09話 不安感
屋敷へ戻るや否や、僕は今までの疲れが出たのか強烈な眠気と戦っていた。このままでは危ないと、抱えた刀は一旦まとめて自室の高い場所へと置いておくようにする。刀の重さも相まって若干ふらつきながら部屋へと向かっていると、その光景を目撃したメルルが僕の元へやってきた。
「ソウさん、私も運びますよ」
「ありがとうございます。でもそれほど重くはないので大丈夫ですよ」
決して重くない訳ではないが彼女に持たせるのも気が引けるので、そう虚言を吐く。僕としては、この返答ならば彼女に刀を持たせる事にはならないだろうと踏んだのだが、どうやら逆効果であったようで予想が大きく外れた形となった。
「重くないのでしたら私でも持てますねっ。数が多いようですし、かさばってしまうでしょうから私にも手伝わせて下さい?」
「え、えっと……ではこの一本をお願いできますか? これは少し重いと思いますが大丈夫でしょうか?」
致し方なく、手元の近くにあった数本の内の一本を彼女へ差し出す。どれも同じような重さなのは言わずもがな。ただの気遣いから出た必然的な嘘である。
ともあれ問いに頷くメルルは、興味深そうにしながら刀を手に取った。
「任せて下さいっ────そ、想像していたよりも重いですね。私には到底扱えそうにありません」
「やっぱり僕が持ちましょうか?」
「いえいえ、私が持っていくと言った以上、その約束は反故にはできませんよっ」
僕が持った時に感じる重さ以上に、メルルは重く感じるだろう刀の重さ。やはり彼女に持たせるべきではなかったのでは、と後悔する。
だが嬉々として手伝いに励むその姿からは、他人を慮る事が当たり前にできる優しき心の持ち主だという事が伝わってきて、ただひたすらに感心するばかり。
故に彼女の意思を尊重するならば、現状はなかなか悪くないのかもしれない。そう結論に至った僕は、素直に彼女の厚意に甘える事にしてお礼を言う。
「──ありがとうございます。だいぶ楽になりました」
「一本だけで申し訳ないのですが、少しでもお役に立てているのなら嬉しいです」
謙虚な姿勢で笑顔を振りまくメルル。それだけでも心の癒やしとなり、十二分に助けになっている。命の恩人だという事が大きく起因しているが、全ての事柄において恩義を感じざるを得ないというものだ。
ずっと彼女の笑顔を眺めていたいと思い始めていた現今、残念な事に部屋までの距離は遠くなく、そうこうしている内に自室に着いてしまう。
刀の重さの事を考えるのならば近いに越したことはないのだが、彼女と話していられる時間も考慮するならば多いに越したことはないという気にもなる。
だが現実は既に事を終えている。会話の時間を惜しみながらも、僕は観念して自室の床に刀を置いた。その後にメルルから刀を受け取り、置かれた刀数本の上に重ね置く。
「今日は色々な事があったでしょうし、お疲れのご様子ですので早めにおやすみになってくださいね? 明日からは少しずつお手伝いをお願いする事になってしまうと思いますので、その時はよろしくお願いしますっ」
申し訳なさそうにする彼女であるが、当然の権利である。しかし口調からは優しさが充分に滲み出ており、心遣いが身に染みて、僕の心の中に何とも形容しがたい幸福感が成された。この感情を忘れまいと心に刻み、彼女のお願いに快く頷く。
「はい。明日からはこき使ってやって下さい。それではお言葉に甘えて──おやすみなさい」
「はい、おやすみなさいっ」
体力を作る為にも明日から稽古しなければいけないだろう。しばらく真剣にさえ触ってなかった上、木刀もここしばらくは使っていない。私事だけでもやる事は山積みだ。
だがそれでも彼女達の事を思えば、不思議と眠気の中にも少しだけ高揚感が宿る。身体は意気消沈と、心の中だけは意気揚々と矛盾した状態へと陥りながら、それでも睡魔という化け物には適わず、刀をきちんと高い場所へと避難させてから、静かに眠りに落ちていった。
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時刻は恐らく深夜。僕は扉が叩かれる音で眠りから覚めた。こんな時間に誰だろうかと疲れが取れていない身体を無理矢理起こし、視界がはっきりしない眠気眼のまま音のなる方へと歩いていく。
寝起きで正常に働かない脳で僕の部屋へ訪れる人物に見当を付けるが、今し方全く思い当たらない。子供達は既に寝ている時間だろうし、メルルの性格からして気を使って起こすような真似はしないだろう。それだけは理解しながら、何にせよこのままは失礼だと扉を開く。
「ど、どうぞ」
声を掛けながら取っ手を引っ張ると、断片的で微かに聞こえる木製の扉が軋む音が緊張感を高め、そして開ききった扉の奥には────。
「こんばんはぁ」
間延びした声と共にやってきたのは、メルルと同様に、腰まで伸びた水色の髪の少女。確かメルルを弄んでいた人だ。そう気付いた瞬間、自分も何かされるのではないかと、つい身構える。
「こ、こんばんは?」
「こんばんはぁ」
何故か二度挨拶をした彼女の浮かべ続ける、朗らかな笑顔が消される気配は無い。だがその笑みの中に、ただただ嫌な予感を醸し出しているように僕は思えてしまった。
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「……寝れなかった」
重い目蓋が視界を遮り、薄暗い部屋は更に暗く瞳に映る。僕の声に反応する者は居なく、部屋の明るさ同様、闇に消えた言葉に多少の虚しさを覚えた。それが何故かは昨日の深夜の出来事が原因だった。
確か名前はセルナと名乗っていたような気がする。彼女は名乗った後、入ってくるなり抱き付いてきたかと思えば、耳元で呪文のような意味が理解できない言語を囁いてきた。
突然の行動に驚きと羞恥の入り混じった感情の中、状況すらも理解できずに困惑するだけの僕は、不自然に意識が朦朧として────今に至る。
意識がはっきりとし始めた時には既に彼女は部屋から居なくなっており、いっそのこと全てが幻想だった、と言われれば納得する程、現実味の無い事柄だった。
一体彼女は何がしたかったのかは不明で、理解もできない。もしかしたら夢だったのかもしれないと本気で考え始めて────。
「……とにかく皆が起きてくる前に、やる事やらないと。まずは走り込みからかな」
考えても仕方ないと思考を払いのけ、疲れがそれほど取れていない怠い体を引き起こし立ち上がる。
物音を立てないよう細心の注意を払いつつ外へ出ると、朝特有の冷たい風が肌を差した。その感覚に懐かしさを覚え、自然と新鮮な空気を胸一杯に吸い込み、深呼吸を繰り返す。弛んでいた気持ちが引き締まり、活力が漲る。
「さて、これから頑張るとしますか」
無理やり心を清々しく気丈に振る舞わせ、倦怠感を冷たい風に乗せて追い出した。
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メルルを護衛するという都合上、ルーンの計らいによって街の外への出入りが自由という待遇を受けている僕。その為、人の迷惑にならないであろう壁沿いに街の外周でも走ろうかと門を出ると、視線の先にある森の奥で、微弱だが光が放たれたように見えた。
余りにも一瞬の出来事だった為に、気のせいだろうかと考えたが、木々の間からのぞいて見える人影をかろうじて視認した為にその可能性は切り捨てる。
「……どっかで見たことあるような」
遠くてはっきりとは確認できないが、その紅蓮色の髪の毛には既視感があった。確かあんなような赤い髪の毛の子が孤児院にいた筈。
人見知りなのかあまり喋る事をしないような娘で、僕が孤児院の人達に挨拶周りをした際に一度目にしていた。その姿と森の奥に見た人影と妙に一致している為に、不安感が募る。
その娘だとは言えないが、そうでないとも言えない。もしかしたら見間違いで、人ですら無いのかも知れないが────。
「確認だけはしておくかな。最悪、刀もあるし逃げれる……よね」
前に見た巨大ゴブリンには勝てないだろうけど、小さいものなら何とかなるだろうと高を括って、人影を追いかけた。