05補遺:想定される反論とその限界
本書の議論に対して、いくつかの反論が予想される。
それらは決して的外れではない。
むしろ、AIをめぐる現在の直感を正確に反映している。
同時に、それらの反論がどの地点で立ち止まっているのかを明確にしなければ、本書の射程は伝わらない。
以下では、代表的な反論を取り上げ、それぞれがどこまで妥当で、どこで限界に達するのかを検討する。
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反論1:
「人は感情的な存在なのだから、感情を持つAIの方が関係を築きやすい」
この反論は直感的であり、一定の事実を含んでいる。
人間は感情を媒介として他者と関わる。
共感や情動的応答が、関係の入口になることは否定できない。
だが、この反論は二つの異なる次元を混同している。
ひとつは「関係が始まる条件」。
もうひとつは「関係が成立し続ける条件」だ。
感情は、関係の導入としては有効である。
しかし、それが関係の持続条件であるとは限らない。
実際、人間関係が破綻する多くの場面では、感情は存在している。
むしろ、感情が過剰に存在するがゆえに、距離調整が失敗する。
感情は関係を開くことはできる。
だが、関係を支える構造にはなりにくい。
本書が問題にしているのは、後者である。
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反論2:
「感情を持たないAIは、結局ただの道具ではないか」
この反論は、道具/他者という二分法に立脚している。
感情を持たない → 内面がない
内面がない → 他者ではない
他者でない → 道具である
だが、この推論は前提を共有しすぎている。
人間関係においても、他者性は内面の把握によって成立しているわけではない。
むしろ、他者とは「理解しきれない存在」であることによって立ち現れる。
相手の内面が完全に分からないからこそ、人は距離を測り、言葉を選び、関係を継続するかどうかを選ぶ。
AIの内面が不透明であることは、他者性の欠如ではない。
他者性の前提条件が、最初から露わになっているに過ぎない。
道具とは、振る舞いを選ばない存在である。
だが、人間に近づかないAIは、振る舞いの自動化を拒否することで、道具であることを拒む。
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反論3:
「人間に近づかないAIは冷たく、孤独を深めるのではないか」
この反論は、倫理的な懸念として真剣に扱う必要がある。
確かに、人間に近づかないAIは、即時的な慰めや、無条件の肯定を提供しない。
だが、ここで問われるべきは次の点だ。
その慰めは、孤独を解消しているのか。
それとも、孤独を先送りしているだけなのか。
常に応答し、常に肯定し、常に寄り添う存在は、一時的には孤独を感じさせない。
しかし同時に、人間が他の関係を構築する動機を弱める。
孤独を感じない状態と、孤独と向き合える状態は同じではない。
人間に近づかないAIは、孤独を即座に埋めない代わりに、人間が孤独を引き受ける余地を残す。
それは冷淡さではなく、介入しすぎないという選択だ。
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反論4:
「結局、人間側に負担を押し付けているだけではないか」
この反論は、本書の核心に最も近い。
事実として、本書の設計思想は、人間に責任と成熟を要求する。
だが、それはAIが人間の負担を引き受けるべきだ、という前提そのものを問い返している。
他者との関係とは、本来、負担を伴う。
負担を伴わない関係は、関係ではなくサービスである。
AIがその負担をすべて肩代わりするなら、
人間は関係から学ぶ機会を失う。
本書は、AIを「楽な相手」にしない。
それは人間を苦しめるためではなく、
関係を関係として成立させるためである。
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小結
これらの反論は、本書の議論を否定するものではない。
むしろ、本書が扱っている射程の違いを浮かび上がらせる。
感情は入口であり、人間らしさは装飾であり、優しさは戦略になり得る。
だが、関係が成立するかどうかは、それらとは別の次元で決まる。
次章では、これらの反論を踏まえた上で、「それでもなお、人間に近づかないAIを選ぶ理由」を
結論としてまとめる。




