タイトル未定(タイトル候補:Killers on the Billion Grave.)
庭の木が真っ赤な“佐藤さん”を実らせた。彼女は“佐藤さん”が大好きだから、きっと喜ぶだろう。
早速サンダルを足に突っかける/庭に下りる。
手には高枝切り鋏。手首に引っ掛け軽く回す/切っ先が僅かに土を刔った。調子外れのメロディ/酷くご機嫌な僕の鼻歌/足元で擦れ合う落ち葉とハーモニィを奏でる。
木の根本に立ち、真っ赤に実る“佐藤さん”を見上げた/僕の頬が歪むのが分かる。彼女の笑顔が、待ち遠しい。
鋏を振り上げて、
――――しゃきん、と。
ニュートンの提唱した論説に従って、“佐藤さん”が地に墜ちた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
彼女には人として大切な物が欠けている。
彼女は記憶を正しく保持しない/ある特定の期間の記憶を失った。
彼女は物の名称を正しく理解できない/名称から物を想起しない。
人格の発達が年齢に比例しない/精神的外傷に依る幼児退行。
「ねー、ご飯まーだー?」
「もう少しだよ、ちょっと待ってて」
古ぼけた木造のアパート、その一室/決して広くはない六畳間/二人なら尚更。テーブルが一つ/ベッドが一つ/テレビが一つ/靴は二つ/歯ブラシは二つ/食器は二組。典型的な二人暮し/同棲中の部屋。真新しさは何も無い/唯一つ、住民共同の中庭と、そこに植えられた“佐藤さん”の木を除いて。
「待ち切れなーいー」
投げ出された脚の上下運動/およそ年齢らしくない幼稚な言動/愛おしく感じる所作……僕もまた、歪んでいる。
苦笑を浮かべ、待ってて、ともう一度言う。頬を膨らませる/不貞腐れる/寝転がってそっぽを向く。貼り付けた苦笑の形は変わらない。
愛しい彼女の為に料理を再開する。視線を戻した/まな板の上の“原田くん”と目が合う。白濁した目/死んだ魚の様だ/あからさまな皮肉/それは死んだ魚に外ならない。
“原田くん”の喉元に刃を入れる/正中線に沿って切る/喉を/胸を/腹を/股を。裂けた腹部に指を入れた/臓物を掻き出す/どろどろとした臙脂色/指にぬめり纏わり付く/水で洗う。
“原田くん”の首筋に刃を添える/首を落とす。ころりと転がった頭/怨みがましく僕を睨む/錯覚/無視して残った身体を二枚に卸した。
熱したフライパンにキッチンペーパーを被せる/これが無いと皮がフライパンにこびりつく。
切り身にした“原田くん”を上に乗せた/ぱちぱちと焼ける音/香ばしい匂い/食欲を刺激する。視界の外で蠢くもの/寝転がった彼女/不貞腐れたフリ/今か今かと待っている。微苦笑する、僕。
“原田くん”が焼けるのを待つ間に鍋に火をかける。残り物の味噌汁/“城戸さん”と“田中くん”の味噌汁だ。温まった所で味を見る/少し薄い/水と味噌を加えて調整した。
“原田くん”が焼けた/味噌汁は温まっている/“北山さん”も炊けた/今日のメニュー/慎ましやかな夕飯/精一杯豪華な夕餉。
「出来たよ」
振り返る/視界一杯に彼女の顔/愛くるしい瞳/小さな鼻/桜色の唇/思わず見惚れた。「ぶう」至近距離から吐息/くすぐったい。
「お腹空いた」
「お待たせ」
器によそい、運ぶ。火燵兼用のテーブルに置き、彼女はピンク/僕は青/色違いのお揃いの座布団に腰を下ろした。
「美味しい?」
「美味ひい」
“原田くん”を口一杯に頬張って彼女は言う/行儀の悪さを窘める/「ぷう」と膨れる/「話し掛けたのはそっち」/言い訳じみた反論。
埃を被ったテレビ/何も写さないブラウン管/けれど僕たちの食卓は賑やかだ。ささやかな幸せを感じる/人生の充足を覚える。
「ごちそうさま」
「お粗末さま」
満足そうな彼女の声/労働の対価/十二分の報償/けれどもまだ終わりでは無い。
食器を下げ、台所に。籠に詰まれた“佐藤さん”を手に取る。
「デザートがあるんだ」
「でざーと」
「“佐藤さん”」
「おお、それはすばらしーですなー」
無邪気に喜ぶ/僕も嬉しい。包丁を手に“佐藤さん”の皮を剥く/しゃりしゃりと快音/一繋ぎの皮が精製される。
「痛て」
指を切った/ささやかな失敗/指先から溢れる赤/出血。
「んいー?」
「なんでもないよ。大丈夫」
ごまかしながら指先を舐める/甘味と酸味/柘榴のような味がした。
けれど止める訳にはいかない/彼女がデザートを待ち侘びている。絆創膏を貼って応急処置とした。剥き終わった“佐藤さん”を四分割にし、彼女の下へ。
「佐藤さん、うまー」
「うん、美味しいね」
剥いた“佐藤さん”は、甘く酸っぱい、柘榴のような味がした。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
庭の果樹の持ち主について、僕に分かる事はそう多くない/素性を知らないという訳ではない/僕たちにこの部屋を貸し与えてくれている人/アパートの大家さんだ。
けれど、それだけで十分だ/僕たちのような怪しい若者に部屋を貸し与えてくれる/庭の果樹の実を自由にしていいと言ってくれた/それ以外に何を知る必要があるだろう。
怪しい若者/年代にして十代後半/高校生程度の僕ら/実際、高校は中退している。
逃げ出すように同居を初めた/否、実際逃げ出したのだ/その前は、僕らも歴とした高校生だった/契約を申し出たとして、通常ならば警察に届け出られるのがオチだろう。
しかし、そうはならなかった/だから僕たちはこうしていられる/感謝こそすれ、他の感情を抱くことなど有り得ない。
故に、玄関先で家賃の支払いを請求しに来たその人に、僕は笑顔で応対する/疚しい事は無いけれど、彼女を余り人目に曝したくは無かった。
今月分の家賃を受け取り、大家さんは部屋を立ち去った/二月くらいは都合を付けるよと言い残して。
有り難い言葉だ/金銭は、僕らに最も欠けている。
「♪〜」
玄関から戻ってみれば、彼女が寝転んでテレビを見ていた/ご機嫌そうに鼻歌を歌っている/やはり、かつての知性の欠片も無い。
それでも僕は愛している/変わらずに、今も昔も。
遡って生まれた時から、と言っても良い/あからさまな嘘だ/惚気とも言う。
そんなことを考える僕に彼女は視線を寄越し、満面に稚気を滲ませて笑う/僕も莞爾りと笑んでみせた。満足したかのように、彼女は視線を余所へと動かす。
僕は思う/今の彼女に対する愛しさを/昔の彼女に対する愛しさを。
どちらも彼女だ/苦境に立たされ憂いに沈む彼女も/全てを放棄し怠惰にたゆたう彼女も。
昔の彼女は、記憶の中でしか出会う術は無い/今の彼女は、ここにいる。
それは類まれなる幸福なのだと、そう思う。
今の彼女を前に/昔の彼女を想起する。自然、笑みが濃くなるのを自覚した。
「テレビ、見てるんだね。珍しい」
「んー」
普段は埃を被っているテレビ/彼女は社会に興味を持たない/彼女は娯楽を求めない。
僕も同じだ/僕は彼女が居れば良い/彼女は僕が居れば良い/僕らは互いが居れば良い。
閉塞した環境の中/閉塞した関係性/心地良いデカダンス。
しかし、そんな彼女がテレビに興味を示すなど、一体何事なのだろうか。
尋ね、返って来たのは、
「そろそろお花見の季節だって、おーやさんが言ってたから」
テレビで見れば花見時も分かるだろうと、そう言われたらしい。
いつの間に、と思う/しかし、すぐに思い当たった。
昨日の夜、駅前に一人で出掛けた時だ。大家さんは偶然僕が外出するのを見た/だから部屋に来て彼女と話した。心配してくれたのだろうか/何にせよ、有り難い人だ。
当たりを付けて一人納得し、僕もテレビの画面を見た/そこにはニュースが映っている/国民放送の簡素な番組/スタジオにも味気が無い/けれど、求めるのが情報だけならそれで十分。
「で、どう? お花見行けそう?」
「んー、まだわかんない」
どうやら、開花情報はまだ放送されていないらしい/アナウンサーは無機質な声で事務的に文章を読み上げている/内閣がどうの/官房長官がどうの/全く持って興味が沸かない。
続いてのニュースです、との声/彼女は不満げに口を尖らせる/僕は彼女の傍に寄り、彼女の身体を抱きすくめた。
宥めるように、喉を撫でる/気持ち良さそうに瞳を細めた。猫のようだ、と僕は思う。
そのままの姿勢で、開花情報の放送を待つ/やがてアナウンサーは退屈なニュースを読み終え、そして、
「――続いてのニュースです。本日未明、雨晴駅前にて、身元不明の男性の死体が発見されました。被害者は全身を刃物で切り裂かれており、警察は一連の連続斬殺事件と同一犯の犯行と見て調査を――」
「――――――っ」
息が、詰まった。
突然身を硬くした僕に驚いたのだろう、彼女が僕の顔を見上げた/あどけない表情/不思議そうに傾げられた首。
僕は何とか平静を取り繕おうと試みる/彼女と目を合わせて微笑んだ/凍ったままの背筋/巧く笑えているかどうかの自身が無い。
彼女は僕の顔を見詰める/やがて視線はテレビ画面へと戻った/溜め込んでいた息を吐き出し、彼女の頭に顎を載せた/くすぐったそうに身を捩られる。
そしてテレビ画面には、待望の開花情報が放送される/楽しそうにはしゃぎ始める彼女/対照的に、僕は疲れた様に画面を見遣るしか出来ない。春先だというのに、一瞬で体温を持っていかれたようだ。
「ぎゅー」
「んい? どしたん?」
「いや、寒いから」
「もー、きみは寒がりだなー」
充電完了。疲れは取れて身体も温まって一石二鳥だ。
どこからか怨嗟の声が聞こえた気がした/多分、錯覚だろう。
「で、桜は」
「らいしゅーの、土曜日には満開になるでしょー、って」
「なら、金曜日に出掛けようか。お弁当を持って、桜を見に」
「わーい」
無邪気に喜ぶ彼女/自然、腕に篭る力は強くなる。
離し難いものが、そこには有った。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
僕は料理が得意ではない。包丁で皮が向けない/未だにたまに指を切る/砂糖と塩が分からない/醤油とソースも分からない。ただ以前よりは上手くなったように思う。少なくとも最初みたいに彼女に吐かれることは無くなったし、いまや催促を受ける程だし。
「ごーはーんー」
「はいはいただいま」
とある春の日/仰ぎ見れば見事な青空/上着の要らない穏やかな陽気/絶好のピクニック日和/ニュースで告げられる満開の知らせ=これで僕らの本日の予定が決まった。つまりは花見である。日本の伝統行事/形骸化した風情の残滓/結局は騒げれば何だって良い。彼女にとっては、特に。
「まーだー?」
「今出してるって」
鞄から取り出した包みを広げる/手作りのサンドイッチ/“田島さん”と“寺原くん”とサラダ/彼女の手は迷わずサラダに向かう。掴む/かじる/咀嚼する/嚥下する。
「落ち着いて食べて」
「ふもほふむほむ」
「飲み込んでから喋る」
「ふもー……んぐ」
喉に詰まらせた/噎せた。慌てて水筒を差し出す/奪い取られる/直に口を付けた。白い喉が蠢き中の液体を胃に流し込んでいく。
「…………っぷはぁ!」
「大丈夫?」
「うー……けほっ、うう、このいっぱいのためだけに生きているー……」
「オヤジか君は」
苦笑し、胸を撫で下ろす/無事で何よりだ。懲りる事なく果敢にもサンドイッチに挑む彼女を横目に、空を仰ぐ。
「綺麗だ、な」
「……ね、知ってるー?」
呟きに対し、返答。目的語の欠けた言葉/僕は疑問を返すしか無い。すると彼女は知識をひけらかす子供のように喜々として、
「桜の木の下にはー、体が埋まっているのですよー」
言った。ああ、と僕は思う。胸中に浮かぶ雑多な感情/混沌として、判然としない。
微笑ましくもある/懐かしくもある/何れにせよ、心は刔られる。かつて同じ台詞を、彼女から聞いたからだ。
『ねぇ、知ってる?』
夕暮れの教室/緋色に染まる/僕ら以外には誰も居ない/遠くには喧騒/近くには静寂/彼女と僕の息遣い。
『桜の木の下には、死体が埋まっているんだって』
素敵よね、呟く彼女に、僕はどう返しただろうか。確か、
「夢の有る話だね」
ごまかすように、言う/正しい返答が分からない/適当な言葉で茶を濁すしか無い/かつてと同じ。
彼女は笑う。僕の目の前で/記憶の中で。安堵に零れた溜息は、舞い落ちた花びらを揺らして消えた。
再度仰いだ上天を塞ぐのは桜色/目の冴えるような青をバックに広がっている。この下に死体が埋まっているとは考えられないくらいに/或いは死体が埋まっているが故に/桜の花は綺麗だった。その美しさを表そうとする言葉は相応しくない程に陳腐で、僕は黙るしか無い。
花びらがひらひらと舞い落ちる/僕の頬に触れる。指で救い取り、ふとした悪戯心から彼女の口に押し付けた。
「うみゅ」
奇妙な鳴き声/指先は柔らかな唇を押し分けぬるりと咥内に侵入した。舌先に花びらを置き、ついでとばかりに掻き回す。前歯に触れた/歯茎に触れた/舌裏に触れた/頬の裏側に触れた。「うむぅ」/声/されるがままの彼女の/顔が赤く染まっている。存分に凌辱を楽しんだ後、僕は指を引き抜いた/指先が彼女の唾液でぬらぬらと光っている。
「ふはぁ」
湿っぽい息を吐いて、彼女が脱力する。息が荒い/顔が赤い。可笑しくて僕は笑った/彼女の表情が露骨に変わる。むっとしたように/間を持たずに悪戯っぽい笑みに。背筋を凍らせた時には手遅れで、気付いたときには彼女が僕に覆いかぶさっていた。逆光になって判然としない表情/ただし、口だけはにんまりと笑っている。笑顔が近付く/唇が塞がれた/舌が咥内に潜り込む/唾液を流し込まれる/掻き回される/舌に絡められる/歯茎の裏を嘗められる。舌が抜き取られた。唾液が僅かに橋を掛け、一瞬の後に崩壊。後に残ったのは頬の熱と口の中の桜の花びら、だけ。
「どお?」
自分も頬を赤くしながら聞いてくる彼女に僕は苦笑を返し、率直な感想を述べる。
「甘酸っぱい」
酸っぱ甘いとも言う。
「せーしゅんの味ですなー」
「知ったような口を」
「にょふへへへ」
照れ笑いの彼女/僕も心からの笑顔を送る。こんな幸せが永遠に続けば良
いと、そう思った。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
けれどそんな幸せも長くは続かないことを僕は知っていた。一般論では無い、経験則として、だ。
卒業と共に仲の良かった友達と別れ音信不通になるように/夏祭りの興奮が一夜限りの物のように、どんな幸せにも必ず終わりは来る。人生はそういった別れの連続/僕と彼女の生活も例に漏れない。
思い出すのは預金残高/振込は無く一方的に減るだけの数字。彼女に働かせるわけにもいかない/彼女は社会不適合者だ/僕も同じ/そもそもが高校を中退している人間がまともな職にありつける方が珍しい。
――現状に窮している/長くは持たない。
ピクニックの帰り道/傾いた太陽/赤く染まる町/まるで血を流しているようだ。
背中に篭る熱/春の温もり/彼女の体温/首筋には、吐息。
時の凪いだような/全てが終わりを迎えたような/緋色に染まる刻の中。
――目の前に、影があった。
アパートまでの道のり/何処にでも有るような住宅地/曲がり角を抜けた先/夕日を背に二人の人間が歩いてくる。
表情を窺い知ることは出来ない/背負う夕日が、それを影で覆い隠している。
不穏な空気/何かが背筋を駆け上がった/僕は彼女を背負い直し、足を速めた。
詰まる彼我の距離/同年代の少年二人だと分かる/彼らが何か会話をしている事も。
「詰まる所、人の死には何か意味が求められたりする訳だけど」
「ナンセンスだ。人間死んだら終わりだぜ? 死んで花実が咲くものか、って言うだろ」
「意味が違うよ、燈夜。それを言うなら『命有っての物種』だ」
「変わんねぇよ、多分な」
変な二人組だ/関わり合いにならない方が吉だろう。
そう判断して、
「なあ、お前もそう思わねぇ?」
声と共に、脱力が来た/足から力が抜けくずおれる/意地でも彼女は離さなかった。
目の前に散るのは夕日以上の紅/見覚えの有る色/血液の色。
「――って、ありゃ?」/「ああ、またか」
二人組の片割れが間抜けな声を出した/二人組の片割れが呆れた様な声を出した。
瞬間、遅れてきた痛みが脳を灼く/脇腹/左太腿/同時に二箇所を裂かれている/止め処なく溢れる血液/臓腑が零れてないのが幸いか。
「ったく、何でなんだよ、何でこんな所歩いてんだよテメェはよ」
「理不尽にも程が有る物言いだ。人を斬っておいてそれは酷い」
「俺だってやりたくてやった訳じゃねぇっての」
痛みに蹲る僕の眼前、差し出されるものが有る/それは手ではない/それは無機質な輝きだ/掌に納まるようなナイフの刃先。
それが伸びる先を辿る/手――華奢な作りだ/腕――驚く程細い/首――チョーカーが巻かれている/顔――黒髪と、隙間に除く朱い色。
彼が、僕を斬ったのか/状況と、もう一人の言葉から判断する。
僕が何故、と口を開くより早く、その彼が言葉を発した。
「どうしてだ」
そう、何故――と。
「どうしてテメェは俺に斬られなきゃならねぇ?」
苛立たしげに問いを発する/聞きたいのはこちらの方だ/何故、僕が斬られなければならない。
しかし、ふと、思い出す。
この間のニュース/身元不明の死体/連続斬殺事件/犯人は未だ、捕まっていない――まさか。
恐れていたことが起こったのか/この間はニアミス程度で済んだ事/殺人鬼――《斬殺鬼》との邂逅。
未来がどうとか残高がどうとか、そういった有象無象を押し流す――
――圧倒的な、死。
「……あ」
《斬殺鬼》の片割れが呟いた/意味を成さない単音/何かを思いついたとでも言うような表情――否、思い出した、か。
「そうそう、この人だ。今から僕らが尋ねようとしていた人」
「あ? それって……」
「そうそう、ついこの前起こった、高校生集団食人事件の犯人」
「こいつが? 本当にか?」
「間違い無い……っと、写真なら貰って来たから。ほら」
片割れが胸ポケットから取り出した写真を、《斬殺鬼》は受け取った/そのまま眺め/持ち上げて眺め/角度を変えて眺め/そしてようやく頷いた。
「確かに」
「だろ?」
得意げに頷く/意味も無く腹が立った/同時に焦りが生まれる。
即ち、
僕の行った事が知れてしまったのだ、と。
「なら、手間が省けたって訳だ」
「どうしてそう繋がる……僕は今度こそ、平和的解決を望んでいたのに」
「ハ、平和的解決……ねぇ? 俺にはあの《迷探偵》が、間に合ったとは思えねぇけどな」
皮肉気な《斬殺鬼》の物言いに、片割れは言葉を詰まらせた/何も言い返せないらしい/その顔が悔しそうに歪む。
「さて、んじゃぁ悪ぃけど、さっくり死んでくれるか? いや、問いの答えを聞かずに殺すってのは気が引けるけど、まぁ、しょうがねぇよなぁ、この場合」
「何を考えたのかは知らないけど、五人の人間を、それも調理してまで食べるって……まぁ、反省は必須だな」
ゆらり、と《斬殺鬼》が一歩を踏み出す/片割れは腕を組んで一歩を退いた。
斬殺鬼の目から光が消える/片割れの目に無機質が残る。
呟く、
「ま、今からテメェを殺す俺と――」
「今から君を見殺しにする僕には、何も言われたくないだろうけどね」
その言葉を最後に、僕の意識は断絶した。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「終わったな」
「終わったね」
事切れた《食人鬼》を前に、僕らは互いに呟いた。夕日の差し込む道の上、夕日よりも尚濃い紅色が、じわりじわりと広がっていく。それは誰がどう見ても、人一人の命を奪うのには十分な量の血液だった。
僕はそれを見越して予め一歩を退いていたのだけど、燈夜はそうでなかった筈で……けれど、返り血ひとつ浴びずに佇んでいた彼は、平然と血液を踏まずに僕の隣に並び立った。僅かな理不尽を感じ、僕は唸る。
「どうした?」
「何でもない」
さて、と彼はナイフを振るって血液を飛ばし、濡れていない地面に転々と弧を描いた。
溜息混じりに開いている手で頭を掻き、もう片方のナイフで道に寝ている少女を指す。僕に向けられる視線は、あれは誰だと問うていた。
「えー……と、果てさて、一体誰なんだろうな、彼女は」
「知らねぇのかよ。全く、あの《迷探偵》も、もっと確かな情報寄越せっての」
「先輩の悪口を言っても仕方無い。予想するに、本日の晩御飯か……保存食か」
「胸糞の悪ぃ話だぜ。人が人を食うなんてな」
そう吐き捨てた燈夜は、「で?」と僕に問うてくる。
顎に手を当ててしばらくを悩み、そして、嘆息した。
「兎にも角にも、ここから離れよう。彼女の事は、先輩に改めて聞く方針で」
「オッケィ、了解、そうしよう。んじゃ、コイツはこのまま放置で良いな」
「しょうがない、そうしよう……ん?」
僕らがこれからの事を取り決め、移動しようとした時だった。
眠っていた少女が、もぞもぞと身を揺らし始めたのだ。目を覚まそうとしている、その事実に気付いた僕は燈夜に目を向ける……けど、燈夜は肩を竦めるだけだった。どうやら、僕に全てを任せるらしい。都合の良い奴め。
やがて少女は身を起こし、茫洋とした瞳で周囲を見渡した。視線が、空、僕、燈夜、へと、順々に移動される。そして最後には――やはり、地面に横たわる死体へと向けられた。
少女は驚いた様に眼を見開き、
僕の腕に噛み付いた。
「――ッ!!」
「――えっ?」
次の瞬間には燈夜にナイフの柄で殴打され、弾ける様に横に飛び、地面で跳ね、塀にぶつかって動きを止めた。皮膚と血管が破れたのだろう、その頭からは血液が流れ出す。呻き、それでも尚身体を動かそうとするが……三半規管が揺れたのか、上手く立てずに地面へと這い蹲った。
「ちッ……何だってんだ一体。いきなり襲い掛かって来やがって……おい、大丈夫かよ」
「え……あ、ああ、うん、大丈夫、何とも無い」
「って、血が出てるじゃねぇか! おいおい、それで大丈夫とか、相変わらずどんだけマゾいんだよお前は!!」
「失敬な。僕はノーマルだ」
「そういう問題じゃねぇだろ!?」
確かにそういう問題でも無いのだけれど。呻きながら這い蠢く彼女が、じりじりと移動を始めている。僕は目を眇め、燈夜は舌打ちを以って彼女と相対しようとする……けれど、彼女が向かったのは僕らの方ではなく、地面に横たわる死体の許だった。疑念に首をかしげる僕らを余所に、少女は《食人鬼》に寄り添い、啜り泣き、そして、
「……」
「……うげぇ、本当かよ……」
その死体に歯を立てて、食事を始めたのだった。少女が口を動かす度、ぐちゃぐちゃと湿った音が響き、彼女の口と地面を新たな血液で汚していく。
信じられない物を見た驚愕に僕らはしばらく動けないで居たのだけれど……やがて、どちらとも無く、その場から離れる為に足を動かし始めた。互いに無言で、僕らは夕日に染まった道を歩く。
背後からは、啜り泣きと人肉を咀嚼する音が、いつまでもいつまでも聞こえていた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
……僕は料理をしている。彼女の為に。
場所は学校の家庭科室/時間が時間なだけに人は居ない。室内にも/廊下にも/グラウンドにも/教室にも。
暗い中、電気も付けずに、窓の外の月明かりだけを頼りに作業を進める。
“原田くん”の喉元に刃を入れる/正中線に沿って切る/喉を/胸を/腹を/股を。裂けた腹部に指を入れた/臓物を掻き出す/どろどろとした臙脂色/指にぬめり纏わり付く/水で洗う。
“原田くん”の首筋に刃を添える/首を落とす。ころりと転がった頭/怨みがましく僕を睨む/錯覚/無視して残った身体を二枚に卸した。
熱したフライパンにキッチンペーパーを被せる/これが無いと皮がフライパンにこびりつく。熱したフライパンにキッチンペーパーを被せる/これが無いと皮がフライパンにこびりつく。
切り身にした“原田くん”を上に乗せた/ぱちぱちと焼ける音/香ばしい匂い/食欲を刺激する。視界の端で蠢くモノ/意図的に意識から排除する。
味噌汁の準備を忘れていた。フライパンの様子に気をつけながら、作業に取り掛かる。
傍に立て掛けてあったバットを手に取る/おおよそ調理に相応しくないそれ/窓から差し込む光を反射してぬらりと光る。
意図的に意識から排除したものを今度は視界に入れた/“城戸さん”と“田中くん”/哀願するような目/振り上げて振り下ろす/衝撃に零れ落ちた/無機質な有機の目/眼球/もう何も映さない/あまりの呆気なさに、生命を錯覚と錯覚する。
“城戸さん”と“田中くん”から味噌を取り出す/これだけでは味気ない/腿を切り取って炒め、具材とする。
初めての料理だった。不安が有る/昂揚が有る。彼女は喜んでくれるだろうか/涙を止めてくれるだろうか。
そう、全ては彼女の為に。
“佐藤さん”を手に取った/包丁を手に/球体に沿って皮を剥く。真っ赤な液体が/どす黒い液体が跳ねて僕の頬に楕円を描く。頬に伝う液体を口に含んだ。
甘く、酸っぱい、柘榴の――――人肉の、味がした。
舌に残る味に満足な感想は残せない/生来から、この味しか感じなかった/今更何を感じろと言うのだろう。
完成した料理を前に、僕の胃が収縮した/無様な音が鳴り響く。
けれど、目の前の料理に手をつける訳にはいかない/これは、彼女のものだ。
仕方なく、自分の指を食んだ/汁気が溢れ、甘酸っぱさが口内を支配する/悪い癖だ/昔は良く親に怒られた。
少しの間そうして飢えを誤魔化してから、彼女を迎えに廊下に出る。
料理が冷めないうちにと急ぎ足で/静かな校内に足音が反響する/心霊映画にありがちな演出じみて、妙に陳腐だ。
玄関に彼女は居た/その姿を認めると同時、僕は頭を下げる。
「遅い」/「ごめん」
謝罪は彼女の文句と同時だった/彼女を深く理解している証左/彼女は素直に文句を言う人だ。自分の意思を相手に伝える事に抵抗は無い/或いは、それは僕相手だからなのかも知れないけど/我ながら、酷い自惚れだ。
「たかだか料理に、どれだけ手間取っているの」
「それは、愛情を沢山混めたから」
告げれば、彼女の顔は真っ赤になった/羞恥か/否、照れているだけだ/そういう反応も可愛らしい。
僕は照れる彼女の手を取って歩き出した/彼女の顔が一層赤くなる。それに構わずに案内したのは家庭科室。僕が、先程『料理』を行った場所。
扉を開く/中は暗い/電気を点ける訳にもいかないから、そのまま中に入った。彼女は不機嫌そうに/それでも文句は言わずについて来てくれる。
用意された椅子に腰掛けた彼女に、僕は料理を差し出した/頂きますの言葉を合図に、箸が動き始める。
「……意外と美味しい」
「そう? なら良かった」
「でもこれ、何のお肉?」
「うん、それはね――」
「それは――――」
少しだけ変則的な書き方をしてみました。
狂人/食人鬼と常人/僕で地の文が違う……つまり、精神構造から普通の人間がずれている、と言う事を表現したかったのですが、果たして上手くいっているのでしょうか。
しかしこの書き方、難しい……。
あ、一応続きモノです。
短編なのは、正式に色々決まってから再度上げ直そうかなー、と考えているからなのですよ。
ちなみに半分はクロエと同時期に書かれたもので、今回はそれをリファインして続きものにしてみた……と言う事なのですが、果てさて。
『僕』と《斬殺鬼》と《迷探偵》はリファインの結果生み出されたキャラクター。
シリーズ物として必要な主人公勢を、後で追加した感じです。
続きは書き上げた次第アップすると思いますので、
奇特な方は楽しみにして待っててくださいな。
次回以降はグロ抑え目で行くつもりですー。