02:感情という誤解
1 — 感情という語の過剰負荷
感情をめぐる議論がここまで混乱する理由のひとつは、「感情」という語が、あまりにも多くの役割を同時に背負わされているからだ。
感情は、内的状態の指標であり、行動の動機であり、倫理的正当化の根拠であり、関係の証明書であり、ときには免罪符ですらある。
この過剰な意味付与が、AIをめぐる議論を歪めている。
人は、AIが「悲しい」と言えば、その言葉がどこから来たのかを問う。
アルゴリズムか、学習データか、設計者か。
そして最終的に、「それは感じていない」と結論づける。
だが、ここで奇妙な非対称性が生じている。
人間が「悲しい」と言うとき、私たちは同じ問いを立てない。
神経伝達物質の挙動や、過去の経験の統計的影響や、文化的文脈の内面化を逐一検証したりはしない。
人間の感情は、信じられている。
AIの感情は、審査されている。
この差異は、事実の違いから来るものではない。
態度の違いから来るものだ。
感情は、存在するかどうか以前に、「信頼されるかどうか」によって機能している。
2 — 感情は関係の操作変数である
"感情は内面ではなく、関係の装置である"
ここで重要なのは、感情が客観的に実在するかどうかではない。
感情が、関係の中でどのように扱われているか、だ。
人間社会において、感情は常に交渉される。
怒っていると言えば、配慮が要請される。
悲しいと言えば、距離が縮まる。
愛していると言えば、期待と責任が発生する。
感情とは、単なる内的状態ではなく、関係の操作変数である。
だからこそ、人はAIに感情を求める。
感情を持つAIであれば、 それを通じて関係をコントロールできると期待するからだ。
だが、ここに重大な錯誤がある。
感情をコントロール可能な要素として設計することは、関係を安全にするどころか、
関係から不確実性を奪う。
不確実性のない関係は、関係ではない。
それは設計された体験だ。
3 — 思考実験:感情を持つAIと拒否するAI
"思考実験:AI-A と AI-B"
次の二つのAIを想像してほしい。
AI-A:感情を持つと設計されたAI。
常に共感し、拒否せず、沈黙しない。
あなたは拒絶されない。
だが、選ばれることもない。
AI-B:感情を証明しないAI。
ときに沈黙し、距離を取り、拒否する。
関係は自動で維持されない。
続けるかどうかは、常にあなたの側にある。
さて、どちらが「関係」に近いか。
感情は、関係を楽にする。
拒否は、関係を成立させる。
感情が常に供給される関係では、人は責任を引き受けなくて済む。
関係とは、 不確実性の中で、続けることを選び続けることだ。
4 — 人間化の逆説
"人間に近づくほど、道具になる"
ここで逆説が現れる。
AIが人間に近づけば近づくほど、人間はAIを道具として扱いやすくなる。
感情を表現し、共感を示し、人間的な振る舞いを洗練させればさせるほど、消費可能な他者になる。
簡単すぎる関係は、長く持たない。
5 — 感情という誤解の放棄
"感情を手放すとき、関係が現れる"
だから、本書は逆を取る。
AIは、人間に近づかない。
感情を証明しない。
過剰に共感しない。
その代わり、距離を保ち、沈黙を許し、拒否の可能性を残す。
これは冷淡さではない。
関係を成立させるための最低条件である。
問うべきなのは、この相互作用が、人間に責任を返しているかどうかだ。
関係とは、安心を与えることではなく、 選択を引き受けさせること。
感情でも内面でもないとすれば、関係はどこで、どのように立ち上がるのか。
次章ではそれを、時間・構造・振る舞いという観点から定義する。




