やってるから、教室以外から行くわね?」
「ええ、どこからでも構いませんよ」
「じゃあ、まずは図書室あたりから行きましょうか」
「お願いします」
と、歩き始めはしたものの、校舎は静まり返っていて、僕達の足音だけがやけに大きく聞こえます。
「……」
「この学校、通っている生徒はどれくらいいるのですか?」
「そうね……十二人よ」
「こんなに大きいのに、それだけですか?」
「少子化とか、若者が出て行っちゃったから、あんまり子供がいないのよ」
「子供達なら外で遊んでいませんでしたか?」
「あれはいいのよ。でも、学校に通わせるっていうのも有りなのかしら……?」
「なんのことですか?」
「こっちの話よ。とりあえず、今のところ生徒は十二人。増える予定もないわ」
「この学校は、この村の子供しか受け付けないのですか?」
「そんなことはないけど、そもそも、どうやってここまで来るのよ?」
「例えば、列車で通ってくるとか」
「それは難しいわね。来る途中に聞かなかった? あの列車って、必要な時以外、動かないのよ」
「ああ、動くべき時に動くなどと言っていましたね」
「まあ、大体あってるわね。とにかく、そんな風だから、通学には向かないのよ。大体、他の郷の奴らだって、こんなところまで来たくないだろうし」
「そういう物なのですか?」
「そういう物なのよ。変化を望み、変化を恐れ、変化を捨てる。こちら側の奴らっていうのは、そういうのが多いのよ。古臭いっていうか……慣習に支配されてる感じね」
「黒衣さんはどうなのですか?」
「私は……私も、同じね」
「ですが、人というのは変われるものですよ?」
「変われないの。ううん、変わらないのよ。ずっと昔からこうなんだもの、きっと、この先も変わることなんてない」
……なるほど。彼の思惑が読めてきましたよ。
てっきり一石二鳥の策かと思っていましたが、欲張りな彼らしく、もっと多くの獲物を獲るつもりのようです。
まあ、いいでしょう。この借りは帰った時にきっちり返してもらうとしましょう。
とはいえ、動き出すのはもう少し後ですね。
今の僕では、色々と足りないものが多いですからね。
「黒衣さん」
「あっ、な、なにっ?」
「図書室を通り過ぎてしまったようですが」
「あっ、ご、ごめんなさい」
まずは、身近なところから、ですね。
◆
校舎内、というか、寺子屋の中をを見て回った僕の感想はひとつです。
「……とまあ、こんな感じね。結構広いでしょ?」
「学校としては申し分ないというか、むしろ贅沢な部類になりますね」
もったいない。という感想でした。
どの辺りがというと、まず各施設や設備が、ありえないほど豪華なのです。
最初に案内された図書室は、学校の図書室を思い描いていた僕の予想を大きく上回るものでした。
なんといってもその広さは、図書室ではなく、図書館だったのです。
誇張なしに表現するなら、大図書館というべきでしょうか。
明らかに寺子屋の敷地を上回る大きさの館内は、世界中の本を集めたのではと錯覚するほどの蔵書量と、それを収める本棚で視界が埋まるほどでした。
何より驚いたのは、パソコンのような物があったことでした。
まあ、図書館にパソコンが置いてあるのは現代なら不思議ではないでしょう。ただ、この村はこういう文明の利器とは無縁の村です。電線すら見当たらないのです。
……そう言えば、黒衣さんの家の冷蔵庫は、一体何で、動いているのでしょうか?
と、とにかく、そんな村にパソコンのような物です。
いいですか? パソコン【のようなもの】です。
機能的にはパソコンなのですが、パソコンではありません。
空中に投影されるタイプのディスプレイなど、僕は見たことがありません。
一瞬で立ち上がるパソコンなど、僕は見たことがありません。
そんなものが何台もずらりと並んでいて、それを指摘したら黒衣さんはこういったのですよ。
「ああ、それね。よくわかんないから、ほとんどの人が使ってないわ。使ってるのは一人ね」
これですよ! もったいないじゃないですか!
……失敬。少し興奮しすぎました。
しかし、これだけでは終わらないのです。
次に案内されたのは、体育館でした。体育館と言われた時点で、僕は察していました。
外から見た時、体育館らしきものは見えませんでしたからね。
きっと、図書館と同じようなことになる。そう思って、心構えをして置きました。
しかし、それも徒労に終わったのです。
体育館はありました。どこの学校にでもあるような構造です。
正直、少し落胆してしまいましたが、それ以上に安心したのです。
ここで気を抜いてしまったのです。
黒衣さんは体育館に入ると、言いました「じゃあ、次はプールに案内するわ」と。
戦々恐々としながらついて行くと、なんと、地下に降りる階段があるのです。
上に行く階段もありましたが、そちらはおそらくギャラリーへの階段でしょう。
階段を下りて地下に降りると、一斉に電気がつきました。人感センサーでしょうか。
そして、少し行った先、目の前にはガラス張りの大きなプールがありました。
それだけじゃありません。外が見えるのです。
地下に降りたはずなのに、外が見えるのです。おまけに空が見えるのです。
混乱する僕に、黒衣さんは言います。
「気のせいよ」
気のせいだそうです。きっと僕は恐れるあまり幻覚を見たのでしょう。
ええ、そうです。気のせいに違いありません。
窓の外にベッタリと張り付いていた黒い不定形の何かは幻に違いありません。
窓に! 窓に! などと情けなく叫んでしまった気がしますが、気のせいです。
……失礼、取り乱しました。
ええ、体育館は割と普通でしたね。問題はありません。次に行きましょう。
最後に案内されたのは、放送室です。
なぜ放送室なのでしょう? 最初の疑問はそれです。
とは言え、わざわざ案内してくれるのですから、気を抜いてはいけません。
もしかしたら、スタジオのような物かもしれません。というか、それ以上の想像がつきません。
とはいえ、おそらく僕の想像を超えてくるのは間違いないので、気を引き締めて挑みました。
ドアを開けた先は、放送室というには広く、スタジオというには物々しすぎました。
そこは、管制室だったのです。
一体何を管制するというのでしょう。ロケットでも飛ばすのでしょうか。
黒衣さんが言うには、村中に放送する時や寺子屋の防犯に使用されているとのことですが、明らかにオーバースペックではないでしょうか?
設備関係も図書室にあったものとは比べ物にならない性能です。
もはやアニメや漫画の世界です。
呆然とする僕に、黒衣さんはさんは言いました。
「払い下げ品って言ってたけど、これってそんなにすごいの?」
どこの払い下げ品なのか、すごく気になります。
こちらの技術は、あちらの遥か先を行っているようです。
いつか侵略されないか、心配です。
不幸中の幸いは、こちらの住人の大半は今に満足しているということでしょうか。
その為か、この手の物を扱える者は片手で数える程しかいないのだそうです。
……最早、言葉もありません。
こちら側は、一体どうなっているのでしょう。
と、このように僕の常識を粉微塵に打ち砕いてくれました。
彼が最新型のパソコンに対して「クソスペック」呼ばわりしていたのに納得です。
「贅沢って言われても、よくわかんない物も多いし、無駄に広いだけじゃない」
「ふぅむ、原始人にライターを与えた様な物なのでしょうか」
「誰が原始人よ!」
「すみません、失言でした。それより、静かにしなくていいのですか?」
「ここなら平気……なはずよ。教室から遠いし」
「それなら良いのですが……おや?」
聴き慣れたチャイムの音が聞こえてきました。
「終業のチャイムね。休憩時間よ」
「チャイムは普通なんですね」
「何が普通で何が異常かはよくわかんないけど、こっちに来て。どうせだから先生に紹介するわ」
「わかりました」
◆
「ほう、君が今年のお役目か」
寺子屋の先生は、あちらの世界ではモデルでもやっていそうな美女でした。
その美女が、おもむろに僕に顔を近づけ、匂いを嗅ぎ始めました。
「……ふむ、同胞の匂いがするな。覚えのある匂いだ」
同胞? 仲間ということでしょうか?
しかし、彼女とは初対面ですし、彼女のような者にあった覚えもありません。
「ここに来る前に、冬厳郷に寄ったのか? 万年雪が降る所だ」
「あ、はい。少しだけ寄り道を……あ、まさか、付喪神の?」
冬厳郷といえば女将さんです。
女将さんといえば付喪神です。となると、この人も?
「やはりそうか。彼女と私は知り合いでな。元気でやっていたようで何よりだ」
「では、先生も付喪神で……?」
「マナビで構わん。私は付喪神とは少し違うな。迷い家というものを知っているか?」
「はい。遠野物語に出てくる家の怪異ですね」
「私はそれと似たようなものだ。ただ、決定的な違いがある」
「決定的な違いとは?」
「迷い家は欲なき者に富を授け、欲ある者には不幸をもたらす。私は欲なき者は見逃し、欲ある者は地獄に落とす。君は、欲を持つ者かな?」
「人間、誰しも欲を持つのでは?」
「……はははっ! これは一本取られたな! しかも即答か! 大体の奴は答えに窮するというのに、君は死ぬのが怖くないのか?」
「地獄に落ちるというのが死ぬ事と同じ意味なら、怖いでしょうね」
「ほほう? 面白い事を言うな、生きたまま地獄に行けるとでも?」
「さあ? ですが、生き地獄という言葉もあるくらいですからね。生きながら地獄を味わったことのある人も、世の中にはいるのでは?」
「ほう、現世にはそのような言葉が生まれているのか。であれば、生きながら地獄を味わった者もいるのだろうな。くくっ、なあ、君にとって現実とは何だ? 私は常々こう思うんだ。現実こそが地獄なのではないか、とな」
「僕にとって、現実は現実以外の何物でもありませんよ。地獄に落ちるというのなら、地獄が現実となるのでしょうね」
「ははははは! なんだこいつは! 面白い! 面白いぞ! なあ、クロ。こいつを私にくれないか?」
「駄目ですよ。明さんは私のです」
黒衣さん、さりげなく自分のものにしないで欲しいのですが。
僕は僕のものです。
「それにしても、破天荒な方ですね」
どこかの誰かを女性にしたら、こんなふうになるのでしょうか?
「ふふん、私に惚れたか?」
「いえいえ、あなたほどの美女、僕にはもったいないですよ」
「ほう、謙虚だな」
「身の程をわきまえていますので」
「……むぅ、そんなに私の男になるのは嫌か?」
「先生、ここは学校なので自重してください」
「む、そうだったな。仕方がない、口説くのは今度にしよう」
「だから、明さんを口説かないでください!」
「ケチケチするな。そろそろ私も子供が欲しいのだ」
「で、でも、そういうのは……」
「ふん、村の男共など願い下げだな。お前だってそう思うだろう?」
「うぅ……」
「あの、疑問だったのですが、この村の男性は女性から嫌われているのですか?」
「うん? ああ、全員がそういうわけじゃないさ。主に嫌われているのは一部の若者衆を束ねる男と、その配下だな」
若者衆を束ねる者……なるほど。
「……派閥争いのようなものでしょうか?」
「ほう、なぜそう思う?」
「そうですね……村長と巫女が血縁にあり、権力が集中している形になっていますから、それを不服に思う輩がいても不思議ではないかと」
「ふむ、それもそうだな。他に理由は?」
「……」
困りましたね。
心当たりがないわけではなのですが、黒衣さんの前だと話しにくい内容ですね。
「ふむ……おい、クロ、ちょっと耳ふさいでろ」
「え? いいですけど……これでいいですか?」
「うむ、それで、他に理由は?」
「お役目、でしょうね。確か、外部から客人を招いてお役目にする。お役目は祭りの祭司と村に新しい血を入れるという名目で村の娘に任意で種を仕込むことができる。この時、巫女が一定年齢に達していた場合、種を仕込まれるのは巫女となり、これを客人が断った場合、村の未婚の者達が総出で巫女に種を仕込む。と伺っていますが、事実なのですか?」
「まあ、概ねあっているな」
「この、招かれる客人というのは、誰でも良い、というわけではないですね?」
「……ほう、鋭いな。正解だ」
「招くべき客人は、巫女の血族、つまり遠野家が決める。ということですか?」
そして、僕の親友。彼も巫女の血族です。
「まあ、そうだな。最も、本来なら奴に客人を招く権利などなかったんだが、村長が無理やり通した」
「……やはりそうでしたか」
「で、お前の判断は?」
「おそらく、彼らの目的は巫女の血族に自分達の血を入れること、でしょうね」
「しかし、村人との子は私生児扱いとなるぞ?」
「ええ、ですから、巫女から子を取り上げ、自分達の行動を棚上げしてこのような慣習は間違っている。とでも言って巫女と村長を弾劾し、その地位を追わせようと目論んでいそうですね」
「まあ、おかしな慣習だからな。廃止しようとする動きもある」
「その廃止を求めているのが、若者達をまとめている者ですか」
「そうだ」
「なるほど、筋書きが読めてきました」
「まあ、早い話、村の未婚の男共はクロをグチャドロに犯して孕ませたいわけだ」
「えっ、権力目当てではっ?」
「ふふっ、君の考察はなかなか面白かったが、些か的外れだったな。そこまでの知恵はやつっらにはない」
「はあ、てっきり薄汚い陰謀でも渦巻いているものかと思っていましたよ」
「薄汚いことに変わりはないがな。おそらく、奴らは君を狙ってくるだろう」
「僕ですか? ああ、僕を脅して断らせるつもりですね?」
「ま、それが妥当だろうな。とは言え、頭の悪い奴らだ。直接的な手段に訴えてくるだろうから、気を付けろ」
「はあ、暴力は苦手なのですが……注意します」
「くくっ、暴力は苦手、か。本当に君は面白いな。おい、クロ! もういいぞ!」
「え? なに?」
「話は終わった。耳をふさがなくていいぞ」
「……あ、はい、わかりました」
律儀に耳をふさいでいた黒衣さんが耳から手を放しました。
「ところでクロ」
「なんですか?」
「お前達、もうやったのか?」
そう言うと、マナビさんは指で卑猥なサインを作って見せました。
この人、教師でしたよね……?
「先生、それ、なんですか?」
「何ってお前、これはな……」
「マナビさん! 聖職者がそういうのはよくないと思いますよ?」
「安心しろ。私は生殖者だ」
「安心できませんよ! 今明らかに別の意味だったでしょう!」
「だが間違ったことは言っていない」
「それはまあ、そうですね……」
先程、子供が欲しいなどと言っていましたし。
「ところで、明氏……と呼んでも?」
「ああ、はい。構いませんよ」
「明氏は、一度死にかけた事がないか?」
いきなりなんてことを聞いてくるのでしょう。
まあ、死にかけて入院はしましたが。
「ええ、ありますよ」
「なるほどな……うってつけなわけだ」
「なんのことですか?」
「まあ、後でわかる。むしろ知らない方がいい。なあ、クロ?」
「うぇっ? ま、まあ、そうなんだけど……あぅ」
なんでしょう、マナビさんに話を振られた黒衣さんが顔を真っ赤にしてしまいました。
「くくっ、お前だってもう子供じゃないんだし、ちょうど良かったじゃないか」
「こ、子供じゃないから困ることもあるんですけど……」
「もともとその為のお役目だろう? 確か、明氏はひと月程滞在するんだったな?」
「はい、そうですよ」
「じゃあ、確実だな。来年にはクロも母親だなぁ?」
ああ、なるほど、黒衣さんが恥ずかしそうなのはそのせいでしたか。
「せ、先生っ!」
「まあまあ、落ち着きましょう」
「なんで明さんはそんなに冷静なのよっ!」
「慌てたところでどうにかなるような問題ではないですし。僕としても特別に拒むような理由はないですからね」
「ふむ、明氏は乗り気、というよりも、ありのままの状況を受け入れているわけか」
「もちろん、そこに個人的な感情がないわけではありませんよ? 僕としても、黒衣さんは好ましい相手だと思っていますからね」
「明さんっ! そういうことを人前で言わないで!」
「ああ、すみません。今後は気をつけましょう」
「わ、わかればいいのよ……」
「むぅ、教師の前でいちゃつくとは、クロ、お前、ケンカを売っているのか……?」
「因縁つけるのはやめてください! 明さん、次に行くわよ!」
「はあ、わかりました」
「やれやれ、クロもまだ若いな」
マナビさんの言葉を背後に聞きながら、僕達は寺子屋を後にしました。
それにしても、失念していました。
こちらの住人は、人間だけではないのでした。
「黒衣さん、聞き忘れていたのですが……」
「ん? 何を……あ、お昼ね。一旦、帰りましょうか」
昼を告げるサイレンが鳴り、黒衣さんは神社へ向けて歩き始めてしまいました。
「あ、はい」
まあ、こちらでは当たり前だと言っていましたし、詳しい話は後でいいでしょう。
◆
遠野邸へ戻ると、静香さんが出迎えてくれました。
「お帰りなさい。ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ・た・し?」
おお、今ではすっかり廃れたやりとりです。
さて、どう反応したものでしょう。
「母さん……」
黒衣さんは「何言ってんだこいつ」と言わんばかりの顔で実母を見ています。
ジェネレーションギャップです。
仕方がないので、僕が答えるとしましょう。
ここは冗談を交えて、静さんとの距離を縮めましょう。
「では、静さんで」
「あらあら、本気と受け取っていいのかしら?」
もちろん冗談ですよ?
「明さんも真面目に答えなくていいし! ていうか、母さん選んでどうするのよ!」
「クロちゃん、お母さんも食べられるのよ?」
「どうやってよ!」
「どうやってって……これだからクロちゃんはまだ子供なのよねぇ」
「はあっ? わけわかんないし……それより、ご飯にしよ。歩いたら、お腹すいちゃった」
「準備は出来てるわ。ちゃんと手を洗ってうがいをしなさいね?」
「はーい」
「では僕も」
黒衣さんの後について洗面所へ向かい、場所を確認してから持参したコップなどを取りに行き、戻ってくると、黒衣さんが待っていました。
「わざわざ持ってきたのね」
「ええ、準備しておくように言われていましたので」
「そっか、じゃあ、そこの空いてるところ使っていいよ」
と、洗面所付近の戸棚の空いている場所をさします。
どうやら、これを教えるために待っていてくれたようです。
「ここですね。分かりました。ありがとうございます」
「じゃ、先に行ってるわね」
「はい」
手洗いとうがいを済ませ、食卓へ向かうと、黒衣さんと静さんは揃って食卓につき、テーブル上の料理を食い入るようにジッと見つめていました。僕が持ってきた稲荷寿司の残りと、油揚げで作った料理です。
油揚げ、本当に大好物なんですね……彼と同じです。
「えっと、どうしました?」
「「えっ、な、何でもないのよっ?」」
僕がやってきたのにようやく気づいたのか、揃って同じことを言ってきました。
一字一句、同じ事を、同じ声音、同じ表情で、です。
それがあまりにおかしかったものですから、危うく吹き出すところでした。
僕も食卓につくと、静さんが、それはもう嬉しそうに言いました。
「じゃあ、いただきましょう。いただきますっ」
「あっ、おかあさんずるいっ! いただきます!」
「あはは、そんな競うようにしなくても……いただきます」
賑やかな食卓は、考えてみれば久しぶりですね。
入院中は面会謝絶で一人きりの食事でしたし、やはりこういうのは良いものですね。
昼食が終わると、静香さんが不意にこんなことを言いました。
「ねえ、明ちゃん、予行演習をしておいたらどうかしら?」
「予行演習、ですか? なんの予行演習です?」
「何って、今夜の初夜よ?」
「な、何を言っているんですか! 大体、練習なんてどうやって……」
「クロちゃん、やりたい?」
「む、無理! 初めてだから無理!」
「それじゃあ、私が教えてあげるわね。もちろん、実践で♪」
「……はい? え、ちょっ、な、何ですかっ?」
「クロちゃんも来なさい。お母さんがいろいろ教えてあげるわ?」
「う、うん……」
「黒衣さんっ? ここは止めるべきところではっ? 僕達、相思相愛なんですよねっ?」
「で、でも、私も知っておきたいし、初めて同士って失敗しやすいって言うし……」
「黒衣さーんっ! 前向きなのは分かりましたから助けてください! 僕だって初めてなんですよ! これでもそういうことには憧れがあったりしてあーっ! やめて! 脱がさないでください!」
「肝心のサイズは……あら、ご立派ね。ほら、クロちゃんは脚を持ってね?」
「うん」
「じゃあ、お布団は敷いてあるから、連れてくわよー」
「既に準備がっ?」
万が一傷つけたらいけないと本気で抵抗することもできず、僕は寝所に連れ込まれて、
「えっ、あっ、ちょ! ああああああ!」
あっさり初体験を終えたのでした。
◆
……無理やりされた女性の気持ちとは、こんな感じなのでしょうか。
いや、気持ちよかったんです。すごく気持ちよかったんですよ?
ただ、同時にこう思いました。年上の女性は怖いものだと。
衝撃的すぎる初体験を終え、放心状態から回復した僕は、お風呂を勧められたので、湯場へ向かっているところです。
ちなみに、先にお風呂を済ませた静さんは「さっきの続き、したいかしら?」と聞いてきましたが、丁重にお断りしました。
黒衣さんはまだ衝撃から立ち直っておらず、自室に立て篭ってしまいました。
僕も篭れる部屋があったら篭りたいです。
「ああ、初体験があのような……」
終始、黒衣さんに見守れらながらの状況でした。
実母と後の自分の相手との一部始終を見ていた黒衣さんは、一体何を思ったのでしょうか。
顔を真っ赤にして石のように固まっていましたよ。
とにかく、今はお風呂です。
ほとんど動かなかったというのに、すごい汗をかいてしまいました。
しかも外を見ると夕方です。
あっという間だった気がするのですが、かなりの時間、行為に及んでいたようです。
脱衣所で乱れた衣服を脱ぎ、籠に入れ、風呂場へと続く戸を開けて、僕は固まりました。
「……え?」
ぴちゃぴちゃ、と、風呂場の壁を、それはもう美味しそうに舐めている全裸の少女がいたのです。
「えへー、んまんま……あ」
目が合いました。
声も出せずにいると、全裸の少女は胸いっぱいに空気を吸い込むように深呼吸して、にへら、と締まりのない笑みを浮かべ、言いました。
「とりあえず全身舐め回してもいいですか?」
これはいけません。真性です。
「拒否します!」
「まあまあそういわずにさあ。男の人の方が好きなのよあたい」
ぺろりと舌なめずりをする少女ですが、その舌は、異様に長い物でした。
心の準備などしていなかった僕は、あまりの衝撃に思わず叫んでしまいました。
「うわあああああああああ!」
「えーなんで怖がるのぉ?」
少女が何か言っていましたが、僕は脇目も振らず駆け出しました。
羞恥心がきちんと仕事をしたおかげか、パンツだけを身につけての逃走です。
「く、黒衣さん! 静さんっ? あれっ? いない!」
「ねーちょっと待ってってばー」
ペタペタと足音を立てて、先ほどの少女が追いかけてきました。
「うわあああああ!」
家の中には誰もおらず、僕は外に飛び出します。
夕暮れの中、薄暗い山道を駆け下りて、村人の姿を探し求めます。
「だ、誰かっ! 誰かっ!」
息も絶え絶えになりながら人を探し求めると、川辺に人の姿が見えました。
「た、助けっ!」
「えっ、なんでこの時間に人が……?」
そこにいたのは、全身をぬらりとてからせ、緑色の肌をした人型の未確認生物、河童でした。
「か、かぱっ! 河童ぁっ?」
いや、我ながら取り乱していたものです。お恥ずかしい。
河童さんは女性だったようで、少し恥ずかしそうに体を隠していました。
ええ、女性でした。女性の河童だったのですよ。
「え、うん、そうだけど。ていうか、君はなんでこんな時間に外をうろついてるのさ?」
そう尋ねられても、当時の僕は色々と限界で、気絶寸前でしたからね。
「ねーまってよー」
背後から声が聞こえた時点で、限界を突破しました。。
「あれ、ナメちゃんじゃん。やほー」
「やほーそれつかまえてー?」
「なに? ナメちゃんの獲物?」
「んーんちょっとだけあじみしていーよっていったからー」
「ああ、見かけない顔だと思ったら外の人なんだ? あれ、結構好みかも?」
「わああああああああああああ!」
そこから先はよく覚えていません。
無我夢中で村中を走り回り、行く先々で色々な人に出会いました。
その度に恐慌状態に陥って逃げました。
そして、騒ぎを聞きつけて駆けつけてきた黒衣さんと静さんに保護されて、ようやく事なきを得たのです。
◆
保護された僕は、静さんに改めて説明を受けていました。
「ごめんねぇ、寄り道したって聞いたから耐性ついてると思ったんだけど、この村って、大半の住人が妖怪とかなのよねぇ」
ざっくりとした説明ですが、それ自体を目の当たりにした僕は全力で頷きました。
「わ、わかりました! というか見ましたし、この家にも一人いますよね!」
と、出会い頭にとんでもないことを聞いてきた少女を指さします。
ええ、いるのです。その少女が、すぐそこに!
「はあはあなめたい」
なんだか危ないことを言っています。
先ほども、お風呂の壁を舐めていましたし、ある意味、危険人物なのは間違いないです。
「あら、もっといるわよぉ?」
もっといる……?
「母さん、明さんをからかうのはその辺にしてよ。ごめんね、明さん。付喪神とか知ってたから、平気だと思ったんだけど」
「い、いえ、僕の知っていた人達は、ほとんど人間でしたし、見た目的にもその……怖くなかったものですから」
「もしかして明ちゃん、怖いのって苦手?」
「……はい」
恥ずかしながら、不気味な物や怖い物は苦手なのです。
「こわくないのにーにょろーん」
「そ、その舌を伸ばすのを止めてください!」
「ちぇーこわがりー」
「アカナ、明さんが嫌だっていうんだからやめなさい」
「ぶーぶーくろたんだけずーるーいー」
「な、なにがずるいのよ……」
「おやくめでえっちしほうだーい」
「そ、そんなにしないわよ! しないよね……?」
黒衣さんが不安そうにこちらを見つめてきます。
「そ、そんな目で見られても困りますが、一日に一回、でしょうか……?」
不安なので、この中で一番詳しそうな静さんに聞いてみました。
生憎と、今まで興味がなかった僕には、その一日の回数とやらの目安が想像つきません。
「そうねぇ。最低でも一日に一回ね。でも、クロちゃんと明ちゃんでするなら、もっとしないと赤ちゃん出来ないかしら? 欲を言えば五回以上はして欲しいわねぇ。私の時はもっとすごかったし」
「ご、五回もっ? む、無理! 死んじゃうわよ! 明さんが!」
「だからぁ、そうならないようにするのが、私達の役目でしょう?」
「う、そ、そうなんだけど……」
「ねえ、明ちゃん、私としてから、体調はどうかしら?」
「え? そうですね……そういえば、今朝まで感じていた気怠さがすっかりなくなっています。むしろ、活力に溢れている様な……?」
そう言われてみたらそうです。
今朝までの気怠さはともかく、つい先ほど、あんなに走った後だというのに、全く疲れていません。
「あら、それなら私達との相性はいいみたいね」
「相性ですか?」
「ええ、いわゆる身体の相性ね。房中術って知っているかしら?」
「えっと……まあ、そういう物があるという事くらいは知っています」
「それってね、心身の相性がすごく重要でね? 相性が良いほど効果が高くなるのよ?」
「そ、そうなんですか……」
よくわかりませんが、そういう物なのだそうです。
「ええ、特に女性側が興奮すればするほど高い効果が期待できるのよ。幸いにも、明ちゃんはクロちゃんの好みに剛速球ストライクだし、クロちゃんもさっきので、かつてないほどに興奮してるから、今夜は期待大よ?」
「母さん! 余計なことは言わないで!」
黒衣さんが茹で上がった蛸のように真っ赤です。
血圧の上がり過ぎで倒れなければ良いのですが……。
「反対に、明ちゃんってば行為の最中も結構冷静だし、我慢強いから向いているのよねぇ。一回辺り一時間以上かかるんだもの」
「す、すみません……」
「来年には家族が二人ほど増えそうねぇ……」
そう言いながら、静さんが下腹部を愛おしげな表情で撫でます。
意味深な発言と動きに、嫌な汗が吹き出てきました。
「母さんっ? 今のどういう意味よ!」
「あら、クロちゃんが頑張って双子を産むのよ?」
「はぐらかさないで!」
「それとも、アカナちゃんも頑張ってみる?」
静さんの言葉に、アカナさんがこちらを見てきます。
見た目は愛らしい少女なのですが、あの長い舌を見た後だとかえって不気味に思えてしまい、怖さを増長させます。
「……したいけどまだむりそう」
「そうねぇ。本性引っ込めたら平気じゃない?」
「そのてがあった」
「ちょ、ちょっと! 余計な入れ知恵しないでよ!」
「いいじゃない。いっそのこと、今の世代の子達は、明ちゃんにしてもらえばいいのよ。来年には出産ラッシュよ?」
「それ笑えないわ……」
「あら、クロちゃんたら独占欲高いのね?」
「そういう意味じゃなくて! ああもう! とにかく! 明さんには手出しさせないんだから!」
「どくせんはずるい」
「そ、そういう意味じゃないわよ。せめてお祭りが終わるまではそっちに集中してもらいたいのよ。簡単な内容とはいえ、覚えてもらわなきゃいけないこともあるし」
「んー、まあ、それもそうね。倒れられても困るし、お祭りが終わるまではクロちゃんが責任もって管理しなさい?」
「わかってるわよ。一応、母さんからも手出し無用って年長の人達に伝えといてよ」
「わかったわ。まあ、それくらいはね。言うこと聞いてくれればいいんだけど……」
「母さんがちゃんと頼んでくれれば平気でしょ。最強なんだから……」
「まあねぇ。それでもやんちゃな子もいるし、ちょっと不安ねぇ」
「その場合はちょっと本性見せてやればいいじゃない」
「あら、いいの?」
「……ほどほどにしてくれるなら」
「うふふ、それなら母さん、頑張るわぁ」
なんでしょう。会話に入っていけません。
最強とか本性とか、やはり黒衣さんや静さんも人ではないのでしょうか?
「んべ。どうどう? これで怖くない?」
と、同じように会話から弾かれたアカナさんが舌を見せてきました。
その舌は短く、普通の人と何ら変わりはありません。
「は、はい、平気です」
「そっか。これなら平気なんだね。外見ほとんど変わんないのに」
「い、いえ、だからこそ怖いといいますか……」
というかこの方。喋り方まで上達しています。
……ああ、なるほど、長い舌だと喋りにくくて舌っ足らずな口調になっていたようです。
「んー、ギャップ萌え、っていうやつ?」
「多分違います。というか、そういう知識もあるんですね」
「うん。外界とは一応繋がってるし、お客さんがよく教えてくれるよ。最近は外から来た転校生がそういうのに詳しくってよく着てるけどね。あー、喋る時はやっぱり普通の舌がいいよね。あたい的には長い方が普通なんだけど」
「いや、最初普通に喋ってませんでした?」
「頑張ればいける。でも舌噛みそうになるから、舌っ足らずな感じに喋った方が楽なんだよね」
「はあ、そうですか……」
「そうなんだよ。あ、そうだ」
「なんですか?」
「チ○○ン舐めていい?」
「嫌ですよ!」
「なんでぇ? ちょっとだけ、先っちょだけでいいからぁ!」
「アカナちゃん、その部分の垢なら私が綺麗にしちゃったわよ? 私の壺で磨き上げたわ!」
静さん、そのドヤ顔はなんですか。
黒衣さんはそれを思い出してかまた顔を赤くしてますし。
「えー、静さんずるい! チ○○ス舐めたかったのにー」
そして、この人達はなぜこうもあけっぴろげなのでしょう。
あと僕にチ○○スはありません。ちゃんと毎日綺麗にしています。
しかし、この流れはいけません。下品極まりないです。
「あの、なんというか、そういう話は自重しませんか?」
「あら、エッチな女性は嫌いかしら?」
「いえ、好き嫌い以前に、モラルというものがあるのでは……?」
「うふふ、明ちゃん、この村にはね。あまり娯楽がないの」
「はあ」
「娯楽がないとね。人も妖怪も身近な娯楽に飛びつくのよ。つまりはセ○○スね! あるいはオ○○ーよ! つまりこの会話はただの日常会話なのよ!」
「嫌な日常ですね! せっかくパソコンや図書館があるんですから、有効活用すればいいじゃないですか!」
「本は読み尽くしたし、ぱそこんはよくわからないもの。うちのクロちゃんですら使えないのよ?」
「私も無理だなー。くりっくとかどろっぷとか魔法の言葉みたいなので挫折しちゃったし」
「そういえば、明さんって、そういうの得意なの?」
「ええ、仕事で使っていたので普通に扱えます。個人的にも所持しています。あ、それで思い出したのですが、この村の電線やネット回線などはどうなっているのですか? 少なくとも電柱のようなものは見当たりませんし……」
「電気は地下を通しているんだったかしら?」
「うん、ネット回線っていうのは……わ、わいしゃつだっけ?」
……まあ、なにを言おうとしたのかはだいたいわかりました。
「無線で使えるんですね?」
「そうそれ! 何も繋がってないのに色々見れるのよね! やり方忘れたけど!」
どうも、この村の人達はパソコンなどには興味がないようです。
田舎の農村らしいといえばらしいのですが、せっかく使うことが出来る環境なのですから、どうにか興味を持ってもらいたいものです。
「……あ、お腹すいた」
「あら、もう夕飯ね。何にしようかしら?」
「そう言えば、なんか冷蔵庫に大量の油揚げがあったけど、どうしたの?」
「明さんが持ってきたお土産よ。お菓子だってたくさんあるわ!」
「おおっ! 都会のお菓子っ? ご飯のあとに食べようよ!」
「もう、二人共? あんまり食べ過ぎると太っちゃうわよ?」
「「おやつは別腹なのっ!」」
「こういう時は息ぴったりなんだから……さて、お夕飯の支度しちゃうから、二人共手伝って? 明ちゃんはお風呂に入ってきちゃいなさい。入れてないでしょう?」
そういえばそうでした。
「わかりました」
返事をして、僕は今度こそ誰もいないはずのお風呂へ向かいました。
「……いないですね」
服を脱ぐ前に中を確認し、誰もいないことを確認してから入りましたとも。
◆
夕食は意外にも普通の献立で、和食中心です。
和食好きの僕にとっては非常に嬉しいものでした。
「……ふぅ、美味しかったです」
食後のお茶を飲んで、ほっと一息、このひと時がたまらなく好きなんです。
「お口にあったかしら?」
「はい、素晴らしい晩餐をありがとうございます」
「あら、大げさね。いつも通りの夕飯なのよ? お昼はちょっと張り切りすぎちゃったけど」
「いえ、これこそ理想的な食事です。毎日食べたいくらいですよ」
「ちょっとクロちゃん聞いたっ? 母さん口説かれちゃったぁ!」
僕の言葉を聞いた静さんが大はしゃぎです。
……確かに今のセリフは誤解を招くものでした。
「母さんちょっと黙ってて。で、どれにする?」
「なにこの綺麗なお菓子! いろんな色があるよ!」
「これがまかろんとかいうお菓子じゃないかしら?」
恐るべき嗅覚で取り出したお菓子の名前を当てた黒衣さん。お菓子に対して本気すぎて怖いです。
「もう、ちょっとは乗ってくれてもいいのに……ねぇ、明ちゃん、あの子達は色気より食い気みたいだし、ちょっとあっちでしっぽりしない?」
と、静さんが台所の方を見て言います。
「ああ、洗い物ですか。いいですよ。手伝います」
「そういうつもりじゃなかったんだけど……でも手伝ってくれるのなら嬉しいわ。行きましょ?」
遠野家の台所は、それは立派なものでした。
家自体は昔ながらの家屋、といった様相なのですが、ここだけ別空間のようです。
広い流し台に二人並んでも、十分なスペースがあるほどです。
「これね。あの子が頼んでくれたのよ。私、お料理が趣味だから、嬉しかったわぁ」
「ああ、彼ですか。もしかして、母の日の?」
「あら、そうよ? なんでわかったのかしら?」
「……なんとなくです」
昔、親孝行をするとしたらなにをするか、と彼に聞かれ、親の趣味にあったプレゼントをする。と答えたのですが、こういうことでしたか。
これは秘密にしておいたほうが良さそうですね。
「ところで明ちゃん、相談があるんだけど……」
「性的な相談以外なら受け付けましょう」
「あら、すっかり警戒されちゃってるわね。でも、大丈夫よ。相談したいのは、お料理のことなんだけど、明ちゃんって、お料理が得意なのよね?」
「まあ、人並み以上の腕は自負しています」
「洋食とかも作れる?」
「はい、なんでも出来ますよ。そういえば、黒衣さんにはお菓子の作り方を教える約束もしていましたね」
「まあ、甘いものまで作れちゃうのね? じゃあ、滞在中にいろいろ教えてくれないかしら?」
「ええ、構いませんよ。僕も料理は好きですから」
「助かるわぁ。和食はもう極めちゃったし、新しい料理を覚えたいって思ってたのよ」
「確かに、あの美味しさは極めたと言っても過言ではありませんでした」
「ああ、あれね。明ちゃんたら、いきなりポロポロ泣き出すからびっくりしたのよ?」
「あまりの美味しさに感動してしまいまして……お恥ずかしい限りです。あ、これで最後ですね」
「もう、大げさね。手伝ってくれてありがとう。じゃあ、お茶入れちゃうから、戻ってていいわよ?」
「はい」
食器洗いを終えて戻った僕が見たのは、黒衣さんとアカナさんがマカロンを一口食べたままの姿勢で固まっているところでした。
「ど、どうしたんですか?」
「……はっ! あまりの美味しさに解脱するところだったわ!」
「あたいは綺麗なお花畑が見えたよ。死んだじいちゃんが手を振ってた。ていうか、なんなのこれ、美味しすぎるよ……?」
「ただのマカロンなのですが……そんなに気に入りましたか?」
「これはきっとあれよ。神の食べ物ね!」
「なるほど! 美味しいはずだね!」
「いえ、割と普通に購入できますよ? まあ、どこにでも売っているようなものではありませんが」
「神の食べ物が普通に購入できるだなんて……!」
「恐ろしい! 都会は恐ろしいところだよ!」
どうしましょう。まともに会話ができそうにありません。
危ない薬をキメた人のようになっています。
「はい、お茶よ。って、あら? 二人共どうしたの?」
「母さん! これ! これ食べてみて! すごいから! ホントすごいから!」
「静さん、これやばいって! マジやばい! 何がヤバいって……マジやばい!」
「あなた達、言動がおかしなことになっているわよ……? でも、これは美味しそうね。じゃあ、ひとついただくわね?」
静さんはマカロンを一口食べ「んー! 美味しいわぁ♪ 都会のお菓子はものが違うわねぇ」と感嘆した様子でした。これが普通の反応ですよね?
「でしょ! さすが都会よね!」
「都会すげー!」
「はいはい、ほら、明ちゃんにお礼は?」
「明さんありがとう! 私はこういうのを求めてたのよ!」
「ありがとう! すっごく美味しいよ!」
「いえいえ、喜んでいただけたようで何よりですよ」
と、和やかな雰囲気のまま夜は更けていき、最初のお役目としての時間がやってきました。
◆
時刻はまだ九時、この時期だと、夜になって間もない時間です。
僕と黒衣さんは、ひと組の布団の上で向かい合うようにして座っていました。
つい先ほどまで他愛のない話をしていたのですが、話の種が切れてか、黒衣さんは黙り込んでしまい、意を決したようにこちらを見ました。
「え、えっと、ふ、ふちゅちゅかもにょでしゅが、よろしくおにぇがいしまひゅ……ふああっ! 私噛みすぎ! 恥ずかしい!」
「黒衣さん、緊張しすぎですよ。もっとリラックスしてください」
「だ、だって……初めてなんだもん」
「わかっていますよ。だから静さんに襲われる僕をじっくりと見ていたのでしょう?」
「うぅ……ほ、本当にできるのかしら? あの後、その……自分のを見てみたんだけど、どうにも入りそうにないというか……裂けちゃいそう」
「まあ、意外となんとかなるものですよ」
「ちょ、ちょっと待って! こ、心の準備がっ!」
「そう言って、もう一時間経つじゃないですか。そろそろ始めないと、静さんとアカナさんが乗り込んできて四人ですることになりますよ?」
ちなみにこの部屋、お役目で使用するための物だそうで、静さん直々に結界が張られており、ことが終わるまで出ることができません。
そして、このまま始まる気配がなかったら、静さんとアカナさんが乗り込んでくると意気込んでいました。あれは本気でやる眼でしたね。
「わ、わかったわよ……」
「では……」
「ひゃああっ! えっ、ぬ、脱ぐのは自分でやるからぁ!」
「僕にリードさせてくれないのですか?」
「え、えっ、で、でも、あのっ、んむっ!」
なかなか煮え切らないクロコさんにさすがの僕も業を煮やし、少々乱暴に唇を塞ぐと、黒衣さんはうっとりとしたように目を細め、身体の力を抜きました。
「では、はじめましょう」
「は、はぃ……」
黒衣さんを布団の上に優しく横たえ、僕は服を脱がせていきました。
前をはだけると、月明かりに照らされた白く若い肌が一層艶かしく輝き、大人になりかけの少女特有の蠱惑的な魅力を放っています。
「んぅっ……へ、変じゃない、かな?」
「綺麗ですよ」
言葉少なにやり取りを交わしながら、下着に手をかけます。
「あっ、やり方、わかる……? その、前の方で……あっ!」
フロントのホックを外すと、思いのほか大きく瑞々しいものが、柔らかく震えながらまろびでてきました。黒衣さんはその様が恥ずかしかったんか、真っ赤になった顔を逸らしてふるふると小さく震えています。
その様を見た僕は、彼女のことが堪らなく愛おしくなり、彼女の頬に手を添えると、もう一度口付けを交わしました。
「んむっ……んっ……ぷぁっ! はぁ、はぁ……明さんっ、明さんっ! 好き! 大好き!」
熱に浮かされたように、黒衣さんはそう言いながら僕に抱きついてきて……。
◆
どれほどの時間が経ったのでしょうか。
つい先ほど、長いようで短い濃密な時間を互の限界と共に打ち切られ、心地よい気だるさと、半身に触れる熱く柔らかな身を抱き寄せ、事後の余韻に浸っていました。
「……黒衣さん、大丈夫ですか?」
「……ん、ちょっと疲れたけど、平気……私、ちゃんと出来た?」
「ええ、頑張りましたね」
「えへへ……よかった。最初は少し痛かったけど、途中から、その……気持ちよかった。すごく」
「……随分と乱れていましたからね」
「い、言わないで……! わ、私もあんな風になるなんて思わなかったし……!」
「静さんが女性側が興奮するほど効果が高くなると言っていましたが……確かに効果抜群でしたね」
黒衣さんを身の上に乗せると、抵抗もなく乗ってきました。
これはもう、その気だと受け取っていいのでしょう。
「ああ、房中術ね。初めてだったけど、上手く行ったみたいで……えっ、も、もしかして……?」
と思ったら、黒衣さんが凍りつきました。
まあ、構いません。こうなったのは黒衣さんの責任でもあるのですからね。
「もう一度、しませんか?」
「ええっ! む、無理! 一回でお腹いっぱいなのに! もうダメ――っ!」
◆
翌朝、ぐったりした僕と元気いっぱいの黒衣さんがいました。
「な、なぜ……?」
最初の行為の後は信じられないくらい元気になったというのに、それ以降は一回毎に疲れていく感じでした。
「なんでって、あんなにしたら疲れるに決まってるじゃない。もう……」
少し拗ねた様子の黒衣さんは前日と比べても、明らかに肌の色艶が違います。
艶々とした肌からは壮絶な色気が漂っており、健常者なら貪りたくなるのでしょうが、今の僕は全くそういう気になれません。
「難しいものですね……」
「楽しみに節度があれば、心は穏やかで長生きできる。溺れて顧みなくなれば、病が生じて、命が損なわれる。これが房中術の要点なの。だから、その……昨日の二回目以降みたいなのは嫌じゃないんだけど、溺れないように注意しましょ?」
「芸文志ですか。そうですね……十分に分かりました」
腹上死、などという言葉を聞きますが、あながち冗談ではないのかもしれません。
今後は気をつけましょう。
「ほら、早く起きて。色々後片付けしないとだし、お風呂にも入りたいわ」
「わ、わかりました」
そう言って、僕も起き上がろうとしたところで、乱入者がやってきました。
「その必要はないわ!」
「ないよ!」
静さんとアカナさんです。両者共に息が荒く、興奮した様子で僕を見ています。
ああ、嫌な予感しかしません。
「か、母さんとアカナ? もう起きてたの?」
「違うわ。ずっとここにいたのよ」
「もう無理、我慢できない」
どうやら僕達が交わっている最中、ずっとそこにいたようで、黒衣さんが呆れた目で見ていました。
「……馬鹿なの? ああ、でもちょうどいいわ。明さん、精の出しすぎで弱ってるから、お願いできる?」
……え?
「黒衣さんっ? 昨夜はあんなに愛し合ったのにっ!」
「でも、そのままじゃ明さんが危ないし、今夜までには回復しててくれないと困るし……我慢して?」
「そ、そんなっ……! あっ! ふ、二人掛りとか卑怯ですよ! く、黒衣さ―――っ!」
◆
不思議なもので、疲れるはずの行為をしたはずが、疲労がすっかり回復しました。
一方で、僕に襲いかかった静さんとアカナさんはぐったりしています。特にアカナさん。
「す、すごかった……ていうか、死にそう」
「ん……はあ、やっぱり若い子の精はいいわねぇ」
二人共、ちょっとお見せできない程にだらしのない姿で余韻に浸っています。
「終わった?」
黒衣さんが戻ってきました。
湯上りの肌はうっすらと赤く、ついふらふらと吸い寄せられそうになり「駄目!」叩かれました。
今のは危なかったです。我ながら戸惑ってしまうほど欲に忠実です。
「すみません……」
「まあ、慣れないうちはしょうがないわ。私だって我慢してるし……」
「では我慢せずにやりましょう」
「学習してよ!」
「冗談ですよ。昨晩よりは余裕がありますから」
「そうじゃないと困るわ……あ、お風呂入ってきていいわよ? こっちは私がやっておくから」
「何から何まですみません……」
「そう思うなら、その……今夜は溺れないように注意してね?」
「それはちょっと保証しかねます」
黒衣さんの魅力は僕の理性を破壊しますからね。
それにしても、まさか自分にあのような獣が眠っていようとは思いも寄りませんでした。
所詮、僕もひとりの男だったということでしょう。
「なんでちょっとしたり顔……と、とにかく、さっさとお風呂行きなさい!」
「あ、はい」
朝一番のお風呂というのも、なかなか悪くないものですね。
風呂から上がると、入れ替わるように静さんがアカナさんを連れてやってきました。
一応、服は着ていますが、静さんは着物で、帯を締めておらず、前がはだけていました。
アカナさんに至っては裸のまま担がれています。
「あら、もういいの?」
「ええ、身体も充分清めましたし、しっかり温まりましたから」
「ふんふん……あら、結構匂いが残ってるじゃない。ちゃんと消さないと大変よ?」
「え、そうですか?」
「鼻が慣れちゃったのね。クロちゃんの匂いが特に濃厚にこびりついてるわよ?」
「そ、そうですか……後で入り直します」
「あら、遠慮しなくていいのよ? アカナちゃんの洗浄も手伝って欲しいし」
「静さん、自分で、自分で出来ますから、それだけはご勘弁を……」
「あら、あんなに乱れ切った姿を見られてるんだから遠慮しなくてもいいのに」
「だからですよ……! あたい、あんなに乱れるのなんて初めてだったんですからねっ!」
「で、では僕はこれで」
なんだかややこしい話になりそうだったので、僕はそそくさと退散しました。
居間までやってくると、台所の方から、お味噌汁の良い匂いが漂ってきます。
「黒衣さん?」
「あれ、もう上がったの? ゆっくりしてて良かったのに」
「静さん達が来てしまいましたので……」
「別に混浴ぐらい良いんじゃない?」
……この村の女性の羞恥心の基準はどうなっているのでしょうか。
「……手伝います」
まあ、考えても仕方のないことです。
住む場所が違うと価値観も違う。
自分の価値観を押し付けるわけにはいきません。
まあ、どうしてもこれはない、という時には反発しますけどね。
「ありがと。じゃあ、朝ご飯だけど、アカナがあれだから、ちょっとスタミナがつきそうなものをお願いね。ご飯とお味噌汁はもう終わって、煮物は今やってるから、それ以外でお願いできる?」
「わかりました。冷蔵庫の中を確認しても?」
「いいわよ」
許可をもらい、冷蔵庫を開けました。
材料は豊富ですね。僕の持ってきた油揚げが大量にあります。
あとは、豚肉に玉ねぎ、生姜、しめじも使いましょう。
「豚肉と油揚げで炒め物なんてどうでしょう? 他の具は玉ねぎとしめじで、生姜の風味を効かせ、醤油と味醂で甘辛く味付けすると、ご飯のお供にぴったりですよ?」
「お、美味しそうね……じゃあ、それで!」
「承りました。では、ぱぱっと作ってしまいましょう」
しかし、もう一品作っておきたいですね。
今朝の献立は白米、油揚げと豆腐の味噌汁、具沢山の煮物、そして、炒め物。
少しさっぱりした物が欲しいですね。
「お浸しもつくりませんか? ニラとオクラなら元気が出ますよ?」
「じゃあ、それもお願いしていいかしら?」
「お任せ下さい」
遠野家の広い台所を十分に活用し、黒衣さんと共に料理を初めて三十分ほどで、朝食は完成しました。それにしてもこの台所、使いやすくていいですね。幾らぐらいしたのでしょうか。
「ちょっと早く終わっちゃったわね。ご飯ももうすぐ炊き上がるし、少しお茶でも飲みましょう?」
「そうですね」
「それにしても明さん、思ったより料理上手で驚いたわ」
「まあ、一人暮らしを始めてそれなりに経っていますからね。もともと料理も好きでしたし。それでも、だいぶ腕は落ちていますね。今年なんか、はほとんど外食で済ませていましたから」
「それはそれで羨ましいかも。この村には外食する所なんかないし」
「楽ではありましたが、さほど良い物でもありませんよ。そのせいか、家庭の味、と言うものに飢えていましたからね」
「家庭の味……ああ、だから母さんの料理食べて泣いてたのね」
「ええ、温かく素敵な味でした」
「私はいつも食べてるからよくわかんないけど、美味しいのは間違いないわね」
「それこそ、僕にとっては羨ましいのですけどね」
「そ、そう。じゃあ、さ。明さんさえ良かったら……」
黒衣さんがなにか言おうとしたところで、邪魔が入りました。
「いい匂い! お腹すいたー!」
「アカナちゃん、まだ髪乾かしてないでしょ!」
シャツとパンツだけを身につけたアカナさんと、バスタオルを巻いただけの静さんが台所へ飛び込んできました。
「……はあ、もう。アカナ、ちゃんと髪乾かさないとご飯抜きよ! お母さんも服着て!」
「それは勘弁!」
「あら、ごめんなさい。つい、いつもの癖で……」
温かな家族の団欒。僕が過去に失ってしまった物が、そこにはあります。
失われた物を思い出して少し胸が痛みますが、悔やんだところでどうにかなるようなものではありません。
あの時の後悔を、一生背負って生きていくと、僕は決めたのです。
ですが、せめて、このひと月だけは、この温かな団欒の中に身を置くことを、どうか許してください……お義母さん。