外伝08:ある不死のバトラー
「…………はぁ」
邪神殿の五階層で、神族のアンリは溜息を吐いた。
そしてそのまま、部屋の窓枠にそっと指を這わせる。窓枠をなぞった指を見ると、そこには埃が付いている。ある意味当たり前と言えば当たり前の結果だが、以前はここまで汚れてはいなかった。
このような結果になっているのは、人族のアンリやテナが邪神殿を去ってしまったことによる。
「これは由々しき事態」
衣食住のうち、「衣」はまだ良い。アンリが着ている黒薔薇のドレスは一定時間で自動的に最適な状態になるため、着た切りになることに目を瞑れば洗濯どころか着替えすらも不要だ。
しかし、「食」と「住」はそうはいかない。
食事は作らなければ食べられないが、アンリの料理スキルはそれほど高くはない。不味くはないが、特筆するほど美味くもないという微妙な味だ。
それでは他の住神であるソフィアとアンバールの二柱はどうかと言えば、こちらはそもそも期待するだけ無駄な話だ。
元々、神族は信仰を糧に生きる存在であり、他の生物がするような食事を必要とはしない。必要とはしないのだから、当然作る能力などを保有しているほど酔狂ではない。必要もないのに作る能力を持っているのは、何らかの信念などがある場合しか考え難い。
なら何故食べているのかといわれれば、娯楽以上の意味はない。
当然、娯楽である以上は美味しいものが食べたいのだが、今まで食事を用意してくれていたテナが居なくなってしまったため、彼らの食生活は切ないものとなってしまっている。それなら食べなければとも思うが、一度味わってしまったことによる未練が続いているのだろう。
また、いかに邪神殿とはいえ、掃除をしなければ埃が溜まるし汚れが残る。神族になって呪いを克服したことにより箒を持つことが出来るようになったアンリだが、だからと言って広大な神殿の掃除をする気になるかと言われれば、そっと逃げ出すだろう。
なお、邪神殿の中でアンリ達の居住区と言えるのは地上第五階層と地下三十一階層だが、それだけでもかなりの面積を有している。テナが居た時であっても、彼女一人で掃除が出来るようなものでは到底ない。
ならば、これまではどうしていたか……そこには、この神殿があくまでダンジョンであるということが関連している。ダンジョンマスターのスキル「ダンジョンクリエイト」により、魔力を消費することで状態の回復が行えるのだ。
しかし、「ダンジョンクリエイト」スキルを人族のアンリが誤って持っていってしまったため、それが出来なくなってしまったのだ。神族としての「権能」で似たような力を発揮するのは必ずしも不可能ではないが、如何せん「権能」は力が強過ぎて加減が利かないという難点がある。基本的には世界全体に作用する力であるからだ。
「ただいまより、生活環境向上会議を始める」
「まぁ、構いませんが……」
「俺が言うのもなんだけどよ、神選ミスじゃねぇか?」
会議場の円卓を囲み、三柱によるしょうもない会議が始まった。
「まぁ、食事を改善するってのは賛成だけどな。
お前の作るのは別に不味くはねぇが、取り立てて美味くもねぇしな」
「それは私も同感です」
自分でも自覚はしているとはいえ、面と向かって自分の料理の腕を否定されれば、当然アンリとしても面白くない。
そのため、二柱に対して反論を投げた。
「ごくつぶしが贅沢言わない。
そんなに言うなら、二人が作ればいい」
「無理だ」「無理です」
その言葉に、ソフィアとアンバールは一瞬にして拒否してきた。
アンリとしても、彼らが料理が出来るなどとは最初から微塵も思っていない。言ってみただけだ。そのため、溜息を吐きながら引き下がった。
「で、どうすんだ?
魔族から家事が出来る奴を連れてくることは出来ないこともねぇが」
「それはやめておいた方が良いでしょう。
此処に新たに人族や魔族を連れてくるというのも問題になりそうです」
「やっぱり?」
「ええ、この世界の管理者が揃っている特殊な環境ですし……」
ソフィアの言葉に、アンリも納得の声を上げた。
ソフィアとアンバールが邪神殿に居座り続けていることを知っているのは、ごく少数の身内だけだ。これが外に漏れた場合、下手をすればこの国を確保しようと他国から攻め込まれることすら考えられる。
「そうすると、元々居る奴で家事が出来るのが居るかって話になるわけだが……」
情報拡散を避けるという意味においては地上三階層以下に居る信徒達も国外の人族や魔族と同様に用いることは出来ないため、動かせる人材は非常に限られてしまう。人族のアンリと共に邪神殿を出た三人を除くと、後は階層ボスくらいしか候補が居ない。
「ヴニ」
「論外だろ」
「あの巨体では……そもそも四足歩行ですし」
人材ですらなかった。
全長二十メートルの黒龍ヴァドニールに料理や掃除が出来る筈もない。
「アンリルアーマー」
「同じだろ」
「無理ですね」
全長五メートルのオリハリコン製リビングアーマーであっても同じだ。人型であるだけ黒龍よりはマシではあるが、やはりサイズから考えれば不可能だろう。
そもそも、自我がないので料理など出来ない。
「……インペリアル・デス」
「……身体の大きさなどは問題なさそうですが」
「……出来るのか?」
残るは、地下ダンジョンのラスボスである彼ぐらいしか居なかった。
三柱はそれぞれ、最強の不死皇様を思い浮かべる。
サイズは問題ない、人族や魔族とほぼ同じだ。
体型も問題ない、人型だ。
では彼に料理や掃除が出来るかと考えれば、三柱とも首を傾げるしかなかった。
「取り敢えず、聞いてみる」
そう言うと、アンリはインペリアル・デスを呼び出すことにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「それでは、ご賞味あれ」
「……うん」
「……ああ」
「……い、いただきます」
目の前に広がる光景に、三柱は圧倒されていた。
丹精込めて作られた料理の数々は見るからに美味しそうだった。それ自体は良いことなのだが、見た目骸骨のアンデッドがこれを作ったということに、ショックが大きい。特に、明らかに料理スキルで負けていることがわかったアンリは心にグサグサと刺さるものを感じていた。
「美味しい」
「美味いな」
「美味しいですね」
味の方も見た目の期待を裏切らなかった。
「恐悦至極に御座います」
熟練の執事のように、洗練された仕草で一礼するインペリアル・デス。
なお、彼はここまでの一切の動作をただただアンリ一柱に向けて行っている。ソフィアとアンバールにも食事を出すことはしたが、あくまで主であるアンリの顔を立てるためでしかない。彼の忠誠と信仰の総ては、アンリただ一柱のためにある。
彼の来歴を考えれば、敵対者に近い光神に対して露骨な攻撃姿勢を見せないだけ、マシというものだろう。
「清掃についてもお任せあれ」
そう言うと、インペリアル・デスは部屋の空いているスペースに対して手を向けた。
「出でよ、我が眷属達」
不死者の皇の喚び出しに応え、数多のアンデッド達が姿を現す。
「さあ、我が眷属達よ。アンリ様のためにこの神殿を隅々まで磨き上げるのだ」
その言葉を受けて、アンデッド達は何処からともなく箒や雑巾を取り出し、呆気にとられる三柱を余所にバッと散って清掃を開始した。
広大な邪神殿であるが、アンデッド達は数を頼りにした人海戦術で凄まじい速さで掃除を行っていった。
スケルトンが箒で床を掃いたり、レイスが壁を雑巾掛けしたりという光景はあまりにもシュールであったが、効果については申し分なかった。
一刻もしないうちに第五階層と地下三十一階層の清掃は完了し、新築のようなピカピカの状態まで磨き上げられた。
「如何でしょうか」
誇らしげに成果を報告するインペリアル・デスに、アンリは思わずコクコクと頷くしかなかった。
「これだけではございません。
他にも取次、予定の管理、護衛、財政の管理、何でもこなしてご覧に入れましょう」
「そ、そう……」
何でこの不死皇様はこんなに仕事出来ますアピールをしてくるんだろうか……と内心で首を傾げながらも、アンリは頷いた。
ちなみに、彼がここまで必死な理由は三十階層ボスの役目が暇だからである。
「それじゃ、これからもお願い」
「ハッ! 全身全霊を以って、務めさせて頂きます!」
感動に打ち震えながらも態度には示さず、ピシッと音が聞こえてくるような見事な姿勢で彼は深々と頭を下げた。
「三十階層守護」兼「執事」インペリアル・デスが誕生した瞬間である。
バトラー不死皇