師匠の過去に触れてみたい!
ここへ来てからというもの……。
いや、今日の師匠は私の部屋を訪ねてきたときからかもしれない。
師匠は、どこか様子がおかしかった。
ここ「ククルス」へは、何をしに師匠は来たのだろうか。
本当の目的とは、演劇鑑賞などではなかったのではないだろうか。
今の私には、そう思えてならなかった。
世界最強の魔術士と謳われる師匠を、「くん」づけで呼ぶ人間がこの世界にいるなんて、なんだかおかしな気がした。
しかし驚く私を尻目に、師匠はというと……顔に優しい笑みを浮かべながら、ゆっくりと後ろを振り返っていた。
「こんにちは、ジジ。お久しぶりですね」
「……じじい?」
私の呟きに、師匠とその爺さんの顔は凍りついた。ただ、明らかに悪気の無い私の顔を見てか、怒るということはしなかった。
「カガリ。じじいではなく、ジジさんだよ。すみませんね、ジジ。悪気はないので、怒らないで下さい」
「じじい」という言葉を、私は聞いたことがなかったから、どうして師匠とこの人が凍りついたのか分からなかったけれども、反応から察すると……どうやら、あまり良い言葉ではないらしい。
「ルシエル君。このおなごは……誰だい?」
今度は私の顔が凍りついた。師匠は、先ほどのように仲裁に入るのではなく、くくっと声を押し殺しながら笑っていた。それになんだかむっとして、私は拗ねた。
「カガリ、拗ねるんじゃないよ。ジジ、この子はカガリ……私の弟子だよ。ほらカガリ、挨拶なさい」
「……カガリです」
無愛想にそう言うと、師匠は少し困っていた。それからジジは、私に握手を求めてきたので、私はそれに応じた。
握手をすると、ジジはなぜだか首を傾げていた。
「おや? 綺麗な手だけれども……ちょっと男っぽい手だねぇ。と、これは失言だったかな? お譲ちゃん」
私は握っている手の力を込めて、カッとジジを睨んだ。ジジは私よりも少しだけ背丈が大きいため、見上げる感じになる。
「私は男です! どこからどう見ても、男でしょう!?」
その発言に、師匠はついに声をおさえられなくなったらしく、笑い声をあげていた。ジジは更に困惑していた。
「どこからどう見ても……? たしかに顔つきはまぁまぁ男っぽいし、体も比較的がっしりしている。けれども……その格好に、その髪型をしていてはなぁ」
そう言われて私は赤面した。自分がこのような女の衣服をまとっていることを、すっかり忘れていたのだ。私は恥ずかしくなり、師匠の後ろに身をそそっと隠した。
「かわいい子だねぇ。ワシはてっきり、お前さんとアリシアの子どもかと思ったよ」
「かわいいでしょう? 弟子とは言いましたが、私は自分の子どもだと思っています」
その言葉が、私はすごく嬉しかった。思わず師匠の背中に顔をこすり付けた。すると、師匠が後ろから手をまわして、よしよし……と、私の背中をさすってきた。なんだか、私を仔犬のように扱っているような気もしたけれども……心地がよかったので、気にしないことにした。
それよりも気になったのは、「アリシア」という名前。これが、師匠の奥さんの名前なのであろうか。
「ルシエル君。あれからもう、何年経ったのかねぇ。君達がここへ来ていたときから……」
彼は、昔の師匠を知る者であるらしい。そんなひとに会うことは、はじめてだった。誰も、師匠の過去について何一つ知らないんだ。あの国王でさえ、師匠が「魔術士」であることくらいしか、知らないらしい。ただ世界最強の力を持つという事実しか分かっていない。いや、正確にはそれすら明確ではない。
「はや、二十年は経っていますかね」
二十年。その言葉に私は反応した。私の生活が一変し、城に移ってきてから経った年数もまた、二十年であった。これは、ただの偶然か、あるいは……。
「アリシアちゃんは元気にしているのかい? 子どもはできたのかい? あれから結婚したのであろう?」
師匠には珍しく、苦笑していた。でも、その寂しげな笑みを浮かべる瞳の中にはどこか、懐かしさというものも見え隠れしているように思えた。
「アリシアとは、一緒にいないんです。子どもも……いませんよ」
「そうか……」
それ以上、彼は何も聞いては来なかった。師匠が今、どこで何をしているのかは、知っているのであろうか。それともただ、これ以上聞くことは酷だと思ったのであろうか。何はともかく、会話はここでとぎれて、私はどうしていいのか分からないまま、師匠の背中にくっついていた。
「……あの」
私はこの沈黙に耐えられずに声を発してしまった。
「ジジ殿は、師匠を昔からご存知でいらっしゃるようですが、どのようなご関係なのですか?」
またもや私情に口を挟んでしまい、私は師匠の反応を恐れたけれども、師匠は気にしなかったようである。
「関係なんてないよ。ただ、二十年ほど前に知り合っただけじゃ。それはもう、本当に幸せそうなふたりじゃったよ。気品のある殿方に、とても優しく笑う、まだ幼さの残る女の子じゃった。彼らは度々、この劇場に足を運んでいたのだよ」
師匠は目をつむっていた。
そのときの想い出に、浸っているようにも見えた。こういう師匠を見るのは、初めてかもしれない。
なんだか今日一日で、師匠にうんと近づけたような気がした。
「それが……師匠と、奥さん?」
「そうじゃよ。まぁ、あのときは恋人同士じゃったのかな?」
師匠に意見を求めたらしい。師匠はにっこりと微笑みながら、頷いた。
「本当に仲が良さそうでなぁ。それに、ちょうどワシは自分の子どもを戦で亡くしたばかりで、自分の子どもと同じくらいであるルシエル君たちに、興味を持ったんじゃよ。それで、声をかけたんだ」
二十年前の、私が出会う以前の師匠のことを聞けるなんて、夢にも思ってみなかった。しかし、私が師匠に出会ったのは今から十七年前。だとすると、彼の見た師匠というのは、私の出会うたった三年前の師匠の姿ということになる。その頃はおそらく、レイアスにも入っていなかった? 師匠は、どこでどのような生活をしていたのだろう。それに、アリシアさんと別れてまで、どうしてレイアスに来たのだろうか。私は、食い入るようにジジの話に耳を傾けていた。いつの間にか師匠の背中から離れて、私はジジの立っている前の椅子に座って、上を見上げていた。するとジジも私と同じように椅子に座って、私と目線の高さを合わせてくれた。
「色々語り合ったねぇ……。せっかくのデートの時間だったのにも関わらず、ふたりはワシと一緒に話をしてくれた。実に心優しい若者だったよ」
師匠は現在三十七歳だ。ということは、当時の師匠は十七歳ということになる。十七でそれだけ人ができているなんて……。やっぱり、師匠は私とは「格」が違うんだって思った。早く、師匠に近づきたい。そのためにも、少しでも多くの師匠のことを知りたかった。私は師匠のことを、何も知らないから……もっと、情報が欲しかった。
「しかしのぅ……ある日を境にふたりは、はたりと姿を見せんようになった。それはもう、心配したぞ。当時は国がもっとも荒れていた頃じゃったからなぁ。よからぬ戦争にでも、巻き込まれたのかと思ってなぁ……」
そういえば、現国王のザレスが王位継承をしたのも確か、二十年前だったような気がする。すべてが「二十年」という単語で繋がっていくことに、私はなんだか嫌なものを感じていた。
「先ほどから気になってはおったのじゃが……」
ジジは師匠の方を見上げた。それに気がついた師匠は、ふっと笑みを浮かべていた。
「この傷ですか?」
そう言って、師匠は額の大きな「刀傷」に手を当てた。私もこの傷については疑問をいくつか持っていた。初めて出会った時にはすでに、この傷はつけられていた。いったい何時、誰がつけたものなのか。私を含めて城の者も誰も知らなかった。だから、ずっと知りたいとは思っていた。
誰も寄せ付けない程の絶対的な力を持ちながら、こんな致命傷になりかねない傷を、師匠が許してしまった相手とは、誰なのか……。
「いったい誰にやられたのかね……フロート軍かね? それとも、別の国の兵士にかい?」
「まぁ、そんなところで……」
言葉を濁した。どうしても言えないような人間なのだろうか……その人物とは。隠されると、余計に気になるではないか。
「師匠……言えないのですか?」
「カガリ。先ほど私情に口を挟むなと注意したばかりじゃなかったかな?」
ジジは聞いているのに、私にばかり注意する。少しだけ、いじけてきた。私と師匠のやり取りを見て、ジジは笑っていた。なんだか私は、どこにいても子ども扱いをされるような気がする。
(いや……)
ひとりだけは、決して私を子ども扱いなどしなかった。私を「師」とし、「兄」としてくれた。今となっては、私の「敵」である存在。
「……ラナン」
その無意識のうちにこぼれた呟きに、ふたりとも反応した。ここはフロート領のはずだから、この名前はまずかったかと、私は慌てて口を塞いだ。
しかし、どうやらこのジジは、ラナンに悪いイメージは持っていないようであった。
「ラナンかぁ……なんだい? お前さんはあの子の知り合いなのかね?」
「ジジ。その話は避けて頂きたい。カガリの立場上、彼との話には色々とまずい事があるので」
確かに問題だった。国王の側近が、この国を滅ぼそうとする「レジスタンスのリーダー」と親しみがあるということは……。だが、私はラナンのことを話したくて仕方がなかった。あの子の傍にいることもできず、あの子のことを、誰かと話をすることもできないのだから、こういう時くらい……。少しばかり、遠出している時くらい、ラナンのことを誰かと、話してみたい気がした。
けれども、師匠がそれを許さないことも分かっていた……。
「……師匠」
「ジジ、私たちは帰ります。任務もありますし」
残念そうな顔をしながらも、ジジは承諾してくれた。いや、一番残念がっているのは、この私自身かもしれない。
「あの……ジジ殿」
私は最後にジジに声をかけた。
「なんだね? カガリ君」
人と関わることは避けてきた。自分と関わった人は、必ず不幸になってきたから……。でも、彼とはなぜか……もう一度、会いたいと思ったから。
「また、ここへ来ても良いだろうか。その時は……」
ジジは笑ってくれた。そして、去ろうとしている私の手に、小さなビンを渡してくれた。
「また、一緒に話そうな」
私はゆっくり頷いた。
そして、私と師匠は転移をしてこの場を去った。