11話 生きる為に
ようやく森を抜け、その先にある平原へ出ると、既に朝日が見え始めている事に気が付いた。これは早く帰らなければメルル達が心配してしまうと嘆くが、前を歩く少女に帰るという選択肢は無い模様。
「あの……?」
「……」
「えっと……」
「……」
「どこまで行くつもりなんでしょうか?」
「……」
先程から変わらずこの調子だ。話かけても無言を返され、目的地も分からないまま。
平原に入ってからというもの、何度か猪に酷似した魔物と遭遇しているが、彼女は即座にそれを狩る。そして奇妙な事に討伐した魔物の死体を引き連れて、次の獲物を探すように歩き続ける。
次から次へと魔物を狩っていき、不必要らしき部位を切り落とし処理していく手際の良さには目を見張るものがあるが、ここで煽てても木に登るどころか、反応すらして貰えないだろう。決して彼女を豚と同列視している訳ではないが。
果たしてどうすればいいのだろうかなどと漠然と思案していると、今まで機械の如く形式ばった動作を繰り返していた彼女がその形式から外れた行動を実行した。
「────転移」
彼女が何か呟いたかと思って見やると、突如として現れた光が渦を巻いて彼女を包み込み────そこに居た筈の彼女は、姿を消していた。
「え?」
突然の事で理解が及ばないが、既視感のある現象だった。確か初めてメルルと会った時、街に瞬間移動した時に使っていた────転移。
まさか一人で帰ったのかと想像の埒外の行いにただ呆然し、立ち尽くす。
何故僕を嫌っているのか、その理由が明かされないまま最後の最後まで冷血であった彼女。僕は彼女を理解する事は無理難題だと苦笑し、来た道を徒歩で戻る事とした。
■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■
「グルルゥゥ────」
時として現実というものは非情である。そうあって欲しくないと願う事が平然として顕現するからこそ、声を大にして言いたい言葉だ。
街に帰る途中で、運悪く狼型の魔物に出くわしてしまった。不幸中の幸いか相手は一匹でそれほど大きくないが、威嚇する魔物は如何せん怖い。明確な殺意が鋭利な牙と同様に剥き出されている。だがいずれは倒せるようにならなければ生きていけない。
ならば今、目の前の魔物を倒せるのなら恐怖を乗り越える事も出来よう。そう結論付けた僕は、おもむろに刀を抜き正眼に構えながら、冷静になれと自分に言い聞かせるように恐怖心を騙す。
もし危なかったら逃げればいい。幸いにもここは森なのだから隠れ場所ならいくらでもある。
「はぁぁ…………ふぅ……」
一度深呼吸をして心を落ち着かせる。
大丈夫、倒せる。落ち着いて相手の動きを見れば問題ない。脳内でそう繰り返し唱え、瞳を見開く。
「ガァッ──!!」
刹那。魔物が雄叫びを上げたかと思うと、愚直にも一直線に襲い掛かってきた。だがすぐには避けず、相手を良く観察して十分に引きつける。
魔物に触れる直前に左足を下げ、身体を突進の軌道から避けさせる。同時に、左下に下げた剣先を突進中の魔物の横腹に向け、斜めに切り上げ。
不快な悲鳴を上げながら着地に失敗した魔物は、その場でのたうち回る。このまま大人しくなってくれ、と願いながら暴れる魔物を横目に距離を取った。
しばらく様子見をしていると、今までの行動がまるで演技であったかのように、突如、体毛で隠れていた爪を尖らせ肉を引き裂かんと再び襲い掛かってきた。体温が急激に上昇するのを感じながら、先程と同様に軌道から避け刀で切り上げようとするが────。
動きを読んでいたのか不自然に地面から生え出てきた岩石を足場に、遠回りの軌道に変えて鋭い爪を突き出す。
相手の動きを読もうとしたばかりに、予想外の行動に対する判断も遅れた。これでは直撃すると判断した僕は、内心毒づきながら仕方なく刀で爪を受け止めるが、勢いに負けそのまま押し倒される。
その体躯からは想像も出来ないくらい強い力で押さえ込まれるが、すぐさま魔物の腹に蹴りを入れて身体を浮かせ、その隙にその場から離脱して相手との距離を取る。
たった一回の攻防で、次に行うであろう僕の行動が読まれた。本能に生きる獣にしては、学習能力が高いにしても程がある。
刀を構え向き直ると、これまた不自然に突出した岩を足場に跳躍する魔物が、既に眼前まで迫ってきていた。魔物自体の速さはそれほどではないが、次の行動までの速さはかなりのものだ。一つ対処が遅れれば、次の攻撃が命取りになる。
俊敏な動きかつ、確かな重さを孕んだ爪甲。本来の防御策である刀での受け流しをしようにも、攻撃の速度に圧倒されて刃を割り込ませ、受け止める事がやっとである。
今回の攻撃も例に漏れず、受け流す事は叶わない速さで爪が振るわれていく。致命傷となる攻撃は刀で受けるが次第に威力が増していき、これで終わりだと言わんばかりに溜めを作って凪がれた爪が襲い掛かってくる。
これ以上の衝撃を受けると、刀自体が保たない。そう判断した僕は後ろに反って倒れ、刀から離した左手を地面につけて、体が地面に倒れ込まないように堪える。怠けていた弊害で、この体勢はなかなかに辛い。
だがそれでも何とか耐えて見せた刹那。目の前を風を切り裂きながら凪がれた爪に肝を冷やした。
もし当たっていたら大惨事だろうが、そんな無駄な考えは即座に切り捨てる。爪を大きく振ったお陰で多少の隙が出来た魔物。お返しとばかりに勢い任せに、右手で握った刀を背負い投げするかのように持ち上げ、魔物を下腹部を切り裂いた。
大量の赤黒い鮮血が僕に降り注ぐ。同時に魔物は小さく断末魔のような声を上げるも、それでも四本の足で軽やかに着地を決め、大地を踏みしめて立っている。痙攣しているのか四肢は小さく震えているが、その目だけは力強く怒気を孕んでいるかのように鋭く僕を射抜く。
「はぁ、はぁ、はぁ」
絶え間なく続く自分の激しい息づかいが、耳障りで鬱陶しい。それに魔物の真下で斬った為に、返り血で服が汚れており醜い上に獣臭い。
脳内に浮かぶ余計な情報に邪魔されながらも、なおも牙を剥き、爪を尖らせ、狂ったように襲い続けてきた魔物を相手取る。手負いだというのに爪が振るわれる速度は変わらず、未だ一撃一撃が脅威。
次第に体力の限界が近付き、追い詰められ始める。
大人しく撤退するべきかと諦めかけた一瞬の油断。その隙を突かれ、刀を爪で絡み取られる。刀は爪の勢いそのままに木の幹に突き刺さり、魔物は今度こそ食い殺さんと、大きく口を開ける。
僕の中で盛大に警鐘が鳴り響くも、刀を持たない僕にその牙を凌ぐ術はなく、身体を庇う為に出された右腕に魔物の牙が抉り込んだ。魔物の勢いに押され倒れ込む際に牙が更に深く刺さり込み、苦痛に表情を歪めた。
なおも腕から離れる気配のない魔物。食い千切らんと必死に食らいつくそれに対して、僕は噛みつかれている右腕を魔物の口に押し込んで、何とか引き剥がそうと試みる。
しばらくの間、己の中での最善策を試み、ようやく腕は解放されるが、傷は浅くはなく自由には動かせない。元々血で濡れていた服は自らの血で厚塗りされ、黒へと変色を遂げている様は、自分の事ながら痛々しい。
だが腕を気にして痛がっている余裕は殊更無く、左手に刀の代わりに鞘を持って脅威と対峙する。双方共に睨み合い、意思疎通を図ったかのように同時に相手へと襲い掛かった。
「ガァッ──」
相変わらずの速度と力。最初と同様に真っ直ぐ僕へと跳躍してくる魔物からは、負ける筈がないという絶対的な自信が窺い知れる。しかし気圧される訳にはいかない。ここで引いてしまえば魔物への恐怖は増し、立ち向かう事が困難となってしまう。瞬時に決意を固め、対抗するように真っ直ぐに突っ込む。
鋭利な牙と爪に対して、耐久性など底知れている鞘。分が悪い事は重々承知だからこそ、直接打ち合うつもりなど毛頭ない。
瞳を大きく開けて迫る脅威を確実に視認すると、時の流れが減速しているように錯覚する。魔物の爪の動きから、視線に至るまでもが明瞭になった世界。その世界で僕は、ただただ相手を倒す為に隙を探していた。そしてその時は満を持して僕の前へとやってくる。
僕と魔物が交差する寸前、素早く振るわれた爪を擦り傷程度の負傷で抑えた僕は、無防備となった魔物の顎部分を目掛けて鞘を振り上げた。
寸分の狂い無くとまではいかなかったが、それでも目的であった脳を揺らせる事は成功したようで、魔物は力無くへたり込む。先程まで僕へ向けられていた筈の怒気は、既に感じなくなっている事を確認すると同時に、ようやく緊張から解放される。
「はぁ、はぁ────」
本当に死んでしまうかと恐れたが、どうにかなったと脱力感に身を任せた。だがそんな余裕は束の間、前触れもなく、倒れた魔物の赤い眼が強く煌めいた。
もう意識が戻ったのかと、急いで木に突き刺された刀を手に取り、魔物の眼に意識を向けていると、急に目の前で光が収束して────。
爆発した。
爆炎の熱が顔の肌を焼き、爆風で髪がなびく。風に押され平衡感覚を失い、地面に尻餅をついた僕。だが幸いにも爆発は、眼前ではあったが直撃する程の至近距離ではなかった為、顔の皮膚は熱くなり前髪が少し焦げる程度に留まる。
倒れた事に安心して気を抜いてしまい、完全に不注意だった。不自然に足場が飛び出ていた様を目撃している時点で、魔物が魔法を使えるかもしれないという事は分かっていたのだから、もっと警戒するべきだった。後悔の念が湧き出て止まらない。
そして何より、魔法の怖さを知ってしまった。決して侮っていた訳ではない。何せ憧れる力なのだから。だが不意に使われると、こんなにも危険に晒されるとは、と改めてその脅威を身に刻み込む。
刀という武器を持って、僕は少し浮かれていたのかもしれないと表情を苦渋に染め、事切れた魔物に一応とどめを刺す。僕にとっての初めての戦闘というものは、何とも苦い戦績となってしまった。




