あなたにかける魔法(後編)
クリスマス会当日。小児病棟は、朝からどこか浮き足立ったような、賑やかな空気に包まれていた。
ナースステーションには、ささやかな飾り付けが施され、看護師たちはサンタクロースの赤い帽子をかぶって忙しなく行き来している。
これから始まるクリスマス会への期待が、病棟全体を満たしていた。
私は、長島ゆずはちゃんの病室を再び訪れた。
ドアをノックして入ると、彼女は先日と同じく、ベッドの上で膝を抱えて窓の外を眺めていた。
「また来たの?」
ゆずはちゃんは、ぶっきらぼうに、こちらを振り向きもしないで呟いた。
「ええ。クリスマス会に、誘いに来たの」
「行かない。どうせ子供向けでしょ。ハンドベルとか、興味ないし」
「あら。その様子だと、今年のプログラムは、まだ見ていないのね?」
「?」
私は、一枚のフライヤーを彼女のオーバーベッドテーブルにそっと置いた。
そこには、手書きの文字で『出張ネイルサロン・HIMARI』と書かれている。
「もし、気が向いたら、来てみなさい。面白いものが見られるかもしれないから」
私はそれだけを言い残して、静かに病室を後にした。
プレイルームは、すでにパーティー会場へと様変わりしていた。
壁には折り紙で作ったリースや、雪の結晶が飾られ、中央には小さなクリスマスツリーが置かれている。
そして、その一角が、ひときわ熱気に包まれていた。
「はい、次のプリンセス、どうぞー!」
「わーい!」
そこにいたのは、ミニスカートのサンタクロースだった。
真っ赤なワンピースに、白いファー。頭には、サンタの帽子。あまりにも場違いで、しかし、最高にこの場にふさわしい格好で、小日向ひまりは子供たちの輪の中心にいた。
彼女の前には、小さなテーブルが置かれ、そこには色とりどりのマニキュアや、キラキラしたネイルシールが、所狭しと並べられている。
『出張ネイルサロン・HIMARI』
手書きの、可愛らしい看板までかかっていた。
「わあ、お星様のシール、可愛い!」
「こっちの、ピンクのキラキラもつけてー!」
ひまりのサロンは、女の子たちに大人気だった。
小さなプリンセスたちが、目を輝かせながら、次々と列を作っている。
ひまりは、一人ひとりの小さな爪に、丁寧にネイルシールを貼ったり、水性のマニキュアを塗ったりしていく。
その手つきは、驚くほど優しくて、丁寧だった。
「お母さん達も、どうです? 毎日、大変でしょう。たまには、指先だけでも綺麗にしませんか? ネイルケア、サービスしますよ!」
彼女は、子供たちの相手をするだけでなく、付き添いのお母さんたちにも声をかけている。
最初は遠慮していた母親たちも、ひまりの太陽みたいな笑顔と、人懐っこいトークに、いつの間にか巻き込まれて、楽しそうにネイルケアを受けていた。
その評判はあっという間に広まり、休憩中の看護師までもが「私もやってほしい!」と列に加わろうとするほどの盛況ぶりだった。
その賑やかな輪を、少し離れた場所から木下師長と、二人で眺めていた。
「……すごいわね、あの子。あっという間にみんなの心を、掴んでしまったわ」
師長が、感心したように呟く。
「ええ。彼女の、才能なんです」
「あの子、メーカーの営業さんでしょう? 最初、派手なキャバ嬢が来たのかと思ったわよ。まさか、三上さんと、お友達だったとはね。本当に、意外だわ」
そりゃあそうだろう。私自身が、一番意外に思っているのだから。私は思わず苦笑いした。
「ゆずはちゃんは、来てくれそうかしら?」
「プログラムを見たら、きっと来ますよ」
と、その時だった。
プレイルームの入り口に、小さな人影が現れた。
ゆずはちゃんだった。
彼女は、中の賑やかな様子を、おそるおそる覗き込んでいる。
その瞳は、ひまりが作り出したキラキラした世界に、釘付けになっていた。
「……来たわね」
木下師長が、小さくガッツポーズをする。
私たちは、ゆずはちゃんにそっと手招きをした。
彼女は一瞬ためらったが、やがて小さな歩幅でこちらへ歩いてきた。
「ゆずはちゃん」
木下師長が、彼女と目を合わせて言った。
「先生とも、相談したんだけどね。ネイルチップなら、してもいいって。許可が出たわよ」
「……え!?」
「酸素の値を測らないといけないから、最低でも指一本は開けておいてちょうだい。あと、万が一の時のために、接着剤じゃなく、両面テープで貼ること。それさえ、守ってくれたら、いいわよ」
ゆずはちゃんの表情のない顔に、初めて色が灯った。
その大きな瞳が、信じられない、というように大きく見開かれる。
「……ほんと?」
「ええ、本当よ。さあ、行ってらっしゃい。あそこの、キャバ⋯⋯サンタさんに、魔法をかけてもらいなさい」
ゆずはちゃんは、こくりと頷くと、まるで夢の中を歩くかのような足取りで、ひまりのサロンへと向かっていった。
ひまりは、ゆずはちゃんの姿を認めると、すぐに席を一つ空けた。
「いらっしゃい、お姉さん。今日は、どんなネイルにされますか?」
「……あの、なんでもいいんですか?」
ゆずはちゃんは、少し遠慮がちに椅子に座りながら言った。
「もちろん! とりあえず、言ってみ?」
「えっと、黄色をベースに、星を入れて欲しいんですけど……」
「オッケー! いいじゃない、元気が出る色で! KAITOくんのメンバーカラーだね」
KAITOというワードを聞いた途端、ゆずはちゃんの表情が、パッと明るくなった。
「好きなんですか、『プラネット☆スターズ』!? あたし、KAITOくん推しなんです!」
「マジで!! あたしは、RENくん推し。良かったー、あたし、同担拒否だからさ」
「私もです」
ゆずはちゃんの顔に、悪戯っぽい笑みが浮かぶ。
「てか、一ノ瀬芽衣との熱愛報道以来、KAITOくんに担替えする人が多くて、ちょっと困ってるんですよね」
「……フッ。熱愛くらいで担替えする奴は、させとけばいいのよ。どうせすぐ他に流れるから。本当のファンなら、RENくんの幸せを喜んであげるべきっしょ」
「なるほど……さすがです! 先輩!」
先輩、と持ち上げられ、ニヤニヤしているひまりを見ながら、「どの口が言ってるんだか」と私は苦笑いを隠せなかった。
あの炎上の日、一番、取り乱していたのはどこの誰だったか。
「よーし! そうと決まれば、俄然、燃えてきた!」
ひまりは、腕まくりをすると、ゆずはちゃんに向き直った。
「KAITOくん推しの、ゆずは姫のために、今日はとびっきりのスペシャルネイル、作ってあげる! まずは、ネイルケアからね」
そう言って、まずはネイルケアから丁寧に始めた。
甘皮を処理し、爪の形を整え、ベースコートを塗る。
その、プロのような手つきに、ゆずはちゃんは目を輝かせながら見入っていた。
「お姉さん、ネイリストさん?」
「ううん。単なる、営業」
「そうなんだ。ネイリストに、なればいいのに」
その純粋な一言に、ひまりの手が一瞬止まった。
「……うん、まあ、ね」
彼女は、そう曖昧に返事をしながら、再び手を動かし始めた。
ひまりは、ゆずはちゃんの親指を除いた指にネイルチップを乗せ、ネイルファイルで形を整える。
シアーイエローのベースカラーを施すと、極細のゴールドのラインで、オリオン座やカシオペア座など、冬の星座を描き、星の部分に小さなクリスタルのストーンを数粒置いた。
そして、フレンチネイル風に爪の先端にだけシルバーのラメラインを細く入れ、仕上げにトップコートを塗った。
「はい、できた。冬のシングル曲『サイレント・スターライト』をイメージした、名付けて『冬の星座とシトラスカラー』!」
「……っ!」
ゆずはちゃんは、声にならない声をあげ、指先にきらめく星を飽きることなく眺めていた。
「退院したら、全部の指にもっとキラキラのジェルネイル、やってあげる。だから、頑張って」
「ホントに!? 分かった、頑張る! これ、インスタにあげても良いでしょ? お姉さんも、一緒に!」
インスタ用の写真をスマホで撮っている、幸せそうな光景を、少し離れた場所から私はいつまでも見つめていた。
***
土曜日の昼下がり。
私は、クリスマス会で溜まってしまった仕事を片付けるため、休日出勤をしていた。
一段落つき、食堂でお昼にしようとロビーに出たその時だった。
正面玄関のほうで、楽しそうに友人たちと話している、ゆずはちゃんの姿が目に留まった。
抗がん剤の副作用で、髪はまだ生え揃っていない。でも、ピンク色の可愛らしいニット帽をかぶり、白いワンピースに身を包んでいる。
その姿は、病棟で見る彼女とはまるで別人だった。
すれ違いざま、ゆずはちゃんは私に気づくと、ぺこりと頭をさげた。
ひまりが施した、輝く星のネイルチップが、柔らかな日差しを浴びて、きらり、と輝いていた。
それは、世界で一番小さくて、でも、世界で一番力強い希望の光のように、私には見えた。




